謄写版

 明けましておめでとうございます。

 本年も馬鹿馬鹿しいお話にお付き合いください。

 私の文章を幾つかでも読んだことのある人は、「漢字の多い文章だな」と云う印象を受けると思うのだが、一字一句に敏感な人はこれだけ漢字を多用した文章に、ある漢字だけが殆ど登場しないことに気付くかもしれない。

 そう。それは「無」という漢字である。

 私の文章には「無」は「無理」「無限」などの熟語としては登場しても、「無い」という訓読みの形容詞としては基本的に登場しない。
 これは私が「無」という概念を嫌ったり恐れたりしているのが理由ではない。もっとしょーもない理由である。


 これは私が容認できない政治的信条や歴史観を持っている人々、たとえば「日本は韓国を植民地にしたことが無い」とか、「大陸での日本軍の残虐行為は無かった」などと主張する人々がこの「無い」という漢字を多用しているような気がするからだ。実際にAI君に数を数えさせてみたら全くの気のせいかもしれないが。

 通常「ない」は「存在しない」という意味の本動詞の場合にしか「無い」とは表記しない。たとえば「金が無い」などだ。ところがこの人々は「私は学生ではない」などの本来は補助動詞として用いられて仮名で表記されるのが慣例の「ない」まで「私は学生では無い」などと漢字で表記する。

 誰がそう云っているという訳でもないのだが、私にはこれが目に付く。目障りである。

 どうも自分たち同士で似たような考え方をする人を見分けるために用いられている符牒のように思えてならない。
 あるいは単に彼らの親玉に当たる人が「無」のそういう使い方をしていてそのエピゴーネンたちがその人の文章を参考にするうちに漢字の使用法まで学んでしまったのかもしれないが。

 一方で、私は世間一般ではあまり使われない表記を多用している。

 それは「云う」である。

 通常「いう」が本動詞として使われる時には「言う」と表記されるし、補助動詞として使用される場合、例えば「桃太郎という少年がいました」などという場合には漢字を用いずに「いう」と仮名で表記するのが普通である。
 しかし私は本動詞のみならず補助動詞の場合にも意識して「云う」と表記している。

 私がこの漢字を最初に見たのは小学生くらいの頃、父親が連れて行ってくれたソ連(ロシア)映画の「大祖国戦争シリーズ」の字幕の中だったと思う。

 一瞬戸惑ったものの、文脈から「云う」は「いう」と読むのだとすぐに悟った。

 そしてその字幕の手書きっぽい字体と共に「カッコいいもの」として脳裏に刻まれたのだ。

 実際「大祖国戦争」の登場人物たちはカッコよかった。
 
 これは日本の戦争を負け戦として教わったことが関係していたに違いない。

 ソ連の対独戦は最終的には勝ち戦なのだが、全4年の期間のうちの大半は負け戦だし、勝ちに転じてからも度々手痛い敗北を喫している。

 そしてこれは兵士を消耗品と見做すロシア軍(に限らず戦争の本質がそうとも云えるが)の伝統的な戦略戦術も関係しているのかもしれないが、主人公格の登場人物は勝利を眼にすることなく死んでしまう。

 これは映画に登場する日本兵と同じ運命である。

 何度薄氷を踏んでも「ありえんやろー」というような神業と幸運で必ず生き残る米国の戦争映画の主人公に酷い嘘臭さを感じていた私には、必ず死んでしまうソ連兵はとても親近感があった。

 「戦争とはいえ他人様の息子を殺めてしまうのだから自分も死ななきゃ。」という感覚である。

 おそらく私より以前の日本人は間違いなくこうした感覚を持っていた。私が最後の世代かも知れない。

 それについては私は20年ほど前に小論を書いている。
 「日本軍歌史考」
 
 占領から80年経ってすっかりアメリカナイズされた現在の日本の若者にはこんな感覚はないかも知れない。

 実際私より年上の作家などでもこういう感覚を持たずに戦争を描写している人も増えてきたから、そういう感覚は滅びつつあるのかもしれない。まさに「昭和は遠くなりにけり」である。

 もっとも、アングロサクソンにも謙譲な人はたくさんいるし、むしろ彼らの伝統的な考え方はかつての日本人に似ているという説もある。日本文化に惹かれる人が多いのは基本的な精神に通底するものがあるからかも知れない。

 閑話休題(ないというのはなしだった)。

 ここでふと疑問に思ってAI君に聞いてみたのだが、「言う」は自分の意見や気持ちを直接表明するときに使用し、「云う」は他人の言ったことの引用に使用するそうだ。

 ただ、映画の字幕の中でそんな使い分けがされていた記憶はないから、「言う」が「云う」に代わっていたのは別の理由があるに違いない。

 通常の環境下では「云」という漢字は「云々」という熟語以外ではまず使うことがない。これは映画字幕と云う特殊環境下で行われた代用に違いない。

 そこで思い当たったのは、昔は映画の字幕はフィルムに刻み込まれて作成される、ということだ。

 これはガリ版の作り方と同じである。
 ガリ版と云っても私と同年配より上の人しか分からないだろうが、ワープロが普及する前の印刷物はガリ版によって作成されていた。

 昔は例えば教師が「学級通信」などを作ろうと思えば蝋が塗られた原紙に鉄筆(鉄でできたペン)で一画一画刻み込んで行き、それを重ねて完成したガリ版(正式には謄写版という)を謄写器に掛けてローラーで一枚一枚インクを塗りながら刷る必要があった。

 この作業を今でも見ることができる現代の作業に喩えると、板海苔の製作や和紙を漉く作業が一番近いか。いや、違うな。既に失われた文化である。他に喩えようがない。あ、浮世絵を刷る作業に似ている、って、江戸時代の技術じゃないか。ガリ版よりずっと古い。

 もう少し金のあるところだと輪転謄写機というのがあって、これは今の輪転機と原理的には同じでそれほどではないにせよかなり速いスピードで連続的に印刷することができたが、私の父がいたような田舎の小学校だと相当後の時代にならないと使用することは期待できなかった。

 ガリ版を作るにはコツがあって、できるだけ画数を少なく、直線を多用して切るようにして刻んでいく必要がある。だからガリ版は「作る」ものではなく、「ガリ版を切る」と云っていた。「ガリ版」という俗称はこの作業の際に「ガリガリ」「カリカリ」と音がするところから来ているらしい。
 このやり方では、あまり画数を多くしたり曲線を多用すると原紙がボロボロになって、印刷した時にその部分はインクがべっとりと印刷紙に付いて真っ黒になってしまうのだ。

 今から考えれば「言う」はガリを切ったときにそういう危険性の高い字である。狭いスペースの中に横線を6本刻んだらまず間違いなく原紙がズダボロになってしまう。
 だから画数が少なくて原紙を傷つける危険性の少ない「云う」が使われたのだ。

 映画字幕で「云う」が多用されたのも同じ事情に基づくに違いない。知らんけど。

 ちなみに、平型の筆にペンキを付けて看板を書いたり、マーカーの角型の筆先で大きめの字を書くときにも「ガリ切り」と同じようなテクニックが使用される。

結婚式の案内看板

 私が旧友のA君の結婚式の看板をそうしたテクニックで書いて顰蹙を買った話は既にした。
 結婚式のとんでもない看板(京都安下宿生活58) 

 ただし、私はガリを切ったことはない。

 私が大学生の頃には既に「ガリ切り」は伝統芸能の世界になっていて、政治や思想なども含めた色々な意味での懐古趣味(アナクロともいう)を持った人々に僅かに伝わっている技能だったからだ。

 ということで(何が「ということ」なのかわからないが)、私はこれからも「云う」という漢字を使い続けていく。今までの私の拘りの例に漏れず突然飽きて止めてしまうかもしれないが。

 そして、「無い」という漢字は出来るだけ使わないようにしよう。って、少し姿勢が後退している。何だかムキになっているのがちょっとアホらしくなってきたのだ。

 歳を取ったら頑固になるというのは嘘だな。