74604702_266127760934483_2032437468598370304_n明日を一日お休みにすることにして

月曜がお休みではない
ことに少し慣れてきたかな

今日は明日何の心配もなく
ただただ休むことができるための準備をした

大した準備ではないけれど
そういう意識を持って今日を過ごす

昨日のチャリティビーチヨガには
ほんとうにほんとうに思いがけずたくさんのLOVEyogiが
集ってくれて(じゅんちゃん素晴らしいぃぃぃぃ)
それはもうHAPPYだったな

10人以上のガイドは初めてで
そのことで緊張はしなかったけれど

いつものわたしの癖というか性質がやはりにょきによきと顔をだし
少し内側のどこかを難くした


それもあって話そうと思っていたことの半分も言葉にできず

でも結果そのくらいでちょうどよかったのかもしれない

実際言葉が多すぎれば
それぞれが感じるスペース 余白を
その言葉が埋めてしまうこともあるだろう



とにかく呼吸にフォーカスしたくて

繊細に丁寧に意識を持って
息を吸って
息を吐く

呼吸を深めるのはヨガには必要不可欠だし
呼吸に意識を向けるのだっていつものことだし
それでも
海という
いつもと違う自然真っ只中だし
いつもよりさらに
意識を深めたくて
また新しい領域を感じられたら


自然の恵みでもある息を
感謝で吸い
カラダ中の37兆の細胞たちに
隅々までにその感謝と息を行き渡らせるように
その感謝を愛を持って大切に自然に還す


呼吸をすることで感謝と愛を内側と外側と循環させて
そのふたつのはざまを揺れながら脈動しながら
境界線が滲み
だんだんと溶け合っていく感覚を味わう

今の自分のバランスのなか
いちばん気持ちよいところに委ねくつろぐ

その気持ちよいところはふたつのもののちょうど真ん中でなくてよくて
、、、、、、、

みたいなみたいな

ことを
ガイドしたかったのです



それで
昨日みんなとシェアすることが叶わなかったから
アトリエで今日ひとりやってみました

selfガイド


、、、、、、、、、、、、

いままでの
わたしの言葉たちは
文字通り放っていただけだった

内側からの言葉ではなかった

いや
内側を通過していった言葉たち

わたしのなかに留まってはいなかった
浸みたものではなかったことを知って愕然とした
新しい月の夜

やっぱり本気じゃなかったんだな

いつ本気出すんだろ
といつもいつも自分に問うていたのに
その問いも本気じゃなかったんだな




こんなことも何回も何回も言葉にしてきましたが

今日
ひとつ
本気出せました
本当の気持ち
本当の意識
本当の呼吸


こんなにも簡単でシンプルなことなのに
なのにです
永く永く繰り返してようやく気付いて知るのですね


ありがとうございます
気付きに感謝






以下

按摩師のつぶやき

からの引用です
すこしだけほんの少しかもしれないけれど
ひらきました

↓↓↓



OSHOはこう言います。


息それ自体はプラーナではない。
プラーナとは、中へ入ることと外へ出ることという、
その両極性によって顕れる生命エネルギーのことだ。
息を吸い込むエネルギーがプラーナであって、息そのものはプラーナではない。
息を吸い込むエネルギー、息を吸い息を吐いているそのエネルギーこそプラーナなのだ。

そして、仏陀の呼吸法「安般守意(アナパーナ・サティ・ヨーガ)」に言及します。


アナパーナ・サティ・ヨーガという仏教の瞑想法はこのこととかかわりがある。
この瞑想法は、自分の入息と出息に対してただ観照者でいなさいと教える。
ただ観照者でいてごらん。

上記は「瞑想…祝祭の芸術」[第十七章/七つの身体におけるプラーナの顕現]からの引用ですが、
[第十八章/伝統的な技法]ではアナパーナ・サティ・ヨーガの技法を詳しく解説しています。


仏陀は、同時に二つのことを実現する手段として、息を用いた。
ひとつめは醒めた意識を生み出すこと。
いまひとつは、その意識を体の細胞そのものにまで浸透させるということだ。
仏陀はこう言った、
「呼吸を意識しなさい。」

これは、調息(プラーナヤーマ)(ヨーガの呼吸法)をやれということではない。
それはただ、息を変えることなく、その息を覚醒の対象にしなさいということだ。

息を変える必要はない。
あるがままに自然にしておきなさい。
息を変えたりしないこと。
ただし、入息のとき、その息を意識しなさい。
あなたの意識を入息に合わせてゆきなさい。
そして、出息のときは、あなたの意識もそれにつれて外に移してごらん。

息とともに動きなさい。
息に合わせて注意しなさい。
息といっしょに流れるがいい。
ただのひと息でも忘れてはいけない。