August 17, 2017

近況 20170817


少しずつ少しずつ本格的な発声を取り戻していっています。

万全が目的なので9月にはまた治療旅行を考えています。


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曲作りを進めています。

新たなソングライティングの領域に踏み出したいので、

なかなか一歩一歩が重いです。


道を進んでいくというよりも、
道を作っていく作業です。

今はどの土地にどのような道を作っていこうか、

眼前に広がる大地に目を凝らしているような時間です。



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北海道の夏はもう終わりに向かっているようですね。

お盆が過ぎて、

夜の風に合う上着を探してクローゼットに手を伸ばそうとしています。




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ポール・サイモンの新しいアルバム

Stranger To Strangerの
Insomniac's Lullabyという曲

とても美しい曲で最近よく聴いていました

70歳になってこのような作品を作れるというのは

本当にアンビリーバブルですね。


どのような生活習慣でいると、

こんな70歳になれるのでしょうか?

やはり青汁とかでしょうか?


健康というのは何より尊いものの一つですね。



皆様もご自愛下さい。

shinagawahiroshi at 21:52|PermalinkComments(2)

July 01, 2017

音楽に愛されていた






大衆音楽はあまり聴く気になれなかった


クラシックのコンサートに時々行っていた



キタラの大ホールで聴くオーケストラの音は

生き生きとしていて美しかった


僕の心を理解してくれているように感じた




ワグナーはどんな気持ちで管弦楽を書いていたのか

美味しいコーヒーでも飲みながら話せたらいいのに




素晴らしい楽曲と、素晴らしい指揮者、素晴らしい楽器、素晴らしい演奏者、素晴らしい響きの空間、

良い条件が揃っていた


音楽が大好きだと言える限られた時間だった


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2016年1月に子供が生まれてから

できるだけ多くの時間を子供と過ごそうと思った


僕もワイフもこれから何人も子供を産んで育てられるような年齢ではないと考えていたから

赤ん坊を見つめていられる時間が儚いものだと自覚していた



もともとそうだったけれど、より多くの時間家の中で過ごした


喉の調子が悪かったので歌う時間も減らした

赤ん坊を抱きながら背負うことはできなかったから

ギターを弾く時間も減らした



それで構わなかった


今の自分のやるべきことは、こういうことなんだと思っていた




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家の中で、

クラシックコンサートで演奏を聴いている時みたいに

音楽に感動できないだろうかと考え始めた


オーディオに興味が出てきた





ここ数年、レコーディング、ミックス、マスタリングを自分で行うようになってきてから

結果ハイクオリティなオーディオインターフェイスやモニタースピーカーを揃えて

副産物的に音楽を聴くことの精度も上がり、

記録音楽の再生の追求に興味を持ってきていたし、

レコーディング全体の精度をさらに上げるために、

もっと耳を鍛えたいとも思っていた






オーディオに関する書物やネットの記事を読みあさった

デジタルオーディオやアナログオーディオのメカニズムを知っていくのは楽しいことだった


音楽とは一体何なのかという渇きに新たな潤いを与えた



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札幌の幾つかのジャズ喫茶を巡った


ジャズバー、Bossaではパラゴンで素晴らしいジャズが聞けた

目を閉じるとキャノンボールは等身大でスピーカーの側に立ってアルトサックスを弾いていた



名曲喫茶ウィーンでは、真空管パワーアンプの密度の濃いオーケストラの音が聞けた




音楽に新たに恋焦がれ始めていた


新しい感動が扉を開けて待っているように感じた



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コンパクト用途に良質なフルレンジスピーカーと、

本格聴き用途に30cmウーファー搭載の3wayの大きなスピーカーを買った、


パワーアンプにはガレージメーカーElsoundのオールディスクリートパワーアンプを買った



今まで聴いたことのないような、
みずみずしく、生き生きとして、リアルな音楽が鳴った




小学生の時、兄のケンウッドのコンポでCHAGE&ASKAを聴いた時みたいに

心はときめいていた



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はじめはクラシックとジャズを聴きあさった



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限りなく愛おしい存在ではあるが

毎日、赤ん坊の面倒をみていると

さすがに体も心も疲弊した




息抜きにコーヒーを飲みながら音楽を聴いた

心の深くまで染み入る音だった


深い森の中にある陽だまりで深呼吸をしているような心地よさがあった



音楽は僕の心身を癒していた




信じられなくなっていたはずの音楽が

また僕の為に、僕の近くに来ていた




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やがて昔のロックやポップスを聴きはじめた



ローリングストーンズ、
ボブディラン、
ポールサイモン、
ビートルズ、ジョンレノン、ポールマッカートニー、


アナログレコーディング時代に録音されたものが中心だった

音の角が丸く、抜けが良く、エディットの痕跡も少なく、
耳に優しかった



ローリングストーンズをかけると

息子がハイハイをしてスピーカーの側にいき

笑いながら手を振り回し、頭を揺らしていた




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ノラジョーンズや、ダイアナクラールを再生すると

僕のオーディオ追求に恐れを抱いていたワイフも

肯定的なまなざしでスピーカーを見つめるようになっていった



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モーツァルトの室内楽を聴くと

心のトゲが軟化していった


ヨーヨーマのソロアルバムを聴くと

チェロのボディの軋みまで感じることができ、

生命のぬくもりに近似した波形に苦悩はほぐれた




やがて全ての音楽に興味を取り戻していった

U2、
snow patrol、
山下達郎、
Nirvana
CHAGE&ASKA、Aska、
beck、
ザイエローモンキー、
Mr. Children。
jason mraz、
Eric Crapton、
レッチリ、
イマジンドラゴン、
オアシス、
sting、
elbow、
ジョニミッチェル、
小沢征爾、
ふじこヘミング、
ジョンコルトレーン、
マイルスデイビス、

etc..





過去に聞いた様々なアルバムを聴きなおし、
未開拓のアルバムを聴きあさり、
名盤といわれるアルバムを探しては聴いた、



どれも楽しく美しい経験だった



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子育てに疲れた時も、


ワイフと出口の無い言い争いをして途方にくれた時も、


調子の悪い喉に絶望を感じた時も、



音楽が側にいてくれた


僕の為に奏でられていた








世界は醜い場所なのか?

世界は美しい場所なのか?




どんよりと果てしなく続いた低気圧が北へ向けて遠ざかっていった

隣のマンションのベランダには白いシーツとTシャツが風に揺れ始めていた




淀んだ僕の心に罵られても

音楽は顔色一つ変えずにずっとそこにいた



心ない若者に弄ばれて

欲に染め上げられた大人たちに利用され

それでも音楽は清らかな眼差しを消さなかった




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30Hz ~ 20kHz

大まかにこのぐらいの周波数の中で

様々な空気振動が伝えられる



僕はそれを鼓膜で感じたり

腕の皮膚で感じたり

足の裏の振動で感じたり

髪の毛の微細な揺れで感じたりして受け取る




脳の中でロジカルに理解するのは本来の反応のだいぶ後になる

基本的には僕は音楽を「感じる」ことだけしかできない



高音がシルキーで良いとか、

メロディに対するストリングスのラインが秀逸だとか、

低音に量感があるのに輪郭がはっきりしていて良いとか、

それらはすべて感想に過ぎない



少年が緑色の原っぱで目を閉じて風の肌触りに心を染め上げるように


僕は音楽を「感じて」いる




理屈で色々と分析しようとするけれど

結局はただただ「感じる」しかない




イルカが水の分子をキックして海水の質感を全身で感じるように

夏の風に誘われた真緑の木の葉が踊りながら大気の柔らかさを感じるように

午睡から目覚めた野良猫が舐めた水たまりの冷たさを喉に感じるように




僕はただただ音楽を「感じる」



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僕の頭の中で幾つかの記憶は

それぞれ全く別の風景なのだけれど

一つのカテゴリーの中におさまっている



一つは幼児の頃母親と戯れていた風景であり

一つは小学生の頃ウォークマンで音楽を聴きながら冬の交差点を眺めていたことであり

一つは高校生の頃、晴れた初夏の日に公園で仰向けになって寝転がっていたことであり



どれも非常に美しく、幸福感が伴い、
言語化しがたい彩り鮮やかな感覚に溢れていて


何かによって大きく愛されているという
肯定感に満たされている





今回僕が新たに重ねた音楽体験は

上記のカテゴリーに分類されていくだろう




僕はまた愛されていた

音楽に愛されていた






その事実は、

僕の人生の一つの真実となって

より色濃くなっていくだろう。







shinagawahiroshi at 14:01|PermalinkComments(0)

音楽を信じられなくなっていた

しばらく音楽を信じられなくなっていた



挫折を幾度も味わったせいかもしれない

人に裏切られ傷つけられたように感じていたからかもしれない



十代の頃に大好きだった曲を聴いても
感動できなくなっていた


誰のライヴも見に行く気になれなかった




音楽の神様は僕から声を奪おうとしていた

何もかもが僕を音楽から遠ざけようとしているように感じていた




世の中で流れている音楽

どこかで聴いたことあるようなメロディのツギハギばかりだった

美辞麗句を並べただけの歌詞

綺麗ごとばかりのメッセージ


レコード会社の重役の顔色伺いか

数字目標を達成したいディレクターやプロデューサーのプレッシャーのせいか

ポップもロックもエレクトロニカも

どれもこれも品のない顔をして笑顔を撒き散らしていた




借り物のパブリックイメージ

海外輸入品をバラしてくっつけただけのアレンジ







しばらくクラシックとジャズしか聞けなかった

それも昔のものだけ





ビルエヴァンズのアルバムを集めた




僕のビルエヴァンズ

いつも悲しげなビルエヴァンズ

深い優しさで包む有機的な演奏






曇り空の下、広大な荒地を渡る風のような

チャイコフスキー


悲しみを味わいつくしたロシアの男



絶望を情熱に変え続けた
音楽という宿命に彩られた孤独な男








僅かな、親友と呼べるような音楽の側で

僕の孤独はとぼとぼと歩き続けた、

未来と言えるような代物ではなかったけれど、

過去でも現在でもないどこか別の場所へと。

shinagawahiroshi at 14:00|PermalinkComments(0)

June 26, 2017

札幌に帰ってきました

大阪から札幌に帰ってきました


ひとまず治療は終了しました


状態としては寛解、というところです



治療の反応がおさまるのを待ちながら徐々に発声を本格化していこうと思っています




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今後の活動に関して色々とイメージしています



前回のアルバム制作後から随分と曲のアイデアの断片が溜まっています



今回は自分の精神の核を
最高レベルではっきりと掴みたいと模索しています




僕の原風景、

僕の感情の源、

「僕の心臓」と「僕の人格」の間にある幾つかの重要な連結素子の解明、

そういったことにここ二年程の間とても興味を持っています


それらが存在する森の付近で、

思考と感覚とを放し飼いにしています


意識と無意識の間を近道しないで行ったり来たりしています





曖昧としたカタチはある程度見えています


これを具現化する過程がとても難しく、時間がかかります





ゆっくり急ぎます。

shinagawahiroshi at 10:47|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

June 15, 2017

大阪

大阪に来ています。


1週間ほど前から来て、毎日治療の日々です。


こちらにはモーニングという文化(?)がありまして、
午前中の喫茶店ではコーヒーの値段で、
コーヒーとトーストとエッグ等を頂くことができ、
毎日のように飲食しています。

僕の通っている喫茶店は、
どこにでもありそうな少々古めかしいお店なのですが、
コーヒーは炭火自家焙煎でいつも新鮮なものがいただけます。
抽出もハンドでネルドリップです。

大阪はコーヒー文化のレベルが高いのでしょうか?
特にコーヒーを売りにしているというような看板もたてていないのに、
随分と美味しいコーヒーです。
良い気分転換になります。


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症状としては今はだいぶ落ち着いてきました。

声も出やすくなっていると思います。




今回の治療の目標は慢性炎症部位の完全な消滅です。

それに最も適しているであろうと思われる病院を選びました。


おそらく目標は達せられるであろうと期待していますが、
今後全く症状が出ないという保証はまた別の話です。


慢性上咽頭炎という病気は、
様々なことと関連しています。

副鼻腔炎、腎臓の不調、精神的ストレス、アレルギー、特定の生活習慣、
等々と相互に関連しあって流動的に現れ得る症状です。


なので心身の状態の総合的な理解と、
症状との関連要項の全体的な健康水準の高水準安定が必要となります。

そのあたりは長期的展望をもって解決していこうと考えております。


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今回の治療が終われば、
曲作りを徐々に本格化して行っていこうと思っております。



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闇が濃ければ濃いほど

光は際立って眩しくなっていきます


僕が見た光をカタチにして

届けることができればと思っています。



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大阪の気温は今30度です、

ギラギラと街路樹の緑が揺れています。



shinagawahiroshi at 15:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 03, 2017

病によってもたらされたもの

喉の病気になったことによって、
多くのことを学んでいます。



4年も調子を崩していると、
その前まで当たり前のように、毎日のように2時間、3時間と歌っていた日々が
夢のように美しく思い出されます。


声が出るということが当たり前のことではないんだということ、
いつまでも歌い続けられるわけではないということ、
何もかもいつかは失われてしまうんだということ、
そのようなことが実感として理解できます。



「永遠」というのは、
ほんの束の間感じることのできる抽象概念だということ。





年齢を重ねたせいもあるのかもしれませんが、
歌うという行為を濃密に感じるようになりました。


全身の筋肉を柔らかく連結させながら横隔膜を押し上げ、
声帯周辺の筋肉をしなやかに固め、
肺に入った空気を効率的に送り込み、
一連の運動エネルギーを空気振動に変換し、
喉、鼻、頭骨、全身を使って共鳴させ、
「歌」というモノを現実空間に出現させる。


僕の中にあった抽象イメージは「歌」となり、
「歌」は現実と想像を繋ぐ架け橋になる。

僕はその橋を自由自在に行き来しながら、
魂の風に吹かれ、
美しい風景を眺めている。




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声帯が機能不全になっているわけではないので、

短時間での歌唱は可能ですが、

その後に咽頭全体が炎症してくるので、
連続、連日の長時間の歌唱は困難でした。


一番問題なのは練習時間の極端な減少です。
毎日数時間トレーニングするのは無理でしたから、
歌っては数日休みを繰り返すしかない。


質の良い練習方法、効率的な練習方法、

実発声以外での発声練習、

そのような工夫が必要となりました。


イメージトレーニングの濃密化によって、
多くの問題を軽減していました。



後は基本的な歌唱方法の変化をしていました。

極力声帯の運動量を減らすこと、
声量の増加や地声での高域表現を減らし、
声の立ち上がりや立ち下がり、ビブラートとテヌートの種類の増加、
フレーズとフレーズの間の行間で多くを表現することなど、
細かな表現のニュアンスを増やすことによって、
全体的な歌唱表現エネルギーをできるだけ減らさないように努めておりました。




経験、修行という見方をすれば、
病によってもたらされたものはとても多く、
有益なものも多く身につけました。

上記の歌唱に関する技術の向上もそうですし、
苦しみ、喪失、不自由に対しての精神的許容技術であったり。


ですがやはり健康に対する憧れは消し去ることはできませんし、
それを追うことは止めたくありません。




多くの学びを携えて、
もう一度健康な喉の状態を手に入れることによって、
更に磨かれた表現をできればとイメージしております。


どうなるかは神のみぞ知ることになるのですが。

shinagawahiroshi at 14:24|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

僕の病気について

僕の病気について



2013年の夏頃から僕は、
慢性上咽頭炎という病気になりました。


症状としては色々とあるのですが、
僕にとって主なものとして声が出しづらくなるということと、
歌うと炎症が悪化し体調不良になるということがあります。


札幌で通院治療しながら良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、
騙し騙し歌を続けてきました。



最近数年の演奏活動の消極化の理由については、
この病気が最たる原因となっております。
(子供が生まれてからの一年半は育児にエネルギーを割いていたという理由も大きいですが)





この一年ぐらいで症状がより、悪い意味で不安定になり、
なんとかもっと良い状態に持っていけないか、
完治させることはできないかと考え模索し、
(ずっと模索し続けていたのですが)
あるところからこの治療においての名医の所在を知ることができました。



先月の末から、札幌を離れ、
その名医のいる関西の方に治療旅行にいっておりました。

今のところ良い手応えを感じていますが、
まだ充分ではないので、
来週からもうしばらく通う予定となっております。




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病気という言葉はあまりポジティブな空気を纏っていないので、

できるだけ公表しないでおこうと思っていたのですが、

情報の不透明さというものは、
ある種の歪みや誤解を伝えてしまい得る、
ということと、


僕の現在存在において、
あるいは表現活動全体において、

この病気を無いものとして扱うには少々無理があり、

不自然、不合理、となってしまうと考え、
このように書いております。



喉の状態の不安定さを理由に、
様々なイベント等を断らざるをえなかったことが、
とても心苦しく残り続けております。




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今回の治療がうまくいけば、
最高で完治、
最低でもここ4年で最善、
となるので

その後はできれば活発に活動していきたいと考えております。





文が長くなったので一先ず。

shinagawahiroshi at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 18, 2017

発寒川河畔公園

川辺を歩くのが日課だった


夕陽に染まる空や、稜線や、橙色を映す川が美しかったから

仕事の途中でも手を止めて出かけた


MDウォークマンと
マルボロと
詩をかきとめる手帳をズボンのポケットに入れて



家を出て少し行くと旧国道5号線で

そこから北西に向かう道ではすでに開けた空が見えていて

夕陽がいっぱいに世界に広がっていた



オイルの甘い香りがするジッポでマルボロに火をつけて

胸の深くの憂鬱を掬い取るように煙を流し込む



それは僕の親友だった

夕陽の光

タバコの味

帰路を行く車のライト




川辺に辿り着くと

川の両側に伸びた公園の道を歩いた


川の音は毎日違った

周波数特性は分析不可能な程複雑な偶然性に満ちていて

周波数帯域は人間の可聴範囲を遥かに超えていて

耳を澄ますと、まるでどこまでも続く晴れた日の湿原のように

雄大で軽やかで心地よい抽象感覚を呼び起こさせた



山の方に向かってしばらく歩いて、折り返しに橋を渡る

そしてまた元来た道の方向に下って行くと

街のパノラマが視界に広がった


その景色も本当に好きだった

琴似、発寒、八軒、
もっと北東の方まで景色は続いて
地平線が見えた



何か言葉が浮かんだ時は

川の鉄柵にもたれて

ポケットから取り出した手帳に書き綴った


感情やイメージの言語化の速度に

ペンが追いついてしまうと

空を眺め、街を眺め、川の音を聴いては

また感情やイメージが溜まるのを待ち

それがまたやってくればペンを動かした




有酸素運動をしながら吸うタバコの味は

また美味しかった


水の匂いと、公園の木々や草花の匂いと混ざり合った

そこにしかない香りがした



景色が美しければ美しい程

MDウォークマンから流れる音楽も

より感動的に響いていた




帰路に着き始めると

いつも名残惜しかった

今日の景色は、今日しかないことを知っていた


今日の川の音も

今日のタバコの香りも

今日のペンを握る感触も

これで最後なんだって知っていた


だからいつも少し寂しくなった


だから真剣に見つめていた


全ての色を、全ての光を






また旧国道5号線に戻ると

行き交う車のライトはさっきより眩しくなっていた



夜の闇は空の色を消していき

街の灯りの輝きを浮かび上がらせていった








僕のありのままを、その全てを

いつも受け入れてくれていた

その時間、その世界



僕の親友だった。

shinagawahiroshi at 23:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 13, 2017

パンの耳

父と母が喧嘩している光景をはっきり覚えている

いつも喧嘩をしていた


僕が物心ついた時から

14歳の頃に母が家を出て行く時まで

ずっと続いた



汚い言葉が次から次へと

居間の中を飛び交っていた



大声をあげて

耳が痛かった



喧嘩があんまり酷くなると

僕は二階に行った

二階に行って部屋の扉を閉めても怒鳴り声は聞こえてきたから

布団に入って耳を塞いでいた



このまま離婚してしまうのか

喧嘩が盛り上がりすぎて怪我しないだろうか

救急車や警察が来て大事になったりしないだろうか

明日からは今まで通り学校に行けなくなるんじゃないだろうか

僕の生活はどうなってしまうんだろうか


色んな不安や恐怖が頭をよぎって

苦しかった





僕がこんなに苦しんでいるのに

喧嘩をやめようとはしない父も母も

僕のことなんてどうでもいいと思っているんだろうな

そう感じていた



どちらが悪いかと

相手を責めあって

罪を押し付けあって

優しさを投げ捨てあって

終わりのない憎しみはいつまでも続いていた






小さい頃の家のことを思い出す時

多くのことは悲しい、苦しい思い出ばかりだ

父と母がうまくいっている時はなかった





ーーーー

ある夜のことだった

僕が確か10歳ぐらいの時に


父と母と僕の三人が居間にいて

父と母が離婚の話をしていた

僕はテレビを見ていたけれど

テレビの内容は何も入ってこなくて

内心はじっと父と母の会話を聞いていた


「あなたが面倒見なさいよ」

「お前が連れて行けよ」


離婚をしてどちらが子供を扶養するのか、

押し付けあっていた



話し合いはなかなか結論が出なくて

くじ引きで決めようと話になった


父がテーブルに置いてあった食パンの耳を二本ちぎって

一方はそのままの長さ、もう一方は短くし

その二本を手に持って下の部分を隠した


そして母に向かってどちらかを引けと言った


短い方を抜いたらお前が子供の面倒を見ろ

そういうことだった


ーーーーーーー

10歳の子供が横にいて

どうして彼らはそんな無神経な会話ができたのか

僕には未だに理解できない


その出来事が強烈に僕の心に焼きつき

大人になっても思い出し

悲しい感情の記憶を思い出すことになるなんて

彼らは想像もしなかっただろう







ーーーーーーーーーーー
僕は自分の子供を抱きしめる時

時々、

この子を守りたいと思う


何から子供を守りたいかというと

それは僕からだ



僕の血の中にある

彼らの暴力性や


幼い頃幾度も僕の精神に刷り込まれた

人を憎むことや

か弱い者の心を想像しようとしない無神経さから





子供の頃の僕の悲しみ苦しみが

歪んだ形で

この子に向かって現れやしないかと

心配になり


何度も自分を空中から見つめて

見張っている





ーーーーーーーーー

深夜に居間の椅子に座って

台所にある食パンを見ながら

そんなことを考えていた




深夜に食パンを見ると

大抵あの夜のことを思い出す





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世の中の子供たちが

穏やかな家庭や、愛の中で暮らせることを祈ってる


そしてかつてそれが叶わなかった大人たちが

自分の心を癒す術を見つけられることを祈ってる

shinagawahiroshi at 22:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

April 12, 2017

煌めくベージュのトレンチコートと、輝く黒い革靴。

もう数日過ぎてしまいましたが、

誕生日のお祝いの言葉を下さった皆様、

どうもありがとうございました。


4月7日で36歳になりました。



中学生くらいの時に「36歳」って聞くと

とてもとてもとても大人、のイメージがありましたが、

その年齢を体現してみるとさほど果てしない年齢でもないように感じます。



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4月7日という日付は、

何かと忙しい時期で、

兄妹の多い僕は小さいころ母によく、

「どうしてこんな忙しい時期に生まれたんだかねぇ」

と皮肉を言われていました。

それでもいつも手作りのケーキを作ってくれていた母は立派だったと思います。

なにしろうちは、5人兄妹でしたので。



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そんな僕も今は子を持つ親で、

そして、この4月から子が保育園に入園したので、なにかと忙しく、

今年の自分の誕生日は足されていく自分の年齢を忘れるような慌ただしいものがありました。



誕生祝いにワイフとゆっくり好きな珈琲店に行ったのですが、

途中で保育園から呼び出しがあり、

残りの珈琲をがぶ飲みし慌てて保育園に子を迎えに行きました。



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春になり、

街の中は煌めくベージュのトレンチコートと、

輝く黒い革靴で溢れているように見えます。



新しい夢と、

新しい不安と、

新しい喪失と、それにまつわる強引な忘却と、

変わらないまま背中に伸びる影と、

それらがごちゃごちゃと混ざり合って、押し合いへし合いしながら、

未来へとなだれ込んでいて、

そんな全てを太陽が暖めているようです。



全ての人に、

冬の寒さを忘れさせるような、

光が注いでくれることを祈っております。

shinagawahiroshi at 11:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)