信州カンファ2017☆⑫

あっという間の二日間。
毎年始める前には、今年もやるべきなのか、
果たして人は来るのかな、なんてことも考えるし、
やらなければという不思議な義務感もある。
年々、業務的にはbo-ya先生に集中していて、自分なんかは
溥儀以上に、名前だけ委員長で本当に申し訳ない限り。

それにしても、誰にも確認したことがないのだけれど、実行委員の
皆さんはどうして、この会を運営しているだろう。そして、参加される方、
特に遠方から来られる方は何を求めているのだろうか。

大義としては、情報収集、技術の習得、大きく言えば特別支援教育のため、
子どもたちのため、ということになるのかもしれない。
確かにそうなのかなと思う部分も多い。

しかし、講師の話に笑ったり、大きく頷いたり、セミナー以外の場面で
もたくさん話し込んだり、ものを作ったりーそんな姿を拝見していると、
そういうこと以上に、参加者それぞれ自身が学ぶことや人と関わることを
楽しみ、そこからプラスの何かを得たいと願っている、そう、楽しく。

昨年、ある人から、その人の日々生きるモットーを聞いたことがある。
「自分は常に不機嫌でいたい」
結構驚いた。

仕事もできる方で、指導的立場にもあるその人。
そのモットーが上記のもの。
他人がどんな思いで生きようが勝手だ。
しかし、なあと思う。

それでいいのか。
確かにその人は常に不機嫌そう。それは勝手だが、
同時に、関わったこちらの気分もよくなることはまずない。
自分が不機嫌に生きるのは結構だが、他人がそれで
不機嫌になることに何とも思わないのは、なんとも。

自分はそんな風には生きたくないなと思う。
できれば楽しいものを見つけ、誰かにそれを
伝えて、その人も楽しいと思えたらうれしい。

そしてそうすることは、やはり自分というものを
見つめ直し、自分の有り様を自覚することなのかとも思う。

かっこよく言えば、
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、
世界によって自分が変えられないようにするためである」(マハトマ・ガンジー)

簡単に言えば、こう

第9回カンファでお会いできることを楽しみにしています。
できたら、友達を1人連れてきてください。

【カンファレポ完】




shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 14:35  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑪

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 乙女手芸部谷部長の参加から、カンファのテイストは大きく変わったと言えるかもしれない。
作るということが学校からも、教師の手からも消えようとしているのはリアルな実感としても皆さんにあるのではないだろうか。
 最近いただく研修会講師依頼の中で、ちょくちょく出てきたのが、自作教材の紹介は避けてほしい、というもの。ある意味では、魚に遊泳禁止というようなものだし、大型滑り台の作り方をレクチャーしてくださいという以上に難しい。
しかし、そう簡単な話ではないらしい。
働き方改革が進んでいない教育業界。自作教材を紹介しても、それを作るには放課後長時間を要し、退勤時間を遅らせる可能性があるということ。代わりにタブレットを活用した教材をという。でも、それが自分の場合は簡単ではないし、却って時間をとることもある。そうすると既成のアプリを、ということになるかもしれないが、それが実践に即投入できるかは極めて怪しい。
教材を作る時間もなく、退勤時間を守るとなると、せめて学習指導要領は細かく、それを見ただけで指導ができるように、という流れなのだろうか。時代は変わろうとしている。大きく。
それはそうではあるけれど、夏の休暇、せめて一瞬でも作ることに時間を使ってみる。手を動かし、話しをしながら、何かを自分の手から生み出してゆく体験。作るというか、こしらえるということ。そのおもしろさ、また自分にある何かを生み出す力。それに気づき直すことは大事なのではないだろうか。
昨年からの教材くらふとワークは、終始賑やかで、まさに市のよう。
どうにも楽しい雰囲気。
やはり、こういう時間、空気が必要。
凝ったものを作る元気はないので、今年はびっくりケチャップ。
上田に帰ってくるたびに、材料を調達。一応紐を購入したが、念のためと買っておいた毛糸を使った方が高パフォーマンス。何せケチャップボトルの口を切るだけで作業の90%が完成。これなら超過勤務にもならんだろうね。



shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 10:34  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑩

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一応講座も2つ持たせていただいた。
内容については、自分でも「?」というものを。
立場的に、なんていうと、自意識過剰なのは百も承知。それでも、一応、あれこれ言う人もいる。
あれこれというは、上席者、というより、むしろ逆な方から。
管理というと上から下へのベクトル、と想像しがち。しかし実際は、まずはうちから、自己抑制という形で生じることが多いのではないか。いつの時代もそうなのかもしれない。

こういうことをいうとまずのではないかー
こういうことをいうと怒られるのではないかー
こういうことをすると非難されるのではないかー

そんなことはない、ということはない。確かにそうなることも多い。
これまでもそうなったこともあるし、割と怒られたこともある。
そういうことが平気、というほど心臓も強くない。
怒られると凹むし、気分も悪い。

なら、やめるか、そう、そうした方が確かに楽。
真っ向から戦うか、それはそれで潔い。

でも、よくよく考えるも、どちらもあまり面白くないなとも思う。
やめても、ずっと引きずるだろうし。
潔さ、ってどうも自分に酔っている気がする。特攻精神とも重なる。

どうにか、こうにか、うまく生き残ることって、格好悪い。
でも、格好悪くて、悪いかという気もする。

真面目に考えることは大事だが、その真面目さに足をすくわれる。
どこまでいっても遊び半分で考えるってやり方も、結構大真面目。

わかったような、わからないような、ぼんやりとした位置って、それはそれで価値があるのでは。
今回の2つの発表はそんなテイスト。

特に荘子のお話は、自分でも感慨深い。
全く意味のない漢文。高校時代、大学時代、確かに
自分の中の大きな彩りだった。それが何かの役に立ったかというと
ほとんど0でしかない。

でも、やはりそうのか。言い古されたことだけれど、やはり、最も無関係なもの思えるものに
つながりが見つかる。それが大きなヒントになる。

そんな自分の発見を少しはお伝えできたか。











shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 10:18  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑨

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研修会というと講義というか発表が当然主になるが、それだけではない。
信州カンファでは、本とおもちゃの販売が花を添えてくれる。
スペース96さんの書籍販売を待っている人は多く、今年は2日目だけだったので、初日には問い合わせがあり、また本だけを買いに来ていいかとの声もあった。昨今書籍は密林等で買うことが増えた。自分もそうだ。しかし、同時にやはり本屋さんで直に手にとって、中身を確かめて買うことができるのがいい。店主のKさんとの世情のあれこれに関わる雑談も毎回の楽しみ。
そして、もうひとつは知る人ぞ知る海猫屋さん。
仮説社の「たのしい授業」を購読している人はご存じかもしれない。たのしい授業で紹介されるおもちゃは使えるものが多い。地方にいれば、ほとんどが通販で手に入れるしかないのだが、カンファでは実際に触れることができる。なんと海猫屋さんの本拠地は上田なのだ。
科学おもちゃの店を地方で作れないか。老後の展開として、結構真剣に考えている。海猫屋の田中さんとちょっと相談。実現するといいのだが。


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 10:05  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑧

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もう一つの司会的な立場は「合理的配慮と高校入試」。
ド直球な内容。さる方からは、この話題をよく扱うねと言われた。
ここ数年、県でも、市でも、公的な場所でのICT活用は間違いなく追い風。県のICT推進の会で自分もお話しさせてもらったことがあるぐらい。完全に入試での合理的配慮も追い風ーと考えていいはず。しかしー
実際にはそうではない。
個人情報に関わることなので、あまり具体的には言えないが、時間拡大、解答用紙の拡大、すなわち肢体系の配慮はこれまでも実績があるが、ルビ振り等の所謂LD系の支援、ある意味配慮の本丸といってもいいものが難しい。
この問題が難しいのは、実態や状況が千差万別であることなのかもしれない。支援が開始された時期、現在籍校でのコンセンサス、管理職の考え、本人の学力と志望校。まず在籍校で少なくとも中学校2年までに支援が開始されていないと定期試験での実績という部分が怪しくなり、申請ができない。またいくら申請しても、それまで受けてきた配慮そのものが入試に適用されるかはわからない。ある方から聞いた例では、配慮の内容が決定したのは入試の一週間前だったという。これでは準備が限りなく難しい。
ここからはあくまでも推測に過ぎないが、そういった申請をすること自体が学校にとっても、本人にとってもプラスになるのかという考えが出てくる。またこのような申請をすると県教委に何かしらの負担を求めることになるので、たとえば、県教委から移動してきた管理職にしてみたら、生徒の配慮の意思自体をなかったことにしたい、という忖度が生まれる可能性がある。
試しに県教委高校入試課に問い合わせたところ、ルビ振りについての配慮は規定によって帰国子女、外国籍の児童にのみ適用とのこと。しかし、申請があれば、検討の余地がないわけではない、という。でも、杉浦先生、そのような申請はありませんよ、と宣う。県がそう言うならば、本来適用の可否は別として申請をどんどんすればいいはずだが、上記のごとき、見えない力が作用している可能性がある。
高校での発達障害のある生徒への支援は、出口である社会を意識して、義務以上に丁寧に対応してくれる学校もある。つまりは学校によっては、発達障害そのものの理解も高い場合がある。とすれば、まずは支援の具体が見える学校を選択して、配慮を求めるという手があるかもしれない。
しかし、仮にそのような展開になればその学校に志願者が集中してしまう可能性もあるから、どうにも難しい。
県とのやりとりでこのようなものもあった。
自分としてはこれまでもICTによる支援を教育現場で紹介してきたし、通常のクラスでも試行してきた。しかし、が入試で使えないと言われれば、まさにハシゴをはずされるようなものではないのか。高校入試課からの答えは意外なものだった。入試が必ずしもゴールではない、学習を充実させることに手段は関係ないのでは、と。笑うしかない。確かにその通りというしかない。
そう。言われる通り、まずはできるだけ早い時期、それこそ小学校に入る前から具体的な支援策を講じ、学習の実際にプラスの影響をもたらすことだろう。その上で、その支援を継続し、入試の際に配慮を忖度なく申請すること。カンファでは毎年新しい適応事例、入試へのチャレンジがあったら、その経過を共有することが確認された。自分には何ができるだろうか。まずは全国の配慮入試の実績を調査することかもしれないなと思った。
 


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 11:35  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑦

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今回は自分の発表よりも、司会的立場での参加が面白かった。
まず1つは「小学校の荒波の中で」今後荒波シリーズとして継続しそうな予感。
支援学校から始まったお三人の通常の学校奮戦記。
はじめから通常の学校で始めた人にとっては、何がそんなに荒波なのか、かもしれない。しかし、自分もその経験者。
もともと集団行動や、所謂先生的が降るまいが不得意、または好きじゃない、特性があったのかどうなのか。しかし、支援学校に数年いれば、基本子どもペース、待つ姿勢が求められるし、その行動の基調は周囲からも支持されることが多い。
ところが、通常の学校ではこれとは逆の強化スケジュール。基本やはり大人ペース、指示、指導基調ー環境が変われば、そこでのルールが変わるのは当たり前で、スタッフである以上、その変化に合わせるしかないと言えばそれまで。モスで働いていた時とマクドナルドではハンバーガーの作り方が違うと憤っても意味はないのかもしれない。しかし、そこは人間。そう簡単に順応できないから意味があるし、面白い。そして、それぞれの当たり前に?を突きつけられるのは、外から入った人ならではの役割。そう、単なるさざ波でも荒波と感じられることに意味がある。そして、やはり多くの支援を要する子どもたちにとっては、さざ波どころか、命を奪われる大波なのだ。波の捉え方はお三人それぞれ。その中で感じたこと、波のくぐり抜け方が新たなスキルとして武器になるだろう。途中経過の来年、そして3年の年季奉公の果てに見えたもの、学んだことを是非また伝えてほしい。会場にも荒波に今後もまれる予定の人もたくさんいた。それらの人にヒントを与えるに違いない。


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 07:42  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑥

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そんなこんなで当日。オープニングのスライドは前日に作成。
特にここで言うことも、事前に相談することもなく、なんとなく、考えていることが文字や言葉になる。
前にも書いたことがあるが、いろんな場所で最近は何をいうかというか、話すことを事前に提示することを求められることが多い。パワポの資料を出してほしいとか。代表もそうだったと思うのだが、、スライドの資料を配ることはまずない。というか、それをもらって何をするのか、だし、それを配るなら話を聞く必要がないからだ。何か資料がないと不安というは、どうも社会が学校化しているためなのか、何かしら勉強した気分になるなのか。聞いた話の中で印象に残ったものだけ、キーワードだけ記録しておけばあとはそれこそネットで調べればいい。資料をもらって安心というのは究極のサボりなのではないか。外はいざ知らず、カンファはそういう規制がないので、あくまでも、その場の思いつき。bo-ya氏からご指摘のあったファンキーについても、そう、なんとなく出てきた言葉。何となく出てきたということは、自分の中にそれを言いたい何かがあったのだろう。そう、ファンキーにいけばいいのだ。



shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 07:26  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆⑤

 
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仕事場が久里浜には移ったものの、カンファの準備だけをとってみればさほど変わらない。
プロデューサーであるbo-ya氏を主に、皆さんとメール等でやりとりして多くのことが決まっていく。顔を実際に合わせるのは前日までないことがほとんど。
 そうして、今年も前日4日に長野大学へ集合。
 ここで初めての共同作業。抄録袋詰め、Tシャツの配布、会場の確認。わずか1時間ほどで一気にカンファモードへ。ほとんどの仕事はbo-ya氏によってほぼ終えられている。
 自分としてはこの時間がとても好きな時間。


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 20:42  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆④

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受付業務はこれまで杉浦家が担当させていただいていたが、娘2人も高校生と言うことでお役御免。
 基本は杉浦が大番頭として受付にいる予定だった。しかし、そこはカンファ、実際にはそうはいかなかった。それを見事に助けてくれたのが、長野大の学生。

 教職課程に籍を置いていたから、教職志望の学生と絡むことは多かった。しかし、今回の学生たちは社会福祉系。
 昨年度一年生ゼミを担当したから、そのクラスから2名がきてくれたのはわかるが、それ以外はクラスも違えば、ゼミ等とも関係ない。教養科目であった「現代社会の私たち」の受講生が手を挙げてくれた。
 その授業内容については、以前このブログでも紹介したことがある。

 最近、学校というものは、非常に目的的になっている。少子化が進み、大学淘汰が実際に起こる中で、より学生に選んでもらうために、卒業後の仕事につながる内容を学べまっせ的なアピールをすることが多い。
 考えてみるとおかしなことだ。何かを学ぶと言うことは、新しい発見があり、それに影響を受け、自らも変わることを前提としているはずだ。したがって何かを学べば学ぶほど、進路や将来の希望は変わってしかるべきだ。しかも、この社会状況。終身雇用神話は崩れる可能性があり、かつては安定=公務員だったが、年金、退職金がこれまでのように支払われる可能性は限りなく少ない。
 そもそも教職課程の学生などは、教職関係の授業は卒業単位にならないので、福祉系の卒業単位124に加えて、プラス100近い単位を取らねば、卒業も教員免許も取得できない。従って、4年間ほぼ授業で埋め尽くされ、視野と思考をできるたけ閉塞させなければ、教員免許は取得できない。
 学生だけが悪いわけではない。先に述べたように大学のブランドとしても採用試験現役合格という絵はほしい。
そうすると教員養成というより、現役での採用試験合格をけしかけることになる。長野大学では中高と特別支援の免許はとれるが小の免許が取れないことが採用試験には不利だと言われることが多い。すると、誰がどうすすめたのか、文科省が実施する小学校教員資格認定試験というものがあり、それを受けるという学生が出てくる。そのような試験、万が一に受かって、実際の教室で指導できるのか、いや資格を取れば教えられると考えていうような愚かさで、子どもたちに対峙できるのか。とりあえず、試験に通るために資格を取るというような浅ましい考えで教師になったとして、真面目にヅルをしてはいけないと子どもたちに指導できるとは思えない。だれもがこれでよいのかと思いながら、大きな流れに飲まれてしまっている。
 そんな思いもあって、自分が担当する講義では、あえて流れと逆の動き、社会の当たり前は疑い、管理は笑い、規制はたたきづぶせと、陰に日向にじわじわとアジってきた。多くの学生には意味もわからずスルーだが、時々、微弱な危険信号を受信して、吸い寄せられるように杉浦部屋と言われる魔窟の住人になった学生たち。その一部が今回はアシストしてくれた。
 大学は離れてしまったが、彼らが求めてくれるなら、いくらでも何かを伝えたい。
そして、このカンファには面白い大人の標本が集まってくる。それが何か未来のヒントになったならいいなと思う。

shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 16:46  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

信州カンファ2017☆③

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  それにしても今年のテーマデザインの色味、抄録の雰囲気。
 なんてすてきなのか。身内なので、自画自賛は控えるべきなんだろうが、つい眺めてしまう。
 昨年度のカンファのふり返りの中で、信州カンファ=暮しの手帖説を勝手に唱えていたのだが、それを具体化していただいたようで、うれしさこの上ない。
 表紙のデザイン案も、いくつもあり、どれも捨てがたいものだったが、このシンプルさが自分には一番に思えた。
 久しぶりに本家も一冊手に入れてみたが、やはりカンファとの共通性を感じる。
 カンファも、それぞれの個性を、特に協調を意識することなく、放射している。
 しかし、俯瞰してみると、それらが一定の方向に期せずして向いていることに気づく。
 大きく、強く何かを叫ぶわけではなく、日々の暮らしを大事にするように、日々の当たり前の実践、子どもたちとの関わり、やりとりをいいものに、納得のいくものにしたい、ただそれだけなのだ。
 しかし、そのただそれだけが、徐々に困難になっているのも確か。
 それは時代の変化、教育というもの、学校というものが姿を変えていくことを求められている激動期。
 周囲のうるささから一瞬逃げだし、自らのリズムを取り戻すーそんな時間になっていたらいいのだが。
 


shinshu_switch_labshinshu_switch_lab  at 11:59  | コメント(0)  |  この記事をクリップ!