老年学者 澤岡詩野のつれづれblog

「高齢期のゆるやかなつながりづくり」に取り組む楽しむ事が大好きな研究者が、毎日の生活で発見した諸々を綴る・・・

ガラスの「テンジョウ」

自分の目で見て,感じて,五感のどこかに刺さるコトやモノ,ヒトを大事にする.
これは,まだまだキャリアも20年そこそこの未熟な中堅研究者ではある自分が,最初から意識してきた価値観であり,強みと信じてきたこと.

研究者と自覚して歩んできた約20年間で,その場に行き,混ぜてもらい,会いう機会を増やしてきたのは,五感のアンテナを磨く為.
ということで,職場にいない人,面白そうな場を求めてフラフラしている人というキャラクターが定着しつつあり,これをいいことに益々ウロウロ.

そんなスタイルを貫いてきたワタシにとって3年前から始まった子育ては,夜の地域の会合や土日のフィールドワークをNGにする由々しき事態の始まり.
なるべく一緒の時間をつくるという決め事は自分で選択したことではあるけれど,Facebookなどで行きたかった場や会えたはずの人の投稿を眺めてイライラすることも少なくなく….

3歳になって少しは分別もつき,場によっては連れていっても良い?という考えは浮かべど,そのたびに「ムリムリ」と否定.
具体的に無理な原因を分析することなんてしないまま,単にダメと決めつけてきた.

でも,先週の火曜日にその堂々巡りを抜け出す様な,心と頭が一気に開く出来事が.
あれは参加したいと思っていた「eまちサミット~認知症になっても、みんなが元気になるまち~」の告知を改めてFacebookで眺めていた通勤電車.

「託児があったら子連れで行けるのに~」と何気なくした投稿に帰って来たのが,登壇・参加予定の皆さんからの「うちのメンバー(認知症の当事者さん)が子ども好きだから連れておいで~」「僕が見ていたあげるよ!」というコメントの数々.
眺めながら感じたのは感謝と,限界を決めていた,ガラスのテンジョウを決めていたのはジブン?という疑問.

同時に,認知症になっても,身体が大変になっても日常を繰り返すことはできる,その為に周囲が価値観をかえる必要があり,当事者も自分で限界を決めつけない必要があるなんて講演でお話してきた自分が恥ずかしくなったり….
ガラスのテンジョウをつくるのは社会ではあるけれど,自分が限界を決めて動かねばなにも変わらない.

今の状況くらいで限界を決めていたら,歳を重ねるなかで沢山の大変な事にあった時には受け身な自分にしかなれない….
参加したかったeまちサミットで声を挙げる認知症の当事者の皆さん,そこに集まる想いを一緒にする人々の歩みを振り返りつつ,猛反省するワタシ.

いきなり社会は変わらない,ガラスのテンジョウにヒビを入れる事も,一人で閉じこもっていてはできない.
ワタシも,まずは発信してみる,そして一人でもこっちを向いてくれた人と共に1歩でも踏み出そう!と強く決意した1週間でした.
(こういう決意をする時にクイーンはピッタリ,今回のバックグランドミュージックはボヘミアンラプソディ 笑)

「ジシュセイ」を引き出す

若葉マークのオカン業も気が付けば3年目.
空けない朝は無いと自らに言い聞かせ,お熱の子どもを抱っこして過ごした夜を超え,お母さん大好き~という言葉に嬉しくて泣きそうになった朝も超え,長い様で短い様な3年間.

誕生日,七五三,終わっていなかった予防注射3種類などなど,イベント山積みの11月の最後に来たのは保健センターで行われる「3歳児健診」.
保育園で身体測定や歯科検診が定期的にある事もあり,仕事を休んでいかねばならない健診の必要性に疑問を持ちながらも,行かねば虐待を疑われるとかの話もあって,ブツブツ言いながら区役所に.

全く周囲に目をやる余裕のなかった1歳児健診を思い出しつつ,他の3歳児親子の姿や保健師さんやカカリツケ以外の医師との面談から得ることも沢山.
でも一番の得た事は,先日の保育園の歯科健診で発見されなかった前歯の虫歯を見つけて頂いたこと.

子どもの虫歯は進行が速いなんていう話も聞き,帰宅後すぐに近所の小児歯科をリサーチ.
運よく家の近くに評判のよい歯医者さんを発見し,さらに運よく当日の午後に診ても良いよ~との有難いお言葉を頂きニッコリ.

同時に,健診でさえも泣く3歳児の治療の光景を想像し,親と助手の皆さん総出で羽交い絞めか~とため息.
同じ様に歯医者に戦々恐々,横でため息をつく3歳児と共にトボトボと歯医者に向かう我々親子.

行ってみてビックリしたのが私の記憶にある羽交い絞めで無理やり治療の小児歯科とは全く違う光景.
椅子に座れるかな~から始まり,椅子の上にゴロン,口の中に器具をいれるなど,全部,本人が納得できるまで説明し,褒め,3歳児は終始にこやか.

30分後に歯医者さんが「こうやって少しづつ自分で治療を受けさせる様に向けていきましょう,治療まで時間はかかりますが」.
続けて「羽交い絞めで治療してしまうこともできますが,この子のその後を考えると始めの時が大事ですよ,どうしますか?」とのお話.

「こまめに通うのは仕事があるので…」と言いかけて思い出したのは,シニアのボランティアを支えるオランダやイギリスのコーディネーターのこと.
丁寧に話を聞き,その人のやりたい,できるを引き出し,活動する内容を決め,活動を始めてからも定期的にその人の困りごとを聞きだしたり,身体の状況に応じた違う活動を紹介したり.

長い目でみると本人の気持ちを前に向かせる,「ジシュセイ」がなければその先に続かない,受け身で文句だけを言う存在になってしまう.
3歳児が歯を治療する自分にとっての意味を理解していく,「ジシュセイ」を支えるカカリツケ医に出会えたことに感謝の土曜日.

同時に,地域のカカリツケ医って,その人の健康への向き合い方を長い視点で促していくコーディネーターみたいだな~と.
今はまだ自分で座って,痛がりながらも歯の治療を受ける3歳児の姿は想像できないけれど,「ジシュセイ」を引き出すやり方を勉強させて頂こうかな~と.


「プチッ」の繰り返し

3年前に子どもが生まれ,5か月後に仕事に復職する際に決めた事が二つ.
一つが先日のblogに書かせて頂いたことでもあるけれど,40を過ぎてから子どもを産んだ責任として,とりあえず子どもが20歳を超えるまでは死なないし,大きな病気もせずに,一生の仕事と決めた道を愉しみつつ全うすること.

もう一つが,これまでは公私の区別もなく楽しみまくっていたオシゴトよりも子どもとの時間を可能な限り優先(常識的な範囲で)すること.
ということで,裁量労働制ということもあり,終わらない仕事は子どもが寝た後に持ち越すことにして,講演や重要な会議などでない限り,朝の送りは8時半,お迎えは17時半を死守.

ここで新たに出てきたのは,電車一本乗り遅れるとお迎えに間に合わない,朝に発熱で保育園に行けない「=仕事に行けないかもしれない」問題.
余裕をもって出れば,前倒しで仕事をすればなんていう有難い周囲からのアドバイスを頂くものの,そうできるのであればとっくにしているわけで.

今まで極端な話,無尽蔵に仕事につかえた時間が半分以下になったなかで,余裕をもってなんて言われると「プチッ」.
「仕事をセーブして,選んで」なんて言われると,「簡単に言うよね,言うのは楽だよね」とまたまた「プチッ」と何かがキレる音が体中を響く毎日.

そんな「プチッ,プチッ」に加え,電車やバスが遅れたり,やっとの思いで出席した夕方の会議があまり意味のない議論で長引いたり.
さらには,移動の合間で仕事をしょうと拡げたパソコンが無線につながらず,使わないままのノートパソコンと買い物袋と保育園の荷物と,抱っこをねだる3歳を抱えながら,またまた「プチッ」と何かがキレる音が.

そんな日に限って使おうと思っていたナメコともやし(機嫌が悪い時にも3歳児が食べるアイテム)が冷蔵庫で元気なくしなびていたり.
誰にぶつけるでもない怒りに,またまた「プチッ」(( ;∀;)).

そうなのである,子どもが生まれる前と生まれた後の生活で一番の違いは大きなストレス源ではなく,電車が送れる,ネットがつながらない程度の小さなストレス源が増えたこと.
配偶者との死別の様に大きなストレス源ではあっても非日常的なものより,小さくても日常的に繰り返されるストレス源の方が心と体を蝕んでいくなんていう社会心理学の研究を思い出し,美人じゃなくても早死にするのか…と一人悶々.

ため息ついでに考えたのは,子育て経験をもつ割合の高い今のシニア女性達が長寿な理由.
もしかしたら,中年時代の同居率の高さからもお姑さんというストレス源を抱える人も少なくなかったわけで,こんなプチストレスにさらされて何十年も生活したにも関わらず,男性よりも長寿なのはなぜ?

遺伝子的に男性よりもストレスに強いのか,ストレスを感じないようにできているのか?
それとも後天的なもので,子どもを守る為の生存本能から,答えを求めないお喋りなどというストレスを和らげる何かを生きる知恵として身に付けてきたのか?

「プチッ」の繰り返しについて,老年学的にも面白い?などと考えはじめたらなんだか楽しくなってきたワタシ.
明日から,そんな視点でもシニア男女の皆さまを研究させて頂こうとニヤニヤするワタシでした.

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