鉄は熱いうちに打て。

パンケーキは焼きたてを食べろ。

と、古今東西の偉い人が伝えて来たと思いますが、
情熱を持続させるのは本当に難しい。
わたしの情熱はいまや明くる日のお好み焼きのようにグズグズになりましたが、
レンジで温めなおします。ただの言い訳です。

こんにちは、ネコ・イケガミです。


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さて、前述したニシムイ美術村より少し前に時は遡ります。
大正の終わりごろから第二次世界大戦終戦ごろまで、
池袋を含む豊島区中心にアトリエ付き住居が建ち並び、
芸術家たちのコミュニティが生まれました。
池袋モンパルナスと呼ばれます。

集った芸術家たちの中には熊谷守一、松本竣介、丸木夫妻などの名も。
蒼々たるメンバー!
夜な夜な池袋に繰り出しては、生まれ故郷の銘酒を手に芸術談義に花を咲かせていたのでしょうか。
熱いです。そこの飲み屋でバイトして盗み聞きしたい。あわよくば盃を交わしたい。

 


佐田勝 愛飲酒多飲酒記 珊瑚(池袋西口駅前入)1959110日、にも下記のような記述があります。

 

『私の定義によれば、池袋とは、インテリ・プロレタリアートのふるさとである。
そして、その最も典型的な雰囲気の酒房が“珊瑚”なのである。

客の大半が、文士、詩人、画家、音楽家、演劇人。
ヂャーナリスト、学生で、蛇皮線はきこえず、
芸術論やら、勤評、警職法がやかましく論じられていることもある。』

 

その大きな渦のなかには、沖縄出身の芸術家たちもたくさんいました。

戦後、彼らは沖縄に戻り地元の芸術振興に貢献しました。
ホームとなったのがニシムイ美術村。
沖縄美術展覧会も開催され、力強い作品たちは戦後の沖縄の復興の一助となりました。
そして沖縄美術展覧会(
沖展)はいまでも続いています。

 


今回の展示で、心に残る作品がありました。
ちいさいちいさいキャンバスでしたが、惹きつけられる色。中村彝(つね)の風景画でした。

 

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どこかで聞いたことのある画家の名前。

 

ファッ(脳内の点と点がつながる音)

 

2年前、東京国立近代美術館のコレクション展でも中村彝が紹介されていたはず。

 

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あった、これこれ MOMATコレクションです。


中村彝は、池袋モンパルナスに移り住む以前、
新宿中村屋の創業者である相馬夫妻の好意で中村屋裏のアトリエで暮らしていたことがあります。
相馬黒光に恋い焦がれ、のちに娘の俊子にも惹かれますが、いずれも実らず...

晩年は、かねてから患っていた結核が悪化し病床の窓からのぞく景色を頼りに絵を描き続けました。

 

池袋モンパルナスが文化の発信地だったように、
芸術を愛好した相馬夫妻が営む中村屋は“中村屋サロン”と呼ばれ、絵画や文学の交流の場でした。


ところで、パン屋の定番クリームパン。
実は1904
年に日本ではじめて中村屋が開発したもの!

当時の芸術家たちは、中村屋のクリームパンをほおばりながら
作品活動に勤しんでいたのでしょうか。

ということで、中村彝とクリームパンはセットで私の記憶の片隅にいたのでした。


あ~クリームパンたべたいな~


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