(地)オグリキャップ
 牡 芦毛 栗東・瀬戸口勉厩舎 1985年3月27日生
 父ダンシングキャップ 母ホワイトナルビー
 公営・笠松通算成績 12戦10勝
 中央成績 20戦12勝 重賞12勝
 GⅠ4勝 二着4回
 有馬記念2回 マイルCS 安田記念
オグリキャップ
他馬紹介:

 芦毛の怪物オグリキャップ。

 競馬ブームの火付けとなった――奇跡のアイドルホースである。

 オグリは強い。怪物であった。しかし、彼の魅力はそこだけではない。

 語られるのは悲劇、憧憬、奇跡、感動。
 そして――。

 序章 地方での躍進 笠松の怪物オグリキャップ

 残念ながら、オグリキャップの初戦は敗戦であった。
 地方の新馬戦が始まるのは早い。

 5/19笠松ダート800M。
 最終的に500Kgになったその馬体はこの時点ではまだ450Kgにも満たぬ未完成の馬体だった。
 黒鹿毛を思わせるような漆黒の芦毛はまだ小柄だった。

 初勝利は二戦目の6/2笠松ダート800M。二着にニ馬身差の勝利。
 しかし、怪物はまだその片鱗さえも見せてはいない。

 地方レースは過酷である。
 三歳馬(今の二歳)にして、11戦ものレースを走る馬は中央ではいないだろう。

 地方成績12戦10勝2着2回。――笠松に現れた怪物オグリキャップ。

 しかし、オグリキャプは当時“笠松の怪物“であり、地方のスーパーホースだった。
 中央でも通じる・・・しかし、その言葉もこの時はまだ井の蛙を出ないレベルであった。

 これ程の馬を持った馬主である小栗孝一氏は戸惑っていた。

 ホースマンにとって、強い馬を持つというのは一つの夢であろう。
 ……強いが故の苦悩。
 オグリキャップならば中央でも通じるかもしれないという期待。
 けれど、小栗氏は中央の馬主資格を持っていなかった。

 しかし、“笠松の怪物”を放っておく中央でもない。


「ぜひとも中央の檜舞台で走らせてみたいんですよ。
 あの馬は笠松に埋もれているような馬じゃありません。
 日本を代表するサラブレッドになるはずなんです」


 中央の馬主である佐橋五十雄氏が小栗氏をそう口説いた。

 小栗氏は当初オグリキャップを売るつもりはなかった。
 しかし、佐橋氏の熱意。
 それ以上にオグリキャップに対する期待が彼の心を動かした。

 そうして、佐橋氏の元オグリキャップは中央入りしたのである。



第一章 桁違いの強さを見せる漆黒の怪物

 “公営の怪物”と呼ばれた馬は多く存在する。
 しかし、その大半は成功はしない。
 ダート主流の地方とは違い、中央の芝路線に合わないのか?
 或いは中央のレベルに辿り着けないのか?
 ほとんどの馬は期待以上の成績を見せることはなかった。
 それ故にオグリキャップへの期待も半信半疑というものであった。

 GⅢペガサスS芝1600M(現アーリントンS)。一番人気はラガーフラック1.9倍。

 オグリキャップは中央に通じるのだろうか?

 しかし、その心配は徒労に終わった。

 直線を6番手で迎えると直線一気3馬身差をつけての勝利。

 そして、重賞連勝街道が始まる。
 “笠松の怪物”はその力強い走りと地方からきた馬という意味合いも込めて、
 ――野武士
 という異名を付けられる。

 続くGⅢ毎日杯芝2000M。皐月賞の前哨戦である。

 オグリキャップは外国産馬でも、持ち込み馬でもなかった。
 しかし、不運なことに当時は三歳時(現ニ歳)の時に中央で登録してなければクラシックに出られなかった。
 三歳(現ニ歳)を地方で走っていたオグリキャップは卓越した能力を持ちながら、表街道を許されなかった。
 その鬱憤をこの毎日杯で晴らした。
 後に皐月賞馬になるヤエノムテキを破っての勝利。
 重賞の二連勝とこのヤエノムテキを破っての勝利――オグリキャップは怪物の片鱗を見せ始めていた。

 余談だが、これ程の馬がクラシックに参戦できないという不平が募り。
 後にクラシック登録方法が改善されることになる。

 “野武士”として力強さと雑草魂を優先されていたオグリキャップだったが、ここにきて“悲劇の英雄”とも呼ばれるようになっていた。
 この“悲劇”という形容は何もクラシックに参戦できなかったことだけが理由ではない。
 中央の馬主佐橋氏は競馬を金儲けとしか見ておらず、後に無茶苦茶なローテンションを組まされることになってしまう。
 オグリキャップの最大の不運は佐橋氏に買われてしまった事であったかもしれない。

 オグリキャップは裏街道で連勝街道を突き進んでいた。

 GⅢ京都4歳S(現在廃止)芝2000Mでは五馬身差の圧勝。
 続くGⅡニュージーランドトロフィ芝1600Mでは7馬身差の圧勝。


 当時はNHKマイルカップがなかったため、これが裏街道を走る馬たちの目標レースでもあった。
 しかも、このニュージーランドトロフィでのタイムはその年に行われた安田記念(勝ち馬ニッポーテイオー)のタイムよりも0.4秒も速い1.34.0秒だった。同じ東京芝1600Mである。

 ダービー馬サクラチヨノオー。
 皐月賞馬ヤエノムテキを退けて、世代最強と呼ばれたのも納得できる強さである。

 初の古馬戦線となるGⅡ高松宮記念芝2000Mではレコード勝利を納める。

 そして、三ヶ月の夏休暇を取りGⅡの毎日王冠では84年度ダービー馬シリウスシンボリを破る。

 中央入りして、破竹の全て重賞の六連勝。
 いつしか、人々はオグリキャップを“野武士”ではなく、こう呼ぶようになった……。
 “怪物”――と。


第二章 芦毛対決! 現役最強タマモクロスという壁。

 クラシック路線に出走が不可能なオグリキャップは天皇賞・秋に出走する。
 しかし、そこにいたのは7連勝中、その年に天皇賞・春と宝塚記念を勝利した現役最強馬タマモクロスだった。

 それでも一番人気に押されたのはオグリキャップだったというのだから、その期待は大きかった。

 まだ4歳(現3歳)の“芦毛の怪物”オグリキャップと、
 現役最強の5歳(現4歳)の“白い稲妻”と呼ばれたタマモクロスの名勝負は始まった。

 芦毛自体が少ないというのに、現役最強を名乗る二頭は奇しくも芦毛だった。

 芦毛対決はどちら勝つか?
 怪物か?
 白い稲妻か?
 ――競馬ファンはこぞって話し合った。



 勝利したのは、タマモクロスであった。


 タマモクロスは“白い稲妻”の異名どおり後方からの勝負を得意とした馬であったが、この時は違った。
 オグリキャップはいつも通り後方についたが、タマモクロスは前二番手で勝負したのである。
 タマモクロスはそのまま押し切り1・1/4馬身差の完勝。
 現役最強馬はやはりタマモクロスだった。


 続くジャパンカップではおしくも二頭とも敗れてしまう。
 しかし、二着はタマモクロスであり、三着がオグリキャップだった。
 しかし、この時の勝負はオグリキャップに騎乗した河内騎手が道中で行ったり来たりをするなど、全力を尽くしたとは言えない内容だった。

 そして、有馬記念GⅠ2500M。

 この年タマモクロスは5戦4勝。内3勝が天皇賞・春と秋。宝塚記念というGⅠ。
 唯一敗れたJCも2着である。文句なしの最強馬である。

 最期の直線前の通過順位は――オグリキャップ、タマモクロス共に6位であった。

 完全なる直線勝負。

 
 勝利したのは――オグリキャップだった。

 2・1/2馬身差の完勝。
 現役最強馬タマモクロスを破ったのは4歳(現3歳)にして怪物オグリキャップだった。
 初のGⅠ勝利。
 オグリキャップにとって、とても重い、重い勝利だったに違いない。

 タマモクロスは大きな壁であった。
 しかし、オグリキャップの成長度と潜在能力がそれを超えたのだ。

 GⅠ連戦でタマモクロスもまた体調を崩していたのもこの決着の要因だったかもしれない。
 だが、勝利を手に入れたものが強いと呼ばれるのが勝負の世界なのだ。

 ――そして、現役最強馬だったタマモクロスは引退した。

 世代交代。
 ここから現役最強馬を背負ったオグリキャップの……

 熾烈な戦いが始まる!