前項にて、現実への対処には、思索及びその土台に当たる理想が不可欠であることを述べたが、ここでは、「思索は現実に対処するために存在している」ということを明示しておきたい。つまり、「考えるために考える」のではなく、「行動のために考える」のだということを忘れてはならないのだ。
現実的対処を損なった理想は、もはや「妄念」「妄想」に変化している。
そして、ここが左派的な態度の幼児性、いかがわしさ、覚悟のなさの一因であろう。
現実を見極め、それに応対する形での理念を掲げ、そこから行動を導きだす、書いてしまえば「当たり前」のようであるが、これの実践が容易でないことは、経験的に明らかなことでもある。
現実的対処を損なった理想は、もはや「妄念」「妄想」に変化している。
そして、ここが左派的な態度の幼児性、いかがわしさ、覚悟のなさの一因であろう。
現実を見極め、それに応対する形での理念を掲げ、そこから行動を導きだす、書いてしまえば「当たり前」のようであるが、これの実践が容易でないことは、経験的に明らかなことでもある。
