老年学者 澤岡詩野のつれづれblog

「高齢期のゆるやかなつながりづくり」に取り組む楽しむ事が大好きな研究者が、毎日の生活で発見した諸々を綴る・・・

求む「ツブヤク」場

先生らしくないからか,非常勤講師先で講義とは別の処で学生さんに声をかけて頂くことが少なくない.
聴こえてくるのは講義への質問や苦情といったことではなく,どちらかというと想いや言葉にできないなにか.

ワタシに答えを求めているというよりは,ちょっとは理解してくれそうな,周囲の誰かにそれを話される危険の少ない第三者への呟きという感じ.
誰かの話を聞くのはキライじゃないし,生まれてから今に至るまで本当に大事なことは言葉にできないままできている迷い人な分だけ呟きに共感することは得意.

コロナでオンライン授業になってからは減ってはいるけれど,講義が終わってもなんとなく画面上に残ったままの学生さんがいないわけではなかったり.
パソコンを前に寝ちゃったままなんじゃないかとも思いながら「質問?」と声をかけると,「ちょっといいですか?」と想いや葛藤をポツリ.

聞きながら,例えば建築学科にいたけれど馴染めず,建築好きな周囲と同じにならないとと頑張り過ぎて体重が20キロぐらい落ちた事や,居場所がみつからずにバイトに全集中していたことなんかを話してみたり.
でもね,そんな経験があったから強いつながりや決められた集団に馴染めない人がもとめる「ゆるやかさ」や,家や学校・職場以外の「第三の居場所」に目がいくようになったりで,無駄なことはなかったこともお伝えしたり.

そんなやりとりがあった後で,ちょっとだけ気持ちが晴れた表情をして画面から消えていく学生さんを見送り,「こんなんでよかったのか」と自問自答の繰り返しなのだけど….
おそらくなにかの答えを求めていたわけではなく,なにを求めているのかも言葉にできないなかで欲しかったのは共感なのかな…なんて思ってみたり.

そうねのよね,シニアのサロンなんかもそうなのだけど帰り際のなにげない立ち話,なんとなしなお喋りが大事.
そんななかでのふとした呟きに「そうなのよね~」「私も!」のゆるっとした共感がなんともいえない安心感につながったりなわけで.

1年以上も続くコロナ禍で失ったものはたくさん,でも老いも若きも多くの人が共通して失くしたままなのは雑談.
会議なんかの決められたことをやるのにオンラインは適している,でも「ツブヤク」場とはなかなかなりえない.

言いかえれば,多くの人が雑談や「ツブヤク」場の意味を改めて感じつつあるコロナ禍.
まだ続きそうな毎日だからこそ,意識して「ツブヤク」場を創り出すことが求められているのかな…なんて1週間を振り返る雨の土曜日.

頑張るほどに「ヌケオチル」

前回も触れたのだけれど,今回も地元有志が絶賛開催中のワクチン接種予約相談会のお話.
またかよ…と思われた方も,ワクチン接種は抜きにしても意味のあるお話なので最期まで読んで頂きたい.

これまでも困りごとを抱えている人はそこかしこにいて,それをいかに支えるかというのは地域だけではなく社会全体の大きな課題だった.
ワクチン接種の予約ができない高齢の方々を巡る問題は,この大きな課題をギュッと凝縮してみせた感じ.

ということで,一番にみえてきたのが,ひとり暮らしかそうでないか,子どもがいるかいないかに限らずに助けてもらえる人のいない高齢者の存在.
インターネット予約だけではなく,日々変わる情報に自分で電話予約もできない状態に陥った人も少なくない.

そんな状況のなかで相談会に現れたのは,家族ではない誰か,同年代のご近所さんが連れてきてくれたという人や,普段からウォーキングで通り過ぎる掲示板(相談会のチラシも掲示版に貼っていた)に目をむけていた人など,自分なりにゆるやかな地域とのつながりを持ってきた人.
そうだよね,例えば災害時に自分で逃げることができなくても,近所と顔見知りだったり,地域の情報に普段からアンテナを張っている人であれば,なにか道がみえてくるわけで.

なんて一人頷きつついたなかで出会ったのが,熱意溢れる民生委員さんがやっと口説いて連れてきたかなり年齢の高めの男子.
「いいんだよ,予約なんて」と大きな声で怒鳴るように話した後は,予約とれそうな近隣の医院を紹介するワタシの声にもほんとど返事無し.

よく観察してみれば耳がかなり遠いい様子で,連れてきて下さった民生委員さんとも意思疎通にかなり時間がかかる.
でも少しお話をしてみて気付いたのは,予約に後ろ向きなのは会話が成り立っていないという簡単な理由ではないこと.

ただでさえ複雑な仕組み,テレビを見ても音を拾うのは大変,ネットを使わないので視覚から入ってくる情報は僅かなので,よくわからないまま数かげる.
誰かに聞こうにもひとり暮らし,意思疎通が難しいこともあって近くに知り合いはいない,なにより一つ会話を成り立たせるのにも時間も負担感もたくさん….

そりゃね,理解することだけじゃなくて,そもそものワクチン接種に対してもあきらめにも似た気持ちになるよね….
と,心で頷きながら,この方は熱意溢れる民生委員がいたからどうにかなったし,災害時も民生委員さんが無事な限りはなんらかの手は差し伸べられるはず.

でもね,そんなお節介な人が周りにいない高齢者も少なくなく,介護や医療のサービスを使っていなければ地域や社会のなかから「ヌケオチル」人になってしまうかもしれない.
耳の聴こえが悪くて歩くのが大変でも,それでも頑張って自分なりの生活を続けていることって凄いはずなのに「ヌケオチル」ってどうなのだろう….

なんて,派手に展開するSDGsキャンペーンのテレビなんかをみながらボヤキが止まらない夕べ.
あ~またまた大学の非常勤講師先でワカモノに伝えたいことが増えてしまった…,シラバス無視の講師でごめんなさい…(( ;∀;))

使うと「カツヨウ」の違い

この2週間,地元の有志でやっているワクチン予約の相談会を少しだけお手伝いさせて頂いている.
要領のよい方ではないのに頂くお仕事は大歓迎なのが災いし,実はかなりパンパンなスケジュールの中でのお手伝いに「直接かかかわりのない高齢者のために偉いね~」とおほめの言葉を頂くことも少なくない.

自分も地元の誰かが困っている姿が気になっていた,そこに大好きな知り合いが反対意見をものともせずに相談会をやるというのであれば応援するしかない.
崇高なミッションとかではなく,単に自分が思っていたことをやろうとする誰かが近くにいたからこれ幸いと乗っかっただけ.

おまけにワタシの場合は,地域とか高齢期の生活を知ることがお仕事であり,リアルな現場に潜入調査ができるのであれば一石二鳥どころの話ではないわけで.
とはいえ,ワタシにできるのは,ひたすらに相談に来られた方のお話に耳を傾け,時には穴だらけの予約システムに一緒に怒り,「あなただけじゃないです」と頷くことくらい.

そんな日々のなかで心をえぐられる様な痛みが走ったのが,ずっと健康も経済的にもギリギリのところで一人で頑張って生活してきた後期高齢期にあるAさんの言葉.
「今までなるべく人様のお世話にならない様に頑張って来た,でもねインターネットで予約して下さいとか言われると,使えない私は生きてちゃいけないって言われているように感じるの」

今までオンライン「でも」つながることができれば,人生はより豊かになります的なことを熱く発信してきたワタシにとっては何と言ってよいのか….
もしかしたら,知らないうちに講演の場なんかで,知らない誰かの生きる糧ともなっているプライドを踏みにじる様なことを言っていたのかもしれない….

凄い衝撃からしばらく立ち直れなかった数日を経て,改めて感じたのは,オンラインごりおしの世の中だからこそ,「でも」であって使わない選択肢もあること,適さない場面もあることを強調しなければいけないというワタシに課せられたミッション.
この方が使えない事は卑下することではないわけで,むしろ,相談会にきて使える人とつながることで「カツヨウ」できていることが凄い生きるチカラ!

使えることと「カツヨウ」できることは全く違うし,「カツヨウ」とは自分が使えることを必ずしも前提にしていない.
そんな当たり前のことを改めて教えて頂いた相談会,すてきな生き方を教えてくださったAさんに心から感謝した1週間,ありがとうございました!
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