歌声風呂

年末年始に『夫のちんぽが入らない』と『ここは、おしまいの地』を読んで下さる方がたくさんいて嬉しい。ツイッターで本の感想に出合うと「ありがとうございます」と頭を深く下げたくなる。当然「読まなきゃよかった」という率直な意見もある。それでもいい。ラジオから流れてきた「人の評価はどうでもいいの。あなたが良ければそれでいい」という人生相談の助言が思いのほか効いている。

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「(俺が)飲みに行く日はひとりでうどんを食べていて可哀想だから」との気遣いにより、年が明けてから温泉や銭湯に連れ出されている。私には忘年会も新年会もなく、一年を通して誰かと食事に出かける気配すらないので憐れみの目で見られている。自分では特に悲しいとは思っていない。地元以外には本を通じた知り合いがいるので。

前に住んでいた街の銭湯へ行った。湯の花が浮く、ぬるぬるとした泉質が気に入り、夜勤の帰りに必ず寄っていた。長い勤務を終えて湯船に浸かると大抵そのまま寝入ってしまい、ガクッと沈みかけて目が覚めるのだった。ほとんどの人は設備の整った別の銭湯へ行く。朝、そこへ通うのは私と知的障害のある中年女性だけだった。彼女はいつも洗い場で歌謡曲を大声で歌う。しかし、これが驚くほど美声なので、壁越しの男湯から拍手が沸くこともあった。ひたすら軽石で指をこすりながら古いポップスや演歌を歌う。身体を洗ったり湯船に入ったりする姿は一度も目にしたことがない。純粋に「歌い」に来ているのだった。
あの人好きだったなあ。
そんなことを懐かしみながら肩まで浸かった。

しばらく非公開にしていましたが、当時の日記です。

『歌い手さんの日常』
http://blog.livedoor.jp/shiod/archives/8408347.html

『湯屋のエンターテイナー』
http://blog.livedoor.jp/shiod/archives/8408321.html

「あー楽しかった」教

何度か訪れたことのあるスーパー銭湯へ夫と出かけた。大浴場の洗い場に座ってから、以前そこにあったはずのシャンプーやボディーソープが撤去されたことに気付く。私は自分用のを持ち歩いているからいいけれど、夫はタオルとバスタオルしか持っていない。現金も持ってないから買うこともできない。
「今頃どうしてるんだろな。隣の人にちょっとシャンプー貸してと言えるような人では絶対ないし」と考えながら湯船に浸かる。不憫に思い、早めに風呂から上がった。
「シャンプーも何も持ってなかったでしょう。どうしたの」
「いつもより熱めの湯で洗ったから大丈夫。強めに洗った」
哺乳瓶の消毒みたいに言った。

この年末、温泉宿に泊まったとき、私は間違えて男湯に入って普通に身体を洗い、風呂から上がった瞬間に脱衣所でおじさんと遭遇するという、もはや漫画やドラマでも採用されないようなベタな過ちを犯してしまった。そのときの衝撃がまだ抜けないので、風呂での攻防については落ち着いてから書こうと思う。

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車の中のラジオで、人生相談の回答者が「一日を終えるときに嘘でもいいから『あー楽しかった』と声に出してごらんなさい。それを一週間も続けていたら脳が錯覚してくれるの」と助言していた。最終的に余計気が狂いそうだな、と思ったけれど、どちらにしても悶々と暮らすのだから一週間くらいやってみようか。

あー楽しかった。明日は原稿が驚異的に進む。

どこに行っても罠がある

寒くて眠れないので、毛布とふかふかのシーツを買いに行った。初売りで混雑する店内で、夫が早速パニックの発作を起こした。「パニックはじめだ」と二人して早足でカートを押して店を出る。「パニック納め」はスーパーの駐車場でうまく車を停められなかった12月30日だった。駐車スペースに車を入れる行為は狭い場所で身を縮めるイメージと重なるらしく、イーーッとなってしまう。「生きてくの大変だな」と言ったら、夫は「どこに行っても罠がある」と答えた。

先日エッセイにも書いたけれど、事故を起こしたので代車に乗っている。自然とラジオを聴くようになった。毛布を買った帰り道、人生相談の番組をやっていた。子育てに悩むお母さんが「いけないとわかっているのに子を叩いてしまう、自分も親に同じことをされてきた」と話しており、それを聴いているうちに苦しくなって涙がこぼれた。この人は私だ、と思った。言うタイミングを逃して病死した親の遺体と暮らし続ける人、砲丸を誤って人に当ててしまう人、高速道路を逆走する老人、うっかりガス爆発させてしまう人、ぜんぶ私だ。

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12月に連れて行ってもらった新橋の立ち飲み屋さん。昔ながらの良い雰囲気だった。酒を飲めるようになってみたいが、養命酒を一口飲んだだけで苦しくなって寝込むくらいなので道のりは遠い。私はこの居酒屋にもカメラを置き忘れてしまった。11月にタクシーの中に忘れ、「もう失くさない、首から提げて離さない」と誓ったばかりなのに。顔面蒼白になって取りに戻ったら、お店のお母さんがちゃんと保管してくれていた。「良さ」しかない店だ。

まだ明けてないことにする

実家に帰る途中のセブンイレブンでコーヒーを注いでいるあいだに年を跨いでしまった。濃厚だった2018年の終わりは、あっけなかった。いつも年末にその年の出来事を残していた気がする。私は「自分の中の決まり通りに過ごす」ことにこだわりを持ってしまうので、まだ年が明けていないことにして書き留めておく。

2017年の冬は心身の調子を崩し、「心と体をいたわるスープの本」を買って毎日1品ずつ作るというノイローゼ丸出しの行為を続けていた。2018年の年末もちょっと駄目な日が続いていた。いまは少し持ち直している。先日、昔からの創作つながりの人と5時間くらい話した。「何万部も売れて、これ以上なにを求めるの」「簡単に人を信用するな」とありがたい言葉をもらう。原稿以外の私的な問題についても少し悩んでいたんだけど、話してみるとちょっと笑えてきた。のちのちどこかでぶちまけてやろうと気を強く持つ。そう考えたら楽しくなってきた。やられたままでは終わらない。私は執念深いのだから。

2018年を振り返る短いエッセイを『週刊読書人』に掲載していただいた。
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webでも読めるようになった。
https://dokushojin.com/article.html?i=4748

原稿や依頼をうまくこなせない。どれも手放したくない仕事だから、丁寧にやっていきたい。器用じゃないのに、いくつもやろうとするから、とにかく時間がかかる。そして、よく行き詰る。一年間その繰り返しだった。パソコンの画面を開いたきり一文字も書けない日が続く。何かを気にしているときは耳鳴りが激しく、周りの音がよく聴き取れない。耳を乗っ取られている。

気を抜くとすぐ悲観的になってしまうけど、客観的に見たら持っている能力以上のことをしてきた一年だったと思う。自分で自分を認められないから、気分が落ちてしまう。何を書いても自信を持てない。でも担当編集さんに「よかったです」と褒められたら、全部よく思えてくる。複雑なのか単純なのか、わからない。確かなことは、いま原稿を見てもらっている3人の編集さんの言葉を信じてやっていけば、まっすぐ進んでいけるということ。とにかく書く。いまはそれだけです。


9月、『ここは、おしまいの地』が講談社エッセイ賞を受賞した。
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どうしても譲れない理由があり、顔も名前も出さずに活動している。そんな人間が報道のカメラも並ぶ中でスピーチをするのは自殺行為に等しい。でも、賞を辞退するのは絶対に嫌だった。敬愛する書き手の方々にエッセイを評価されるなんて今後二度とないかもしれないから。厳かな場に覆面姿で出席したのは、軽い気持ちでも、ふざけていたのでもなく、本気で欲しかったからだ。本を出したときから一生覆面でやっていくと決めたのだから、人からどのように思われても変えない。このままいく。

お世話になった人たちや本を読んで下さった方々に喜んでいただけたことがとても嬉しかった。そして、嬉しいだけでなく、今後の自分のありかたを考えるきっかけにもなった。とても重みのある賞をありがとうございました。


12月、『夫のちんぽが入らない』が昨年に続いてヤフー検索大賞(小説部門)に選ばれた。
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2017年と2018年の金の棒。書名が刻まれている。

担当編集の高石さんが2年連続で登壇して下さった。「今年も金の棒ほしいですね」と秋ごろからずっと話していたので念願の2本目だ。この書名なので、発売以来ネットで話題になっていてもテレビで取り上げられることは少なかった。表に出てはいけない本なのだと自覚していた。だから、誤魔化しようのない「検索数」で表彰されるのはとても名誉なことだと思っている。「その数に自分の身内も含まれてるかもしれないんだから喜んでる場合じゃないでしょ」と親しい人に忠告されたけれど、文学賞とは遠いところにいるであろうこの作品が評価されるのはどうしたって嬉しい。この本を出版するまでの過程が並々ならぬものだったから、高石さんをはじめ、デザイナーの江森さん、手を尽くして下さった扶桑社と講談社の方々、書店員さん、そして応援して下さった人たちのありがたみを強く感じた。大勢の方々のおかげでもらえた賞を、一番感謝している高石さんに受け取ってもらえたのがとても嬉しかった。

匿名作家は編集者や出版社に守られ、非難を回避できるという見方もあるらしい。いくら匿名でもSNSのアカウントを持っていればダイレクトに誹謗中傷を受ける。私は誰からでもDMを受け取れる設定にしている。「友達や同僚の目があり、本の感想や夫婦生活についてツイッターに書きづらい」という人が多かったので直接やりとりできるようにしたのだが、そのDMには辛辣な言葉や自身の下半身画像なども送られてくる。はじめは「そう思われても仕方ない本を出したのだから」と粛々と受け止めていたけれど、そんな卑屈にならなくていいのだとわかってきた。

文庫版とゴトウユキコさんによるコミック第1巻が出版され、ドラマの撮影も行われ、「ちんぽ」のことで頭がいっぱいの一年だった。

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表彰式を終えたあと、高石さん、ゴトウユキコさん、ゴトウさん担当の小島さん、デザイナーの江森さんと、会場近くの愛宕神社へお参りした。出世のご縁に恵まれる神社だという。この急勾配の階段を見上げ、「確かに」と頷いた。

「ちんぽ」の関係者一同、神様に手を合わせた。2019年にはゴトウさんの第2巻が発売され、ネットフリックスとFODでドラマも配信される予定だ。いつもは自分のことを祈るだけでいっぱいだけど、この日は関わって下さる方の幸せを願った。
最近知ったばかりなのだが、神様の前では「お願い」ではなく「誓い」をするものらしい。
2019年も良い年にしたい。必ずそうします。まわりの人と一緒に幸せになります。


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