
このマックスバリューと向かい合って立つ、スキーのストックが突き出た特異な銅像は、日本にスキーを広めたオーストリアのレルヒ中佐(Theodor Edler von Lerch)の像で、倶知安の町外れの国道5号線沿いにレルヒ公園を作って鎮座ましましています。
アルペンスキーの創始者マティアス・ツダルスキーの弟子で、軍で南チロルの国境警備をやっていました。南チロルの山中は、けっこう闘いの舞台であったということがここのところ南チロルに出かけてわかりました。その結果として南チロルはイタリアに割譲されたわけで。
レルヒ中佐は1910年に日本にやってきて、軍からも歓迎され、新潟で日本軍にスキー指導を行っていましたが、1912年に羊蹄山にやってきてスキーで登って滑走して降りてきたらしい。当時の人びとはスキーなんか知らなかったので、たいそう驚き喜んだとか。

少将まで進んで1945年没。国内には他にも、スキーを履いたレルヒの像がいくつかあるみたいです。『涼宮ハルヒの憂鬱』の主人公の名前は、このレルヒ中佐に作者がインスピレーションを得てつけられたなどという話は聞いたことがない。
