小沢氏記者会見要旨
2010/09/08-20:43 時事通信

民主党の小沢一郎前幹事長が8日、衆院議員会館で行った記者会見の要旨は次の通り。

−円高、経済対策は。日銀とどういう関係を構築するか。
日銀は独立した地位にあるので、政府でいちいち指図するものではない。当面の円高対策としては、市場介入も腹を据えてやるべきではないか。日本一国だけで、各国が円高を容認する中では効果が上がらないのも事実だが、それぐらいの覚悟で金融当局にやってもらえたらいい。
財政の出動は当面、予備費で計上した分だけだが、円高が急速に進むのであれば国内需要もつくっていかなければならない。国債増発をやれと言っているわけではないが、状況次第ではそういうことも念頭に置かざるを得ない事態になるかもしれない。そのときには迅速に判断してやるべきだ。

−首相就任後に永住外国人に地方参政権を付与する法案の成立を図るか。
わたし個人としては、国政参加は国籍のない人に認めるわけにはいかず、地方であれば認める方向でいいと思っているが、議論が分かれているので、さらに議論していく必要がある。

−外国人が党員・サポーターになることを見直す考えは。
党の機関で決めることだ。問題があるとすれば、議論してもらえればいい。

−靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)についての見解は。首相に就任したら参拝するか。
靖国神社は戦争で国のために戦って亡くなった方を祭っているところだ。A級戦犯は戦争そのものの行為で亡くなったわけではない。靖国神社本来の趣旨とは違うので、合祀すべきではない。合祀以前は天皇陛下も、首相以下も参拝していた。合祀以来、政治的な問題が出たが、靖国神社が本来の姿になるように努力したい。本来の姿になれば、首相であろうが誰であろうが、参拝して他国からいろいろ批判される理由は全くない。

−挙党態勢をどう築くか。菅直人首相、鳩山由紀夫前首相をどう処遇するか。
わたしも菅氏も、代表選の結果いかんにかかわらず挙党態勢で今後、力を合わせて国政に当たろうと誓い合い、公言しているので、その原則は守らなければならない。個人的な気持ちとしては、鳩山氏、菅氏の2人には政府の中で重要な役割を担っていただくのが挙党一致になるし、現実的にも良いのではないか。輿石東参院議員会長にも政府の中で大事な役割を担っていただきたい。

−皇位継承について、どういう考えか。皇室典範改正を検討する考えはあるか。
女性が天皇陛下になられても別に不自然ではない。男系の男性に限る必要はないのではないか。改正といっても、どこのことか分からない。

−内閣法制局は廃止するのか。
法律を作る唯一の機関は国会だ。内閣法制局は憲法の番人だとか、すべての法律をオーソライズする場所だという議論があるのは全く理解できない。最終的に憲法に合致しているかどうかを判断するのは国会であり、裁判所だ。内閣に法制局がある必要はない


引用ここまで

確かに目下の日本の停滞と没落は相当なものである。
政治、経済の分野でも明らかであって、日本の前途に暗い影を落としている。
これは明治維新以来、我が国が「人為的・人工的」にこしらえて来た構造が、行き着くところまで来たという結果である。
そしてこの「人工構造」は、内政においても、世界における日本という存在においても断末魔の悲鳴を上げている。
この構造の推進・完成と同時進行してきた国民の意識変化(常識・良識・価値観)は、想像を越えたレベルにまで振り切れている。
既にその意識は、「国民」と呼べる水準にはなく、正に「大衆」「群衆」そのものである。
実のところ、彼等は「左翼的市民」でさえない。
「確信的左翼」によって「国家解体」に向けて先導される「大衆・群衆」に過ぎない。

今では根っこのない「これでは駄目だ」という浮遊した「焦燥」だけが、日本中を薄暗く覆っている。
大衆人が、この原因や経過に思いを馳せることはない。
また内省に向かう事もない。
ひたすら「外的破壊衝動」だけが高まっている。
既に大衆は「ヴァンダリスト(破壊主義者)の群れ」と化している。
この破壊衝動が、適切に稼働したことは、歴史上嘗てない。

大衆は、この彼らにとっては「得体の知れない」焦燥の上に、「八つ当たり」「妬み嫉み」を燃え上がらせて、この「外的破壊」を断行してきた。
ここには「理念」も「思想」も「信条」も存在しない。

閑話休題

そういった「破壊主義者の群れ」が、「小沢一郎」を支持することには、何の矛盾もない。
確かに「小沢一郎」以外に、こういった大衆の「破壊衝動」を満足させるだけの「無秩序、無思考、無道なる破壊」を遂行できる人物は居ない。
何故と言って、小沢一郎には、この「破壊衝動」に対する最後の砦である「倫理・道徳・良識・常識」の全てが欠落しているのだ。
この「無秩序、無思考、無道なる破壊」を委託する人物として、「小沢一郎」程の適任者は居ない。

「小沢一郎」の無道を侮ってはならない。
小沢一郎の強さとは、要するにその「無道」と「法意識の完全なる欠如」である。
「良心」なき無道者に「畏れ」の感情などない。
小沢一郎にとっては、これが「日本国」「皇室」であっても単なる「破壊対象」に過ぎない。

余りの日本の迷走に、「焼け野原待望論」が、右からも左からも出始めている。
経済ならば立て直しは可能であろう。
しかしながら、国の骨格(国体と呼ぼうが、国柄と呼ぼうがよい)の破壊は、立て直しが不可能である。

結局、「皇室」「靖国」が、最後の論点となるのだ。
そして「皇室」「靖国」に対する構えが、「保守と民族派」そして「自由主義者と国家社会主義者」との別である。

保守ならば、「男系護持」で当然、保守ならば見当違いで筋違いの「A級戦犯戦争責任論」などというスケープゴート理論に与しないのが当然である。