信州カンファ2016☆⑤ 「暮しの手帖」と信州カンファ

 今年は、朝の連続テレビ小説が「ととねえちゃん」ということで、「暮しの手帖」にこれまで以上にスポットが当たっているよう。

 雑誌は定期購読しているわけではなく、数年前から、時々買うようになった。

 それもまた最初のとっかかりは、雑誌のものではなく、当時の編集長であった松浦弥太郎さんの著作を手に取ったことがきっかけ。

 氏の経歴の面白さと衣食住に関する考え方や仕事法等がシンプル且つ面白いと感じた。

 いくつか読んだ後に、氏が「暮しの手帖」の編集長であることを知り、 ならば雑誌もと読み始めたという次第。

 

 読んだことがある人はおわかりかもしれないけれど、さっと読み飛ばせる感じがしない作り。

 かといって難しい専門用語が並んでいるわけではない。

 基本は衣食住ではあるけれど、それを中心にした「暮し」を重視した内容。

 扱うものはセレブっぽいものがある反面、わずかな材料を使って作る極めて質素な料理が紹介されている。

 表だった政治、思想的な主張ははっきり見えないけれど、時にははっきりものをいう。

 極めつけは、自社以外の広告が一切ないということ。独立した雑誌であること。


 少し読むだけでも、他の雑誌とはテイストに違いを感じる。

 そこでいろいろ読んでみると、この雑誌の成立過程がわかってきた。

 そう、それこそが「ととねえちゃん」なわけなんだが、この雑誌の色調を作った、というか、作り続けた編集長がいたことがわかった。


 そう、花森安治である。

 

 

 



shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 12:25  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2016☆④ 

 今回に限らずだけれど、「信州カンファって面白いですね」とか「他の研修会とはまるで違う」とよく言われてきた。そうかなと思いつつ、確信はなかった。けれど、期せずして、第3者的な視点で見ることになった今回のカンファを振り返ってみると、面白いか、どうかは別としてやはり少し違う部分があるかなという思いを強くした。

 特別支援に関する研修会を見れば、技術にしても、理念にしても、何かしらの統一感があり、その方向性に寄せて、講師も決められるのは当然のこと。そして必然的にその考え、技術を得たい、という人が集まる。理念ならば、その理念を通念にしたいという流れになり、参加者増が一つの方向性になるし、もっと公的なものとの連携を、例えば市教委や県教委、他の団体との共催なんてことになるのだろう。

 勿論そうなってもいいんだろうけれど、しかし、今回のカンファを見ていて、そういうことを、関わっている人は誰もきっと考えていないだろうなと思った。

 勿論、何かしら発信する以上は、賛同してくれる人が増えることは嬉しいことだが、それが目的ではない。

何よりも、これがいい、これが好き、これが面白い、という考えやものを、本当にそう思う人が直接、話し、作り、伝えているだけ。

 勿論、その多くは誤った情報ではなく、正しい情報だけれど、そこが一番の力点ではなく、何より自分が話し、作り、伝えることが楽しいと思うことだけを伝えている。


 こう考えてきて、ふと、あるものとの類似点を強く感じた。


 これってー


 暮しの手帖


 なんじゃないかと。


 
   



shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 09:48  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2016☆③

 とはいえ、ぽっしゅん本田先生の負担をさらに増やしたのが今回。本当に申し訳なかった。
実行委員長と言いながらも、実務のほとんどはぽっしゅん氏がこれまでも。
しかし、わずかな担当分も今回はお任せすることに。
 それにしても、今回病を得ることで、つくづく思ったのが、先の予定というものがあるのは人間だけ。
 そして、「○○すれば、■■になる」という原理は、不偏っぽいが実は人間を含めた自然現象には当てはまらない。
 それなりに節制していたつもりが、5月に再発し、また10日の入院。
 こうなってくると、仕事を分担できないと申し訳なさより、先行きの見え無さによる迷惑をかける申し訳なさの方が大きくなってきた。
 そして、直前までの入院。自らが自らをコントロールできないとはこんなにも苦しいとは。
 運営はおろか、当日の参加までもが不確定。
 
 こうなったら、申し訳ないが、開き直るしかないと腹をくくった。

 そして、当日。
 
 さまざまなことはあったものの、どうにか。
 というか、これは結局傍観者的な参加しかできなかった自分が言うのはなんだけれど、
 とても濃い、充実したカンファになったような・・・
 
 
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shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 08:38  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2016☆②

 例年ならプラス4つ使えるはずの教室が使えないーこのようなアウェイさをどう乗り越えるのか。
そこでみなさんのアイデアが炸裂。
 発表時間を短くする。そして、今回の目玉、教材くらふとワーク、ぷらっとホームをメインに。
 後者は4月の段階での計画としてあったが、前者ははたしてうまくいくのか。
 なんて不安はあったけれど、これがさすがの実行委員のみなさん。
 失態を演じたものとしては、再度みなさん集まっていただいて、なんて思っていたけれど、結局例年どおり、4月の1回だけの集合で当日に。
 考えてみると、例年形を確認するだけで、後はその年、その場の雰囲気で各自が決めていく。
 形はないのだ。
 耳タコかもしれないが、こういった会だけではなく、多くのイベントが細かに計画を練り、決める。もちろん、それによってきっとイベント自体の内容はよくなっていくのだろう。
 しかし、決めれば決めるほど、想定外の状況が出てくると、決めたことと違ってくるので、やっている方は焦るように思う。
 今回も数々の想定があったが、そのたび毎に、誰かが判断して解決。
 それでいいのだ。  

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 17:24  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2016☆①

 大学時代、障害児教育よりも力を入れて学んでいたのが易だからというわけでもないのだが、その時の運というか、気の陰陽というか、そういうものがものごとの成否に大きく影響をする、ということを多い。
怪しい世界では、陰だから×、陽だから○、だから壺を買え、お札を買えってことになるわけで。しかし、そうではない。陰陽は必ず生じる必然のもので、流れに合わせて身を処せというだけのこと。太極図を見ればわかるように陰から陽が、陽から陰が生じる。相補のものである。
 その点で言うと、2016年は完全に陰から始まった。
 そう、睦月5日に始まった大腸の病気。8月に外科手術による決着が着くまでの7ヶ月、病状とそれに生じる気持ちの変化はまさに陰陽。このことについてはまた新たに稿を起こして書きたいと思う。
 いずれにしても、調子が下がった状態から、3月末、カンファへと取り組み始めた。
 毎年気になるのが、日程。
 大学って、自分の頃は果たしてそうだったのか、よく覚えていないが、多くの人が休みであろうと思われている8月も結構忙しい。定期試験、集中講義・・・そして昨今では、入学定員数の趨勢を決めるオープンキャンパスが土日に入っている。
 毎年、複数回、様々な立場の人に確認しての決定。そして、今年は「嵐」が来る日程を避けて、決めたわけだ。
 ところが、ご存じの通り、入試とのブッキングー
 どうしてーと思いつつー
 そう。陰に包まれている自分。どこかでその判断にも陰の気が。
 きっと何かミスがあったのだろう。
 場合によっては、会場または日程の変更。
 いくつかの候補日や候補地を探したものの・・・見つからない。
 実行委員のみなさんにも本当に申し訳なかったのだが、そんな時に代表やしましまさん、本田先生から
 
「なんか面白くなってきましたね」
 
 との言葉が。

 なんとも心強い言葉ー

〈つづく〉
    

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 13:19  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

ドーピングと支援機器

 五輪というと必ず話題になるのがドーピング。
 今回もロシアの参加が怪しかった。

 健康に致命的な悪影響がある場合は完全にアウトだろうけれど、いろいろ進歩しているから、問題のない薬物やその瞬間だけ能力がアップするサプリの開発は難しくないはず(というか、すでにできてそうだが)。
今回のチェックはさぞかし厳しかっただろう。

 しかし、と思う。
 そもそも、ドーピングは本当に駄目なのだろうか。

 アメリカや日本のように、巨大な資本がバックについている国と政情不安または財政に困難のある国とではそもそも同列で戦えないのでは。
 ウェアやシューズを一つ見ても、その機能によってタイムを軽減できるなんてことが言われている。国立っぽい、某食品メーカー後援のトレーニングセンターでは、栄養価を科学的に計算した食事を供している。
 薬はだめで、こういった方法はOKって、どこかおかしいんじゃないか。

 このおかしさって、学校にも言えるように思う。
 頭がよくて、お金持ちの子がチャレンジや塾、家庭教師をつける。そうでない子はそういう支援はない。
 これってやはり、フェアではないよね。
 でも、誰も文句を言わないのは(言ってるのかな?)どうしてなんだろう。

 知的能力や経済状況って、個人的な要因なので諦めるしかない、という認識なんだろうか。
 
 そう考えると、 ふと納得できることがある。
 障害のある子ども達の支援機器活用ー
 これってドーピング的な受け止め方をされているってことなんだろうか。
 フェアじゃない、という捉え。
 だから、周囲の人のみならず、当事者でも使いたくないって言うことがあるのかもしれない。
 すでに持っているものが、さらに持つことはOKで、
 持っていないものが、新たに持とうとするとOUT・・・・

 これって、どういうことなんだろう。
 ちょっと時間をかけて考えるべきだな。

 


 

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 12:49  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

支援に絶対はありえない、いや、あってはならないのでは?

 昔はそれなりに関心を持って見ていた記憶もあるのだが、長じて、関心を持たない、というかあえて見ないようになったのが五輪。
 単に放送時間が増える、というだけなく、競技そのものに全く関係ない、精神論等が出てくるのがどうにも。
 それにしても、ひっかかるのが、金メダルを巡る選手の発言。そう「金でないと意味がない」。
 金が1位で、銀が2位、銅が3位。当然誰もが1位になりたくてやってることだから、1位である金を目指すのは当然だろう。 
 なので、銀をもらっても満足そうでなかったり、やはり金がよかったですとあまり嬉しそうではないインタビュウも少なくない。当然、金だったはずなのに、みたいなコメントが多い。
 でも、当たり前のことなんだが、勝負事って最後までわからないものではないのか。

 昔から、
 「勝負は時の運」
 「負けて当然。勝って偶然」
 「勝つと思うな。思えば負ける」(美空ひばり?)

 メダルを取ろうと思うぐらいがだから、試合も数限りなく経験してきていることだろう。
 やればやるほど、上記のようなことはわかってくるはず。
 それなのに、どうして「勝つ」と思うのか、また「勝とう」と思うんだろう。
 やる前から「勝つはず」なら試合をする必要がない。
 また勝たねば意味がない、なんてことはおかしいわけである。

 こんなことを考えていたら、ふと視覚支援についての考えが頭をよぎった。

 視覚支援、またはそれにまつわる構造化にしてもそうなんだが、この間違いというか勘違いは似ている気がする。自閉症や知的障害のある人に、「こうすればうまくいくよ」「こうするといいよ」と方向性を指し示すのが視覚支援である。
 ここで大事なのは、あくまでも「うまくいくかも」「こうするといいよ」と他者が考えた方法であるということ。
 それを当事者が採用するかは、どこまでも当事者次第であると思うのだ。そして 視覚支援をしたから、構造化をしたから、それが確実に成功するとも、当事者にとってもハッピーかどうかは実はわからない。
 そう、最初からうまくいくはずの支援、というものは存在しないし、そういう確実な支援があると考えるべきではないのではないか。
 研究が進み、実践が改善されていけば、それこそ科学的なトレーニングによって、成績が向上するように、視覚支援や構造化による効果が上がるだろう。しかし、金が必然ではないように、どこまで行っても、わからないものと考えておくべきなんじゃないだろうか。
 
 

  

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 15:15  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

免許法講習会

 お次は8月8,9日。ここ二年ほど、お引き受けすることになっている免許法講習会。領域は肢体不自由・・・
 思えば不思議な時間。というのも、自分自身、肢体不自由教育が専門のなのかがよくわからない。
 実際に、大学の時、肢体不自由という講義は一切受けていないし・・・領域的には生理病理がそれにあたることが多いんだろうが、そこはそれ、某T先生が病理を・・・
 K養護で、重度重複、訪問教育を担当し、そこからスイッチ、ハンダ付けにまみれる内に、なんとなく、そっちにシフトし続けて十数年、というだけ。  
 N大には、今年から肢体不自由バリバリの若手の俊英が赴任されておられるし、その先生にお願いする方がいいと思うのだけれど。とはいえ、断るのも面倒だし。
 振られた以上は、こっちの好きにやらせてもらうだけ。アカンと思うなら来年お役ご免で結構。と相変わらずのやり口。
 そもそも、免許法講習会、って思いっきり特殊教育。障害種別に、3欄に分けてーあれれ、特別支援教育って、そういう領域を超えてあるんじゃないのか。
 肢体不自由っていうと当たり前に身体。まあ、それはそうなんだろうが、これもどんどん外部専門家を、って文科省は言っているはずで。
 動作法にしても、静的弛緩誘導法にしても、それを果たしてどれくらい教員がやるべきなのか。また、専門的なレベルまでできる人はいるだろうけれど、似非専門家(怒られそうだが・・・)のそれや、似非専門家独特の専門臭ってのも、公害レベルだと思うこともしばしば。
 そうすると、先生達に求められることって、身体領域ではない。当たり前の日々の授業、それは準ずるか、知的か、自立活動が主であろうが、やはり授業なんだろうと。そのための方策としては、AACなり、ATが使える武器なのでは?、という姿勢。

 1日目は一応それでもと、肢体不自由の定義や、種別、脳性まひの種類等々をざっと。ただ、こんなん本を見ればほとんど書いてあること。片まひ、両まひ等々いろいろあるが、いくつか本を読んでも、「組み合わさっていることが多く、判別が難しい」って・・・なんじゃそりゃ。午後は実際の機器をということで、イエロー養護からお借りしているマイスプン、サウノスバルカ等を体験。午後なんて、居眠りと闘うぐらいなら、体験をしてもらったほうが。

 2日目は、教科指導について。ここでは裏ネタを投入。「生活単元学習とは?」教科を語る上で、長野県では外せないネタを。経験か系統か。教育学の無意味無限ループ議論を叩き壊す内容を。
 特に予定していなかったのだが、機器を使ったコミュニケーション演習。これはいつか代表に教えてもらったもの。アプリ入りタブレット、多機能ボカ、10秒ボカ等々、いくつかの条件を変えて、命令遂行。グループで検討してもらう。ある意味では、これは模擬学年会。多機能でも、わずかな機能のボカでも、やれることはある。そして、オチはそう、「実際にボカを街で使うこと」。この点はご理解をいただけたような。
 後半は障がいの重い子ども達の支援、そして、ラストは「特別支援教育はコミュニケーション教育」でフィニッシュ。肢体不自由教育って狭い縛りではなく、支援を考えること。これなしに仕事はできんでしょう、って内容。
 朝から夕方までで割とくたびれる。
 夏の仕事はこれにて終了。これを終えて、ようやくの入院。
 


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 09:42  | コメント(1)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

ボカづくり35人

 8月に入ってもまだ大学は休みにあらず。1日から試験。成績もつけねば。
 5日は長野県寄宿舎教員研修会でのボカ造り。
 30人強の初めての方がほとんどだという事前情報。しかも時間は1時間ちょい。
 とすれば、下ごしらえが必要。
 基盤の処理はほぼクリアした上での実施。  
 今回から電池ボックス、基盤の接着をグルーガンではなく、マジックテープに。
 この案は確かVOCA王子の伝説のバナナVOCAで以前見たことがあった。
 グルーガンでの接着は楽だが、強度にはかなり問題。
 今回からは完全にマジックテープに移行を検討。
 ただ、スピーカの接着方法がマジックテープでは代用できない。
 今回はボンドで事前に取り付け。
 かなり仕込んでいって、合計6回ハンダ付けすれば完了。
 それでも十数本しか半田ごてが使えない条件で、約1時間で全員が成功。
 まあ、どうにかご希望には添えたか。

 
 


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 09:14  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

神の国紀行③

 伊勢神宮で身も心も清めた翌日は三重県立特別支援学校実践研究協議会へ。
 ICT分科会の恐れ多くも助言者を。
 報告された2校の実践はどちらもすばらしいもの。
ありきたりだけれど、ICTの実践で最も大事なのは、機器活用それにあるのではなく、それを使ってどのようなコミュニケーションが生まれたか、ということに尽きる。
 子ども達の姿を中心に語られた今回の報告は参加者にとって参考になったのではないだろうか。
 支援学校のICTに関する実践報告の後、グループでの討議、そして助言を、という流れだが、当然時間は押す。というか、むしろ杉浦のまとめはいらないかもと。
 それでも25分お時間をいただいたので、グループ討議の間に、ちょいちょいと作ったスライドでお話。 
 その昔、行動主義心理学を学ぶ中で、佐々木正美さんの言葉として(実は典拠を見つけられていないが)、
 Not achievement, But emotionという言葉を教えられたことがある。
 これは、できたこと、ではなく、できて嬉しいという気持ちを強化することが大事であるという意味だ。
 気持ちという切り口は実は行動主義的には論理矛盾があるが、教育的にはむしろそれを大事すべきといわれたことをよく覚えている。
 これをICTに換えて、コミュニケーションで言えば、
 機器を使って伝わったこと、ではなく、機器を使って伝わって嬉しいという気持ちを強化することが大事である。
 ということになるだろう。従って、機器は何でもいいわけだ。
 そんなことを少し確認させてもらってお話終了。
 
 そんなこんなでお役目終了。

 3日間の神の国紀行は終わった。  
 

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 08:31  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ!