易占日々研鑽日誌 兼 不思議な情報収集録

易は中国四千年の歴史に育まれた比類なき占いの方法ですが、そのことを知る人は今では少ないようです。易を勉強中の私としては少し残念。そこで、世間の方々に易の素晴らしさをもっと知っていただければと思い、このブログを開設しました。 ただ、その後、あまりにも失敗占が多いので易占記事はそこそこにして、ネットから流れる出所正しそうな不思議な現象などを紹介することに方向転換しました。

心霊研究家の体験談①守護霊は常に身近にいるわけではない、心霊スポットで数珠を外した瞬間、地縛霊に入られた②鎖塚の夜間ロケで霊に引き寄せられた③除霊時に数珠が弾け飛んだ

8月14日のYAHOOニュースに、こんな情報が載っていた。

この手の情報は雑誌や単行本などに沢山掲載されているが、「守護霊は自分の背後にくっついているわけではなく近づいたり遠ざかったりする」というくだりが妙に気になったので、紹介することにした。

 

8/14() 8:02 YAHOOニュース;週刊女性PRIME

『心霊研究家が提供する“最恐写真”、見えないものが写る恐怖「好奇心で心霊スポットに行くのは絶対NG」』

 

夏になると恒例の恐怖特番。

芸能人が心霊スポットに行く企画は今も根強い人気だ。

しかし、「心霊スポットに物見遊山で行ってはいけません」と、心霊研究家の池田武央さんは警告する。

 【写真】ワケあり心霊写真(除霊済みです)

 

■好奇心で心霊スポットに行くのは絶対にNG

「事故現場や自殺の名所なども同じ。好奇心で訪れると、霊は『自分を知ろうとしてくれている』と思い、助けを求めて寄ってくるんです。
応えられないと霊は害を及ぼす。
行ったあとすぐ何かがあるとは限りません。
だんだん悪いことが続き、『運が悪い』と感じるなら、霊の怒りが影響している可能性があります」

自分だけでなく、家族を巻き込むこともあるので要注意だ。

「スマホのカメラで撮影する機会が増え、心霊写真の相談も増えました。
写るのは害を及ぼす霊とは限らないので、むやみに恐れなくていいですが……。
人に送ったりするのは控えたほうがベターです」

 

【ケース1】事故多発!死を呼ぶ立ち入り禁止の港

守護霊、背後霊、生き霊……霊にも種類があります。

地縛霊は、自分の死に気づかなかったり、死を受け入れられず、その場に残った霊魂で、人に憑依することも。

守護霊は、われわれの背後にくっついてはおらず、近づいたり遠ざかったりします。

地縛霊は、守護霊がちょっと離れた瞬間にすっと入り込む。  

心霊スポットとして知られる港にロケに行ったときのこと。
岸壁沿いをふらふら歩く人がたくさんいるので「危ないよ、あの人たち」とスタッフに言ったところ、私にしか見えていない。
地縛霊です。

休憩中、あまりにも現場の空気が重く、私を守ってくれる数珠を首から外しました。
その瞬間、地縛霊にスコンと入られた。

見ていたスタッフによると、ロケバスのそばにいた私は何か唸りながらうずくまり、港のほうへ這いつくばって行こうとしていたそう。
「これはやばい!」と思ったスタッフが清めの塩を振りかけてくれて、何とか命拾いしたのです。
港の堤防からダイビングする寸前でした。

自殺の名所・福井県の東尋坊でも感じますが、地縛霊は意識を遠のかせる。

同時に、何か大きなものに引き寄せられてしまう。

私はこれを“物の怪”と呼んでいます。

物の怪というのは、一つの地縛霊がどんどん新しい魂を呼び込んで喰らい、それでも成仏できなくて、その魂が寄り集まったものです。

その港の海をさらったところ、引き揚げた7台の車のうち3台で遺体が見つかったそうです……。

そこは、しいて言えば“車がダイビング”しやすい場所。

今はバリケードが置かれ、立ち入り禁止になっています。

 

【ケース2】今も聞こえる怨念のうめき鎖塚に眠る囚人

全国をロケで回る中、一番印象深かったのは、北海道の鎖塚です。

明治から昭和初期にかけて、軍事道路をつくるため、現代では想像できないような劣悪な労働環境で囚人たちを働かせていました。

逃亡を防ぐために、囚人を2人一組にして、鉄の玉がついた鎖を足に付けていたそうです。
冬の工事でなんと200人以上が亡くなりました。

道路沿いに供養のための土饅頭と慰霊碑があるのですが、日中、そこで写真を撮ったところ、真ん中に赤いオーブが写りました。

いろいろな色のオーブがありますが、赤は怒りを表します。

夜に再度ロケに行くと、土饅頭の奥の林から、「来て、来て」と声がして、どうしても耳から離れない。

林に入ると、空気が淀み始めて、1か所だけ、かまくらのような大きさで空気が透けている。

何か呼ばれている気がして進みました。

23歩だけのつもりだったのに、どんどん引き寄せられてしまい、周りではガシャガシャと鎖の鳴る音がする。

囚人たちの足につけられた鎖の音です。

もう怖くて、われを忘れるぐらい必死になって離れました。

死者に取り込まれてあの世に行ってしまう恐怖、わかりますか。

 

【ケース3】弾け飛ぶ数珠落ち武者の最強の呪い

霊が近くにいると、汚物や腐敗臭、廃墟に漂うカビ臭い生活臭の入りまじった臭いがします。

五感のうち、私は嗅覚から霊の存在を感じることが多いですが、いきなり聴覚から来る場合もある。

霊からの五感への刺激を四六時中受けていたらおかしくなってしまいますから、私は自分の感覚をコントロールするために数珠をスイッチとして使っています。

ロケや心霊の仕事のときは数珠を持って行く。
菩提樹の実を自分でつないだ数珠です。

それがあると、ある程度は五感をシャットアウトできます。

ある廃墟へ除霊に行ったときのこと。

霊特有の腐敗臭がする中、私が霊視すると物すごく強い力を持った落ち武者がいました。

それに取り憑かれてしまった人のお祓い中、思い切り数珠を切ったら、バチーンと数珠が弾け飛びました。

この霊は強く、除霊に手間取るタイプだとわかりました。

なぜ落ち武者の霊が強いかというと、思いが強いからです。

主君に顔向けできないという思い、いまだに手柄を立てたいという思い……。

地縛霊は自身が亡くなったことを理解していない、執念や執着を持っている霊のことをいいますが、落ち武者がまさにその典型です。

もしそういった地縛霊にあってしまったら、両手を合わせて合掌し、「何もできません。ごめんなさい」と言うのが一番いいと思います。

 

教えてくれたのは……池田武央さん、心霊研究家。
子どものころから目に見えないものが見えたが、30代で霊の攻撃的な要求に日常生活が難しくなる。
修行を始め、池田流の関わり方を編み出す。
池田さんのYouTubeチャンネル(@user-sl8xs6gh4u)も人気。

※掲載している心霊写真はすべて除霊済みです

https://news.yahoo.co.jp/articles/4fdb368ed4d3633bb654174f1ccfe070b10b6f6e?page=1

 

 

 

 

 

 

 

明治・大正時代には人肉が万病に効くという迷信があり、火葬場の穏亡に金を払うなどして入手し食った、食べさせたなどという記事がしばしば新聞に掲載されていた

8月9日のYAHOOニュース。

明治・大正時代には人間の肉が万病に効くという迷信があり、人里離れた火葬場の住み込み職員(穏亡)に金を払うなどして入手し、病人に食べさせるなどしていたという話しが当時の新聞にしばしば掲載されていたという記事が掲載されていた。

戦争中に兵士が飢えて・・・とか、船が難破して・・・といった話しは聞いたことがあるが、火葬場から・・・といった話しは、おそらくは初耳。

(忘れているだけかもしれないが・・・)

情報としてこのブログに残しておく。

 

**************

 

(8/9() 10:17 YAHOOニュース;PRESIDENT Online)

【戦前の日本では「人肉の刺身」が食べられていた…明治・大正期の新聞が報じた「死体損壊事件」の意外な背景】

 

明治・大正期の新聞には「人肉の切り売り」という衝撃的な記事が載っている。

ノンフィクション作家の中山茂大さんは「『人間の生き肝や脳味噌が万病に効く』という迷信があり、人肉が取引されていたようだ。また、火葬場の火夫が遺体を損壊し、人肉や内臓、金歯などを転売する事件も起きていた」という――。

 【この記事の画像を見る】

 

■明治・大正の火葬技術は未熟だった  

明治・大正のころは火葬技術が未熟で、遺体が焼き上がるまで一晩かかることもあった。

そのような時代、火葬場に住み込みで働く火の番人が不可欠であった。  

当時の火葬場は人里離れた山奥にあることが多かった。

そうした火葬場に住み込みで働く人々が、地元民に奇異な目で見られたであろうことは想像に難くない。  

一方、辺鄙な場所での仕事ゆえ、人目につかぬことを幸いに、犯罪に手を染める者も存在した。

 

■「人肉刺身を喰わす」火葬場で起きた事件  

筆者は明治初期から終戦までの約70年間の新聞に目を通したが、筆者の知る限り以下の事件が初出のようである。

『人肉刺身を喰わす 変死人の臀肉 謝礼に酒と金』
「人肉の切り売りといえる、聞くだに血生臭くすさまじき大罪を犯せし曲者、突然佐世保警察署の手に検挙されたり。
該犯人は長崎県大村生まれの者にして、二十年前より佐世保に移住し小佐世保白木山火葬場にて穏亡を営むこと八年、近頃、同地屑藪山仮葬場に転居せる久花熊太郎(五四)の所為(しょい)なることを確かめ、二十一日夕刻、同人を逮捕し目下厳重に取り調べ中」
(
「樺太日日新聞」明治4449)

「穏亡(隠亡)」とは火葬場や墓地の守り役を意味する。

しばしば差別的な扱いを受け、「隠亡」という言葉自体が差別的なニュアンスで使われていた。
(
現在は火葬場に住み込みで働く職業自体が存在しないことも踏まえ、当時の記事についてはそのまま掲載した)。  

以下、この事件をくわしく解説してみよう。

 

■死体の臀部と股から約3斤半の肉をえぐり取り…  

佐世保市内の仕立職、松永要四郎(37)という者が、酒一升を提げて、火葬場に住む久花熊太郎(54)を訪ね、こう言った。  
「お前は人の生き肝や生肉を切り売りしていると聞いている。
自分の義兄弟が長いこと病気にかかっているが、人の生き肝を食わせれば直ちに全快すると聞いた。
なんとか人の生き肝を分けてもらいたい。
病死者の肝は効能が薄いようなので、変死者の肉を取ってくれ」  

持って来た酒を酌み交わしつつ要四郎が依頼すると、熊太郎は「なに、簡単なことよ」と承諾したという。  

そうして変死人が出るのを待っていると、2週間ほど経った頃に、島原湾で演習中の軍艦出雲でケーブル切断事故があり、死亡した2等水兵の死体が火葬場に運ばれて来た。  

熊太郎は鋭利な鎌を用いて、死体の臀部(でんぶ)と股から約3斤半の肉をえぐり取り、納骨壺に納めて要四郎に手渡すと、金五円と酒一升の謝礼にありついたという。

 

■人肉の一部を刺身にして食べさせた

(要四郎は)右の人肉を受け取るや飛ぶが如くに帰宅して、肉の一部を刺身となし、醤油に浸して自宅に同居する(中略)戸部藤四郎(三十)に食せしめ、残りを黒焼きにし、朝夕服用せしめたるも、何らの効なきにぞ、藤四郎は全く欺かれしものと思いて、要四郎と不和となった。
しかして佐世保署の警官が熊太郎の居宅を捜索せしに、夫人または小児の死衣を剥ぎ取りたるもの多数あるのみならず、生肝、脊髄、脳味噌、舌等を他人に売却し、買受人より口外すまじき旨、誓いたる連署の証文、数十通を発見したりと」
(
「樺太日日新聞」前掲)

要四郎は死体から切り取った人肉を持ち帰り、一部を刺身にして義兄弟の藤四郎に食べさせ、残りは黒焼きにして服用させたが効果なく、藤四郎は騙(だま)されたと思い込んで要四郎と仲が悪くなり、その結果、事件が発覚。

佐世保署が熊太郎の自宅を捜索すると、火葬された人々の死衣多数と、生き肝や脳味噌を売買したことを口外しないことを誓った証文、数十通を発見したというのである。

 

■「生き肝や脳味噌が万病に効く」という迷信  

にわかには信じがたい話だが、明治・大正期の新聞にはこういう話が多く掲載されている。  

その背景には、人間の生き肝や脳味噌が万病に効くという迷信が広く信じられていたことが挙げられる。

死体の一部を窃取するよう依頼する者が後を絶たなかったというのだ。  

次の事件も、そのような迷信によって引き起こされたものである。

【死体から脳味噌を取った穏亡】

(死体の一部を窃取したのは)岩手郡米内村、正念寺火葬場の穏亡、熊谷松蔵(六五)および火葬場管理人、漆原浄林(五八)の二名にして、脳味噌、胆は難病に効験ありとの迷信に駆られ、希望者多きより、両名共謀して半焼きの死体を夜陰に乗じて引き出し、小刀等にてえぐり取り、各方面に一個七十円くらいにて密売したるものにて、えぐり取りたる死体は今日まで約二千百以上に達する見込みなるが、買い受けしものの中には東京在住の某華族ありとの噂あり。
なお取り調べの進捗(しんちょく)につれ、岩手郡浅岸村火葬場の穏亡、小笠原要蔵(七一)にも同様の犯罪あること発覚したるも、同人は二十日、脳溢血にて死亡」
(
「函館毎日新聞」大正9329)

 

■脳味噌と生き肝を170円で密売していた  

岩手郡米内村(現在の岩手県盛岡市)の正念寺の火葬場で働く、熊谷松蔵(65)と管理人の漆原浄林(58)が、脳味噌と生き肝が難病に効くというので、夜陰に乗じて半焼けの死体から切り取り、170円くらいで密売していた。

えぐり取られた死体は約2100体以上もあったとされ、購入者の中には、東京在住の某華族もいたという噂もあった。

同じ岩手郡の浅岸村の隠亡、小笠原要蔵も同様の犯罪を犯していたが、脳溢血で死亡したため検挙されなかったという。

 

■「死体がカネになる」ことが広まっていった  

北海道立図書館のレファレンスによると、あくまで参考値ではあるが、現在の物価は大正時代の約530倍だという。
それをもとに計算すれば、大正時代の70円は今の約37000円にあたる。
当時としてはそれなりに高い金額だったのだろう。  

身分の高い人々が買い求めていた、という点も注目される。  

「死体がカネになる」ことが徐々に広まっていき、日本各地で同様の犯罪に手を染める者が増えていった。

その結果、同様の犯罪が、日本全国で行われるようになったのではないか。

現代でも時に臓器売買事件が話題になるが、当時は僧侶と共謀し、大胆かつ巧妙な手口がまかり通っていたようだ。

 

■遺体の指輪や金歯を盗んで転売していた

【札幌豊平火葬場に聞き捨てならぬ怪聞 人骨や脳骨を盗み出す噂に穏亡の家宅捜査】

「近来、札幌豊平町市営火葬場の僧侶や穏亡等が共謀して、密かに火葬場から人骨や脳骨を盗み出し、胃病や肺病の妙薬であると称して秘密に販売し、あるいは死体の焼きあとから指輪や金歯を盗みとるとの噂があるので、札幌署では(中略)楠美霊舜(五七)および穏亡なる(中略)菅原政治(四四)の両名の家宅捜査を行い、その結果、本署へ同行して取り調べ中であるが、楠美は以上の事実を否認。
(
中略)
菅原政治は取り調べの末、帰宅を許されたが、左のごとく語った。
『私は昨年一月終わり頃から火葬場の穏亡として雇われたが、他に死体焼きもおります。
本年の六月上旬頃、火葬場にいる楠美という坊さんから私に向かって、少し必要だから脳骨を三、四人分取ってくれと頼まれたので、何気なく三等の竈から三、四人分の焼けた脳骨を盗み出しましたが、その分量は一匁(もんめ)から一匁五分くらいだったと思います。
それは直ちに楠美さんに手渡しました。
その脳骨を楠美さんがどこへ持っていったか知りませんが、他へ売ったことだと思います。
もちろん私はお金など一文ももらいません。
その他に死体から金品など取ったようなことは全然ありません』と」
(
「小樽新聞」大正15827)

札幌豊平町市営火葬場の僧侶と火夫が共謀し、人骨や脳骨だけでなく、遺体の指輪や金歯を盗んで転売していたという。  

脳味噌や生き肝の他にも、金歯や指輪が高値で売れることが知られるようになったらしく、この頃から同様の手口が増えたようだ。

 

■「約375グラムの脳漿を10円で売った」証言

【棺(ひつぎ)をあばく穏亡 死人の脳漿(のうしょう)で金もうけ 函館五稜郭焼き場の怪】

「火葬場の穏亡焼きが死人の脳漿を取って売ったり、また金のかけらをひそかに盗んで、これを指輪等にして売り飛ばしたという、近来にない怪事件があった。
この穏亡焼きは、函館市五稜郭の市営火葬場の漆谷健吉(二四)で、同年三月中に肺病患者の親族から依頼され、五十歳くらいの男の死体より約百匁の脳漿を取り、これを十円で売り、親族は医師に内緒で、約十回にわたって患者に服用させたが、去月十八日死亡してしまった。
このことが函館署の耳に入り、取り調べたところ、以上の事実が判明した。
この他にも、火葬灰の中から金のかけらを集め、現在まで一個三匁ないし四匁の金指輪六個を作り、このうち一つを四十五円で売り飛ばしたことも判明し、なお余罪がある見込みで、厳重取り調べ中」
(
「北海タイムス」昭和7128)

函館市五稜郭の市営火葬場の漆谷健吉(24)が、肺病患者の親族からの依頼で、50歳くらいの男性の遺体から100(375グラム。
1
匁(3.75グラム)の脳漿を取って、10円で売った。  

それ以外にも、火葬場の灰の中から金を集めて、「三匁ないし四匁(11.25グラムから15グラム)」程度の指輪を6つ作り、一つを45円で売ったという。

 

■「金本位制」導入で金価格が高騰していた  

昭和5(1930)に再導入された「金本位制」により、金価格が高騰していたことが間接的な原因と思われるが、近年も金が高騰し「1グラム=1万円」が視野に入ってきており、当時と不思議にシンクロする。  

また密売に手を染めた隠亡が、急に羽振りがよくなり、不審を抱かれて逮捕に至る事件も、いくつか報じられている。

 

■花柳界に出入りして密売が発覚

【脳漿をとって密売の穏亡 花柳界(かりゅうかい)に出入りして豪遊】

「岐阜県高山町営火葬場の穏亡、可賀幸太郎(二四)は、昭和三年七月、父太助死亡以来、父のあとを受けておんぼうに雇われたが、父太助の時代から死人の金入れ歯を抜き取り、なお脳漿をしぼって相当手広く密売し、不当の利益を得ていた嫌疑が濃厚となり、最近、花柳界に出入りし豪遊を極めているので不審を抱き内偵を進めた結果、右の事実が判明した」
(
「小樽新聞」昭和5516)

岐阜県高山町の火葬場の火夫が、花柳界に出入りして豪遊しているというので、警察にマークされ、死人の金歯や脳漿を密売していたことが発覚した、という。

 

122体以上の遺体損壊が発覚  

この手の犯罪が広く世間の耳目(じもく)を集めたのは、昭和8年に露見(ろけん)した次の事件だろう。

【脳漿と金歯抜き取り 百二十二死体発掘 遺族に替え玉を使って誤魔化す 桐生火葬場の怪事件】

「桐生火葬場裏から、去る十四日、男女の死体が発見され、桐生署では右は脳味噌および金歯金指輪目当ての穏亡の所為と睨(にら)み大活動の結果、元同火葬場の人夫、松江勘次郎(四五)を引致(いんち)(中略)さらに火葬場の内外の空き地を片っ端から掘り返し捜索につとめたが、十六日も午前八時から西南隅一帯にわたって掘り返したところ、驚くべし、午後四時までに八十五体の死体を発見。
これに十五日の分を合して合計百二十二体となり、(中略)松江は十六年間、右火葬場に雇われていたが、最近不評のため三月三十一日限り解雇されたが、(中略)十六年間に手にかけたこの種の死体は相当多数に上る見込み(後略)
(
「北海タイムス」昭和8417)

群馬県の桐生火葬場から計122体もの男女の遺体が発見されたという。

火葬場の火夫である松井(「松江」は間違い)勘次郎が、妻と共謀して長期間にわたり、遺体損壊および貴金属の窃取を繰り返していたらしい。

 

■頭蓋骨に拳大の大穴があけられ、骨盤に肉片が付着…  

418日に出された続報では、発掘された死体は計150体に増え、「火葬場付近を掘ればなお続々死体が出る有様で、当局においても今更ながら驚愕(きょうがく)している」と書かれている。  

19日になると、発掘死体は200体を超えた。

それらは「頭蓋骨に拳(こぶし)大の大穴があけられ、骨盤に肉片が付着したものもあり」という凄惨(せいさん)なもので、「現場には縄を張り巡らし発掘を継続中であるが、現場には数百名が押しかけ大騒ぎである」という。  

そして20日の最後の続報によれば、発掘遺体は合計249に達したところで警察の捜査は打ち切られ、なお市役所が捜索したところ、裏山の雑木林から14の遺体を発掘し、さらに「付近から散らばった人骨が続出している」という。  

遺棄(いき)された遺体の総数は、犯人ですらわからなかったのではないだろうか。

 

■「隣組」などの相互監視で密売が難しくなった  

この種の事件は、昭和10年に報じられた、北海道美唄町の火葬場の火夫、椎名永太郎(58)が人骨を密かに病者に与えていた事件(「北海タイムス」昭和1086)を最後に影を潜(ひそ)める。  

なぜ無くなったのか。

昭和12年の盧溝橋事件と日中戦争開始以降、社会が急速に軍国主義に傾き、「隣組(となりぐみ)」などの相互監視が行われ、密売が難しくなった可能性が考えられる。

 

■火葬場の改良で遺体損壊の機会がなくなった  

また、もう一つの理由として、火葬場の施設が改良されたことも挙げられる。  

明治・大正当時の火葬技術が稚拙(ちせつ)であったことは、次の記事からも窺(うかが)える。

【聞き捨てならぬ非文明な火葬場 大破して役に立たず死者の霊も泣かん】

「鉄板一枚を野天(のてん)に置き、その上に棺を据え、薪炭(しんたん)を周囲に積み、石油を注いで点火すると、木製の棺だけは瞬(またた)く間に焼けてしまうが、死体は容易に焼けず、赤裸々に鉄板上に露出し、その上、定まった穏亡がおらぬため、死人の縁者か、または日雇いの素人が、酒か何かの勢いで木片を持ち、死体を反しては焼き、また反す」
(
「小樽新聞」大正14824)

屋外に鉄板を置き、その上に棺を乗せて薪や炭などを周囲に積み、石油をかけて火をつける。

木製の棺はすぐ焼けてしまうが、死体は焼け残り、鉄板の上に晒(さら)されることになる。  

これは火葬場が倒壊したための急場しのぎの措置ではあるが、当時の火葬技術の劣悪さが窺える。

そして火葬場の火夫にとって脳漿や金歯を窃取することが容易であったことも推察される。  

しかし新式の竃(かまど)が登場すると、状況は一変する。

「目下、春採の火葬場にて使用する竃は昨冬、新たになりたる、いわゆる小松式なるものにて、一度竃中に棺を納め、火を放てば、再び取り出す余地なく、人を焼く物凄き煙、わずかに白煙を出すに過ぎざる改良竃とて、尋常(じんじょう)一様の手段にては人肉を取り出すの機会あるべきはずなき」
(
「北海タイムス」明治4461)

この「小松式」のような「改良竃」が普及していったことで、遺体損壊の機会が自然に失われていったものと思われる。

 

中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家・人力社代表
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。
主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9b196e664208ac4fa57229d437755d20672d8601?page=1   

 

 

秋田市に涙を流すマリア像がある、海外で有名、6年前にはファティマの聖母像が会いに来た、目撃は75年から81年に計101件

2023年6月28日に毎日新聞から、秋田市の郊外にある修道院に過去に涙を流したことがあるマリア像があると報じられていた。

ただ、報道ではマリア像の写真はあるが、涙を流した際の写真はない。

これまで目撃例は101件しかないということで、シャッターチャンスがなかったか?

海外ではこのような像があることは知っていたが、まさか日本にもあったとは・・・。

それも秋田に・・・。

これが、戸来村のある青森県なら分かるのだが・・・。

 

以下は報道内容。

 

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『涙流す「奇跡のマリア像」 秋田のカトリック聖地、海外から連日巡礼』

新型コロナウイルス禍を経て日本各地でインバウンド(訪日外国人)が復活する中、秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」にも巡礼者が戻り始めた。

信者らは、涙を流した「奇跡のマリア像」があることで知られる秋田の聖地で、静かに祈りをささげている。

秋田市郊外の丘の上にある聖体奉仕会。

宮大工の手により7年かけて2002年に建てられた聖堂は、入り母屋重層造りの純日本風建築で、一見すると神社や寺のようだ。

6月下旬に訪れると、ポーランドからの巡礼団44人がミサを執り行っていた。

巡礼団のイェジュ・ザイオンツ神父(64)によると、カトリック信者が国民の多くを占めるポーランドでは、カトリック系のラジオ番組や雑誌で「奇跡のマリア像」が何度も紹介されており、「多くの信者が秋田のことを知っている」という。

農業を営むアンジェイ・ゴズデクさん(60)とアグネシカさん(49)夫妻は初来日。

「通っている教会で秋田のマリア像のことは聞いていた。理性では説明できない奇跡の場所を実際に訪れ、感情が揺さぶられている」と話した。

聖体奉仕会によると、コロナ禍以前はポーランドの他、インドネシアやフィリピン、米国などから年間1万人前後が巡礼に訪れていたが、コロナ流行後は巡礼者の受け入れを停止してきた。

今年429日に受け入れを再開すると、5月がマリアをたたえる「聖母月」とされていることも相まって、連日、個人や団体巡礼団が訪れ、5月だけで2000人を数えたという。

同会は「コロナ禍で死や生について考える機会が多かったのかもしれない。そのため巡礼する方が増えたのではないか。今までにない、新しい方々が訪れてくれていることもうれしい」としている。

聖体奉仕会の聖堂にある「秋田の聖母像」。

台座を含めて高さ12メートルの木彫り像で、地元の彫刻家がカツラの木で制作した。

197514日朝、像から「涙」が流れているのが見つかり、この「落涙」現象は81915日まで計101回記録された。

「涙を流すマリア像」として紹介され、日本国内よりむしろ海外で知られる。

聖体奉仕会は201310月にバチカンと世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結ぶローマ教区行事「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」の開催地として、アジアから唯一選ばれた。

https://mainichi.jp/articles/20230628/k00/00m/040/079000c   

 

一方、2017年9月14日に産経新聞からは、ファティマの聖母像が会いに来たとも報じられていた。

 

『「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の奇跡に多くの巡礼者』

「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。

ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。

涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。

昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、多くの目撃者もいる。

涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。

「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。

一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。

ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。

日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。

奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。

海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。

聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。

メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。

https://www.sankei.com/article/20170914-LIKLDEH4IVKFXBCRV4VFRBDK6E/  

 

 

 

5月初に6月6日出発の沖縄旅行の運気を占い「山天大畜五爻、風天小畜に之く」を得た、「大畜」ゆえ首都高工事により高速バス大幅遅延?1本前のバスで行くことにした(結果追記)

5月5日に掲載した5月31日の沖縄天気占「沢風大過二爻、沢水困に之く」は、当日の天気こそ外したものの、2日後の明日未明には台風2号が本島を直撃しそうな感じ。
ツアーの出発選びという目的から考えると、マサカマサカの大当たり占だった。
(当該記事に追記スミ)

一方、当時、5月31日を外した出発日での沖縄旅行運気を数ケースについて占っていた。
結果、どの出発日でも不安な感じあり。
しかし行く気まんまんにつき、その中では比較的不安感が低そうな6月6日出発のツアーに申し込んだ。

それが、最近得た情報では、首都高大師線の工事通行止めにより、羽田に向かう首都高湾岸線は朝から渋滞中。
当然、羽田行きのバスも遅れることになる。
全体的に不安な感じの卦を得たのは、それが原因かも。
そこで当初予定の羽田行きバスより1本早い便で行くことにした。

出発まであと5日。
はたして、どうなりますことやら・・・。

内容は下記。

 (注記)

本件、掲載するつもりはなかったが、5月5日掲載占があまりにピタリと当たったので、調子にのって掲載することにした。

 

*********

 

5月31日までの天気占を終え、天気のよさそうな日程のツアーに申し込もうとしたところ、5月30日&31日にひっかからないツアーは、すでに飛行機が満席だった。

※全出発日について申し込みは受け付けていたが、いざ申し込もうとクリックを進めていくと、最後になって飛行機満席とわかるシステムだった。
そんなことなら、毎日の天気占はしなかったものを・・・。

そこで5月出発は断念し、6月出発で飛行機がとれる日の天気を占った。

※飛行機がとれるのは3日と6日以降だったが、3日は31日の大荒れに近い日につきパス。
11日以降はツアー料金がグッと上がるので、こちらもパスした。

結果、どの日も、曇りが多いものの、雨は降らないらしい占。

6日 水火既済四爻、沢火革に之く →晴れ [晴れ](曇り)
7日 山地剥四爻、火地晋に之く  →曇り  [晴れ](曇り)
8日 山地剥五爻、風地渙に之く  →曇り  [晴れ](曇り)
9日 水天需五爻、地天泰に之く  →曇り  [晴れ](曇り)
10日 火山旅初爻、離為火に之く  →晴れ [晴れ](曇り時々雨)

※[ ]内は5月初旬にチェックした長期予報。
( )内は本日6月1日にチェックしたウェザーニュースの那覇の予報。

さて、どの日に出発するか?

そこで、各日程ごとに旅行の運気を占い、以下の結果を得た。

6日発なら「山天大畜五爻、風天小畜に之く」
7日発なら「風沢中孚四爻、天沢履に之く」
8日発なら「山水蒙初爻、山沢損に之く」
9日発なら「雷水解五爻、沢水困に之く」
10日発なら「兌為沢五爻、雷沢帰妹に之く」。

全体的に卦を眺めてみると、「履」とか「損」、「困」、「帰妹」に之く卦は、何か不安。

「大畜」も、行くのを止められる、行った先で止められると解釈できるので若干不安。

どれも大満足のツアーとはいかない感じだ。

なぜだろう?

連泊するホテルで不都合でもあるのだろうか?

しかし、考え出せばキリがない。

迷った挙句、「大畜」の「家食せずして吉」「大川を渉るによろし」の卦辞に望みを託して、6日出発のコースに申し込んだ。

爻辞の解釈として「旅行は思いのままには運ばない」とあるのが少々気がかりではあるが、まあ、事前計画どおりのスケジュールで進まないことは多々あることと、自分で自分を納得させてのことだ。

 

(付記)

5月30日、首都高大師線が工事通行止めになっているというニュースを見た。
湾岸線高速バスで羽田に行こうと思っているが、もしかして大師線の車が湾岸線に集中?
そこで翌5月31日朝、湾岸線の渋滞情報を見ると、浮島JCT付近で7kmの渋滞が起きていた。
高速道路会社のホームページを見ると、最大で90分以上の遅れが予想されるとの警告あり。
これが、全ての卦に不安感が出ていた理由か?
6日出発の「大畜」は、高速バスが大いに遅れるという意味かもしれない。

高速の自然渋滞は時速20km程度につき、7km渋滞なら20分程度の遅れで到着するとは思うが、「大いに遅れる」可能性なきにしもあらずということで、出発1時間半前に羽田に着く便を1本前倒しし、2時間半前に着くバスで行くことにした。

そうすれば、早朝始発につき、之卦「小畜」で、さほど渋滞に巻き込まれることはないだろうし、爻辞に「去勢した猪は、牙はあるが危険ではない」とあるので、問題なく飛行機に乗ることができるだろうと思ってのことだ。


出発まであと5日。

行ってきまーす。

 

 
(2023年6月12日 結果追記)

〇天気占については6日から9日まで全て晴れ、10日は明るい曇りだった。
 懸念していた雨は降らなかったので、甘目の採点で70点か?
 ちなみに7日は之卦に「火」があるので晴れと占断すればよかったかも。
  
 6日
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  7日 
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  8日
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  9日 
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 10日
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〇全般、「大畜」の卦辞に期待したとおり、問題なく楽しめた。
 行きの高速バスも1本前のにしたので定刻どおり羽田に着いた。

〇ただ、爻辞で懸念したように、計画どおりに進まなかったことが多々あった。
 
 ・
宇古利タワーの下まで行ったが、中国or台湾からの団体客がちょうど到着して、
  かなりうるさくなったので、上がるのを断念。

 ・美ら海水族館にも、中国系の団体客が大勢来ていて、12時には大混雑状態。
  遅ければ空くだろうと15時に
再入場したのだが、混雑度は増していた。

 ・予定していたライブ居酒屋が当日予約は満席と断られた。
 
 ・水中観光船に乗る計画だったが波が高かったので海中展望台に変更した。
 
 ・3日目の天気予報を見て、青空期待の5日目コースを4日目に繰り上げた。
 
 ・
斎場御嶽に行った際、そこから300m先に知念岬があるとの標識を見つけ、
  まったく予定していなかったが行ってきた。
  
  etc

 こういった旅行自体のイメージも、まあ、占断通りだったか・・・?

〇最終日、羽田空港接触事故の影響で那覇空港を50分遅れで離陸した。
 これ、之卦の「小畜」だったのかもしれない。
 ただ、もともと羽田発の高速バスまで1時間近く余裕があったので、当初計画の
 バスに乗ることができた。
 これ、「小畜」の卦辞「密雲雨降らず」だったのかもしれない。






50年前の広島ヒバゴン騒動では足跡が石膏保管されていた、今後、町おこしのためJR備後西城駅に飾られる

2023年5月26日にNHK広島から、『「ヒバゴンの足跡」お披露目 備後西城駅に飾る予定』というタイトルで、興味深いトピックスが放映されていた。

ヒバゴン騒動自体は知ってはいたが、足跡がとられていたとは知らなかった。(覚えていなかっただけかもしれないが)。

これを機に再度、ブームが起きれば面白いのだが・・・。

 

以下は報じられた内容。

 

**********

 

およそ50年前に庄原市西城町で目撃された謎の類人猿、「ヒバゴン」。

その足跡を採取して作られたという石こうがお披露目されました。

ヒバゴンは体長およそ160センチ。
顔は逆三角形で、全身が毛で覆われていたとされています。

昭和45年に庄原市西城町の比婆山山麓で初めて目撃されて以来、西城町周辺では5年間で29件の目撃情報が寄せられました。

庄原警察署には、当時、ヒバゴンの足跡を採取して作られたとされる石こうが保管されていましたが、町おこしにつなげてほしいと4月、地元の観光協会に寄贈され、26日、当時の関係者などにお披露目されました。

石こうは縦21センチ、横13センチの大きさで、採取年月日が「昭和45年12月16日」、採取場所が「比和町吾妻山池の原雪中」と記されています。

観光協会はこの石こうをアクリル製のケースに入れ、JR芸備線の備後西城駅の駅舎に飾る予定だということです。

当時、西城町役場の類人猿相談係だった恵木さんは、「少しでも関心を持ってもらえれば西城町も賑やかになるかなと思っています」と話していました。

また、西城町観光協会の山口会長は、「ほかにはない、ロマンあふれるものなので、ぜひ見に来てもらいたいです」と話していました。

hibagonn1無題


ヒバゴン2


ヒバゴン3


ヒバゴン4

https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20230526/4000022472.html  

 

※元記事は以下のサイトでurl検索。

https://archive.is/  

 

 

井戸は埋めてはいけない、むやみに物を投げ込んだだけでもタタリがある・・・という多数の体験談紹介

2023年5月16日にYAHOOニュース(まいどなニュース)から、『「井戸」は絶対に埋めるな…工事関係者から「ヤバい」「怖い」体験談が殺到 なぜ「井戸の息抜き」をしないといけないのか?』というタイトルで、興味深い話が紹介されていた。

なぜ、この記事に目がとまったか?

それは、住む人もいなくなった実家を、放置しておくと瓦が落ちたりして他人に迷惑をかける恐れありということで、更地にするため解体した際、一家団欒していたコタツの下付近に井戸が見つかった・・・・ことを思い出したからだ。

家を建てる際、親は井戸があることを知っていたのだろうか?

2人とも旅立った今となっては確かめようもない。

その井戸については神主さんにお祓いをしていただいたが、息抜きしたかどうかは覚えていない。

更地にした後、しばらくして売れ、今は赤の他人が家を建てて住んでいるが、差し障りがなければ幸いだ。

ちなみに、売買を仲介した不動産屋には井戸があってお祓いしたとは伝えていたが、その情報が買主にまで届いていたかは不明だ。

 

以下は当該記事の抜粋。

 

「これは元請けが井戸を埋めようとして(ほぼ埋めてた)たから、懇願して駐車場の脇に付けさせてもらった井戸の息抜き」というつぶやきと共に、はすみん@設備屋 (@irohasumi)さんがTwitterに投稿した「井戸の息抜き」の写真が大きな注目を集めました。

給排水換気工事などの設備業を営む、はすみんさんにお話を聞きました。

【写真】工事関係者が戦慄する「息抜き」や「お祓い」をしないまま蓋された古井戸

 

■「井戸」だけはほんまにやばい

さらに、はすみんさんは続けて、こんなツイートを投稿しました。

「ちなみに、埋めようとした人は右腕折ってた」

「その類の工事だと、お客さんとかにいらないと言われても、これだけは料金に含めないのでやらせてくださいって言ってでも、やってますね。
師匠から、それだけは絶対守れって教わりました」

「(師匠は)オカルト系まじで信じない人なのに、井戸だけはダメって真顔で言われたなぁ」

「井戸だけはまじで絶対に息抜きつけて完全に埋めるなって、どの人にも言われたし、未だに守ってる」

「井戸の息抜きを迷信と思ってるとマジでケガする」

「井戸だけはほんまやばい」

すると、はすみんさんのツイートに対して、なんと、建設業界の問題を描いた漫画『解体屋ゲン』の作者、星野茂樹先生も反応!

さらにリプ欄には、建築・解体工事関係者など、プロの方たちから「井戸」にまつわる驚くべき証言や不可思議な経験談が殺到しました。

「古井戸の蓋開けて中覗いたら、ブゥアアアッと冷気?みたいのが吹いてきて、その瞬間、風邪ひいたみたいな倦怠感がその日一日残ると言う。
あれは怖かった」

「以前の現場で、重機のオペさんが体調不良になり、その重機の下に土砂で埋まっていた蓋がけされた井戸が出てきた…」

「呪いや迷信は経験則や統計的なもので、例えば災害や事故や犯罪などの確率が高くなる行動・場所などを伝えていると思っている。
ただし、井戸は別。
井戸を埋めようとすると、必ずある」

「元解体業者だけど、井戸だけはやりたくない」

なぜ、多くのプロは「井戸」を恐れるのか?

そして、なぜ、「井戸」を埋めてはダメなのか?

はすみんさんに詳しくお話を伺いました。

 

■危険回避と、神様への感謝

Q.「井戸の息抜き」とはどんな設備なのですか?

A.「井戸を撤去(埋める)したりフタをする際に、塩化ビニールの管か竹を使い、井戸と外を完全に仕切らないようにするものです。
直径20~25mmの塩ビ管を使用することが多く、雨水が侵入しないように施工します。
竹を使う場合は節を抜き、配管のようにして突き刺します。
明確にいつまで息抜きをしなければならないという決まりはないのですが、竹の場合は自然と腐り落ちて消失します」

Q.なぜ完全に「井戸」を埋めてはいけないのですか?

A.「完全に埋めてしまうと井戸内が密閉され、他の地下水脈に影響が出てしまったり、メタンガスが溜まって爆発する危険が生じます。
そして、寄せられたリプライの中でも多かった、『井戸には神様がいる』という理由からです。
地域によって違いはありますが、『神様』『水神様』『蛇神様』『龍神様』と呼ばれたり、お稲荷様がいるという地域もあると聞いています。
つまり、井戸を埋める、蓋をしてしまうということは、神様が呼吸できなくなる、神様が外に出られなくなるということ。
神様に失礼がないよう、そして、今まで水を使わせてもらったことに対する感謝のために、配管や竹を使って息抜きをします」

 

■やはり「何か」があるのかもしれない

.「井戸の息抜き」の手順について、「お塩とお酒でお清めの儀を行い、手を合わせてから作業する」、「塩、酒、梅を入れて拝んでから埋め戻してた。梅=埋めて良しからきてる」というリプライも寄せられていましたね。

A.「地域によって違いますが、正式には、まず、神社さんに来て頂き、地鎮祭のように棚を用意し、果物、野菜、清酒、米などを供えてお祓いをしてもらい、可能であれば井戸の中の掃除をした後、息抜きの工事を行います。
その後、砂利や砂などを入れて埋め戻します。
果物や野菜、清酒、米を用意する理由は、どれも水がなければ作れない物なので、神様へのお礼として捧げると言われています。
ただ、全ての現場で行えるわけではないので、塩と清酒を撒いて、『長い間お世話になりました』と言って手を合わせて終わらせることもあります。
お祓いの際は、その土地を使う持ち主と、実際に工事を行う人の両方が立ち合えるのが理想です」

.「井戸埋め清祓」の相場は…?

A.「約3~10万円くらいとかなり幅があります。
神主さんによって結構変わってしまいますが、10万は高い方になりますね」

Q.今回のツイートには、漫画『解体屋ゲン』の作者、星野茂樹先生や、同様の経験をした方々からの声もたくさん寄せられました。

A.「星野茂樹さんのように、建設業に関する漫画を描いている方も井戸にまつわる話をご存知だったり、業界関係者ではない方からも、『うちも井戸の息抜きをした』というリプライをもらい、嬉しかったです。
こんなにも多くの方が井戸にまつわる体験をしていて、自宅の解体や樹木の伐採、トイレの解体、庭石の撤去の際もきちんとお祓いをする方も、まだまだたくさんいらっしゃると知り、安心しました」

 

■「お祓い」を省くと、ご近所トラブルになることも

.リプ欄に寄せられた、「井戸の息抜き」や「井戸」に関する多くの証言や不可思議な現象について、はすみんさんはどう考えていますか?

A.「昔の人が、危険な場所にお地蔵さんを置いて建物を建てられないようにしたように、井戸の上に家を建てると家が傾くという実害もあるので、危険を回避するために作られた言い伝えなのだと思います。
ただ、ツイートもしましたが、埋める作業をした人ではなく、埋める指示をした現場監督が足を滑らせ、転んで腕の骨を折った場面を僕自身も目の当たりにしているので、本当に神様がいるのではないか、とは思っています。
自分を設備屋として育ててくれた師匠からも、『過去に井戸を潰した者が何人かいたが、全員怪我をしたり、離婚をしている』と聞いていたので、やはり何かあるのかもしれないですね」

Q.「現場でベテラン勢から口頭で言い伝えられてきた慣習が失われつつある」というリプライも寄せられていましたが、井戸の埋め戻しを考えている家主や工事関係者に伝えたいことはありますか?

A.「僕は28歳で独立開業したのですが、業界では若手と言われる身です。
僕のような若い職人の中にも、昔ながらの風習を大事にする人間もいます。
たかが迷信と思わず、少しの時間をかけるだけでその後の大きな災難がなくなるかもしれないと考えて、ぜひきちんと『井戸の息抜き』やお祓いを行って欲しいです。
お祓いをしていない、というだけでご近所トラブルにまで発展することもあるので、家主の方には、安心を買うと考えてもらえるといいかもしれませんね」

◇ ◇

「井戸」の埋め戻しや「息抜き」の際に行う清祓だけでなく、魂抜き、地鎮祭、棟上げ式など、解体や建築の際には多くの神事があります。

設備業を営む、はすみんさん自身の経験や、今回のリプ欄に寄せられた「井戸」にまつわる多くの不可思議な体験談を踏まえても、建物にまつわるお清めやお祓いには、科学では証明できない何かがあるのかもしれません。

 

■埋めても大丈夫という意見がないのは、全員死んでるから…

「過去にお客さんに断られて(井戸の息抜きを)施工しなかったのですが、作業車が謎の故障をしたり、お客さんも交通事故に遭われたり…」

「うちも建設関係なんですが、やっぱり…。
井戸の『息抜き』がない現場では関係者の怪我や病気等起こりがちです。
主人も親方から厳しく言われていたとのこと」

「何も知らないペーペーの頃、井戸?はぁ?タタリ?そんなもん迷信だろが.....と適当に対応した。
その現場はいろいろと問題が発生して、最後の最後まで神経つかったな。
まぁ因果関係はわかりませんが、今では大切にお祓いするほど、記憶に刷り込まれた出来事」

「井戸は絶対にそのまま埋めてはいけません。
バチが当たります。
エビデンスはありません。
水の神です」

「絶対にオカルト信じない設備屋さんでも井戸だけはヤバいと言う。
(埋めても大丈夫だったという意見が全く無いのは多分全員死んでるからだと思う)」

 

■骨折、一家離散、死亡事故、経営破綻…「井戸」はガチ

「井戸に関しては実体験として、我が家を建て替える時解体屋が、まだ使う井戸に瓦を何枚か投げ込んだ奴がいて、そいつはハシゴから落ちて足折りました」

「井戸埋めて車庫を建てたお向さんは離婚して一家離散して家が絶えて、競売かけられて新しい家が建った」

「井戸神様はガチだから困る。
昔使わない井戸に面白半分で石落としてたら、直ぐにものもらい出来てしまい、親に話たらメッチャ怒られて、小豆を使って井戸神様に謝ったら直ぐに治ったんだよね」

「作法と違いますが、祖父は一晩中高い酒撒いてずっと(井戸に)語りかけてお礼言ってました。
関連は分かりませんが、親族皆悪運強いです」

「母校の中学が建替工事の時、古井戸を埋めたら、死亡事故が起きたとか。
改めてお祓いをしたそうです」

「増築した際に井戸を埋めてたらしいのだが、床に穴が空いて私は落ちた。
なので、井戸だけはきちんとしなきゃならない…
あれは埋めたりしてどうにかなるもんじゃないようだ」

「この作業を怠った人を知ってます。
先導していた人は亡くなって、二人ほど同じ時期に心疾患を発症して危うく…でした。
井戸の扱いは慎重に…」

「そういえば、叔父の商売が傾いたのって、井戸を塞いでからですよ…」

https://news.yahoo.co.jp/articles/8ad31081b08850f6c946a66fce741e53479977b8?page=1  

 

 

5月31日の沖縄の天気を占して沢風大過二爻、この日を外して旅行計画を立てることにした (結果追記あり)

コロナも収まったことだし、助成金が出るうちに沖縄にでもいってみるかと、計画を立て始めた。

しかし問題は天気。
沖縄に行ったとしても雨続きでは残念感あり。

そこで、適当に日程を決めるよりは、なかなか当たらない占であっても、何らかの根拠を持って日程を決めたほうが、まだ安心できると思い、5月中旬から6月初旬にかけての沖縄の天気を、各日毎に占った。

結果は曇りが多く時々晴れ、雨は思ったより少ないという結果だった。

ただ、5月31日だけは沢風大過二爻、沢水困に之くを得た。
沢風大過・・・台風を思い浮かべるほどの荒れた天気になるのかもしれない。

そして、その前日、5月30日は山風蠱五爻、巽為風に之く。
これも風が強まるという卦だと解釈できる。

そこで、この両日を含まない日程で旅行を計画することにした。


****************

[結果 (2023年6月1日 追記)]

〇強力な台風2号が沖縄先島諸島を通過中。
明日未明には本島を直撃するかもしれない。

無題

すでに本島は強風圏に入っており、本日の那覇発着の飛行機は全て欠航している。
1日に出発するツアーを選んでいたら、ツアー自体が中止になっていたことだろう。

また、朝のニュースでは「今日から明日にかけて不要な外出は控えてください」と呼びかけられていた。
沖縄に来ていたとしても、丸1日、もしかすると2日にわたり日程をロスしていた。
30日からは水中観光船も運行中止になっているし、楽しみにしていた海の幸も、漁がなかったかもしれない。

そういった観点から考えると、ツアーの日程選びという本来の目的からは、本人もビックリするほど大当たりの占だった。

〇ただ、昨日31日の天気は、そう荒れたものではなく、天気自体は外れだった。

〇「台風2号発生、西に向かっている」というニュースを聞いた5月20日ごろには、ひょっとして・・・という感じだったが、5月27日ごろの「今後、台湾手前で進路を右に変え沖縄方面に進む」という報道で初めて、当たったかな?という感触を持った。

〇5月各日の天気占については、雨が降る降らないという観点に立てば、ひいき目に見て15勝3敗だった。
占断時にチェックした1ケ月長期予報は10勝8敗だったので、まあ、長期予報よりは精度が高かったのかなあ・・・。

〇ちなみに、雨と占断した日は計3日。
それに対し、日は違えど、実際に降ったのは計2日のみ。
思ったより雨は少ないという占断も大当たりだった。
(占断当時は、梅雨入り時期ゆえ、こんなに降らないはずはないのだがと、半信半疑だった)

 

(評価)

〇まさか5月に台風が来るとは思わなかったので、「台風のような大荒れの天気」と占断した。
台風襲来と占断していれば、6月1日、2日、3日と続けて占っていたものを・・・。
しかし、そこまでの器量は、残念ながら易占人にはない。

〇卦は「沢風大過」であっても二爻ゆえ、風は強くなっていくが、まだ五爻ほどの強さはない・・・と占断しておけば、もっとよかったのかもしれない。

 

 


2023年4月 千葉県一宮町の海岸に多数のイルカが打ち上げられる、冷水域で衰弱した出産間近のメスを仲間が守ろうとしたためか?

以下は20234月6日付の読売新聞記事。

もし研究者の推察通りだとすれば、はかなくも、もの悲しい、そして愛情あふれる話しだ。

 

******************

 

千葉県一宮町からいすみ市にかけての海岸に打ち上げられて死んだイルカを回収した国立科学博物館が3頭の解剖を実施した結果、2頭が妊娠中で、うち1頭に重篤な肺炎の症状が見られたことが5日、明らかになった。

博物館の担当者によると、衰弱した妊娠中の個体を群れで守ろうとして集団で浅瀬に流された可能性があるという。

国立科学博物館は4日、死んだカズハゴンドウ6頭を回収し、茨城県つくば市の研究施設に運んだ。

イルカやクジラの生態に詳しく、3頭を解剖した田島木綿子研究主幹によると、2頭は妊娠しており、数日後に出産を迎える状態だったという。

田島研究主幹は取材に「1頭には肺炎の症状もあり、呼吸をするのも難しい状況だったはず。黒潮から冷水域に入り、複数の衰弱した妊娠個体を仲間が守ろうとして浜辺に漂着したのではないか」と話した。

暖かい海域に生息するカズハゴンドウは、この時期、出産期を迎える。

国立科学博物館で把握している集団での漂着事例は過去に5回あり、今回は2015年に茨城県鉾田市の海岸に130頭以上が打ち上げられて以来のことだという。

一宮町といすみ市では5日にも5頭が死んでいるのが見つかった。

https://www.yomiuri.co.jp/science/20230405-OYT1T50239/  

 

 

アリゾナ州で深夜、車のドラレコに半透明の白っぽい、人間のようなものが映っていた

2023年3月17日付でニューズウイーク日本版から、こんな記事が配信されていた。
まこと、幽霊っぽく見えるが、最近はディープフェイク映像が増えていると聞くので、その可能性なきにしもあらず。
まあ、ご参考まで。

**************

<深夜のアリゾナ州道87号線に謎の白い影...ドライブレコーダーがとらえた映像が話題>

アメリカ・アリゾナ州のアリゾナ州道87号線を走行中、幽霊らしき姿を見たと主張するトラック運転手が注目を集めている。

【動画】運転手は「幽霊ではないか」と主張...ドライブレコーダーがとらえた「白い影」


運転手の名はウイリアム・チャーチ。
チャーチは311日の午前2時半頃、アリゾナ州道87号線を走行中、幽霊のような白い影を見たという。
テレビ局のFOX 10 Phoenixが報じた。

アリゾナ州道87号線は事故多発地帯として知られている。
チャーチが言うには、その白い影は「人間のかたち」をしており、「半透明」だったという。

チャーチが見た「幽霊らしき姿」はドライブレコーダーがとらえていて、YouTubeに公開されている。
動画には「幽霊じゃない」「レンズフレアだ」とする声や、「おそらく幽霊だ」といった見解まで、さまざまなコメントが寄せられている。

FOX 10 Phoenixは「もちろん、(幽霊だと)確認されたわけではない」と伝えている。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/03/post-101135.php

山形県の庄内浜に数万匹のホシフグ(食用不可)が打ち上げられた、他県では過去に同様事例あるが山形では初めて

山形県の庄内浜に数万匹のホシフグが打ち上げられたという。
地元では見かけない魚とのこと。

海流に乗って北上してきて冷たい海域で凍死?
それなら、これまでにもたびたびあったはずだが・・・。

魚が大量に浜に打ち上げられる事例はタマに起きており、その一事例として紹介する。


(2023年1月13日 山形新聞)

庄内浜で12日までに、大量のホシフグの死骸が打ち上げられているのが見つかった。

鶴岡市を中心に数万匹はいるとみられ、県などが回収作業を進めている。

県外で大量のホシフグが打ち上げられた例はあるが、本県では初めてという。

県庄内総合支庁水産振興課によると、11日午前8時ごろ、漁業者から同課に「浜にフグが大量に漂着している」と連絡が入った。

県や地元自治体などが手分けして現地を確認した。

多くは体長が15センチほど。

県管理の漁港周辺では4万~5万匹に上り、今後、焼却処分する予定だ。

鶴岡市の由良漁港周辺では約3万匹が見つかったという。

山口県下関市の市立しものせき水族館「海響館」によると、ホシフグは国内では日本海などの沖合に広く分布しているという。

卵巣などに毒があり、国の規定で食用として認められていない。

山口県や福岡県でも冬場に海岸に大量に打ち上げられたことがあった。

原因について、同館の担当者は「おそらく低温に弱いと考えられるが、原因は不明」とする。

山形県水産研究所(鶴岡市)によると、昨年11月に新潟県佐渡沖で定置網に大量に入り、操業に支障をきたした事例があった。

本県での漁業被害は確認されていないという。

現地を確認した鶴岡市由良自治会の遠藤健一事務局長(63)は「長年住んでいるが、ホシフグが打ち上げられているのを見るのは初めて。原因が分からず不安だ」と話した。

https://www.yamagata-np.jp/news/202301/13/kj_2023011300334.php  


同日、NHK山形からは映像付きで報じられていた。

フグ1

フグ2

フグ3

https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20230113/6020016381.html 

 



2013年1月31日 ロスのホテル屋上の給水タンクに若い女性の全裸死体、直前の不可解な行動やこのホテルは「死のホテル」と呼ばれていたこともあり怪死事件として注目されている

202314日、YAHOOニュースの文春オンラインに、10年前にロサンゼルスで起きた若い女性の腐乱死体発見事案に関する情報が掲載されていた。
ちょっとおぞましそう。
そう感じたので、このブログでも紹介する。

 
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2013131日、中国系カナダ人のエリサ・ラムがロサンゼルスのダウンタウンにあるセシル・ホテルから忽然と姿を消した。

連絡が取れないことを心配したエリサの両親が警察に通報するも、エリサの痕跡は一切見つからなかった。

 【画像】エリサの遺体が見つかったホテル屋上の貯水タンクを見る  

そんな中、ホテルの客から「水の出が悪い」と苦情が寄せられ始め、ホテルの担当者がその件について調査した際に、ホテルの屋上の貯水タンク内でエリサの遺体を発見した。

エリサの遺体は全裸で、衣服や所持品は遺体の近くの水の中に浮いていた。

ロサンゼルス郡検死局は4ヶ月後に検死報告書を公開し、遺体には外傷の形跡はなく、死亡した原因は不慮の事故によるものだったとした。

しかし、警察が遺体が発見される5日前に公開した生前最後の映像では、エリサはエレベーターを出たり入ったりし、時折エレベーターの中に身を隠すような怪奇な行動を見せていたことから、この事件は世界中から関心を惹き付け、広く議論の的となった。

アメリカでは重大なミステリー事件の一つとして今も注目されている「エリサ・ラム怪死事件」とは何だったのか? 

本当にただの不慮の事故だったのか? 

 

監視カメラが捉えていたエリサの不可解な行動

・・・

検死の結果、性的暴行を受けた痕跡や肉体的外傷がなかったこと、また事件性も見出されなかったことから、ロサンゼルス警察は、エリサが患っていた双極性障害に起因する、不慮の事故による溺死と判断した。

・・・

 

客がホテルに訴えたエリサへの不満

エリサは、当時、バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学の学生で、カリフォルニア州に1人旅に訪れていた。

最初は相部屋に宿泊していたが、同室の客がエリサの態度がおかしいとホテルに不満を訴える。

エリサが「家に帰れ」「向こうへ行け」などの書き置きを残すというのだ。

・・・

そのため、エリサは1人部屋に移された。

・・・

旅行中、両親に毎日のように連絡をしていたエリサだったが、131日、両親の元にエリサからの連絡は入らなかった。

心配になった両親は娘が行方不明になったと警察に通報、警察はホテル内を捜索したものの見つからず、19日後、屋上の貯水タンクに浮かんでいるエリサの遺体が発見されたのである。

 

何者かに追いかけられていたのか

エリサが行方不明になってから2週間後、警察は、エリサが最後に目撃された131日に、エレベーターの監視カメラが映し出したエリサのビデオを公開したが、その様子が奇妙だとネットで大きな話題になった。

エリサは、開いたままのエレベーターの中で慌てた様子でボタンを押しまくったり、エレベーターの外に身を乗り出して、まるで誰かいないか確認でもするかのように左右を見ている。

かと思えば、身を隠すかのように、エレベーターの隅に縮こまって直立している。

また、エレベーターの外で、目に見えない誰かと話でもしているように、両腕をヒラヒラと動かしたりもしている。

犯罪心理学者もこの時のエリサの様子について「彼女は誰かから隠れようとしているように見える。とても奇妙だ」と指摘した。

・・・

 

事件の最大の謎は…

警察は、エリサの奇妙な行動は、双極性障害という、エリサが患っていた病気に起因しているという見方を示した。

薬を十分に服用していなかったエリサが双極性障害の症状に襲われ、誰かに追いかけられていると妄想し、その誰かから逃れるために屋上に行き、タンクの中に身を隠そうとしたところ、誤って落ちたのではないかというのだ。

エレベーターの中で見せた不可解な行動も、誰かに追いかけられていると感じたために取った行動ではないかという。

実際、エリサの姉も、エリサが時々誰かに追いかけられていると訴えることがあったと話していたようだ。

しかし、もし仮に誰かから逃げていたとして、最大の謎は、エリサがどうやって、屋上にあるタンクにアクセスすることができたのかだ。

屋上に入るための扉はロックされており、鍵やパスコードを持っている従業員だけしかアクセスできないからである。

また、安全上、屋上に誰かがアクセスした場合、警報器が鳴るシステムになっているが、その警報器を解除できるのは従業員だけ。

また誰かがアクセスした場合、ホテルのフロントに通知が行くシステムになっていたという。

しかし、ホテルでは警報器が鳴らず、フロントにも通知が行っていなかった。

もっとも、火災時の非常階段を使えば、屋上には簡単にアクセスできたことから、エリサが非常階段を使った可能性も指摘された。

実際、警察犬も、非常階段に通じる窓のところでエリサのにおいをキャッチしていたという。

しかし、屋上では、彼女のにおいをキャッチできていなかった。

 

重量を減らすために服を脱いだ可能性

仮にエリサが非常階段を通じて屋上に入ることができたとしても、巨大なタンクの中に1人で入るのは容易ではないとホテルのメインテナンス係は話している。

また、タンクの中に入るには高さが約3メートルある梯子を上る必要もあった。

水に浮かんでいた遺体が裸体で、そばにはエリサが着ていた服が浮かんでいたのだが、それも不可解だと考えられた。

事故による溺死だったとしても、なぜ裸体なのか? 

これについては、捜査官は、タンクの中に誤って落ちたエリサが、水に浮き続けるためには重量を減らす必要があると考えて服を脱いだ可能性があるという見方を示している。

しかし、結局のところ、どれも推測止まりだ。

 

ホテルと未解決殺人事件の関係性

また、エリサの変死は、セシル・ホテルの黒い歴史と関係があるのではないかという見方もされた。

セシル・ホテルは自殺や殺人が起きたり、連続殺人犯が宿泊したりした、ロサンゼルスでも恐ろしいホテルとして悪名が高く、Hotel Death(死のホテル)とまで呼ばれることもあったからだ。

50年代、60年代は飛び降り自殺が相次ぎ、未解決の殺人事件も起きていた。

薬物売買や売春といった犯罪の温床にもなっていた。

1947年には、“ブラック・ダリア”と呼ばれた女優のエリザベス・ショートが殺害される事件が起きたが、ショートは殺害される前にこのホテルのバーで酒を飲んでいたと言われている。

ショートの遺体は腰のところで半分に切断されていたが、この事件も犯人が見つかっていない有名な未解決事件の一つとなっている。

1985年には、深夜、家に忍び込んで少なくとも13人もの女性を殺害したとされる、「ナイト・ストーカー」と呼ばれた連続殺人犯リチャード・ラミレスがこのホテルの最上階に住んでいた。

ラミレスは殺人の証拠となる返り血を浴びた服をホテルのゴミ箱に捨て、半裸でホテルに戻っていたと言われている。

 

超常現象がエリサを貯水タンクへと運んだのか

1991年には、3人の娼婦を殺害したジャック・アンターウェガーというオーストラリア人ジャーナリストもこのホテルに滞在していた。

自殺が多発し、悪名高き殺人鬼も住んでいたセシル・ホテルは、死を招く呪われたホテルとして悪評が高かったのだ。

そのため、エリサは、霊や悪魔に取り憑かれたり、超常現象に襲われたりしていたのではないかという見方までされた。

たしかに、エレベーターでのエリサの様子は奇妙で、両腕を動かしている時は、カメラに映っていない、目に見えない誰かと話しているようにさえ見える。

エリサは霊や悪魔のような存在に追いかけられ、逃げ込んだ屋上の貯水タンクに誤って落ち、溺れてしまったのだろうか?

警察犬はエリサのにおいを非常階段に通じる窓のところで見つけたが、屋上では見つけられなかったのも不可解である。

エリサが屋上を通らなかったとしたら、どうやって貯水タンクの中に入ったのだろうか? 

超常現象がエリサを貯水タンクへと運んだのだろうか?  

エリサの怪死はまた、鈴木光司原作の邦画『仄暗い水の底から』をハリウッドがリメイクした作品『ダーク・ウォーター』(2005年公開)のプロットに似ているとも言われた。

また、当時、ダウンタウンで行われていた結核検査の名前が“ラム - エリサ”と、偶然にもエリサと同じ名前だったことや、エリサの携帯電話が見つからなかったこと、また死後、なぜか彼女のブログが更新されていたことも奇妙だと考えられた。

エリサの死は数々の謎を残したまま、来年、事件は発生から10年を迎える。

https://news.yahoo.co.jp/articles/633583bee037ec22154e1c66e48497dc6a51a458  

 

 

イタリアの旧ムッソリーニ一家の静養所で一家の幽霊を見たという目撃談が多数ある

2022年12月24日にYAHOOニュース(CNN)から、ムッソリーニの遺品などが展示されている邸宅(ムッソリーニ一家が静養所として使用)でムッソリーニ本人や家族の幽霊がしばしば目撃されているという話しが紹介されていた。

無残な死に方をしたことで、怨念が残っているのだろうか?

以下は、その邸宅の写真付き記事。


イタリア北東部エミリア・ロマーニャ州にある邸宅ヴィラ・カルペーナには、イタリアのファシスト独裁者ベニート・ムッソリーニの軍服や彼が愛用していたバイク、鉄製のゆりかご、不気味な寝室の鏡などが展示されている。

第2次世界大戦中、アドルフ・ヒトラーと協力関係にあった人物にゆかりのある場所を訪れるだけでも不快感を覚えるが、この邸宅が不快な理由はそれだけではない。

所有者によると、ここにはムッソリーニの幽霊がよく出没するという。

エミリア・ロマーニャ州フォルリ市内の小さな地区カルペーナにあるこの邸宅にはムッソリーニ本人とその家族の幽霊が出るとのうわさがあり、地元の人々はその証拠もあると主張する。

かつてムッソリーニ一家が田舎の静養所として使用していたこの邸宅には、彼らのさまざまな私物や美術品が山積みになっている。

今日、「思い出の詰まった家」とも呼ばれるこの黄色がかったリバティ・スタイルの邸宅には、歴史愛好家やスリルを味わいたい人々が数多く訪れている。

2000年にあるイタリア人実業家がこの邸宅を購入して以来、オーナーだけではなく、招待されたゲストたちも激しい超常現象や超自然現象を体験したと主張。

その一部は「ゴーストバスターズ」を自称するある調査チームも目撃し、録画・録音も行ったという。

 

「鏡に浮かぶ顔」

「ここにはムッソリーニ一家がいて大変にぎやかだ。彼らはまだ全員ここにいる。彼らの存在を感じるし、彼らは常に我々を監視している」と語るのは、ヴィラ・カルペーナの現在の所有者であるドメニコ・モロジーニ氏だ。

モロジーニ氏は、妻のアデルさんとこのヴィラを運営している。

「彼らの敬意を感じるので恐怖心はないが、霊たちを刺激したくないので、夜間はヴィラに入らないことにしている」(モロジーニ氏)

現在、モロジーニ夫妻は、ヴィラ・カルペーナの敷地内に新たに建てた建物に住んでいる。

夫妻は何年も前から、かつてムッソリーニ家が所有していたオリジナルの品を追跡・回収し、それらをヴィラの設備として利用してきた。

ムッソリーニは1922年から43年までイタリア王国の首相を務め、独裁制を敷いたが、第2次世界大戦でのイタリアの敗戦により失脚し、逮捕された。

近年、イタリアではムッソリーニへの関心が高まっている。

ファシストであるムッソリーニが残した負の遺産を非難し続けている人は多いが、今でも彼は良くも悪くも心を引き付けられる人物であることに変わりはない。

モロジーニ氏は、米国のオークションで購入したムッソリーニの制服をヴィラ・カルペーナに持ち帰り、ムッソリーニが妻ラケーレと寝ていたベッドの上に広げたという。

「その日いっしょにいた霊媒師が、気分が悪くなって座り込み、『彼(ムッソリーニ)がここにいる』とささやいた。その直後に、ムッソリーニの顔の暗い影が寝室の化粧台の鏡に現れ、それ以来、まるで鏡のガラスにプリントされているかのようにそこに残っている。単なる光の反射とは思えない」とモロジーニ氏は付け加えた。

ヴィラのガイド付きツアーに参加する旅行者も、このぼやけたムッソリーニの顔を見ることができる。

モロジーニ氏は、他にもいくつかの不気味な現象を目撃したという。

「昼間にヴィラの中で強風の音がしたり、廊下を歩く足音を聞いたことがある」

ムッソリーニの妻ラケーレと子どもたちの何人かは、戦後、イスキア島での避難生活から戻った後、何十年間もそのヴィラで過ごした。

モロジーニ氏は「過去の記念品」が大好きで、ヴィラ・カルペーナもムッソリーニの息子の1人から買い取り、アンティークの家具や装飾で大規模な改装を行ったという。

 

「ゴーストバスターズと神経質な幽霊たち」

ヴィラ・カルペーナで奇妙な出来事が起こり始めたのはヴィラを購入した後だとモロジーニ氏は明かす。

ヴィラに幽霊が出るといううわさが急速に広まり、超常現象が専門のプロたちの好奇心をそそった。

2013年には、多くのゴーストバスターズがヴィラを訪れた。

伝えられるところによると、彼らはヴィラに一泊し、暗闇の中で起きた不気味な出来事を録音したと主張しているという。

「我々は女性のか細い声らしき音をテープに録音した。それを再生すると、ヴィラの古くからの管理人は恐怖のあまり座っていた椅子から飛び上がり、これはラケーレの声だとささやいた」と語るのは、イタリアの超常現象調査隊ゴースト・ハンター・パドヴァのアンドレア・プリエーゼ氏だ。

飛行機の音も録音されていた。

この音は、元パイロットで1941年の飛行機墜落事故で早逝したムッソリーニの息子ブルーノに関係している可能性が高いとプリエーゼ氏は指摘する。

またその夜、複数の熱画像も撮影され、ムッソリーニが愛用していたバイクのハンドルバーと燃料タンク上に(熱を帯びていることを示す)いくつかの赤い部分が見られたという。

プリエーゼ氏は、ムッソリーニの幽霊が懐かしさのあまり思わずバイクに触れてしまった証拠の可能性もあるとしている。

「特に驚く出来事が起きたのは、かつてムッソリーニ一家が食事をしていたダイニングテーブルにトーチランプを置いた時だ。

我々が(ムッソリーニの家族の幽霊たちに)そこにいる証拠を示すよう求めたところ、突然ランプが点いたり消えたりした」(プリエーゼ氏)

ゴーストハンターのチームがヴィラに到着し、機器を組み立て始めると、プリエーゼ氏は自分たちが歓迎されていないような敵対的な雰囲気を感じたが、夕方には雰囲気が変わり、緊張は和らいだという。

プリエーゼ氏が語りたいのは「幽霊」についてではなく、むしろ「異常な現象」や「存在」の方だ。

それらが今も取りつくその家は、ムッソリーニ一家が幸せな時を過ごし、手放したくないと考えている場所だ。

「彼らは(幸せだった)過去に縛られているだけで、決して恐ろしい話ではない。また妻のラケーレ自身も謎めいた女性で、交霊会を開催したり、自宅に悪魔払いのための塩壺があったのは周知の事実だ」とプリエーゼ氏は言う。

モロジーニ氏は、ゴーストバスターズをヴィラに招き入れた後、1年間気分が優れなかったと打ち明けた。

ムッソリーニ一家の霊たちは、他人がヴィラに立ち入ることに不満を抱いていたのではないかと気付いたのは、それからずっと後だったという。

しかし、イタリアでムッソリーニの幽霊が出るとうわさされている場所はヴィラ・カルペーナだけではない。

ローマとファシズム時代に設立された都市ラティーナを結ぶアッピア旧街道でも、地元の人々の主張によるとムッソリーニの幽霊がグッツィの赤いバイクに乗ってしばしば駆け抜けていくという。

ゴーグルと革の帽子を身に着けた姿で、夜に恋人に会いに行く途中だと言われている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/94ecd08baff2a0385dc6874ca48b2cc1d46a87e2

 

 

中国各地で謎の光が目撃された、ミサイル防衛実験時の光に酷似しているが不明な点もある

中国各地で謎の光が目撃されたという。
専門家によれば過去のミサイル防衛実験時の映像に酷似しているということだが、光の拡がり方に解せないところもあるという。
はたして真相や、いかに。

以下はネタ元の報道。


(2022年12月20日 ANN)

謎の光1
謎の光2

謎の光3

謎の光4

謎の光5

謎の光7

謎の光8

謎の光9


夜空に突如現れた「火球」のようなまばゆい光。

SNSへの投稿が相次ぎましたが、その正体とは。

一体これは。  

19日夕方、中国各地で撮影された映像です。

くねるように細長く尾を引き、しかし中間部分はあくまで太く、獲物を狙うように先端が伸びていきます。

まるで、伝説の未確認生物「ツチノコ」のようです。

中国では先日、各地で巨大な火球が目撃されたばかり。

これも、その手の自然現象でしょうか。

しかし、光の動き方は直線的ではなく、まるで意思を持っているかのような挙動です。  

19日、中国で相次いで目撃された謎の光

番組は、軍事の専門家に話を聞きました。  

防衛省防衛研究所・高橋杉雄氏:
「自然現象ではないと思うんですよね。いわゆる空飛ぶ円盤ではないと思いますし、ミサイル防衛の実験に似ているのは確か。大気圏の上層でのミサイルを撃ち落とす試験だったという可能性が出てくる」  

去年2月に中国がミサイル迎撃システムの実験を行った際に撮影されたものです。

確かに今月19日に撮影されたものに似ています。  

しかし、なぜ公式発表をしないのか、詳細は謎に包まれています。  

防衛省防衛研究所・高橋杉雄氏:
「判断が難しいのが煙が膨らんでいるところなんですよね。ああいう広がり方というのはあまり見たことがないですね」

https://www.youtube.com/watch?v=8U1Cj7bEUEs  

 

 

那須の殺生石でイノシシ8頭が落命、8頭同時は極めて珍しい、殺生石は今年3月に真っ二つに割れ、ネットでは封印が解かれたと話題になっていた

以下は主だった報道2つ。

まあ、高濃度硫化水素が噴出した時にタマタマ群れが通りかかったということだろうが、それなら、これまでにも何回かあってしかるべしのような気もする。

やはり封印を解かれた九尾の狐の仕業だろうか?

 

「殺生石」にイノシシの死がい発見 一度に8頭…原因は? 栃木・那須町

1213日 日テレNEWS24)

那須1


那須2


那須3


栃木・那須町の那須岳の斜面にある、国が指定する名勝「殺生石」。

その昔、石が放つ“毒気”で多くの生き物が命を落としたことから、「生き物を殺す石」と名付けられたとの言い伝えもあります。

この地で先週、あるショッキングな出来事が発生しました。

殺生石を管理する公園事務所の担当者に聞いてみると――

環境省・日光国立公園・那須管理官事務所 善養寺聡彦さん

「柵の向こうに黄色いところがありますけれど、あの周りに8頭イノシシの死がいがあるのを発見しました」

善養寺さんによると、イノシシ8頭の死がいを発見したのは、今月7日ということです。

善養寺さん

「普段はキツネとかタヌキが、多くても23頭」

一度に8頭もの死がいが発見されるのは珍しいといいます。

善養寺さん

「硫化水素は毒性高いので、動物は特に姿勢が低いですから、硫化水素、やや空気より重いので下にたまりやすいってことで、硫化水素を吸い込んでイノシシが死んでしまったのかなと」

実は、この殺生石は溶岩で、付近一帯では硫化水素などが噴出。

善養寺さんによると、硫化水素などの有毒な火山ガスを吸ったことが原因ではないかということです。

ガスの有毒性については、人間の場合は極端に近寄らなければ問題ないといいますが、「柵を越えて中に入ることはやめてほしい」と注意を呼びかけています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4e6b1293af10f46bd8833de16a70248488a79c9d 

 

「九尾の狐」伝説が残る「殺生石」、今度は周りにイノシシ8頭の死骸栃木・那須町

1213日 読売新聞)

 「九尾の狐 」の伝説が残る国の名勝史跡「殺生石」(栃木県那須町湯本)で7日、イノシシ8頭の死骸が見つかっていたことが分かった。

付近から出る有毒な火山ガスが原因とみられ、一度に8頭もの死骸が見つかるのは極めて珍しいという。

管理する環境省日光国立公園管理事務所那須管理官事務所は、見物の際に柵を越えて近づかないよう呼びかけている。

同事務所によると、7日午前10時20分頃、事務所職員が死骸を発見。

8頭とも石の正面から見て右奥付近で横たわっていた。

硫化水素などの有毒ガスが特に多い場所だという。

連絡を受けた県や那須町は豚熱感染ではないと判断。

事務所とともに死骸を回収し、焼却処分した。

殺生石付近では、過去にもキツネやタヌキの死骸が見つかってきたが、関係者は「これだけの数は聞いたことがない」と驚く。

散策路と殺生石の間には立ち入り禁止の柵があり、火山ガスへの注意を促す看板も設置されている。

同事務所によると、人は極端に近寄らなければ問題ないが、幼児やペットが柵を越えないよう注意が必要という。

殺生石は今年3月、突然真っ二つに割れ、「狐の封印が解かれた」などとネットで話題になった。

同事務所の管理官補佐(63)は、今回の件について「自然現象とみているが、皆さんが想像を膨らませてもらう分にはいいのでは」としつつ、「柵を越えたり順路から外れたりしないでほしい」と注意喚起している。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221212-OYT1T50211/  

 

 


こんなにも巨大な生物がいたことにビックリした

40枚以上 ビックリするほど大きな身体を持つ生き物たち』というタイトルで、驚くほど大きな生き物たちが多数紹介されていた。

冒頭の馬からして、その巨大さに驚かされる。

〇人間の倍以上ある馬、クライズデール

〇大人のカミツキガメかと思っていたら、まだ赤ちゃんだった件

〇果物しか食べないコウモリだから怖がらないで!

〇世界最高齢&最大のウォンバット

〇子犬サイズのアフリカマイマイ

〇お腹を空かせたブルータス

〇ヘラジカに注意!

〇大きく膨らんだ馬の肺を見れば、どれだけ長距離を速く走れるかが理解できるはず

〇現実世界に生きる怪物魚

・・・

https://www.wackojaco.com/jp/40-animals-that-when-standing-next-to-humans-are-shockingly?ly=native_one 

 

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