大村・愛知県知事が初登庁 「中京都」「減税」を訓示
2011年2月15日13時32分 asahi.com

愛知県知事に大村秀章氏(50)が就任し、15日午前、初登庁した。午後には鳥インフルエンザが発生した同県新城市などを訪れ、感染拡大防止へ陣頭指揮をとる。河村たかし名古屋市長(62)の後押しで誕生した「大村県政」がスタートを切った

午前9時、大村新知事は黒塗りの車で県庁に着いた。紺のスーツ姿。職員から花束を受け取り、左手を上げてガッツポーズした。その後、県庁講堂で幹部職員らにあいさつした。「全国注目の選挙では150万票を超える支持を受けた。選挙中に掲げた236項目の公約は1期4年間で必ず実現する。秋をめどに工程表をつくりたい

協力を求めた政策は、河村氏と掲げる「中京都構想」と「県民税10%減税」だ。「アジアの大都市に勝つため、愛知県と名古屋市を合体して中京都をつくる。盟友である河村市長と、民間や学識経験者を入れて中京独立戦略本部をつくる」「経済振興のために減税10%、規制緩和を実現する」と訴えた。 後略


「今は減税のゆとりない」 退任の愛知知事が苦言
2011.2.14 17:40 産経ニュース

3期12年で退任する愛知県の神田真秋知事が14日記者会見し、後任の大村秀章氏が知事選で掲げた県民税10%減税について「今の県財政に減税できるゆとりはない。不可能ではないが、行政サービスの低下や県債の増発を招かないよう配慮すべきだ」と苦言を呈した。

神田氏は知事選で、減税に反対する対抗馬の自民党支持候補を応援。県議会でも同党が過半数を占めていることから「大村氏は経験豊富。いろいろな人の意見を聞きながら、公約も軌道修正するのではないか」との見通しを示した。


中京都へ「戦略本部」設置 圧勝の河村・大村氏、総選挙は…
2011.2.7 09:42 産経ニュース

出直し名古屋市長選で再選を果たした河村たかし氏、愛知県知事選で初当選した大村秀章氏は6日夜、同市内のホテルで共同記者会見し、市民税・県民税10%恒久減税や中京都創設など「アイチ・ナゴヤ共同マニフェスト(選挙公約)」を実現するために、市・県と民間による「中京独立戦略本部」を近く発足させる方針を明らかにした。

河村氏は、3月13日にも予定されている出直し名古屋市議選について「今回の市長選で明確な民意が示された」と述べ、自ら率いる「減税日本」で定数75の過半数を獲得することに強い自信を示した

また、平成25年4月までの任期途中で衆院解散・総選挙が行われた場合に国政に復帰する可能性について「まず名古屋の『庶民革命』を軌道に乗せなければならない。その先のことはわからない」と語った。


引用ここまで

橋下徹から始まったこの流れについては、ここで立ち止まって真剣に考えなければならない。
この「破壊」が遂行されれば、この国は「解体」される。
「何が駄目なのか」を見定め、その「病巣」の治療に当たることをせず、「駄目だから全部更地にして建築しなおせ」などとは、正気の沙汰ではない。
これは、「癌患者」の「癌病巣」を取り除く事を考えず、「癌患者ごと爆破してしまう」事が「癌治療」と考える「野蛮・粗野・荒廃・転倒・狂気」である。

大衆人を騙す事は、連中にとって容易いことのようだ。

香港、シンガポール辺りのアジアの大都市をライバル・手本に据えて、「規制緩和」「グローバリゼーション」さえ叫んでおけば、「放縦自由主義者」らが、脊髄反射的に涎を垂らして飛びつく。

自らの刹那的な懐具合でしか政治や世間を評価することの出来ぬ大衆人には、「減税」という名の「形を変えたばら撒き」をぶら下げてやればよい。

「解体的見直し」「枠組みの抜本的組替え」などを掲げれば、「変化による進歩」を疑う事の無い大衆人や「進歩主義者」「破壊主義者」「アナーキスト」らが賞賛の声を挙げる。

これらは全て幼稚な「学園祭」水準の熱狂であり、地に足のついた「戦略」には程遠い。

既に日本国民の「感性」は、相当域まで劣化している。
それは特に「言葉」に対する感性に如実である。

「地域主権」
「大阪都」
「中京都」
「アイチ・ナゴヤ共同マニフェスト」
「中京独立戦略本部」
「庶民革命」


このような禍禍しい不気味な言葉に対して、一切の警戒も不審も抱けぬその「劣等な感性」には、一般民衆ならではの素朴な良心の消滅さえ感じさせられる。

「主権」とは一体何か。
「地方に主権を移譲する」とはどういった事態なのか。
「都」の意味するところとは何か。
「大阪都・中京都」とは一体何を意味しているのか。
何ゆえ「アイチ・ナゴヤ」と「カタカナ表記」にされているのか。
「中京独立」とは何事なのか。
本気で国民は「革命」を待望しているのか。

「一度やってみて駄目だったら戻せばよい」
そのような妄想に近い病的な楽観が、今の民主党政権を産んだのではないか。
「破壊」したものが、元通りに戻る筈が無かろう。
付いた「傷」が、跡形も無く「無かった事」になる筈が無いではないか。

「このままでは埒があかない」と苛立ちを募らせる気持ちは十分解る。
しかしながら、それが「デモクラシー」の宿命であり、また場面が違えば「利点」となる部分なのだ。
「苛立ち」と「焦燥」の中、一時の熱狂に吹かれて「とにかくやってみて」「とりあえず壊してみて」巧くいくのであれば何の苦労もない。

彼らの「スローガン」や「政策」の表面を滑ってしまってはならない。
彼らが「国」を重要視していないことは事実である。
「破壊」を旨としている事も明らかである。

「破壊と創造」「革命と市民自治」
これは正真正銘の「極左スローガン」であって、「保守哲学」とは対極にある。
これを支持する者は、全て「極左思想」に感染している。
「保守主義」を標榜する諸氏には、これらの意味が十分認知される筈である。