今回は一点について考えてみたい。

「似非弱者」に対する態度についてである。


例えば「生活保護受給者」。
この多く、絶望的な見方によれば、この過半数までもが「似非」と指摘されている。
つまり、相当に以前から「生活保護受給者」の少なくない割合が、「生活保護受給を余儀無くされている圧倒的な弱者ではない」と指摘されて、それが国民にも認識されている訳だ。

「パチンコに入り浸る生活保護受給者」
「日がな一日酒浸りの生活保護受給者」
「暴力団に所属する生活保護受給者」
「本来であれば扶養義務を負うべき家族が居るにもかかわらず、偽装世帯分離や偽装離婚を用いて生活保護を食む生活保護受給者とその家族」
「自分に合う、或いは実入りの良い仕事が見つからぬと居直り、不労の上に怠惰を決め込む生活保護受給者」
「仕事の時間になると”鬱になる”などと主張して、精神科医師の利益との合致までも見越して自らを意図的に”精神疾患者の弱者様”に位置づける生活保護受給者」


我々は、こうした「似非弱者」「似非生活保護者」を、「弱者枠」から、そして「生活保護対象」から徹底排斥せよと常々主張している。

ところがこの主張を曲解、或いは意図的に歪め、「生活保護制度を無くせば困る人が居る」だのと見当違いな批判を行う者が後を絶たない。
「生活保護」という制度の内容や方法にはまだまだ議論が必要であるとは考えるが、知的労働、肉体労働、複雑労働、単純労働の何れも完全に就労不能と判断されるような後天的疾患・先天性疾患、或いは社会生活における基礎能力の完全欠落といった悪条件、特にそれらが複合した「稀に見る不幸」、「稀に見る生活保護適用が不可避の」そういった例における生活保護支給について、我々が異を唱えた事など皆無である。

「似非弱者」「似非生活保護者」を、「弱者枠」から、そして「生活保護受給対象」から排斥しなければならない理由は幾つもある。
一つに「勤勉」「勤倹」「努力」といった美徳が、この制度の際限なき悪用によって完全に喪失するという決定的で必然の現象。
一つに「財政的」な問題。かの大阪を見れば解る通り、既に「生活保護適用者」「弱者」の概念拡大によって、地方どころか国家の財政までが圧迫され、「一億特攻」の悪夢にまで至っている。

そして今回特に強調しておきたい点がある。
「似非弱者」は、「”本当の弱者”の敵」であり、その存在は、「本当の弱者」にとって「百害あって一利なし」であるという点だ。

「似非弱者」が跋扈する程に、国民の蔑視は「本当の弱者」にも向けられる。
「似非弱者」が跋扈する程に、「本当の弱者」に対する行政を中心とした「監視」と「規制」は「本当の弱者」にも向けられる。
「似非弱者」の跋扈による「弱者保護制度」の食い潰しに対する保護内容の圧縮や削減は、「本当の弱者」にも降り掛かる。


つまり「弱者を守る」ならば、「似非弱者の敵」であらねばならず、また「似非弱者を決して許さぬ者」であらねばならないのだ。

そうでない「弱者の味方」など、それこそ「似非」もいいところで、実際のところ彼等は「本当の弱者」にとっては不利益の「敵」でしかない。

翻って、我が国でアジプロを行う「弱者の味方」らの態度はどうか?
彼等が「似非弱者やその存在は、本当の弱者の不利益であり敵である」と指摘したことがあるだろうか?
彼等から「本当の弱者を守るため、似非弱者を炙り出せ」という主張を聞いた事が在るだろうか?

要するに彼等の目的は別の所に在るのであって、彼等は「弱者」の事など考えては居ないのだ。
彼等の真の目的とは、「弱者ビジネス」であり、「似非弱者からの支持取り付け」であり、「弱者を盾にした政治闘争」であり、「一億総弱者化による弱者による”革命”、共産化・社会主義国家の樹立」に他ならない。


共産党や社民党、民主党は元より、公明党が「公営社会福祉の拡充」を叫ぶのも、「弱者ビジネス」や「似非弱者からの支持取り付け」という目的から理解出来よう。

我々は、「本当の弱者」の為にもこれからも主張し続ける。

「似非弱者」「似非生活保護者」を、「弱者枠」から、そして「生活保護受給対象」から徹底排斥せよ