2014年09月

函館から松前を目指して延々と走ると、道の左手に北海道最南端の岬である白神岬「を見ることができる」白神岬展望広場の駐車場があります。
白神岬は目立たないのでこちらのほうが入りやすい。
伊藤整はこの辺の出身らしく、碑があります。
松前半島の南端で、津軽海峡を挟んで19キロ向こうが竜飛崎。よく見えません。



江戸時代まで松前藩の城だった松前城にやってきました。ロシア艦隊が来るので、防衛用に建てられた城です。天守閣はコンクリート造りで再建されたもの。本丸御門だけ重要文化財。
ほぼ、見る値打ちはないのですが、他に見るものもないので、ここに来るしかありません。
藩主の弟で絵も描いた蠣崎波響の作品の展示をしています。また天守閣の最上部では、代表作でアイヌの酋長たちを描いた、『夷酋列像』のコピーが展示されていますが、ガラスの写り込みがあって見づらいし、建物の外もほとんど見えないし、なんのためにこんなところまで登ってきたのかさっぱり意味がわかりません。

北前船が来ていた頃は、蝦夷との交易もあってたいそう栄えたということですが、今はもう当時の面影を偲ぶよすがもないです。


イカの刺身と言えば、ヤリイカやケンサキイカと考えるのが普通ですが、函館はスルメイカです。
「えっ、なんで? スルメイカはまずくて干物にするしかないからスルメイカなんじゃないの?」と思うのですが、食べてみると実にやわらかくて甘みがありうまい。
ではなぜ函館のスルメイカはうまいのか。よくわかっていないのですが、津軽海峡は海流が早いので、運動量が違うので美味くなるという説があります。

同じように、そこで育った鮑やウニも、おいしい昆布を食べて育ち、江戸前寿司のように煮ていない生アワビを食べると昆布の味がします。
この雷門寿司は、函館市内より湯の川温泉に近いところにありますが、絶品の魚を出す寿司屋です。いくつか、私のこれまで持っていた握り寿司の概念が変わりました。


阿倍比羅夫が砦を築いたことに由来するニセコのひらふ地区。行政区分としては倶知安町であり、スーパーが3軒ある倶知安に近い立地の良さがあります。東急がやっているニセコマウンテンリゾート グランヒラフの真下に広がる集落で、温泉もあり、以前はスキーロッジなどが密集していたものの、十数年前にオーストラリア人が雪質の良さに目をつけ、コンドミニアムを建て始め、これがなかなかのビジネスマンで順調に開発を進め、オーストラリアやシンガポールや香港からの資本で町が一変しました。店名はほとんど英語で、看板も横文字で、外国にいるみたいな町並です。外人向けコンドミニアムは開放的で窓が大きく、生活に必要なものは一通り揃っていて過ごしやすいです。

日本人の若者を使って冬のリゾート地として発展してきましたが、最近は夏場も開放されるようになりました。
ただし311の直後、オーストラリア人は千歳空港に列を作って帰国してしまい、不動産を売り払おうにも外国人には売れず、新規の開発は停滞しているみたいです。


とにかくコンドミニアムがたくさんあるので、わたしも含めてニセコ初心者はまずひらふ地区にやってきて長期滞在するのですが、夏場はひらふ地区の店舗はほとんど閉まっていること、ニセコの見所はひらふ地区から距離があることがあり、「あれっ、ひらふにいる必要ってないんじゃん」とみんな気がついて、ひらふから離れていくというのがパターンだそうです。
わたしも同じことを考えています。
次に長期滞在者がみんなが考えるのが、「野菜がうまいけど、自分でも作れないかな」ということだそうです。
わたしも同じことを考えています。


ニセコ「沼」シリーズ、「ここは出る」「霊感のない人でも、昼間でも感じる」と散々脅かされて、半月湖に行ってきました。海抜270m。
羊蹄山の北麓に分け入ったところに、やたら広い駐車場と。メルヒェンチックなトイレが整備されていてビックリです。

どうやらここが羊蹄山の登山口になっており、登山レースなども行われているらしい。
ここにある半月湖は、羊蹄山の火口のひとつで、半分隆起して残った部分が半月型の湖になったということなのですが、ですから駐車場からいったんこのカルデラのてっぺんまで登らないといけません。
やっとの思いで登ってみると、木が鬱蒼と茂っていて、湖の全貌どころか、湖面の在処さえわかりません。
しばらくカルデラの城辺を周遊する道を歩くと、今度は湖面に降りる降り口があります。ここまで来て湖を見ないとバカみたいなので不承不承その道を降りていきます。

で、湖面にたどり着くと、やっと小さな画角から、湖面と、火口の上にそそり立つ羊蹄山を見上げることができます。

なんか、見通しの利くアングルがすごく限られていて不満です。そのくせものすごく静かです。そういう特殊な環境が、「ここは出る」「何かいる」という感興を惹起して、心霊スポットかという噂が出ているだけなのではないでしょうか。
もし写っていたら教えてください。
だいたい、今はひっそりとしていて「自然が保たれている」とか言ってますが、戦前は蝦夷富士登山の起点として、また観光地としてかなり賑わっていたらしいですよ。林芙美子も小説の中に書いているくらいで。
わたしゃあ何も感じないし、何も見てないし、カルデラを上り下りした分だけ疲れただけでした。眺めもよくないし、あんまりお勧めできるスポットではございませ〜ん。


えらい洋風の趣のある函館本線ニセコ駅は、9月に入ると駅前がハロウィンのカボチャに占領されてしまっています。欧米より早すぎるだろっ!
自動改札どころか、改札もなくて自由にホームに入れるニセコ駅では、Suicaなど使えません。舐めてもらっては困ります、

道を挟んでその向かいに、ニセコ駅前温泉 綺羅の湯があります。この温泉、公共温泉として地元の人が入りに来るには最高だと思います。
モダンな建物に、内湯、露天風呂、ジャグジー、サウナ、マッサージ有り。至れり尽くせりです。こんな充実した公共浴場は見たことない。泉質は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で、隣の蘭越駅前にある幽泉閣とほとんど同じです。入浴感もまったく一緒(ただ、あっちはこの辺で唯一のアルカリ性温泉らしい。)。
要するに、開発庁の予算で隣町同士で同じ施設を建てたという印象です。いちばん不満感があるのは露天風呂で、コンクリート打ちっ放しのモダンな壁に四角に切り取られた青空が見えるのですが、まっかり温泉や黄金温泉に入った今となっては、この眺めではとても満足できません。町の真ん中なのでこうするよりないのでしょうが、とってもかなしいです。人の目のあるところで露天風呂を作るには一般的な設計ではあるのですが・・・
つまり、観光客を呼ぶには、欠けている要素のある公共温泉ということです。館内の印象や、サービスは全然悪くはないんですよ。こんなすばらしい公営温泉はなかなかないです。ですから町民のみなさんが行くにはよいのでしょうが、観光客としてはどうも・・・
あと、館内食堂の名前が『ニーハオ』というのも、まったくいただけない。


このマックスバリューと向かい合って立つ、スキーのストックが突き出た特異な銅像は、日本にスキーを広めたオーストリアのレルヒ中佐(Theodor Edler von Lerch)の像で、倶知安の町外れの国道5号線沿いにレルヒ公園を作って鎮座ましましています。
アルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキーの弟子で、軍で南チロルの国境警備をやっていました。南チロルの山中は、けっこう闘いの舞台であったということがここのところ南チロルに出かけてわかりました。その結果として南チロルはイタリアに割譲されたわけで。
レルヒ中佐は1910年に日本にやってきて、軍からも歓迎され、新潟で日本軍にスキー指導を行っていましたが、1912年に羊蹄山にやってきてスキーで登って滑走して降りてきたらしい。当時の人びとはスキーなんか知らなかったので、たいそう驚き喜んだとか。

少将まで進んで1945年没。国内には他にも、スキーを履いたレルヒの像がいくつかあるみたいです。『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公の名前は、このレルヒ中佐に作者がインスピレーションを得てつけられたなどという話は聞いたことがない。


細川たかしの故郷真狩村、その村営浴場が、まっかり温泉です。
ナトリウム塩化物、硫塩酸、炭酸水素塩泉ということで、長く入っているとお肌にとってもよろしいです。源泉掛け流し、お湯がざっぱんざっぱん溢れています。さすが公営温泉、太っ腹です。
しかしそれよりもこの温泉の特徴は、露天風呂からも内風呂からもよく見える、目の前にでーんとひろがる羊蹄山の眺めでしょう。「でっかいどー、ほっかいどー」という感じでなんの遠慮もなく目の前に立ちはだかっています。長い裾野は原生林で、温泉の手前はよく圃場が整った広大な畑で、目を遮るものがありません。
なんと雄大な景色でしょうか。こんなところで歌っていたら、あれだけ通る声ができそうというものです。温泉はしょっぱくありませんでした。サウナ有り。
外人も入りに来ているので「さすがだなあ」と思っていたら、脱衣所で地元の人と親しげに話しており、オマケにふんどしをしていました。恐るべし。


ニセコ「沼」シリーズ、倶知安の市街地からニセコアンヌプリの北側山麓にある東急ゴルフクラブの駐車場に車を駐めます。
ゴルフ場の門の外すぐに、鏡沼の入り口があります。「駐車場から徒歩50分」と書いてあったので、「ずいぶん長い木道があるんだなあ」などと思っていたら、木道などはなく、
ふつうの登山でしたorz

蝶やトンボに先導され、蜂やブヨやさまざまな虫にまといつかれながら山道を登ります。振り返るとゴルフ場は遙か下に。聞いてないよう〜
最初は小川を丸太橋で渡り、せせらぎの音を聞きながら歩いていたのですが、それも遠くなり、聞いたことのない鳥の鳴き声しか楽しみがない山道にそろそろ飽きてきて「ホントにこの道で合ってるのかなあ」と疑い始めた頃に、道が平らになって空が拓け、小さな湿原が目の前に現れます。
そのまんなかに、鏡沼があります。長さ100メートル、幅40メートルほどの小さな沼で、名前の如く、青空や雲や、ニセコアンヌプリや周囲の樹木を鏡のように湖面に映し出しています。


今日はさざ波が立っていますが、風のない日はさながら鏡のような湖面でしょう。
池には、風に吹かれてその日の気分で居場所を変える小さな浮島がひとつあって、岸辺にへばりついています。
池の周りには北海道には珍しい大型のトンボがたくさん飛んでいます。


もうちょっと来る道が楽なら、いいところなのに・・・

↑ニセコアンヌプリ山頂から見た鏡沼
↓鏡沼から見たニセコアンヌプリ山頂


今日は雨が降っているので温泉にでも行ってやろうと(雨が降ってなくても行くのですが)、湯心亭に来ました。
ワン・ニセコ・リゾート・タワーズの隣で、泉質もよく似たナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉ですが、感じはえらい違います。
建物は新しくて清潔ですが、高級感はゼロ。そういう所でなく温泉で勝負するつもりらしく、「源泉掛け流し」をやたら強調しています。
内湯の外にひろーい露天風呂があります。周囲に岩が配されているのですが、妙に落ち着く空間になっています。露天風呂の温度はぬるめで、これまででもっとも長く使っていられたと思います。しかも貸し切り状態。お肌がすべすべになりました。
広い露天風呂のまんなかに屋根がしつらえてあるのですが、素屋根から雨漏りがするので外にいるのとたいして変わりません。しかしイイ!
心ゆくまで堪能させていただきました。ここも気に入った。


共食いなのですが、うまいと聞いて、真狩村ハーブ豚のとんかつを食べに来ました。
最初、どこにあるのかわかりませんでした。真狩村交流プラザは道道沿いにある公共施設で、建物に入って右側にある定食屋が一ふじです。なんということはない店構えです。

まあこれはビックリですよ。分厚く切ったとんかつで、肉の甘みがすごくわかります。食べたことのない味です。
このハーブ豚は伊藤ハムが作っているもので、北海道では真狩村だけです。飼料には抗生物質を入れず、動物性のものを使わずに植物から作られた飼料にハーブを混ぜ込んで育てるそうです。
まあ、ボリュームと合わせて、ものすごい満足感がありますよ。

この豚は伊藤ハムのハーブ豚のハムに使用されています。また札幌市内でも何軒か食べられる店があります。さらになんと北広島のCOOPでは、精肉として扱っているらしい。そっちにも興味あるなあ。
また、恐るべきことにこの辺には「演歌豚」というのもあるらしい。細川たかしの大ファンのおばさんがいて、ずっと作業中に演歌をかけていたら、その演歌を聴いて育った豚の味が妙においしいということがわかって、「演歌豚」ということになったのだそうですが、流通する際には他の豚と混ざって、どれが演歌豚なのかわからなくなってしまうらしい。


いつも水を汲んでいる甘露水の前にある古いホテル。昭和29年には昭和天候皇后が行幸。その後増築され、観光客がバスでガンガン来てた昭和30〜40年代の空気がそのまま滞留しているようなホテルです。
売りはでか〜い露天風呂で、凍結防止のために温泉が流されている階段を下りると、周りの山とでっかい青空を眺めながらゆったり浸かることができます。古い露天風呂なので、周りは岩ですが、底はコンクリート。岩に鉄分がついて変色しています。周りの木から葉っぱやらいろいろなものが落ちてきてプカプカ浮かんでいて、いくらスタッフが取り出してもムダな抵抗なようで清潔感はありません。混浴なんだけど、女性は温泉着をフロントで貸しているので、一緒に入っているとこっちがバカみたいです。
泉質はナトリウム‐塩化物泉とナトリウム‐炭酸水素塩泉の2つがあり、内湯では両方楽しめます。どうも内湯は女風呂のほうに力を入れているらしい。男湯は殺伐としています。女性専用露天風呂有り。
「美肌の湯」との看板に偽りなく、しばらくするとお肌に独特のぬめりが出てきてツヤツヤになります。
湯上がりにはロビーで、冷えた甘露水を給水器から飲むことができます。
9月15

ニセコ連峰の中でも、ひとつだけ山頂付近が白くて目立っているイワオヌプリ。アイヌ語で「硫黄の山」という意味で、硫黄が露頭して山が白くなってるのでとても目立ちます。ニセコアンヌプリの隣の山です。ニセコアンヌプリの頂上からもよく見えるのですが、「あの白いところがどうなっているのか見てみたい」と思い、登ってみました。
ひらふから、ニセコアンヌプリをぐるっと真反対に回って(25km)、また五色温泉横の駐車場に駐車します。ここが標高750m。
五色温泉の源泉横の神社の裏が登山口です。そこからりっぱな石段がしばらく伸びていてビックリ。


入林ポスト前のベンチに4人ほど腰掛け弁当を食べながらこっちを見ているので、この長い階段を一気に上がらなければならないというプレッシャーがあり、登り口としては最悪です。
必死で登って、階段のてっぺんの林の影に隠れたところでゼエゼエ息を整えます。見栄を張るんじゃなかった・・・
そこからは登山道になるのですが、これが野草の生えているトレッキングコースや、砂地や、ハードな岩場やガレ場へと、さまざまに目まぐるしく変わるので、飽きません。おそらく火山性の土地であることが、こうした景観の変化と関係があるのでしょう。





山頂からは、谷を挟んでニセコアンヌプリが。山頂の避難小屋も見えます。当たり前ですよね、向こうからもこっちが見えたんだから。



北側には大沼とワイスホルンが。
西側はチセヌプリなどニセコ連山の一部が見渡せます。
ガスが中空からさーっと渡ってきて、 ニセコアンヌプリの姿を隠したかと思うと、数十メートル先も見えなくなって、またさーっと晴れていきます。なかなか目まぐるしく変化します。


山頂からの眺めを独り占めして楽しんでから、火口をぐるっと回る周回路を歩いてみます。北西に大沼が見えます。

で、五色温泉に戻って露天風呂に飛び込みました。五色温泉はから松の湯より、大浴場の露天風呂のほうがいいなあ。
天国でした〜


大湯沼というと函館が有名ですが、ここはニセコ湯本温泉のまさに湯元になっている源泉で、周囲を歩いて15分ほどの沼です。岸辺あたりは触れられる水温ですが、沼のあちこちからぶくぶく源泉がわき出しているのがわかります。さらに岸辺には、細かい球状になった硫黄の粒が打ち寄せられています。

以前はなんと間歇泉だったらしい。それを第一次大戦で硫黄の値段が上がったので、イギリス人が硫黄を採取をして源泉の構造が変わってしまったため、間歇泉はなくなってしまったそうです。
この大湯沼に接して国民宿舎の雪秩父があります。この変な名前は、秩父宮が来たからつけられたもの。この近くのニセコグランドホテルには昭和29年に昭和天皇が来ている。ことほど左様に、北海道の開発はたいへんだったということです。

で、この雪秩父の風呂は、何種類もの風呂が楽しめるすばらしいもので、地元の人もイチオシだったのですが、案の定今年の5月で国民宿舎ごと閉館。「建て直して2015年春オープン予定」と書いてあるが、建物は取り壊しさえされてなく(2014年8月現在)、冬場は工事できないことを考えると、果たして再開するつもりはあるんでしょうかね?
ここの女湯には泥風呂があり、そこの湯の花をケースに入れて販売しているのですが、これはもう硫黄の塊で、これをそのまま風呂に入れると、風呂釜がダメになること請け合いといってました。使い方は、お湯で溶いて肌に塗り、乾燥するのを待ってお湯で流すという、ふつうの泥風呂の使い方です。
もし雪秩父が再開したら、ぜひ行ってみたい温泉ですが、今回は源泉のみチェックしましたー


ニセコ「沼」シリーズ、ニセコパノラマラインという、ずいぶんな峠(標高832m)を、ニセコ連山を見ながら登って少し下ったあたりに、駐車場とレストハウスがあって、どうやら神仙沼というのがあるらしいというので、山に分け入りました。



ニセコ山系で一番美しい沼らしい。確かに文句のつけようがないくらいきれいです。
昭和3年に、ボーイスカウトの親分の下田豊松という人が発見した沼らしい。よくもまあ、こんなところまで来たものだ。
木道の両側の木々は、既に色づいておりまして、「北海道はお盆を過ぎると秋」というのはホントなんだなあと思いました。

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