December 28, 2017

在米の日系アスリートを総領事が紹介&激励

若いアスリートの全国レベルでの活躍に対し,地元の知事が表彰・激励した,というような地方番組や地方記事を目にしたことがあるだろう.でも,海外で暮らす日本人(日系)アスリートが,日本の公の機関から表彰されたり激励されたりした,という話は聞いたことがない.

競技種目を超えた公の表彰や激励は,若きアスリートにとって単なる光栄であるのみならず,競技種目を超えた価値で応援されていることに対して喜び,さらなるやる気の出る刺激となるだろう.また,自分が所属する地域への愛着心や貢献心も生まれ育ってくることだろう.

海外在住の若き日本人(日系)アスリートは,そういう機会が全く無いこともあり,日本国籍を持っていても日本への愛着は育ちにくく,たとえ世界大会に出られるようなレベルに達したとしても,日本代表を目指したいという気持ちも高まりにくい.

少子化で将来が危惧されるのは,社会に富をもたらしてくれる労働者や納税者の質や数だけではなく,人々の心に感動や元気を与えてくれるトップアスリートの質や数も然りである.海外に住んでいるからというだけで,高いレベルで活躍する可能性のある日本人(日系)アスリートを取りこぼしてしまっては勿体ないだろう.

そんな懸念から,シノハラ体育アカデミーUSAは,数年前,ジョージア州在住のある日系トップスイマーのユニバーシアードでの活躍に対し,試しに表彰を行ってみた.日本語での表彰状をもらうのは初めてらしく(お世辞も入っているだろうが)とても嬉しく励みになり日本への愛着も高まった,ということであった.

このような我々の主張や活動の話がたまたま日本国領事館に届く機会があり,この度,在アトランタ総領事公邸での天皇誕生日祝賀レセプションにおいて,2020東京オリンピックを目指すジョージア州の学生トップアスリートが数人紹介され,激励を受けた.そのうちの1人は,リオ・オリンピック出場選手でもある.

ジョージア学生アスリート

2020年オリンピックが日本で行われるということもあってだろうが,このような例は,私の知る限りでは初めてのことであり,在外日本人(日系)の若きアスリートに将来への希望を与える,歴史的な前例となっただろう.

ジョージア学生アスリート2


公邸でのレセプションなので,近隣の州政府を代表する政財界の方々など,お偉いさんばかりが招待参加していた.

「皆様が興味をお持ちなのは政治や経済のことでしょうから,あまり興味のない学生アスリートのことを構ってもらってありがたい」

と近くにいた人に話してみると

「そんなことはない.我々も地元で活躍する若いアスリートにはとても興味があるし,励みになる.応援したい」

と言ってくれた.

海外に住む日本人の数は134万人にのぼり,都道府県順では奈良県の136万人(30位)と青森県の129万人の間で,実質31位に相当する(2016年10月).増加率も+2.5%/年であり,国内で人口増加している都道府県は8県しかない(しかも増加率 3%/年以下,2017年1月)ことを考えると,バカにできないどころか,何らかの手立てでうまく取り込んでいく作戦を練っていった方がよいと思えるだろう.

研究界での頭脳流出への対策として頭脳循環促進型研究環境を考えなければならないように(拙著:頭脳国際循環時代に若手研究者が育つための基本三要素:職務と時間と刺激),スポーツ界でも身体流出から身体循環促進型環境として,海外在住アスリートを導きよせる手立てが必要だろう.

ただし,国の価値が多様に捉えられる現代,「この国のために」というような愛国心はなかなか育ちにくいだろう.

それよりも,「この国の人達と一緒に」というような,親近感を感じる人への愛着心を中心とした,感情的な心のつながりを育むような機会を,公の機関が作り,増やしていってほしい.

そんな願いから,このような方向性を作るための行動計画を日本の関係者と話し,「在外邦人スポーツ健康プロジェクト」と称し,少しずつその方向に向かって動き始めている.トップアスリートのみならず,在外日系人全体を対象に,スポーツ振興やスポーツを通じた健康促進について,各都道府県のように(いやそれ以上に)公のサポートを促していきたい.

まずは海外在住の日系アスリート(と予備軍)の調査を始めたので,各国の日系ジュニアアスリート事情に詳しい方々から情報が飛び込んでくるとありがたい.

近い将来,国体に各都道府県代表と同様に海外代表ができたり,世界大会で海外出身の日本代表選手が増えていくようになるかもしれない.


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December 07, 2017

産学共同研究センターを作るためのNSFグラント

全米科学財団(National Science Foundation, NSF)のグラントの中に,企業との共同研究を推進するための産学共同研究センタープログラム(Industry–University Cooperative Research Centers Program)という,複数の大学と企業を結びつけるグラントがある.

そのグラントで,アリゾナ州立大学とヒューストン大学が昨年作ったニューロテクノロジーの産学共同研究センターに,我々のジョージア工科大学グループが,新たに追加する可能性のあるセンターサイトの候補大学として,アリゾナ州立大学での会議に招待された.自分達のグループを新たに追加してもらえるように売り込む,第一次審査である.

アリゾナ州立大学とヒューストン大学の研究グループの首脳陣と,それらのセンターに出資する企業,そして全米科学財団の関係者を前に,我々の代表者がジョージア工科大学自体の紹介と,我々の研究グループの売り込みを行った.他にも4つの有力大学が候補として売り込みに来ており,どこが第一次審査を通ってもおかしくない.

私の科学的探究も紹介の一つに入れたが,企業が興味を持つのは,製品化への道が見やすい,工学的な研究開発だ.そして,我々のウリの一つは,最近,共同研究開発している,義手の指一本一本をピアノが弾けるくらいにコントロールできる超音波義手だ. 開発代表の音楽工学者がインパクトのある動画を見せた.


聴衆の興味,いや,感情をうまく引き出した.

The Force is Strong: Amputee Controls Individual Prosthetic Fingers


その後,アリゾナ州立大の日本人ポスドクと院生と一緒にビールを飲みつつ,日本で研究者としてやっていくことと,アメリカで研究者として生きていくことの違いなどについて,語り合った.

ASU_Beer2017


夜行便で帰ろうと空港まで送ってもらい,メールを開くと,朗報が入っていた. 

第一次審査合格! 

である.

全米科学財団は,センターの運営費のみをグラントとして出してくれるだけで,プロジェクトは企業依存となる.

次の段階は,各プロジェクトに対し,毎年5万ドル(550万円)を投資してくれる企業を3つ以上,見つけることである.通常ならばそのうち半分以上が間接経費として大学に吸い取られてしまうが,このプログラムだと,間接経費は10%に制限されているのが大きな魅力だ.これでやっと大学院生1人分の給料と授業料を賄えることになる.参加企業は,プロジェクト研究結果は勿論,全センターの様々な知的リソースにアクセスできることになる. 

身体運動のリハビリを進化させたり,身体運動のキャパシティを大きくするヒューマンオーグメンテーションなどの,ジョージア工科大学のニューロサイエンスやニューロテクノロジーの研究・開発に投資していただける企業をアメリカ国内・国外を問わず絶賛募集中! 





shinojpn at 23:00|PermalinkComments(0) プロフ生活 

November 05, 2017

アメリカ挑戦の裏話「それは家族から」

この記事は,月刊スポーツメディスン11月号特集の「挑戦」インタビュー記事 「自分だからこそ」すべき研究は何なのか ─信念と行動力、それが挑戦になっていく に関係する裏話,特にアメリカ挑戦を決定したときの家族の関わりについて書いた内容です.

2000年9月,論文博士を(自己流で)取得して間もなく,生後5か月の娘と妻を連れ,コロラド大学での在外研究に向かった.結婚直後の新婚旅行は横浜中華街という“バーチャル中国旅行”だったので, リアルな新婚旅行としてアメリカを1年間楽しもう,と二人で盛り上がっていた.

1年も留守にして家賃を払うのは勿体ないと,分譲マンションも買い,帰ってくる準備も万端にしておいた.

「留学とは学を留(とど)めると読む」
そんな頼もしい上司の教えを耳に,博士取得が終わった解放感に満ちた遊び心満載の旅立ちだった.

コロラド大学の外国人家族用アパートで暮らし始めると,色々な日本人家族と知り合いになっていく.うちの娘よりも年上のお子様達を抱えながら,ご主人が博士課程に通っているという家族も何組かいる.私と似たような年齢で,日本のそれなりの会社を辞めて博士を取りにきた人などもいる.

もちろん日本人だけではない.色々な国々から,それなりの年齢に達した夫婦達が,それなりの年齢の子供達を連れ,高い教育を身に付けようと励むパートナーに連れられ,つつましく暮らしている.

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我々が大学で学んでいる昼間の間,子供同士を遊ばせる職務を担ったママ友たちは,呑気に世間話をしているだけではないらしい.新婚旅行で来た我々とは違い,これまでの貯金,立場,仕事,築いてきた物すべてを投げ打ち,新たな希望に向かって何年も頑張り続けている家族達を目の当たりにするらしい.生き方,ものの見方を考えさせられる深い話ばかりだという.

一方の私は,プロフェッサー達の研究を中心としたスケジュール,新しい実験技術,ハイレベルなディスカッションなど,日本で体育教官として駆けずり回っていた身からすると大違いである.

「世界レベルの研究はこういう日常の中で行われているのか」

と,驚くばかりであった.

Shino

しかし,その驚きは,あっという間に悔しさと情けなさに変わっていった.

研究室の院生たちはまだ頼りない若者達ばかりだが,こうやって毎日毎日,数年間,こういう高いレベルの研究に触れ続け,高い意識で毎日を過ごすことができる.今は自分の方が少しばかり高い研究力を持っているかもしれないが, 5-6年もしたら,彼らは手の届かないレベルまで伸びていくことだろう.

博士課程には進まず自己流で研究してきたので,自分はそういうレベルの研究教育を受けてこなかった.34歳にもなってその程度の研究力しかなく,日本に帰ってまた体育教官として走り回っていたら,たかが知れている.40歳になった頃には,この頼りない研究者の卵達にも簡単に抜かれて拝んででもいることだろう.

そんな今,目の前に,素晴らしい研究力研鑽の場がある.ちゃんとした研究者として生きていこうとするならば,こんなチャンスを逃す手はない.アメリカのトップレベルの研究室で数年かけてトレーニングすれば,かなり力がつくだろう.

そして,研究生活を仕事の中心にできるアメリカの大学で,プロフェッサーとして研究を楽しみたい.

今からでも遅くない.

というか,今ほどのチャンスは無い.


思い立ったら決心は早い.

決心したら行動も早い.


「大事な話がある」

妻に打ち明けたのは,コロラドに来てほんの数か月しか経っていなかった.

「自分は博士課程に行っていないから,トレーニングが足りてない.自分の研究能力が不十分で不甲斐ない.博士課程を今からやり直すつもりで,5年間,アメリカでゼロからやり直したい」

日本では,それなりの将来がそれなりに約束されたような安定した職に就き,それなりに給料をもらい,おかげでそれなりの分譲マンションも買えた.日本での安定性と将来性.アメリカでやり直すということは,それらすべてを捨ててゼロにしてしまうということである.

「日本にいても,このままでは研究者として先が無い.こっちの研究員になれば,5年間,今までの給料の半分での貧乏生活になってしまう.でも,それで研究能力をつけて,その後もこっちでやっていきたいし,やっていけると思う」

言い切り,返事を待った.


「5年間で,もっと立派になるんでしょ」

「うん」

「そうなりたいんでしょ」

「そう」

「いいわよ」

「!」

拍子抜けだ.


一度も話したことは無かったのに,心の内を見透かされていたのだろうか.

「ここで暮らしてると,何となーく,ウチもそんなことがあるのかなーって,思ったりしてたわ」

「そんなこと?」

「仕事を辞めて博士課程に来た人の奥さんから聞いたことがあるのよ.

“主人が,将来,私のせいで自分の好きな仕事に就けなかったって思ってほしくないから”

って.自分の仕事も捨ててきて,もう何年も貯金を切り崩しながら頑張ってるんだって」

「へえ」

「私,すごいなーって思った.私はそういう風に考えたことはなかったから.ここにいる人達って,みんな,自分を伸ばそうと思って,色々なものを捨てて挑戦しに来ている人達ばかりなのよ.そして,その夢に向かって一緒に進んでいる家族ばっかり.実は大変なんだろうけど,幸せそうなの.真剣に生きていて,すごく元気をもらえるっていくか,勉強になるわ.」

「そうなんだ」

環境の力は大きい.

Colorado

「だけど,日本人がわざわざ外国のアメリカでやっていくっていうことは,普通のレベルじゃあ意味がないってことよ」

「えっ?」

「日本人がわざわざアメリカで働くっていうことは,アメリカ人以上にアメリカにいる価値のある人間になるっていうことだから.アメリカ人と同じように,家族を大切にする生活の仕方,時間の使い方をして,その上でアメリカ人と伍して,それ以上に優秀な研究者になるっていうことよね」

「まあ,...ね」

「スポーツだって,野茂とかイチローみたいなレベルだからアメリカにいる価値があるのよね.そうなれないんだったら,自分は力が無いと認めて,早く日本に帰って,普通の日本人として日本でやればいいだけの話よね.日本でしか通用しないんだから」

新体操ナショナルチームでしのぎを削ってきた元アスリート,有無を言わさぬ物の見方だ.

「だから,アメリカ人みたく土日は完全に仕事無しよね.土日返上とか一人残って頑張ってギリギリついていける程度じゃあレベルが低いってことよね.日本にいた時は土日も仕事で家にいなかったし帰りも遅かったから,これでちょうどよかったわ!」

ああ妻よ,素晴らしきかな.

私のアメリカ挑戦は,家族からの愛すべき挑戦状から始まった.


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shinojpn at 22:13|PermalinkComments(0) プロフ生活 

September 23, 2017

文武両道のすゝめ

「天は人の上に頭を造らず人の下に体を造らずといへり」(文武両道のすゝめ,篠原稔) 
(この記事は宮下幸恵さんのYahoo記事「文武両道の鍵は急がば回れ!」の取材時に伝えきれていなかった部分を補足し膨らませた内容です.前半は似ていますが後半はかなり膨らませています.)
子供の頃は国語が大の苦手で,自由作文の課題に,「僕はどう考えても作文が書けないので書きません」と一行だけ書いて提出し,先生に怒られたことがある.それくらい,国語がダメダメだった.

スポーツは走ったり泳いだりの持久系は得意な一方,体操系はイマイチで悔しい思いをしたりした.ところがある時期から友達と筋トレ競争を始めたら,急にバク転とか宙返りとかが簡単にできるようになって驚いた.技術そのものを練習する直接的な方法だけではなく,別のアプローチでこそ結果が出ることもある,という解決法を実体験で学ぶことができた.

そこで,運動で実体験した問題解決法を,苦手な国語に当てはめてみることにした.

それは,文章を「書く」のではなく,「読む」ことを深くトレーニングするというアプローチだ.

ちょうど学力増進会という通信教育の国語が難解文章で,考えずに目を通せば3分もかからないような一つの文章を,毎日毎日うなりながら1か月間繰り返し読む,というトレーニングを数か月間続けてみた.

そうして毎日毎日執拗に読みこんでいくと,あるときパッとひらめいたりして,書き手の考えが全て手に取るようにわかるようになってくる.どうしてこの部分でこういう表現をして,わざわざこの単語を使っているのか,とかまでわかってしまう.最初は読み手だったのが,いつの間にか書き手と一心同体のような気持ちで考えるようになっていた.読みながら書き方を考えるという学習トレーニングとなっていて,結果的に書き方が身に付いてしまった.

それ以来,国語は読むのも書くのも得意になり,文系の道をまっしぐらに進むこととなった.大したことのない例かもしれないが,スポーツの体験で学んだことが学業にプラスになったという具体例である.


スポーツを通じた学びは,学業中心の生活では遭遇しないような体験学習として,実感的に身につきやすい.

明確なチャレンジ目標を持つ → 目標に向かって地道な努力を懸命に繰り返す →  勝てるかも!と希望を持つ → 試合では緊張する → 負けてしまう → くじける → しかし立ち上がる → そして新たな作戦で挑む → 次は勝つ!

こういうサイクルを何回も何回も繰り返す.

この心身ともにダイナミックな体験学習の繰り返しの中で,チャレンジ課題発見能力,努力持続力,ストレスマネージメント,タイムマネージメント,問題解決能力などがトレーニングされ,身についていく.そしてトレーニングの結果としての成功体験を積み重ねていく.

アメリカの大学入学選抜などで人物評価する際に重視する特徴的な経験と能力がある.いかにチャレンジをし,失敗し,そこから反転して逆に成功に導いたか,という

チャレンジ能力 → 失敗 → リカバリー反転能力


だ.

大きな失敗経験の無い一見“優秀な”人だと,その人は能力を超えたチャレンジをしたことが無いとみなされ,リカバリー反転能力も未知となり,人物評価が低くならざるを得ない.リカバリー「反転」とは,単にリカバリー前に戻るのではなく,チャレンジ前とは違う方向あるいはより高い成功を生み出す能力である.そういう能力が求められている.

チャレンジ能力とリカバリー反転能力は人物評価に限らず,子供が将来独立し充実した人生を送るために鍛えておくべき基本能力だろう.日常生活で失敗を繰り返すわけにはいかないが,スポーツはチャレンジ → 失敗 → リカバリー反転のトレーニングを繰り返し体験学習できる貴重な世界というわけだ.

チャレンジ能力 → (失敗) → リカバリー反転能力

失敗は,チャレンジとリカバリー反転の間での通過点に過ぎない.失敗に対する社会のマイナス評価が日本と比べて厳しくないのは,チャレンジの多いアメリカ社会では失敗は当たり前で,それよりもその前のチャレンジとリカバリー反転に価値を置き注目しているからなのかもしれない.

そういう意味で,いわゆる頭のいい一見“優秀な”人に対してこそ,スポーツ競技への真剣な取り組みが勧められる.アメリカで一流大学にトップ選手がいたり,トップ選手が引退後に医師や弁護士になったりするのは,頭脳を鍛えて将来活躍したい子供(活躍させたい親)こそが,スポーツ競技(や芸術活動)にも真剣に取り組んでいるからだ.

身体運動が認知能力を高めるという研究結果も次々と出ている.頭をよくしたければ運動した方がいいのは科学的に明らかだ.私自身,学習直後の筋トレによって記憶力が10パーセント増加する(正答率が10パーセント増加,相対的には20パーセント増加)という研究論文を数年前に発表し,ネットニュースなどで世界に広まっている.

「天は人の上に頭を造らず人の下に体を造らずといへり」 

頭と体に上下関係はなく,お互いに相乗効果を与えあう平等な関係として捉え,両方を上手に鍛えていくべきであろう.

では,「文武両道のすゝめ」は日本ではどうやって「作っていく」ことができるのだろうか.たとえばこんなことが考えられる.
  • 文武両道授業校:学校で各授業の最後は先生も生徒もその場でスクワットなどの筋トレで締めくくるようにしたらいいだろう.授業内容のより大きな学習効果が期待されるし,足腰が強くなり先生のロコモ予防にだってなる.それを取り入れた学校は「文武両道授業校」として国や自治体がサポートすればいいだろう.

  • 文武両道入学枠:東京大学などの人気大学でスポーツ等の実績を入試得点に加味する「文武両道入学枠」を定員の半分位でも作れば,“優秀な”人もスポーツ競技に真剣に取り組むようになっていくに違いない.

  • 文武両道コース:文武両道入学枠を目指せるよう,トップ進学塾とトップスポーツクラブが提携して「文武両道コース」ができたりすれば,色々な意味で面白い刺激になるだろう.

  • 文武両道オンライン:スポーツ大会のために欠席する授業と同等の内容がオンラインで遠隔学習できたり,宿題をオンラインで受け取り提出するような教育システムのオンライン化(文武両道オンライン)も重要だ.我が娘の学校は公立だが随分前からそうなっていて,大会や遠征先で当たり前のように宿題をやっている.
    Study_2
文武両道はあり得るか,あり得ないか,とそれぞれが右往左往したりするのではなく,そういう風にして文武両道の大きな価値を社会が理解し,社会自体が文武両道を取り入れたシステムを作っていってほしい.

「文武両道のすゝめ」が実現するためには,勉強と同様,効率的なスポーツトレーニング法を探求し,スポーツの練習時間を短時間化すべきという社会的な要請に基づいたシステムを作っていくことも同時に不可欠である.

実際,効率的な指導を受けている我が娘の練習時間は普通の選手よりも大幅に少なく,そのおかげで練習疲れも少なく,頭を鍛える時間と気力が確保できている.私の専門とする身体運動科学の研究も,効率的なトレーニング法につなげていくための研究分野だ.

効率的なスポーツトレーニングを施せる優秀な指導者は,効率的に頭を鍛えられる優秀な塾講師と同様,高く評価されるべきで,高い給料や指導料も受け取れるようにすべきだろう.時間あたりでなく,引き出されたトレーニング効果あたりで計算すれば,そういう指導者の給料や指導料は実は割安であり,時間ばかり費やす指導者のそれが割高であることに気づくであろう.

文武両道の要はスポーツ指導法の効率化と練習の短縮化であり,そのためにはスポーツ科学研究の更なる発展,スポーツテクノロジーの開発,そして優秀なスポーツ指導者を養成し高く評価するシステムが不可欠である.

一方のアメリカの話は,理想論ばかりではなく,実は「生き抜くための」文武両道でもある.

アメリカは貧富の差が大きい厳しい格差社会ということはよく知られているだろう.実際,格差社会は小学校の中から既に始まっている(参照:小中学校内で始まっているアメリカ格差社会の住み分け).私の住む学区では,公立校でも小学3年生位からクラスも授業も成績分けで決まってしまう.その頃に学業成績が上の方に入っていないと,どんどん引き離されていき,その後に挽回するのも難しい.

社会に出れば首切りや倒産は日常茶飯事,健康保険も高額でかなりの収入がないと“普通の”生活ができない.将来が不透明な社会の中で,生き抜く武器が必要不可欠だ.

強いコネを持たない外国出身者にとって,大学は個人の価値という武器を磨く重要な機会だ.学歴は,一つ目の仕事のみならず仕事を失った後に次の仕事を得やすくするための保険のような武器となる.そしてそれなりの大学に入るためには学業成績だけでは十分ではない.スポーツや芸術でのそれなりの実績が必要となる.

そういう社会要請への対応としての文武両道でもある.

自分の夢(ワガママと読む)に付き合わせて子供をアメリカに連れてきてしまった自分としては,厳しいアメリカ社会で生きていく子供を路頭に迷わせないために,まずは文武両道に育てなければ,という責任感を感じている.

個人の価値こそが重要になりつつある厳しい時代,これまで唱えられてきた「生きる力」の教育では心許ない.文武両道は個人と親と社会の発想転換と努力で「作っていく」ものだと思う.文武両道を通じ,厳しい時代の中でもチャレンジし,失敗してもリカバリーして新たな成功に導く「生き抜ける力」をこれからの子供達には養ってもらいたい.


shinojpn at 07:08|PermalinkComments(0) プロフ生活 

August 15, 2017

10年勤続同伴パーティと3倍の稼ぎ

労働力の流動性が高いアメリカ,10年働いただけで「長い間の貢献ありがとう」と,大学から感謝されてしまう.そんなパートナー同伴の永年勤続パーティーは,予期せぬ果実を生み出してくれた.

ランチョンパーティーに招待されたのは,数ヶ月前の春のこと.ファカルティもテクニシャンも事務員も一緒に招待され,スーツからジーンズまで身なりも様々だ.立場による分け隔てなく適当にテーブルにつき,豪華な食事をいただきながら大学上層部からの労いを受ける,半フォーマル半カジュアルな会だ.

普通に働いてきただけなのに感謝され,二人で美味しい食事をいただけるとはありがたい話だ.だが,パーティーなのにワインなどのアルコール類が供されなかったのは少し(とても)寂しく,自分個人としては,盛り上がるような感情は沸いてこなかった.

ただ,パートナー同伴だったことは,10年に渡る妻への感謝の気持ちを伝えるいいきっかけになった.

そして,それ以上に,思わぬ結果さえも生み出してくれた.

10yearParty1

こうやってそれなりの場所で一緒に宴を供され,それなりの大学から感謝される立場の夫を見ると,なにやら誇らしく思えてくるらしい.

そして,その誇らしい夫の妻であることを嬉しく思うらしく,いつも以上の「尊敬感」がかもし出されていた.

嬉しさのあまり,アラフィフ熟年夫婦らしからぬセルフィーを撮るほどの勢いだ.

10thYearParty

どうやら,こういうパートナー同伴の会は,実はパートナーのための会,と捉えた方がいいのかもしれない.そしてそのパートナーが感じた結果が自分に返ってくる,いい意味での因果応報の世界なのかもしれない.

高く上がった夫の評価からは,さらなる期待も生まれてくるらしい.

...あれから数ヶ月,出費がかさむ夏場にもなると,こんな風な会話にもなったりする.

「研究じゃなくてビジネスの世界でバリバリ頑張れば,今の3倍くらい稼げる力もあるのかもね?」

確かに,バリバリとそれぐらい稼ぐビジネスマンも沢山いるだろう.

ただ,状況に応じて,色々な生き方,物の見方がある.

自由の国=自己責任の国アメリカで,日本出身の家族3人がそこそこ成功して幸せに生きていくためには,お金だけでは不十分だ.

家族それぞれがアメリカ社会で充実した生活をし将来への道筋が作れるよう,大黒柱にとって,物理的な自由度と精神的な余裕を持って色々な状況に対応していくことは,窮屈な時間やストレスをお金に変えたりすることよりも重要なはずだ.

「気が付いてないかもしれないけど,実は3倍稼ぐ頑張りはしてると思うんだ」

首が斜めに傾いた.

「そのうちの三分の一が,お金という数えられる形で家族に入って,見えているだけ」

目がキョトンとした.

「あとの三分の一が娘への愛情,そして三分の一が妻への愛情.数えられないし見えにくいかもしれないけど,そういう形で家族に入ってきていると思ってみたら?」

口が開いてきた.

「そういう風に,時間やエネルギーの使い方を意識しているつもりだけど」

首がゆっくりと縦に沈み,目が大きく見開いてきた.

「それとも,全部,お金にしちゃった方がいい?」

首が激しく横に揺れ,目がまぶしく輝いた.
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shinojpn at 08:00|PermalinkComments(0) プロフ生活 

January 22, 2017

空気を読むアメリカ人

妻が泊りがけでテキサス出張に行くので,空港まで送ってあげることにした.

心配していた雷雨もあがり,爽やかなライトブルーがのぞき始めてきた.

家を出てしばらくは,取りとめもない夫婦の会話をしながら,いつものハイウェイを走る.

午前中の出来事,娘の近況,来週の予定,...

 


取りとめもない話もひと段落し,お互いが静かに自分の気持ちの中に入っていく.

6車線のだだっ広いハイウェイで,温かい無言の空気を吸いながら,前を見つめている.



空港が近くなってきた.

妻が,ふと気付いたように口を開き,小さく静寂をやぶる.

 

「よかったね」
 

 

「うん」


 

「うん,だって.ふふっ」


 

「何で?」

 


「だって,よかったね,って言ったら,うんって言うんだよ」

 


「うん」

 


「わかるんだ」

 


(ふふ)

 


空港の道端では,アメリカ人達が普通にハグやキスをし,別れの
ひと時を惜しんでいる.

 


車から降りることもなく,いつもの見送りの一言.

 

「じゃあ,行ってらっしゃい」

 


いつもと違い,右手が肩を引き寄せ,唇が近づいていった.

 


一瞬ふさがれた唇が再び開く.

「アメリカ人みたい」



shinojpn at 12:25|PermalinkComments(0)

January 08, 2017

必然の科学者史

久しぶりに日本から届いた郵便物を少し乱暴に開け始めると,ピンクっぽい物が目に飛び込んできた.

ピンク?と体が反応し,少しドキドキしながら,ビリビリビリッと破き開けてみる.

私の中に封じ込められていた,あの興奮を刺激する,ピンクの本が飛び出してきた.

非売品.

一般には出回らず,マニアとして認められた人達だけが手に入れられる.

「手と指」
  
アメリカに来て数年経った2003年にそのテーマで研究助成をいただいた,中山人間科学振興財団の創立25周年記念誌である.受賞者達はこの「25年の歩み」という記念誌に載せる文章を「自分の研究史における受賞研究の位置づけ」というお題で寄稿依頼されていた.

依頼されたとき,それが科学史を専門とする村上陽一郎氏の企画と知った瞬間,学生時代,氏の読み物から刺激していただいた,オドロキの知的興奮がパパッとよみがえった.

「科学的」って何だろう

 
東大生が読むには,タイトルも,見かけも,重さも,軽い本だった.

30年も昔のことだから,本の細かい内容は覚えていない.しかし,昔,初めてのお子様ランチに飛び上がって小旗を振ったような,その時の「興奮したという記憶」は封印され残っているものである.

「科学的な発見は偶然ではなく,その背景には,それが必然となる,科学者達の歴史がある」

うろ覚えながら,いくつかの具体例から,そんな「必然の科学」的な科学史があるということを,臨場感あふれる形で,初めて知り,興奮した.
 
論理的な思考が大好きだった文系学生の私は,事項説明に終始する脈略の無い歴史は大嫌いだった.しかし,この本で科学史という歴史分野があること,そしてそれは必然の歴史という論理の物語であることを知り,のめりこむ様に読み進めた.

そこに書いてあったのは,もしかすると「科学の」必然的歴史だったのかもしれない.しかし,私の記憶の中では「科学者の」必然的歴史が書いてあったような記憶になっている.副題に「科学の歴史の落ち穂を拾う」とあるように,見逃しがちな情報を拾いあてていくその紐解きは,まるで探偵小説のようであり,衝撃だった.

そんな風に私の若き心を刺激してくれた村上氏の企画に参加できることを光栄に感じ,私個人の「科学史」ではなく「科学者史」における研究助成の位置づけを「25年の歩み」にしたためることにした.

CoverPage












「アメリカでのグラントとファカルティ職につながった科学者史の1ページ」
過去の受賞者達の文章の中で,誰よりも長いタイトルとなっていた.

非売品のピンク本を持つ研究マニア達だけの中に埋もれ去られるのも惜しいので,内容を少し抜粋してみる.


“海外在住者にこそ必要な,独自の研究活動を可能にする日本の研究助成は少なく,...”

“2003年,ボスの研究助成金で雇われた研究員であったため,その助成内容からズレる個人的な興味の研究に対しては,研究費サポートが得られなかった. ....この助成金によって,外国でも自分独自の研究アイディアを試すことが可能になった.”

小さなアイディアを試すだけの研究だったが,思い起こせば,それがきっかけとなってグラントやファカルティ職につながった.そんな「私の科学者史」の大切な1ページが,2003年にいただいた「手と指」の研究助成であった.

財団は,国際交流助成として,海外研究者の招勅にも助成をしている.

“いつの日か,海外研究者受け入れ助成のサポートで日本と国際交流する幸運に恵まれ,「私の科学者史」の財団の2ページ目を綴れる日がくることを願っている.”

去年の3月,そんな結びで締めくくった文章を寄稿した(全文は末尾に掲載).

その数ヶ月後,財団の助成テーマ「生体情報のモニタリング」に日本の共同研究者の国際交流申請が採用され,12月に日本に招勅された.あまりにも「できすぎ」だった.

しかし,この国際交流助成は,記念誌への寄稿が依頼されたことから意識され,その流れで「工学のスポーツ科学への応用」の研究交流のために招勅法を探していた共同研究者に伝え,申請されたものだった.後から考えれば,これも必然と言えるのかもしれない. 

こうやって,その時々はがむしゃらで行動していたことも,1ページずつ,必然の科学者史としてつむがれていくものなのかもしれない.

過去を変えることはできない.

そして,その過去があるからこそ,何かが起きるのが必然である.

その必然は,過去を踏襲する必然かもしれないし,過去を否定する必然かもしれない.

いずれにせよ,今日の行動は過去からの必然であり,未来への必然を引き起こす可能性を秘めている.

さあ,今日は何をするか.

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shinojpn at 19:59|PermalinkComments(0) プロフ生活 

July 13, 2016

ブログの目次を作り始めました:まずは序章

2000年に33歳で渡米し,2005年から書き始めたブログに目次を作っていく予定でいます.まずは序章.

序章:アカデミックな内容を中心に2005年2-5月の間に約60本の記事を書きましたが,一度終了し,代表的な記事のみをいくつか残しました.

(本章では再開後の記事を順次トピック別にまとめていく予定です)

 

shinojpn at 08:24|PermalinkComments(0)

July 03, 2016

在外研究者の妻がアメリカで起業

今年2016年前半の大きな出来事として「妻のアメリカでの起業」という快挙があった.

「アメリカで地に足を付けて研究していこう」と10年計画で考え始めた当初から,研究者である前に家族持ちとしての課題を抱えてきている.アメリカという地で,どうやって家族「それぞれが」困らずに(=ハッピーに)生きていけるようにするか,という課題である.

好んでアメリカに飛び込んできた自分がつまずいたり困ったりするのは自業自得だ.が,日本での立場を捨てて付いて来てくれた妻や,アメリカ社会で育ち独り立ちしていかなければならない娘に対し,それぞれが将来困った状況に陥らないように道筋をつけてあげることは,言いだしっぺの私にとって失敗の許されない責任である.

親族もお金も宗教もない外国人/移民が格差社会アメリカで生きていけるように,とはどういうことか.終身雇用の無いアメリカで生きていく第一の策としては,専門性を磨き活かせるように妻を導いていくこと,そして高いレベルの高等教育を受けられる状況に子供を導いていくことであろう.

妻は4年前に新体操指導者として体操スクールに採用され,その後,英語で苦労しながらもナショナル審判の資格を取ったりキャンプに参加したりして,今やアメリカ新体操界で唯一のアジア系ナショナル指導者として一目置かれるようにまでなった.

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地元ジョージアでは,新体操の本場ロシア系の気合いの入った親達が,ロシア系クラブではなく妻を頼り,子供達の指導を懇願してくるようにまでになった.日本人の親が子供の柔道指導を日本人指導者からアメリカ人指導者に乗り換えるような,オドロキの逆転状況である.

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異国の地で暮らしながら,本場の目の肥えた人達から信頼され,必要とされること.私が研究という分野で享受できるようになったことを,妻はスポーツという分野で達成してしまったのである.

そればかりか,さらには研究者の私を超えてしまった.

それが,新体操指導の会社(Shinohara Academy)の起業である.日本から来た在外研究者「自身」のアメリカ起業はそれなりにあるかもしれないが,日本から来た在外研究者「妻」のアメリカ起業は快挙だろう.会社登記を終えて喜ぶ歴史的瞬間がまぶしい(写真).これから10年かけてトップ選手を育てていくという.

NamieCompany

一方,アメリカで独り立ちすべき娘に関しては,高等教育に結び付けていかなければならない.アメリカのハイレベル大学での入学選考では,学業成績は「足切り」に過ぎず,学業以外の活動(スポーツや芸術)で卓越し,強いリーダーシップを持ち,その一方で社会にも貢献するという総合性を有し,それらが目に見える形で認められていることが重要となる.

幸運にも娘はスポーツ(新体操)でナショナルメンバーに選ばれたり,今年前半には全米優等生協会メンバーに選ばれたりしながら(写真),今のところは好ましい方向に向かってくれている.

ElenaNationalHonorSociety
 

研究者という職業柄,四六時中研究のことばかりを考えてしまいがちだが,ここ数年,妻と娘にこれらの道筋を作ることを優先し,意識して切り替えて行動してきた甲斐があった.

子どものスポーツ活動に関しては,練習を見にいく,疲れた心身をいたわる,試合に応援に行く,という日常的サポートに加え,国籍を変えるという非日常的サポートもあった.妻のスポーツ指導に関しては,専門指導以外の雑事(外部との英語連絡,出張準備,カスタマーサポートなど)をすべて引き受けたりしている.

SalutBack


これらを優先するため,今は研究に費やせる時間が少し限られてしまうが,この道筋作りもあと数年で落ち着くだろう.

長い目で見て,アメリカに来た研究者の家族「それぞれが」そこそこハッピーに暮らしていける一例になっていければ,とも思っている.


shinojpn at 19:18|PermalinkComments(0) プロフ生活 

July 04, 2015

娘はアメリカナショナルメンバー,妻はナショナルコーチに

私の研究上の興味(一般にワガママと読まれる)に付きあわされてアメリカで暮らしている妻と娘.住む場所=所属活動する社会について自由の利かない状況にしてしまっている立場上,二人のアメリカでの成長と成功があって初めて,自分の研究上の興味(=○○○○)を気兼ねなく追い求ることができる(参:研妻キャリア).

娘が新体操でアメリカ代表ナショナルメンバーを目指せるように,と,アメリカ市民権を取得し日本国籍を捨てた親バカ全開の父親(参:国籍取得 1/3, 2/3, 3/3).英語に不自由な妻でもアメリカ新体操界で滞りなく指導に専念できるように,と妻専属マネージャーとしてサポートに徹する夫.

アメリカ移住15年目にして,この大切な二人の確かなる成長と成功が,刺激的に現れ,刻まれることとなった.

6月上旬の新体操全米予選で娘は本来の力を出し切れず,19位と低迷.2週間後に迫る全米決勝で,上位8名のみがナショナルメンバーに入る.絶望的な順位である.

その後の2週間,妻と娘は,コーチと選手になったり,母親と娘になったりと,単純ではない関係を行ったり来たり混ぜこぜになったりしながら,夢と絶望の狭間を綱渡りしていた.二人の願いは,持っている力を出し切れる状況に持っていくこと.

私が決めた自分の役割.それは,第三者として見守ること(あの「巨人の星」の明子のように).

第三者として,コーチと選手それぞれの話に耳を傾け,妻と娘それぞれの話に耳を傾ける.ハイレベルでのスポーツパフォーマンスを追及し,ギリギリのところで頑張っている二人.それぞれが,それぞれなりの感じ方で,時には思い通りにいかない苦しみや不安に苛まれながら,向上へのエネルギーの行き先をさまよわせている.

第三者として,コーチと選手が,妻と娘が,確固たる信念で前に向かっていけるように願うしかない.

Focus(一つに集中).アメリカに来て,耳にタコができるほど何度も聞いた言葉.いつもの大会ウォームアップでは娘に直接アドバイスする私だが,全米決勝当日は選手がメインコーチ一人に集中するよう,第三者になった私のアドバイスは,メインコーチ(妻)の耳に向かってのみささやかれる.

誰もが緊張する全米決勝の本番.選手は,これまでに見せたことの無い集中力を二日間に渡って発揮し,我々二人を驚かせ,おののかせ,喜ばせた.結果,娘はトップ8に入賞してアメリカナショナルチームメンバーに,妻はアメリカナショナルコーチに,それぞれの頑張りで輝かしい立場を獲得した.

NationalMember 

スポーツや芸術での活躍が高く評価されるアメリカの大学入学システムにおいて,ナショナルチームメンバー入りは,スポーツの世界以外でも(以上に?)娘の将来に大きくプラスになる.ナショナルコーチとなった妻も,周りのコーチ達から賞賛と尊敬のまなざしで挨拶され,微笑んでいる.

二人とも,羨ましいほどの成長と成功だ.

私も頑張らないと.
NationalFamily

この報告を,アメリカ人になって最初の独立記念日にできるとは,感慨深い.


shinojpn at 23:12|PermalinkComments(1)

June 13, 2015

名前の英語表記を裁判所で修正

親が夢を託して付けた子供の名前が,思いがけず,強制的に変えられてしまうことがある.
 
15年前,娘のパスポートを日本で申請した時,英語表記はヘボン式ローマ字しか許されなかった.

我々が付けた「エレナ」という娘の名前は,ローマ字つづりで「Erena」にされてしまい,生後5ヶ月でアメリカに来てみると,「エリーナ」と呼ばれてしまう.

これじゃあ,別の人みたいだ.

「音から入ろう」と何日もかけて決めた娘の名前が,あっという間に否定されてしまった.

家の中や日本人社会ではエレナと呼ばれ,アメリカ社会ではエリーナと呼ばれていたら,アイデンティティの確立にもよろしくない.なので,ビザや保険証などの最重要書類以外は,この十数年,(非公式だが)Elenaで通してきた.

そして今,アメリカ国籍取得により正式にアメリカ人の仲間入りしたのを契機に,アメリカ社会での発音に合う英語表記に直すことにした.

手続きはそれほど難しくない.

必要書類をカウンティのウェブサイトからダウンロード.基本情報と氏名変更理由を入力して印刷し,夫婦の公式署名をした後,申請料$200と新聞掲載料$50を添えて裁判所に提出.「名前変更に異議がある人は連絡するように」というお知らせを地元新聞に2週間掲載するらしい.

待つこと3ヵ月, 2週間後にヒアリングに来るように,との手紙が裁判所から届く.

Court

ヒアリング当日,ハリウッド映画で目にするような裁判所の証言席に立つ.

何も悪いことをしていないはずなのに,その席に立つだけで胸が高鳴る.

「右手を挙げて」と促されたまま氏名を名乗り,嘘の発言をしないことを誓う.

(こういう時,何でいつも右手なんだろう?)

少しずつ冷静になってくる.

名前変更希望の理由を説明すると,裁判官やアシスタント達の顔が柔らかくなってくる.

直後に離婚調停を控えた彼らとしては,わが子を思う案件は,心温まるヒアリングなのだろう.

「You are not xxxxxxxxx?」

年配の裁判官の南部なまりは聞き取りにくく,何をたずねてきているのかわかりにい.Notという単語を耳にして,なにか間違いでもしでかしたかと,気が気でない.

きょとんとした顔を見せて,もう一度質問を促す.
 
「悪用のために名前変更する,ということではないですよね?」

と言っているらしい.

「Oh, no.」

と微笑み返し,にこやかにヒアリングは終了.

傍聴席に戻ってから5分ほど後,名前変更の裁判所命令書2枚が,重々しく手渡された.
 
あれから15年,我々が心を込めて名づけた名前=エレナ(Elena)を正式に取り戻した瞬間であった.

CourtOrder

 


shinojpn at 11:14|PermalinkComments(0) プロフ生活 

February 09, 2015

可能性は子供に与え,大人からは奪え(国籍取得3/3)

アメリカ国籍/市民権取得の経緯にまつわる三部作の最後である.第一部(アメリカ国籍を取得―夢と希望のため)において,娘が新体操でアメリカのナショナルメンバーを目指せるように「夢と希望」を与えることが,最大の目的であることを記した.何とめでたい親バカだろう,と呆れられたかもしれない.

その通り,私は胸を張って親バカになりきっている.子育てにおいて,実現性(probability)の高低を示して無難な成長にまとめさせようとする親ではなく,最大限の可能性(possibility)を与え示し,それに向かって努力する姿勢を育み,その過程で何かを達成する楽しさを味わってもらいたいと思っているからだ.

ナショナルメンバーを目指せるように,というのは目の前の制限を外したに過ぎず,それはオリンピック出場,そしてオリンピックでの優勝を目指せるように,という究極の可能性に及ぶ話である.たとえ実現性(probability)が限りなく低くても,「ゼロでは無い可能性(possibility)」に対してポジティブ妄想に浸ることさえできれば,夢が膨らみ,興奮し,やる気が出て,がむしゃらに努力することができるでかもしれない.こういう可能性由来のポジティブ妄想過程を強く繰り返すことによって,子供は大きく成長しやすくなるのではないだろうか.それを求めるからこそ,親バカになりきってポジティブ妄想の場を限りなく膨らませ,引き立ててあげている.

ナショナルメンバー「程度」を目指すなら,取り組む練習内容は全国レベル「程度」に留まってしまう.それでは,うまくいかなければナショナルメンバーに「さえ」なれないだろう.一方,大風呂敷にオリンピック優勝「まで」目指してしまえば,取り組む練習内容は世界レベル「まで」たどりつく.こうしておけば,たとえ思い通りにいかなくてもナショナルメンバー「程度」にはなれるかもしれない.限りなく高いレベルでの可能性を与えておけば,実現レベルでそれなりに高いものが得られるだろう,という算段である.

「目指せ日本一!」という標語をよく見かけるが,これを「目指せ世界一!」とした方が,ポジティブ妄想効果で,日本一がより近くなるのでは,という発想である.

そういう意味で,まだ出来上がっていない,一つの目標に向かって一途に取り組める子供時代には,高いレベルに向かう(変化の)可能性を与え,それに意識を向けさせてあげることが,成長や向上への大切な刺激だと思う.

一方で,「そこそこ」出来上がって,中途半端に色々な物を持って欲張りになってしまった大人にとって,可能性というのは大きな曲者になりかねない.「変化の」可能性ではなく「変化しない」可能性に対する執着が,ネガティブ妄想を引き起こしてしまいがちだからだ.

「このままいれば…(今持っている物を失わなくてすむ)」という「変化しない」ことへの可能性をもっていると,「これから何かを変えたら…(今持っている物を失ってしまうかもしれない)」という,マイナス面への意識がクローズアップされたネガティブ妄想に陥ってしまい,身動きがとれなくなってしまいがちなのだ.

たとえば,「このままここにいれば,それなりに安定したポジションで研究を続けられる」という変化しない可能性.

これに対し,「海外に行ってより研究能力を高めることができれば,よりレベルの高い楽しい研究ができるようになるかもしれない」という変化の可能性へのポジティブ妄想.

そして,「もし海外に行って研究能力を高めることができなかったら,安定したポジションで研究を続けられることができなくなるかもしれない」というネガティブ妄想.

そこそこの物を持ってしまった大人が陥りがちなネガティブ妄想であるが,そもそも,本当にそんな物が欲しかったのだろうか.(研究者としての)子供時代,何を求めていたのだろうか.一度だけの人生,どのような状況で研究を楽しみたいのだろうか.

「得る物あれば失う物あり」
である.これを逆手に考えてみる.
「得たい物があれば,持っている物を失ってしまえ」

少しばかりの物を持ってしまった私は,そうやって(変化しない)可能性という曲者を退治してネガティブ妄想の余地をなくし,自らを鼓舞していくという作戦を取ってきた.

まず,日本の大学助手(期限なし)という好ポジションを捨て,戻れる可能性のある職場を自ら失った.

数年後,日本のベストポジションへのお誘いも断り,日本の職場に帰れる可能性を自ら失った.

その数年後,日本で購入してあった新築マンションを売り払い,帰れる可能性のある家を自ら失った.

ついには,日本国籍という貴重な国籍をさえ捨て,帰れる可能性のある国を自ら失った.

こうして,ポジティブ妄想に浸るしかないように自分を追い込んで,さらに成長していくことを願っている.アメリカ国籍/市民権取得=日本国籍喪失とは,更なる成長を欲する私にとって,こういう流れの中での位置づけであり,一途に目標に向かえる「子供返り」としての手続きだったのである.

そう,さらなる可能性と実現性を高めていくための.


shinojpn at 11:26|PermalinkComments(0) プロフ生活 

October 19, 2014

アメリカ市民権獲得の本当の価値(国籍取得2/3)

「Shino がアメリカ市民権を獲得しました! Welcome to our country! 」
突然のアナウンスにキョトンと顔を上げると,教授会参加者から,温かい笑みと拍手がふくらんできた.

娘がアメリカでスポーツ競技の夢を追い続けられるように,という目的で取得したかったのはアメリカ「国籍」だった.しかし,その過程で書類上正式に使われてきた言葉は,国籍(Nationality)ではなく,市民権(Citizenship)であった.

Nationality(国籍)という言葉が「ある国への帰属」を意味するのに対し, Citizenship(市民権)とは,国籍を有する者の「国民としての権利」を意味する.移民や植民などの歴史を持つアメリカには,国民としての権利=市民権が必ずしも国籍に伴わない,あからさまな差別の時代があった.

その市民権は,人種や宗教,性別などによる差別の撤廃を目指した公民権運動という,すさまじい努力の結果として獲得されてきた.現在でも,基本的人権の不確かな国を逃れ,アメリカで人間らしく生きようと移民してくる人達が沢山いる.そのため,アメリカでは市民権は「与えられるもの」というよりも「獲得するもの」という捉え方になる.

この国で,差別されずに生きる権利を獲得するのだ.

逆に言うと,これまで市民権を持たず,永住権(グリーンカード)で暮らしていた私達は,実は差別されていた,ということになる.脳天気な私はそんなことには無頓着だったが,娘は「アメリカ代表選手決定を伴う決勝大会には参加できない」という差別を受けたのだった.市民権を持たないことによる差別とは,一般的な目に触れることはあまりなく,そういう状況になった時にその当事者だけがわかる,具体的な差別なのである.

そして,差別は,その権利が無いという行動制限自体よりも,差別に直面するという心の衝撃が悲しい.こう書いてきて,今,初めてわかったのだが,外国に暮らしてスポーツ競技を行った結果,娘は,スポーツの夢を終えないという心の痛みのみならず,差別をされたという心の痛みの,二重の痛みを負ってしまったのである.私は,二つ目の痛みについて,今まで気づくことも考えることもなかった.

奇しくも,今回の教授会でファカルティメンバー選考時の注意に話が及んだ.ファカルティの採用候補者を数名選ぶとき,人種や性別が極端に偏ることは避けなければならない,と.このようなあからさまな気遣いは逆差別ではないか,という考え方もあるだろう.一方,あからさまだろうが潜在的だろうが,差別に見えるような社会的ふるまいは,その当事者になった人にしか気づかないところで,夢や希望を失わせるという心の痛みを与えてしまう危険性もあるのだろう.

私と娘が獲得したアメリカ市民権.

行動制限という意味では,代わり映えのしない私の身の周りだが,一つだけ,ひしひしと感じることがある.
 
それは,親近感.

「市民権を取得しました」と周りのアメリカ人に報告すると,「おめでとう.Welcome to our country!」と言って親近感を感じさせてくれる.教授会での笑みや拍手からも,親近感を感じる.この温かな親近感は,本当に相手が与えてくれていて感じているのか,自分が親近感をもって接し始めて勝手に感じているのか,きっとその両方なのかもしれない.

この親近感を肌で感じて考えたのが,親近感の対義語だ.
親近感の対義語,それは疎外感だろう.
 
本当に,この文章を最後まで書いて,今,初めて気が付いた.

アメリカ市民権によって獲得した最も大切なものは,アメリカで暮らす娘が顕在的あるいは潜在的に感じてきたであろう,疎外感という心の痛みからの開放であった.

アメリカで暮らす私と私の家族にって,本当に価値の高いアメリカ市民権なのである. 

関連記事:可能性は子供に与え,大人からは奪え(国籍取得3/3)



shinojpn at 20:19|PermalinkComments(4) プロフ生活 

October 15, 2014

「篠原稔のアメリカ人プロフェッサー生活」へ

このブログ,2005年に始めた頃はコロラド大学で研究員をしており,たしか
篠原稔のアメリカ研究者生活
というタイトルだったような気がする.

2005年4月当時,「アメリカにいる理由」という記事では,日本の大学からの誘いを辞退しながらも,別の形で日本の若者に役立てれば,と,こんなことを書いていた.
若くて希望に満ちている人達に,自分の二の舞を踏んで欲しくはない.若さゆえの好奇心とパワーを活かして,興味ある分野での知的興奮を楽しんで欲しい.そういう気持ちが日に日に強くなってきた.日本にいると「研究はこんなもの」と誤解してリラックスしまう危険性があるが,それは知的財産の損失であろう.日本にいると,国際標準の研究の世界に触れる機会があまりないであろうから,まずはそういう世界を少しでも紹介すれば,自分の向かいたい方向が見えてくるのでは,と思ったのが,このblogの始まりであった.日本に帰って雑事に追われて消耗するよりは,こちらで活き活きして遠隔教育をした方が,別の教育効果があるかもしれない,と.
多くの一般の人達を対象にするのではなく,狭い世界の限られた読者層でもいいから,アメリカで過ごす研究者からの情報を真に利用できる人達を対象に,いわばニッチなブログにしようと書き連ねてきた.

その後,ジョージア工科大学に移ったときには,
篠原稔のアメリカプロフェッサー生活
へとタイトルを変え,アメリカで過ごす(日本人)プロフェッサーの生活という,さらにニッチな世界になっていった.

そして,とうとうアメリカ人になってしまい不思議な世界に入ってしまったからには,再びタイトルを変えるべきであろう.
篠原稔のアメリカ人プロフェッサー生活
か?

漢字の名前なのにアメリカ人というのも奇妙なので
ミノル・シノハラのアメリカ人プロフェッサー生活
という案も考えた.しかも,かなり真剣に.

でもファーストネームが頭にくるのはさらに奇妙なので,少しだけ奇妙なままにしておくことにした.

さて,アメリカ人として過ごすアメリカのプロフェッサー生活は,いったい何が違うのか?

実は,そういうことを考えること自体が,大きく違うのである.

乞うご期待.

shinojpn at 11:22|PermalinkComments(0)

September 23, 2014

アメリカ国籍を取得―夢と希望のため(国籍取得1/3)

48回目の誕生日を数週間後に控えた今日,アメリカ国籍を取得し,アメリカ人になった.

日本は二重国籍を認めていないため,やむなく日本国籍を放棄し,いわゆる日系アメリカ人一世となった.移民の国アメリカでは,Asian Americanとしてくくられる.“日本語が上手なアメリカ人”だ.これで14歳の娘もアメリカ国籍を自動的に取得し,日本人のままの妻にとっては「私の夫はアメリカ人」という国際結婚だ.私が日本で講演をすれば,これからは”外国人講演”となる.

今日の国籍授与式(正式には帰化宣誓式)には67カ国からの移民が出席し,国名が次々と呼ばれて立ち上がっていくさまは,まるでオリンピックの入場式アナウンスのようであった.

「皆さん,アメリカ国籍取得おめでとう!」の瞬間,涙ぐむ人達や抱き合う人達が,あちらこちらで見受けられた.それぞれ,様々な経緯や夢や決心があって,ここまでたどり着いたことを感じさせる.

Naturalization

私がアメリカ国籍を取得した最大の目的は,私の夢追求(一般に“ワガママ”と読む)に引きずられて生後5ヶ月からアメリカで育ってきた娘に,将来への夢や希望を与えるため.

6歳から新体操競技に励んでいる娘は,ナショナルメンバーを正式に競う“ジュニア”の年齢に達した昨年から,アメリカの全国決勝大会には出場できなくなってしまった.予選を勝ち抜いても決勝に進むことが許されなかった娘のやるせない気持ちは,当事者にしかわからない.一方,国籍のある日本で地方大会から勝ち抜くために,出席日数に厳しい学校を何度も休むことはできない.

自分自身の夢を追った結果,成長期の娘から夢を奪っている親が,どんなに惨めなことか.

また,アメリカでは学費が高いので,大学進学には返還不要の奨学金取得が大前提だ.将来はヘルスケア分野で「困っている人を助けたい」と希望している娘にとって,奨学金取得はては進学や就職などにおいて,アメリカ国籍がないと不利になる場合があるかもしれない.

親の夢追及(=ワガママ)のせいでアメリカ文化の中で成長している娘の夢追及から,マイナスの足かせを外すのはその張本人の責任だろう.

USCitizens

と言いつつ,自分自身もアメリカ国籍の恩恵を受ける可能性があるかもしれない.私の分野では,アメリカ人のみを対象したグラントがいくつかある.また,グローバル化への期待が高まっている日本の大学では,将来,外国籍の人を優先的に採用する可能性も高くなるかもしれない.

日本で生まれ育ち,日本の大学と大学院で教育を受け,日本の大学で働いた後にアメリカに渡り,国籍まで変えてしまった大学教員というのは,私の分野ではあまりいないだろう.日本国籍を放棄するというのは複雑な思いだが,そういう変わった立場からの情報や発言も,国籍に関する議論が進むかもしれない将来,いつの日か誰かの何らかの役に立つかもしれない,と願いつつ.

関連記事: アメリカ市民権獲得の本当の価値(国籍取得2/3)
 


shinojpn at 12:06|PermalinkComments(4) プロフ生活