「いしかわ・かなざわ」の暮らし・まち・建築

 ……新建築家技術者集団いしかわ支部のブログです。…… 会員随時募集    北陸・いしかわ・金沢の、暮らし・まち・建築を中心に綴っていきます。 みんな建築家や技術者です。いえのこと、まちのこと、くらしのことなど皆さんの疑問にもお答えします。お気軽にご投稿ください。

「住み続けられるまちづくり」

 私たちは「人間らしく生きる」というあたりまえの願いを手にすることのできなかった暗黒の時代の反省から、日本国憲法を生かし、みんなが「人間らしく住み続けられるまちづくり」の可能な時代を生きている。しかし一方で、その可能性を阻む厳しい現実が立ちふさがってくる。

 金沢市議のフェイスブックの記述にもあるように、いま、明日を生きることに助けを求める人たちが増えているようだ。生活苦から自殺者は毎年3万人を超え、介護殺人の4割は執行猶予の判決が出るという日本であるが、政府は「財政改革」と称して、社会保障を頼む多くの人々のセーフティネットからの切り離しを策し、生活を破壊する消費税増税と、財政を圧迫する大企業減税は、疲弊する地域経済をいよいよ萎縮させ「失われた二〇年」は戻らず、東日本大震災・原発事故で「失われた故郷」へは帰れない。

 「住み続けられるまちづくり」。それは息の長い取り組み=住民自治=の前進で「まちを解説するだけではなく、自ら住むまちを編集」してゆくことが求められる。市民が明日を築く街こそ世界に誇る街、と信じている。(『非核・いしかわ』編集後記から)

居住の権利とまちづくり

はじめに
私は建築設計の仕事を通じて石川県内で数多くの公共住宅の建設に関わってきた。本日は、社会保障学校第2分科会での報告にあたり、ここでは人類の歴史的な到達点である人権宣言、その基盤をなす「居住の権利とまちづくり」に関わる問題について日頃感ずるところを述べたい。

居住の権利の保障
「住居は人間生存の基本的基盤であり、国民の健康で文化的な生活は人間にふさわしい住居=『居住の権利』の保障なしには不可能である。わが国では…住宅政策は自助主義・持家主義・戸数主義・経済政策の手段などに明らかに偏ってきた。その性格を根本的に変革し、人権・健康・家族生活・福祉・文化・民主主義等を基盤とする居住思想を確立するために、広い視野からの説得力ある論理の構築が必要である」(*1)。わが国の公営住宅法(*2)第1条では、「健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を整備し、住宅に困窮する者に対し低廉な家賃で賃貸し、生活の安定・社会福祉の増進に寄与する」ことを謳っている。しかし、政府がその公営住宅の新規建設を廃止したのは、日本の「住宅の戸数が世帯数を上回った」(*3)というのが理由であった。そこには、社会保障としての「居住の権利」の観点はない。むしろ、「民間にできることは民間に」とする「小さな政府」スローガンのもとに、社会保障を「改革」するための口実でもあった。こうした新自由主義政策の横いつの中で「3割自治」ともいわれるわが国の多くの自治体は、ホームレスが公園にあふれても『居住』という人権を守る上でなす術がなかった。「年越し派遣村」(2008年12月31日からハローワークが業務を開始する1月5日までの宿泊所)に象徴される市民の人権蹂躙ともいえる事態は、わが国の住宅政策の「人権としての居住」からの背離を天下に晒した。また、東日本大震災では、福島原発事故の被災者は1年半を経過してもなお16万人が故郷を追われ、居住の権利はもとより人間的生活を送る権利さえ奪われている。そしていま、その財源を消費税に求める「社会保障制度改革推進法」により保障の抑制と社会保障制度の解体が進められようとしている。

生活公共交通の確立       
一方、都市における生活環境の基盤をなす公共交通についてみると、わが国経済の国際化と輸出競争力を主唱した大企業中心の経済政策、大型の拠点開発に偏った国土・地域の形成によって、地方都市の交通は私的自動車交通への依存を強め、いわば、都市における交通の「自己責任」化とも言える状況が押し進められ、生活者の「移動の自由」を保障する『交通権』からは遥かに遠い実態にある。金沢の公共交通は、40年前の市電撤去時にその重要性が語られたにも拘らず、その後は交通事業者任せで見るべき前進はない。金沢は現在まちなか地域の居住人口は6万人(13%)で、郊外地域の人口はJR北陸線の山側に22万人(49%)、海側に17万人(38%)合わせて39万人(87%)が居住(2010年)している。
「粟崎からまちなかの往復バス代は800円と高く、車では駐車料金が気になり買物出来ない。中心部の街並みといえば駐車場ばかり」となって、『景観法』(*4)をあざ笑うかのような事態にある。また、金沢中心市街地のフラットバスは4路線となり一応の目的を達し、内灘・野々市コミュニティバスは評判もよい。「金沢の郊外にもコミュニティバスを!」の声があるなか、公共交通と言いながらバスは民間事業者が経営し「バス料金については市には許認可権がなく…」と、ここでも前進のない状態が続いている。住民の生活向上・地域経済活性化の基盤となる『生活公共交通』を確立することこそ、地方自治と地域振興の最重要課題であり、『居住の権利』を実質的に支えるものと思う。(*5)

注記
*1 『講座・現代居住』(東京大学出版会)編集代表の早川和男(神戸大名誉教授)は述べる。
*2 公営住宅法(昭和26年制定)第1条:国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活をむに足りる住宅を整備し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸し、又は転貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
*3 昭和43年住宅戸数/世帯総数=1.01(住宅ストックと世帯数の推移:国土交通省08年9月)◇住宅ストック数(約5400万戸)は、総世帯(約4700万戸)に対し14%多く量的には充足。2003(平成15)年で住宅戸数/世帯総数=1.14「居住者のいない住宅が703万戸」である。
*4 景観法(平成16年制定)第1条:我が国の都市、農山漁村等における良好な景観の形成を促進するため景観計画の策定その他の施策を総合的に講ずることにより、美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現を図り、もって国民生活の向上並びに国民経済及び地域社会の健全な発展に寄与することを目的とする。
*5 『市民から愛される公共交通を』年金者組合石川県本部例会報告 2012年1月7日永山孝一

地表のデザイン

建築の設計という仕事に関わるようになって五○年になる。若い頃、建築・都市の計画をめぐる私たち人間の営みは〝地表のデザイン〟であると感じたが、今も「人と風土からの発想」を大切にと心得ている▼四月五日付非核の政府を求める会ニュースに紹介された『〝核兵器と原発〟を考えるつどい』(三月二四日・東京)の池内了さんの講演要旨を読んだ。「私は今、『文明の転換期』ということを主張しています。現在の文明は地下資源文明で…明らかに曲がり角に来ている」、「問題は地上資源文明へいかにソフトランディングするか」とのお話に共感▼まとめで、「地下資源文明は上流が×で、中流が○で、下流が×。地上資源文明は上流が○で、中流が×で、下流が○。まさに対極的です」とのご指摘でした▼まさに、国の未来を選択する世紀となっている今こそ、「地下資源文明」の独占的大資本による全国一体型文明に比して、「地上資源文明」が、本来の姿である地域分散型〝地表のデザイン〟へとシフトし、地域産業資本の活性化、ひいては地域社会の真の発展へと連なることを期待している。(こ)

よりよい明日

山々も春の装いを見せ、あの夏山を懐かしく想いださせる四月の空なのに、各地に頻発する孤立死の報せに心痛める。子供たちと登った北アルプス・夏山の岩場を振り返ると、槍も穂高も不帰も、岩場に設けられた鎖や鉄梯子は私たち初心者には大いなる救いであった▼然し、今や「社会保障と税の一体改革」と称し、今を生き延びることにも苦しむものを足蹴に「自助」だ「共助」だと叫んで社会保障解体に突っ走る政治状況が目に余る。そのうえ、「失われた二十年」で疲弊する地域経済と市民生活を破滅へ追いやる消費増税に「命をかける」政権では、とても「よりよい明日」を望むことは叶わない▼社会保障は、人類が苦悩の歴史に学び、人間の尊厳という理念のもと日本国憲法にも明記された基本的人権である。横山壽一・金沢大学教授は「市場における自己責任では、多くの人の命・生活が守られないという歴史から生み出されたのが社会保障。だから、市場とは違う原理を持つもの」(赤旗四月二七日)と述べる▼あの夏山に設けられた鎖や鉄梯子が教えるように、必要があればいつでも頼りになる社会保障こそが日本の未来を育むのです。(こ)

 

『はだしのゲン』を読み終えて

 本稿は「はだしのゲン」を他言語に翻訳し、世界の子どもたちに広めているプロジェクト・ゲン代表の浅妻南海江さん宅に届いた米国・少女(一四歳)からの手紙です。――『非核・いしかわ』から転載しました。
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 「はだしのゲン」を読み終えて

 怒り、悲しみ、希望が入り交じって

 米国・少女(一四歳)からの手紙                                 


 「はだしのゲン」を読む前、私は、原爆についてどう考えていたのか自分自身でわかりませんでした。心の中は、矛盾した思いで複雑な気分でした。私が答えを探していたとき、図書館の本棚にちょこんとのっている「はだしのゲン」を見つけました。兄が、日本の文化の授業で「はだしのゲン」を読んだと言っていたのを思い出しました。それで私はその本を借りました。

 私は二、三ケ月で、全一〇巻を読み終えました。時々、図書館が次の巻を注文するのを待たなければなりませんでした。待つのはつらかったです。


 私はそれぞれの巻で泣き、ゲンのジョーク全部に笑いました。ゲンの家族が、まるで自分の家族のように好きになっていきました。悲しい部分に来たとき、私は時々本を下に置かなければなりませんでした。ひどく苦痛を感じている描写を見ると、私は苦しくなってしまうのです。女の人とその子どもの皮膚にガラスがいっぱい刺さっているのとか、お兄さんが小さな妹に覆い被さるようにかがみこんで、安全なところを探すうちに、防火用水の中で二人とも焼け死んでいるところとか、私はいつまでも覚えているでしょう。私はゲンが、燃えている家族を残して逃げなければいけなかった場面を決して忘れません。そのことを考えると、また泣けてきます。

私は一巻から四巻まで二度読みました。わたしのお気に入りです。また読むのを楽しみにしていますが、悲しくて読むのはつらいので、それは簡単なことではありません。


 全巻を読み終えたとき、私は、怒りと、悲しみと、希望が入り交じったものを感じました。私がこの本の存在を知らなくて、たまたま巡り会ったことと、この本がたくさんの人にまだ知られていないままだということを残念に思います。教科書には原爆について一言も書かれていないということに怒っています。とりわけ、私はだまされ、嘘をつかれていたことに腹が立ちます。人々はこの恐ろしい出来事を忘れてしまっていて、知らなくてこの上なく幸せだと思っているようです。私たちはどうして原爆のことを話さないのですか。それについてどうして学校で学ばないのですか。よごれて汚いもののように、どうしてそれに触れてはいけないのですか。私たちが原爆について話すとき、どうして互いに責任をなすりつけあうのですか。


 私は、原爆について今自分がどう感じているか、しっかりと理解しました。そして、その問題が話題に上るとき、私はもう臆病で、恥ずかしがり屋ではありません。

 私たちは非難しあうのをやめなければいけません。アメリカは原爆を落とすべきでなかったし、日本は真珠湾を攻撃すべきではなかったのです。戦時中に日本人が、一般市民の上に、あの残忍な兵器を落としたことを正当化できるものは確かに何もないのです。日本とアメリカは両方とも罪を犯したのです。

でも、最も重要なことは、私たちがひとつの事柄で団結することです。原爆は、とてつもない破壊力を持ち、恐ろしく不当な兵器です。私は核兵器廃絶が実現すると信じています。核兵器廃絶という目的で、広島平和公園に燃えている炎が消される日が来るのを、私は楽しみにしています。


 今これらの本を読み終えて、私は生まれ変わったように感じます。この本は、平和が本当にどんなに大切かということに気づかせてくれ、また、私たちは平和を維持するために努力しなければいけないと、悟らせてくれました。中東とアメリカの関係が、どんどん悪化しているので、私たちの平和がどのくらい続くのかしらと思います。私はまだ子どもなので、ただ祈るだけです。でも、私は他の人たちに「はだしのゲン」のことを話すことで、小さいことだけどなにかをしていると感じています。他の人たちといっしょに読むために、自分用の本を持てるのを楽しみにしています。


 プロジェクト・ゲンありがとう!中沢啓治さんありがとう!

(ひらがなで)どおもありがとおございます!


 この本がいつでも外国の読者の手に入るように取りはからってください。あなた方がこれらの本に注ぎ込んだ努力を称賛します。世界が「はだしのゲン」を必要としています!そして、中沢啓治さん、これらの本を書いてくださってありがとう。中沢さんは世界をよりよい方向にむかわせてくださいました。

私は母国語でこれらの本を読めて、本当によかったです。私は日本語を習っているので、日本語で読むことを楽しみにしています。そのときは、私の個人的勝利となるでしょう。

もう一度ありがとう。プロジェクト・ゲンと中沢啓治さん、どうか世界に影響を与え続けてください。あなた方は私にきっかけを与えてくださいました。

プロフィール

新建石川

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