信州特別支援教育カンファレンス

信州特別支援教育カンファレンスは、障がいのある子どもたちに関わる
教師・保護者が日頃の実践について語り合うカンファレンスです。

実行委員長に聞く11

予め決められたものを。これまた決められた手順で。この方法自体でよいのか。「形」から作ったものは「形」の制限を受ける。それもまたパタンの範疇。それが現代を生きるということであることは百も承知だが、それで本当に教育の話ができるのか。デジタルへのシフト著しい今だからこそ、アナログな対話を。いよいよ明日。どうやら雪らしい。大屋駅前に犬ぞりが待っているぞ(嘘です)!


代表、杉浦も基本的にはいつもそうですがー

ーはい。

いろんなところでお話ししますが、原稿というものは全くないのです。

ーそれって、当たり前みたいに言いますが、結構難しいのでは。

どうなんでしょう。しかし、ある意味では、内容は決まってますよね。特別支援教育って。

ーはあ。

その世界に長くいて、何かしら、こうしたらいいんじゃないかと思うことはあるわけで。ただ、それを話しているだけのことなんですよ。


ーふうむ

この前の研修なんかは、代表とのコラボ。代表が先鋒だったんですが、打ち合わせなんかしてないので、
話そうと思っていた内容が重なっていて笑

ーあら

代表の話を聞いていたら、どんどん話すことがなくなってしまったんですよね。さて、どうするかと。しかし、面白いもんで、代表が話してくださった部分を膨らませたり、実技で補ったり。その場で、どうにかした方がむしろ新鮮で。

ーううぬ

先日も原さんとちょっと顔を合わせたことはお話ししましたがー

ーはい。

そこでも、もうどんどん話が出てきてー

ーそうなんですね。

そもそも、原さんとは、そうですね、もう10年以上前だと思いますが、上田では有名な町中華で、6時間くらい話したことがあって。ほとんど飲まず、食わずで割り勘したら、一人1200円。

ー店大迷惑。

まあ、考えてみるとそういうことを日常的に繰り返してきて、それが少しまとまっただけのものが信州カンファだったのかなと。

ーなるほど。今回は全編Toru’s Bar形式なんですね。

前にもお話ししましたが、何回目かのカンファでやった企画でした。それこそ台本なしで、その場で話をしていく。おしゃべりな杉浦としては最もやりやすい方法ではありますが。

ー今回の内容は代表の一声で決まったとか。

意外に体育会系なんですよ、カンファは。先輩の命令は絶対で笑

ー笑

だから、これまで以上に話がどこにいくかわからない。各時間のテーマは決まってますが、それからどれくらい離れていくか、むしろそこを楽しんでいただけるといいのでは。

ーマニアック

そうかもです。だから来る意味あるというか。

ー笑

今回も「オンラインはないんですか?」というお尋ねもありましたが、正直言えば、やれると思うんですよね、同時配信。代表は言うまでもなくなく、杉浦以外は皆さんそんなの朝飯前ー

ーしかし、やらない。

こういう言い方は何ですが、オンラインで参加するくらいなら、参加しないで「代表はどんな話をしたんだろう」と想像する方が、はるかに勉強になるのではないか。

ーオンラインだと、それこそ会場の雰囲気、参加者の感じ、今回はおそらくスライドさえ出てこないと思うので、いわゆる「情報」は本当に0かもしれませんね。伝わるものが違うでしょう。以前にも、会場に来るのはいいんだけれど、内容を動画で撮って、ぐーぐー居眠りしている人いましたね。一体何をしにきているのかとみんなで笑ってました。

アナログな情報をその場でデジタルに変えて・・・やれやれです。信州カンファに行くなら、その旅費でタブレット買った方がいい、そんなことを言った人もいましたね。呆れるしかない。ここまで話してきたように教育に経済のフォーマットで捉える愚かな思考です。こういう人には永遠に来て欲しくない。

ー今でも、第一回カンファ、あれも2月でしたね。宿泊会場であった、イエロー学校隣の杏泉閣の温泉から見た雪景色が忘れられないと。

そうですか。それらも含めてカンファでしたから。その杏泉閣もコロナを経て、なくなってしまいました。

ー諸行無常・・・

代表が、本田さんが、矢島先生が、一体どんな話をするのか。「勉強になった」また「思ったより面白くなかった」「杉浦はどうしてあんなにいい加減なのか」プラス、マイナスをどちらも含めたその時感じたことが有形無形に「身に付く」。それが学ぶということでは。今回は特にそれを味わっていただきたいですね。

ーはい。

会場には海猫屋さん、太田・うらさんペアのVOCA等製作改造ブースもある。海猫屋さんで買ったおもちゃを隣の製作ブースで即動かなくすることもできる。ドロプロの展示、乙女手芸部の展示やワークショップを体験することもできます。

ーおお

そして今回は代表発案の古本市!

ーなんと!古本を!

カンファメンバーがそれぞれ古本を持ち寄って販売します。この本を読んであの支援、教材を発想したのか等々。そのあたりも想像すると楽しいですよ。「いやー冬の長野、大変だった。もう二度と行かない」が最高の賛辞であることになると思います。

ー笑

どうか、お越しになる方は道中お気をつけて。皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。

(完)




実行委員長に聞く⑩

変化のないモノとそこから生まれるデジタルな世界。生命であることを忘れる日常。そこでは学べば学ぶほど生きることの虚しさを感じる。それが学校の命を奪っているのでは。その解決策としての「焼きいも」とは。いよいよ開催は明後日。みなさん、準備はOK?

学生さんとこんなことをよく話します。考えてみると大学の講義っていう設定も不思議。15回決まった曜日の決まった時間に教室に来る。ある意味機械のような動き。ヒトという生物である以上、毎回気持ちも体調も「同じ」なわけがない。ところが「同じ」として一定回数出席しないと単位が来ない。気持ちも、調子も「同じ」として出席すると「○」と記録される。並んだ○は同じ。本当は1つ1つ「違う」のに。そんなデジタルな動きをして、得た単位が教員免許になるけれど、実際その免許を使ってやるのは一瞬たりとも同じ動きをしない生き物としての子ども達の教育。どう考えてもうまくいくわけないじゃないかと笑

ー確かに。

学ぶことで機械に近づいている。窓から見える木。舞い散る枯葉。1枚1枚の葉がいつ落ちるか、今日、今落ちようと思って落ちてる葉はない。偶然の産物。あの葉っぱと自分たちが同じ生命であることを自覚できているか。学べば学ぶほど、その当たり前から遠くなっていっている。子ども達が学校から逃げるのはそのことを本能的に感じているのでは、と。

ーそれで焼き芋なんですね。

笑 焼き芋を焼いてみれば、自分が生き物であることを簡単に思い出せる。火、燃える木、時間とともにα化する芋の香り、一瞬たりとも「同じ」時間はない。

ー笑

別に焼き芋でなくてもいいですが。ゆらめく暖かい火に当たり、いい匂いのする焼き芋を齧りながら、生き物の話、ヒトとしての教師と子ども達との物語としての特別支援教育、そしてICT活用について話すことができないか。今回の集まりの端緒はそこにあったんです。

ー焼き芋ありき笑

残念ながら焼き芋はできないことになりましたが、そのテイストを基本にしようと思います。なのでー

ーはい。

何も準備をしないで当日を迎えます。

ーえっ?

(つづく)


実行委員長に聞く⑨

機械化し、デジタル化したシステムが排除するものは予測不可能なもの。そう、それはヒトなのではと実行委員長。いよいよ寒ふぁ2日前。もうお腹いっぱい、の声にあえて追撃の追い飯、ならぬ追いインタビュウ第9弾

いろんなことを言ってますが、何もこれは杉浦オリジナルのアイデアではありません。

ーほう。

養老孟司さんの意見ですね。でも学校、教育とテクノロジーの関係とても重なるので非常に興味深い。

ーふうむ

デジタル化が進み、方法も整備され、それをコロナがさらにある意味促進したー

ーはい。

さぞかし子ども達は喜んで学ぶかと思いきや・・・

ーああ、そうか!!!

はい。不登校30万人弱ってすごくないですか。

ー先日、打ち合わせのために上田養護学校にお邪魔して、原さんと短時間話をしたんですがー

ーもうToru's Barが始まっている笑 10分話せば、それはもう寒ふぁですね。
 
原さんの話によれば、文科省報告で30万人弱、一定の日数基準の下での数ですから、それに該当しないものもいれたら、きっと40万人を超えているのではないかと。

ーううむ。

コロナもあって学校での学びの屋台骨が見えてしまった。情報を注ぎ込まれるだけのものと捉えられていることに子ども達が抵抗しているような。子ども達は生き物ですから、基本的には好奇心旺盛で、学びたいはず、賢くなりたいはずなんです。

ーうう

ところが与えられるものが機械を通した情報だけ。言い換えれば機械を通してでも伝わる情報。それも学校でも家にいても得られる。どっちに居ても結果は「同じ」ってことは・・・

ーこれまでの話から考えれば、自身の存在は希薄になる一方ー

だから学校に来なくなる、まあ、そんなことも考えられるわけですね。

ーううむ

それを解決するには〜

ーどうすればいいですかね。

正直、難しいですが。あるといえば、方法はあると思いますね。

ー何ですか

焼き芋です。

ーは???

(つづく)



実行委員長に聞く⑧

テクノロジーが人間に取って代わる、のではなく、人自らが機械になろうとしているのでは。それに拍車をかけたコロナ。その感染拡大が終わっても事態はさらに深刻に。その解決策は?たかが60人の小さな会で何ができるとまた笑われそうだが、そんなことはない。暗闇の中で目指すべき光は?真っ向からの現状否定に逃げるなら今のうち。第8弾。


機械に負けないとか、AIに負けないとか言いますがー

ーはい。

ある意味では、勝てるわけがない。どんなに100Mのメダリストが頑張っても、自動車と走れば負けるわけで。

ーそうですよね。

それを作ったのは人間で、操作しているのも人間ですので。

ーはい。

ところが、デジタルの世界に身を置いているうちに、いつの間にか自らがそれに同化し、無意識に機械と自らを比較して、低く評価し、跪いて、傅いているー

ー自分から縛られにいっている。

自らの感覚を捨て、数値に主導権を与えているわけです。

ーううむ。

そしてそこにー

ーそうか。

グローバリズムの考えで、教育に効率、効果、対価という経済を価値観で見ればー

ー嗚呼

学校からヒトが消えていく

ー南無〜

(つづく)





会場までの道のり②

前回は上田駅1・2番ホームへ転がり降りるところまでご案内しましたね。
その続きです。

1番線ホームからしなの鉄道に乗り込みます。
ここはひとつ、ホームの先頭まで行って、ポールの上に立ち、ダニエルさんのように「鶴の構え」をして列車を待つのがベスト。しかし、注意してください。車両は4両しかないので階段まで戻らないと乗れません。
上田駅8時57分発、大屋駅9時04分着の列車が適当でしょう。それより前だと大西洋子午線逆転循環による急速な低温化で凍結し、後だと開始時間丁度に駅に着きます。遅刻した人は代表にハリセンでどつかれるのでお楽しみに。
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大屋駅です。古い駅舎は明治5年にできた建物でなかなか味がありましたが、建て替えられてしまいました。駅から出ると右側に十字路があります。右方向に進みましょう。
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しばらく進み、信用金庫を左に曲がります。
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そのまま道に従って歩きます。
人生と同じで、下り坂が結構続きます。
本当にあるのか、まさかダマされたのでは?と
思った頃に、小さな看板が見えたらビンゴです。
人生の目的と同様に見つけられない場合はあきらめましょう。
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その看板に従って、突き当たりまで進むと巨大な煙突が見えます。
上田養護学校がそこにあります。
代表、画伯、うらさん、大久保さん、私がかつて、そして今はハラさんが在籍しているという県内で3番目にできた老舗支援学校。老朽化が激しく、建て替えたいけれど、立地自体が・・・という話は危険すぎるのでやめておこう。
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なんの役目を果たしているのか、結構知られていない煙突。
小出進先生の自宅につながるトンネルがあるとか、地球滅亡の時に、逃げそこなったロケットが突き刺さった跡だとか、実はここが地球の中心だとか諸説ありますがきっと全部嘘でしょう。
どうしてここまで来てしまったのか。自分の愚かさと同時に、どうしてオンラインにしないのか、きっと杉浦のせいだと怨嗟を込め、そして、ここまで来てしまった、ここまで来てしまう自分を心の底から祝福するためにも腰に手を当てて、煙突を見上げ、15秒ほど大声で笑いましょう。きっと通報されます。

ざっくり説明しましたがきっとあまり役に立たないでしょう。
各自地図アプリでご確認ください。

現時点で積雪はなし
天気晴朗にして風強し

しかし、杉浦は有名な雨男。
支援学校時代の宿泊学習は山小屋が流れるくらいの
雨ばかりでした。さて、どうなるか。
あとは参加者の日頃の行い次第です。

そもそもがおかしな会であることはわかってのご参加。
下手に晴れを望むのではなく、思いっきりなトラブルこそ来い!の精神で。

「牢獄の庭を歩く自由より 嵐の海だがどこまでも泳げる自由を」(海江田四郎)

以上です。

















実行委員長に聞く⑦

オンライン、オンデマンドと対面が「同じ」。そう感じるものは生物ではないと実行委員長はいう。その枠組みはICT活用は何のためかにも通ずるとも。テクノロジー活用は何を我々にもたらすのか。見てくれ美麗さに惑わされないために必要なこととは。やっぱりいくのをやめようか。そう思っているあなたは生物かもしれない第7段。

ー生物ではない。

だってそうでしょ。明らかに異なる環境、状況を「同じ」と感じている段階で何かが麻痺している。画面上の青木高光と目の前にいる青木高光を同じだと思うなら医者に行った方がいい笑。「違う」を「同じ」にすることでたくさんのものを失っていることをわかった上で、使っているのなら、まだしも完全に「同じ」にできる、そう思い込んでいるとすると結構危険です。

ーううむ。

大学生にしてもそうです。コロナ期間中のオンライン、オンデマンド講義がメインだったのが、明けて対面になって不平不満。

ーおお

オンライン、オンデマンドなら講義を繰り返し見られる、なんてことではなく、それまでは講義を倍速で見られた。ところが対面になってみたら、おじいちゃん、おばあちゃん先生が余計な話はするは「えー」「あー」なんて話し言葉はノイズだらけ。

ー確かに

それを受けて、対面講義を1.5倍の速さでやったら効果的だったという報告が。

ー効果的笑。そもそも代表や実行委員長、通常から2倍速くらいですよね。

(笑)情報として捉えれば、速くて、多いことが至上になる。しかし、実際はあくまでも講義で示される情報はその雰囲気をふくめた材料でしかない。その上で何を考え、何をイメージ、これまでの何かと脳内でリンクさせること、これが学ぶということだと思うんですよね。
ーはい。

しかし、そうではなくなった。倍速で見れば情報はこれまでの半分の時間で入力されます。だけど

ー脳内での処理は・・・

そう、特段に速くなるわけではない。当然得られたとしても実は半分なんじゃないか。

ーふうむ

考える、全く別次元の空想も含めて、それは余計な情報と一見無意味に見える時間をかけて生まれること。ある意味ではそれがー

ー講義ってものですよね。

1.5倍の講義を見ての「わかった」はきっと1.5倍の速さで消えていくのでは。それが教育学部の講義なのが、なかなか笑えない点ですが。

ー・・・

そして、もっというと

ーはい

気づいているかはわかりませんが1.5倍で詰め込まれるレベルの内容でしかないし、自分は1.5倍で詰め込まれても仕方がない人、ということを認識するための講義なのでは。

ーおお

オンライン、オンデマンドで学ぶことは実は自己肯定感を下げていることにつながっているのではないか。どこにいても学べるって聞こえはいいですが、有機体である、ヒト個人のそれぞれは薄くなっているのでは。

ーうう

情報の容れ物としてのだけの存在であることに学べば学ぶほど気づかされる。ある学生がこういうんです。「15回講義に出た上に、まだレポートがあるのはどうしてですか?」って。つまり容れ物に考えたり、新しい発見を求めないでほしいってことですよね。

ーううう

そういうヒトが先生になれば、結局、機械と自らの能力を比べて、機械の方を信用する。そしてー

ー重度の子ども達に歌を歌っても、抱っこしても意味がないと思う。。。

それはある意味当然ですよね。

ー確かに。

(つづく)

実行委員長に聞く⑥

 対面でも、オンラインでも確かに「同じ」ことはできる。しかし、その「同じ」は「同じ」故に違う。ある意味では当たり前のことがわからなくなった。いや、わからなくなったっていいのだけれど、確実に何かが変わってしまった。それは我々自身なのではないか。徐々に今回開催の核心に近づくインタビュウ。実行委員長が唯一本心を語ると知られるこの場から目を離すべからず。

ーそういえば、ありましたね。研究所公開(令和2年度)

まさにそうですね。中止にしてもいいなと思っていましたが、当然、オンラインで。
各障害班は情報提供や対談をオンデマンドで流しましたがー

ーああ、教材教具班はそこで伝説のパペット笑

特段に反抗したわけではないですが。あえてパペットを使って、しかもローテクな遊びや学習の紹介。
相当揉めたんですよー

ーえっ!

誰がサルをやるかで笑

ー笑。天下の青木高光にカエルをやらせるなんて・・・そんなことをやっているから、班が潰されることになったんじゃないですか。

単なる役人の気まぐれですよ笑。ただ、オンライン、オンデマンドで伝わることって、一体何なのかって、ことですね。情報伝達ってことです。それはきっと「同じ」だと思うんです。しかし、それって、メールで送られてきた文書を読むことと変わらないですよね。オンラインなら双方向にとは言いますがー

ーそれには限界がありますよね。

そもそもが時間、空間、操作に限定があるわけで、その条件の中でできるもの予め決められてしまう。まあ、仕方がないですからね。

ーふうむ

大学の講義でも、オンライン、オンデマンドでもOKと言いますが、学ぶということと情報伝達ってことが
同じにされている時点で相当おかしいことです。学ぶってことは、基本その場で起きていることとは違うことが頭の中に生じる現象だと思うんですよね。

ーほう。

例えば、代表の講演が顕著なんですが、聞いていると全く別のことを頭が考え出すんですよね。それは単にスライドの文字、絵からの情報だけではなく、また代表の声、言葉というだけではなく、そこにいる代表の動きというか、雰囲気、佇まいというかー

ー数値化できないもの・・・

そういうとまた語弊がありますが。しかし、そういうしかないですね。人間ってすごいなと思うのは、単なる刺激としての信号を思考に取り替えていく。そこにある全ての信号を全身にあるセンサーを使って。
代表の話の時が自分は顕著なんですが、どんどんアイデアが出てくる。メモが文字や絵で埋まり始める。
なので、オンライン、オンデマンドと対面、代表の話が同じって感じるってことはー

ー?

自分が生き物でないと告白していることになる。

ー何と!

(つづく)









会場までの道のり①

さて、そろそろ会場までの道順等をお知らせする時期となりました。
一応のスタンダードコースをおしらせします。ポルコ・ロッソのように飛行艇をお持ちの方も多いので、千曲川に降り立つのが手っ取り早いと思いますが、この時期はコハクチョウが飛来しているので、どうかご遠慮ください。

西から来るなら金沢経由、東からなら東京経由で新幹線、甲信から来るならあずさで松本、そして上田駅に降りたちましょう。
まずは外に出て、上田駅を眺めます。

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数十年に一回来る大河ドラマの僥倖に期待している街らしく、駅舎には六文銭のデザイン。娘の小学校の校歌にも「♪ろくもんせんの校章を誇りとかざしー」とありますが、三途の川の渡し賃が六文であり、それを旗印に、いつでも死ぬ気がある、という意味を知る人は少ないです(それを知ると歌わせにくい)。
上田市民は誰も近寄りませんが、駅ロータリーには幸村像もあります。騎馬像ですので、幸村とタンデムも可能です。是非、お試しください。即通報されますが。

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さて、一頻り駅前でふざけたら、駅構内に戻りましょう。エスカレーターで2階に上がります。
きっと参加の喜びに打ち震え、階段を4段飛ばしで登ると思います。疲れるからやめましょう。

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登り切ると恐らくオールドカンファファンはそのまま別所線コンコースに向かって、メロスのように走り始めるかもしれません。が、今回の会場はN大学ではありません。知り合いもどんどんいなくなり、変化が激しいかと思いきや、未だに学部改変は行われれず、一部から攻撃されまくっていることは知っている人しか知らないことです。そっとしておきましょう。

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ホームに立って、目の前に丸窓電車があれば、人生と同じで大きく間違っている証拠です。

もとい。
今回の会場は上田養護学校です。故に左側にある「しなの鉄道」に乗ります。
おっと、その前に隣にあるセブンイレブンがあります。昼食等はこちらでご用意されることをお勧めします。上田養護周辺にコンビニ等は微塵もありません。ちなみにプラッシーやチェリオのメロン味は売っていないので、地元の米屋で買ってご持参ください。

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今回の寒ふぁ開催を祝して、「祝寒ふぁ復活真田六文銭お花見弁当DX」が限定15個で販売されるという
噂がありますが、きっと嘘でしょう。念の為、レジで繰り返し聞いてみてください。奥から警官が出てきて、暗い部屋に連れていかれると思います。
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大屋駅までの切符を買います。残念ながらスイカも、ミカンも使えないので小銭をジャラジャラいわせて券売機に投げ込みましょう。

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ホームは1•2番。転がるようにホームに降ります。

(その2を待て)

実行委員長に聞く⑤

感染症の拡大。生物なら、動きを止めて当たり前。しかし、経済はそうはいかない。そういう社会の中で、これまた経済と同じシステムを内包し始めた教育もこれまでと「同じ」を求められるように。そこで力を発揮したテクノロジー。だが、その「同じ」は本当に同じか。そもそも「同じ」って?ICT活用の促進の最中でそこに課題を感じ始めた実行委員長。少しのお休みをいただいてのインタビュウ再開。ここからは前日まで続く。


ー実行委員長、お帰りなさい。

すいません、ちょっと他行をしていて・・・

ー随分と長い出張でしたね。

八戸で地方入試がありまして。そこで3日間を過ごした後は、秋田の高校で出張授業。昨日は久里浜。研究所でまる1日喋りまくりました。

ーオンラインで済ませるってできないんですか?

できるものもありますが、入試はそういうわけにはいかないですよね。今のところ。

ー今のところ・・・

結局、世界って、なんでも「同じ」にするってことに力を注いできた・・・

ーああ、養老孟司さんですね。

そうなんです。貧富、男女、地域、能力・・・ある意味では特別支援教育もそうだと思うんですよね。

ーはい。AAC、ATもそのためのー

さすがによくおわかりで。確かに同じになることで利益はあります。が、しかしー

ーはい。それって、同じだけれど、どこまでいっても同じじゃないですね。

そう、そうなんです。それって当たり前だと思っていたんんです。

ーそれが本物の「同じ」ことにされるようになってきたってことですね。

同じになることはいいです。でもそれってあくまでも暫定的なもの。やはり本当の意味では同じではない。そもそも同じになる必要だってない。そこで同じにできなくたって、別の学習や体験をすることでも、同じだけの、それこそ同じだけ得るものがあるはずと。

ーはい。

コロナで移動ができなくなった時、当時研究所担当部署で行なっていた地域展示会の実施が困難になりました。実際にそれぞれの県のセンターにお邪魔して、機器の展示とお話と、みたいな。

ー当然、いけない。

そうですね。当時、その取りまとめをしていたので、当然中止にしようと思いました。そもそもが、実際に機器に触れて、その上で機器活用のあり方を考えようって企画でしたから。ところがー

ーまさか・・・

そうなんです。中止とは何事だと。何かの代替案をどうして出さないんだ、と。

ー例の・・・

そう。例の。代替案を作ることはできます。いうまでもなくオンラインはその前からも、すでに病弱等では実施されていましたし、そのマニュアル的なQ&Aも研究所教材教具班と病弱班で作成していたくらいですので。しかし、だからこそ、やったことにすることは可能だけれど、それに意味があるのかと。「同じ」にできても、それは似て非なるものであることは明白です。

ーはい。

口はばったいですが、あくまでも専門的な視点から、価値がない、「同じ」ではないと判断したのです。
しかし、「同じ」にしろという。

ーああ

この時くらいから、急速にいろんなものがクリア見えてきた気がしたんですね。

ークリアに。

同じか、違うか。「違う」のに、「同じ」にしようとしたり、そこから利を得ようとしたりー

ーううむ。

そもそも役人、特に自分が出会った人達は、どこまで外郭団体の名前だけの「長」を、数年単位で退職まで渡り歩くだけ。宇宙の果てまで続く、銀河鉄道の片道切符し持たない旅人ー

ーそう言うと星野鉄朗みたいですけど笑

JAXA、免許センター等々、どこでもその場にいる職員のマウントを取って偉そうに指図する。何も実際の仕事はしたこともなければ、見たこともないくせ、すべてわかったようにするためには、すべてを「同じ」に、今まで通りに、何が起きても「一緒」にすることしか考えていない。役人って、超有能な人以外は、誰も代替可能でなければならない。役人A=役人B・・・

ー同じ、、、、

このフォーマットが教育に、学校に、そしてー

ー特別支援教育にも及んできたってことですね。

【次回に続く】

















実行委員長に聞く④

どうしようもない感染症の拡大。生物として当然の方向転換を図ろうとしても、システムとして継続をと役人。如何にもな圧力に、この世界の闇を見た実行委員長。それは人の営みとしての教育と係わる教師も変えてしまったのかと呆然。なんだか話がややこしくなってきた。ここからどうしてコタツにつながるのか。今最も先の読めない戦慄のインタビュウ。いつどこからかの圧力で止められるかもしれない。今のうちに読め!


ー実行委員長、かなりそのことについてはあちこちで話したり、書いたりしてますよね。

いやあ、正直、ここ数年の中で最もインパクトがあったし、正直、それまでのICT等との付き合いかたとそのこと以降では全く考え方変わりましたからね。

ー実行委員長、結構、急に態度変えるってありますよね。

これって、よくないのかもしれませんが、そこにいること、その考えに与していることに、ものすごい嫌悪感と危険を感じるんですよね。考えも、そして時には人にも。ある意味では生物として反応しているのかもしれない。

ー・・・人。笑。

しかしよく考えてみると、ある意味では当然なのかもしれません。高度のセンサー。人が感じるよりも、反応をピックアップするわけです。圧倒的な人の力の敗北です。そうなると、機械の下僕になるほかない。使っているようで、完全に使われるようになってるわけですから、人としての価値を感じられなくなるのは当たり前ですよね。

ーううむ

断っておきたいのは、別にテクノロジーを否定しているわけではありません。使えるものは使えばいい。

ーはい。

しかし、いつの間にか、ヒトとしての活動を自ら消去して、機械に合わせていこうとするのはおかしいと感じることをわすれてはいけないということなんです。

ー結構難しいですよね。

そうなんです。機械の方が簡単だし、シンプルだし、すっきりしているんです。直接何かすることほど面倒なことはない。

ーううむ。

ある高等支援学校。就労ばっちり見たいな学校。接客も想定しているから、笑顔であいさつができるようにと。

ー・・・挨拶。危険なにおい笑

出てくるのが笑顔測定アプリ。もともとはきっとそういう目的に作られたものではなくて、写真写りがよくなる程度のことをねらったものでしょうが。これで笑顔を測定して、しっかり笑えるようにと学校でやるとちょっと話が違ってくる。

ーああ、もっと危険なにおいが。。。

ある子は自分ではしっかり笑っているつもりだった。しかしアプリの判定は↓。そこで練習をしたら得点アップ。実習先の人にも笑顔がよくなったと言われたと。水戸黄門みたいな結末。

ー印籠・・・

でも、ふと思うんです。その子は何を学んだか。うがった見方をすればですが、自分の感情を偽ることが機械でできるようになったわけです。

ーうう。でもまあ、社会ってそういうところはありますが・・・

あってほしくはないですが、パワハラ等受けても笑ってしまう可能性ってないですかね。

ー・・・

そもそも挨拶自体の位置づけをもっと改めるべきで。あるべき通常の水準に合わせるための機器活用。

ー特殊教育の亡霊・・・特殊教育とICTがくっつくとろくなことがないって実行委員長言ってましたよね。

【次回へつづく】















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