IMG_3517



   韓国、平昌での冬季オリンピックが華々しく始まりました。
国際的な大舞台となるスポーツの祭典に目を奪われてる人も多いのでは?
スポーツという世界共通のお題が、国や思想、宗教や民族を超えて感動を与えてくれるオリンピック。

「きっと世界は1つになれる」という見果てぬ夢を俄かに抱かせるものではないでしょうか。

IMG_3585





   一方、そんな今開催されているオリンピックとは対極にある、もう1つの超現実。

   それは、核兵器が人々を脅かす状況に生きていること。
やっぱり今、改めて触れておきたいと思います。



1万発以上もの核兵器と同在する私達。
核兵器の底知れぬ恐ろしさを身を以って知っている人は、もうほんの僅かになってしまった。
唯一の被爆国であるこの国に・・・

  だからこそ、その意味について、今このときに考える。



   ヒロシマとナガサキへの原子爆弾投下という、人類発の「核による攻撃」を受けた我が国、日本。
「それがいかなるものか」を少なくとも、世界中のどの国の人よりも知る機会を得ているはず。

それでも、その真の惨状を想像できる人はそう多くないのかもしれない。
もちろん、私を含めて。



 「破壊力」という言葉があります。普段、比喩的に使われることはあっても、それを本当に実感できることなど、日常生活においては無いに等しいと言えるはず。
   
     しかし、核兵器において破壊力は、文字通りを現実としてまざまざと見せるでしょう。
人間生活のみならず全てのものを無にする桁違いの力として。
                            誰か生きていればの話ですが。


  核兵器の爆発、それは通常兵器の化学反応と異なり本来、天体規模(実際、水爆に至っては太陽と同じ原理) で起きる現象と捉えるべきもの。
この世から物質の微少な質量が「消失」したそのとき、それが莫大なエネルギーへと変わる・・
その途方もないエネルギーが僅かな距離で解放され、人々を直撃する。
あわよくば、直撃を逃れたとしても大量の放射線が、身体中の細胞にある染色体を瞬時に壊していく。
それが何を意味するかは、以前起きた東海村の臨界事故を振り返れば明らかに。

「恰も微細なナイフで全身を切り刻まれるようなもの」という説明を見た記憶が・・


日常生活はもちろん、経済活動、インフラ、人を含めた生物、そして絆や人の精神や心までも破壊し尽くす筆舌に尽くしがたい災厄をもたらす核兵器。弾道ミサイルにて狙われたなら・・
それから逃れられる術は、多くの人は持ち得ないはず。

日常生活で前提としていたものが脆くも崩れ去る悪夢。
少なくとも、社会は「明日が普通に来ること」を前提に動いたはずだ。会社は、もちろん明日の予定や約束も、家族の笑顔や何気ない日常・・・


しかしその規模を含め、ここまで全てを粉砕し地獄をもたらす兵器があるだろうか。
今、生きている世界の「前提」を問答無用に無に葬る、まさに悪魔の兵器。



大地震などのような天災と大きく違うこと。
そいつは「確実な意思」のもと、私達を「殺しに」天空から飛来してくる。それも生半可なものでなく。

  そして着弾し、炸裂したら・・・

      数秒で世界を変える。



見慣れた街角が数秒後に地獄絵図になることを貴方はリアルに想像できるだろうか?
建物は一瞬で崩壊し、人はその瞬間、爆心地に近ければ蒸発・融解するか、「見たこともない物体」に変えられるということだ。
それはおそらく、今平和に浸かってる私達にとってその惨状を想像するのさえ、難しいはず。

そもそも戦死した人はおろか、「殺された人」さえ一般に目に触れることのない、戦後の平和な国に住んでいた私達。(これからどうなるかわかりませんが・・)


知らないからこそ、想像力を働かせることが必要だし、恐ろしさを理解する努力も必要ではないかという気がします。



  昨今の情勢にて、再び核が使われる可能性が危惧されています。
核のボタンのハードルがここに来て、下がっていることは間違いありません。

もし、ケネディ大統領が今いるとしたらどんな手を打つのでしょうか?


一番恐いのは、核兵器が使われた場合の惨状を想像出来ない者が、そのカギを握ること。

「使い易い」核兵器の装備まで現実的になってきています。

それに賛同するこの国、日本。  ???

唯一の被爆国として、被爆に意味を持たせるとしたら、その役割は言わずもがな。




IMG_3587





  社の研修の一環として、NHKが作成した「新映像の世紀」を観る機会がありました。
そこに映像として記録されている多くは私達、人類の誤ちの記録です。

また以前、被爆者のインタビュー番組や、オバマ元大統領の広島訪問に至るドキュメンタリーも・・。

核兵器のない世界を描いた大統領。
被爆者の言葉の重みが心を動かしたのかもしれません。



  様々なものを通して平和の価値を今更ながら噛みしめます。
歴史を紐解くと、その稀さは奇跡のようなものだというのが解るのです。
今も戦火は世界で絶えませんし。



こういう映像を俯瞰して見ることのできる現代人が、そこから学ばずして何を学ぶのかを考えずにはいられません。

ボタンを押せば数分後に確実にこの世を地獄に変える兵器に睨まれても目をつぶり、見えないものとする私達。

オリンピックで華やぐ今も、その危機的情勢は変わらない。

しかし、それを「異常」と捉えられる人々が増え、その声が何かしからのチカラになることを信じたいですよね。

                                                                                      N o z a w a