わたし何を頑張ったんですか

朝からどうしようもなく不調な日が続く。このまま家にいても原稿を書けそうにないので美容院へ行くことにした。髪は伸び放題、色も落ちている。今年に入ってから一度も手入れをしていないことに気付いた。ほかのことで頭がいっぱいだったのもあるけれど、担当医と習い事の高齢者にしか会わない暮らしが続き、どうでもよくなっていた。

美容師になったばかりという若い女性が担当してくれた。無闇に話しかけてこない、適度に声をかけ、放っておいてくれる。私にとって良い距離感の人だった。お仕事何されてるんですか、家で何されてるんですか、と訊いてこないところも良い。ほぼ何もしていないから、いつも答えに詰まる。ああ私は人に話せるようなことをしていない、と改めて気付かされてしまい、ちょっと落ち込むのだ。

髪を染めてもらっているあいだ私はスマホでメールを打っていた。最近のうまくいってない状況を書いているうちに涙目になってしまい、ぐっと堪えた。すると、そのとき彼女が「……頑張りましたね」と言った。前の部分がマスクに阻まれてよく聞こえなかったが、メールの流れとあまりにも合致していた。どこか先生のような優しい口調。慰められているような気分になり、右目からすごいはやさで涙がこぼれ落ちた。

まずい。初対面の若者の前でも簡単に情緒が狂うようになった。「コンタクトが痛くて」とコンタクトなどしていない目をごしごしこすって誤魔化した。やべえ中年になっている。いやだな。面倒くさいな。そう思いながらメールの続きを打った。

最後、前髪を切ってもらっているとき、ふと気になって訊いてみた。
「さっき『頑張りましたね』と言ってくださいましたが、わたし何を頑張ったんですか」
「上から見ると髪の色がかなり違ったので」
彼女は申し訳なさそうに答えた。
長いあいだ変な髪の色で過ごしていたことを「耐えていた」と捉え、遠回しにねぎらってくれたらしい。
前髪は眉毛のかなり上で切られてしまったけれど、いやな気分にはならなかった。

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文庫版『ここは、おしまいの地』と、これからのこと

ブログの存在もパスワードも忘れつつあった。目の前の作業をこなすだけでぎりぎりで、長めの文章を書く力が残っていなかった。1年くらい前から、はっきりと「駄目」な状態になり、もうこれは自力でどうにかできるレベルじゃないこともわかり、病院へ行った。薬を飲み始めた。まず1錠で様子を見て、吐き気や頭痛がおさまったら2錠にした。まだ動けない日も多いけれど、悲しみを引き摺らない「大丈夫な日」が増えた。「何かができる」よりも前の段階。何もできないけど、感情はそんなに狂っていない。それを「大丈夫な日」として、ゆっくり暮らしてきた。おかげで2019年はほぼ何もしていない。


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6月11日、新刊『ここは、おしまいの地』が講談社文庫さんから出ました。
2018年に太田出版さんより単行本化され、その年に講談社エッセイ賞をいただいた作品。文庫版のあとがきとして「わたしが『かわいそう』な訳ない」というエッセイを加筆。執筆への思い、「おしまいの地」で書いていく決意、変わらない弱さ、そういった気持ちを5000字のエッセイにした。

『ここは、おしまいの地』は、デビュー作『夫のちんぽが入らない』とは全く違う心境で出した。1作目が一時的な話題性だけで読んでもらえたのか、2作目で証明されるような気がした。辛辣な言葉をぶつけてきた人たちに「うるさい、ほかの話も書ける」と作品を通して言いたかった。言いたいことがいっぱいあった。だから気を張っていたし、とても怖かった。部数は1作目に全く及ばなかったけれど、たくさんの人から感想をいただいた。エッセイ賞の受賞はこの先もずっと私の心の支えになる。このまま書いていていいんだ、とようやく思えた。


文庫版のあとがきにも書いたけれど、作品ごとに自分の気持ちが変化している。以前は「うるせえ」と尖っていた私だったが、いまは他人の評価よりも、自分はどういうものが書けるんだろうと手探りしながら向き合っている。身の回りの奇妙な現象を書くだけでなく、ひとつひとつを丁寧に描写していこう、と思うようになった。気付くのが少し遅い気もするけれど。エッセイと小説の中間に位置するような、私小説ともまた違う、細やかなエッセイを書けるようになりたい。

(なぜかこの十数行だけ文字の大きさ調整できない)

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カバー写真とデザインは『夫のちんぽが入らない』の装丁でもお世話になっている江森丈晃さん。白と青を背景に、ひんやりとした美しさが伝わる写真。そして、この文字はオリジナルのフォント。特に「お」の字のこだわりが好きです。

文庫の担当編集は講談社の水口来波さん。前作の文庫化に続いて、2作目も声を掛けてくださいました。外出自粛期間の編集作業ということで普段とは違う大変さがあったと思います。それでなくても私は原稿や戻しの作業が遅く、最初から最後までご迷惑を掛けっぱなしでした。江森さん、水口さん、そして文庫化を快諾してくださった単行本担当の太田出版・続木順平さん、本当にありがとうございました。

『ここは、おしまいの地』の内容はこの記事に書いた 



話は変わりますが、今年やり遂げたいのは小説を書き上げること。2年ほど前から担当編集さんと構想を練っている。でも昨年は前述の通り、何も書くことができず、心も頭も止まっていた。「1年間何もできなかった」と悔やんでいたけれど、「1年間も時間をもらえた」と考えるようにしたい。担当編集さんは私が書けるようになるまで辛抱強く待ってくださった。それが本当にありがたかった。一進一退の日々だけど、進む方向は見えてきた。

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「おしまいの地」の発売日、いつもの神社へ手を合わせに行ったら、一番苦しんでいた時期にお参りした際の達磨の絵馬がぶら下がっていた。どうしても原稿を書けなくて、2020年に2度訪れるという運の良い日に行ったのだった。ちゃんと書き上げたら右目を入れに行きます。それまで雨風に飛ばされず待っていてほしい。


◇今後、出るもの
6月下旬「クイックジャパン」エッセイ連載
7月6日 ゴトウユキコさん『夫のちんぽが入らない』第5巻
7月7日「文藝」 2020年秋季号、短編小説
9月予定「小説現代」リレーエッセイ「読書中毒日記」
9月予定『ここは、おしまいの地』の続編エッセイ集

歌声風呂

年末年始に『夫のちんぽが入らない』と『ここは、おしまいの地』を読んで下さる方がたくさんいて嬉しい。ツイッターで本の感想に出合うと「ありがとうございます」と頭を深く下げたくなる。当然「読まなきゃよかった」という率直な意見もある。それでもいい。ラジオから流れてきた「人の評価はどうでもいいの。あなたが良ければそれでいい」という人生相談の助言が思いのほか効いている。

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「(俺が)飲みに行く日はひとりでうどんを食べていて可哀想だから」との気遣いにより、年が明けてから温泉や銭湯に連れ出されている。私には忘年会も新年会もなく、一年を通して誰かと食事に出かける気配すらないので憐れみの目で見られている。自分では特に悲しいとは思っていない。地元以外には本を通じた知り合いがいるので。

前に住んでいた街の銭湯へ行った。湯の花が浮く、ぬるぬるとした泉質が気に入り、夜勤の帰りに必ず寄っていた。長い勤務を終えて湯船に浸かると大抵そのまま寝入ってしまい、ガクッと沈みかけて目が覚めるのだった。ほとんどの人は設備の整った別の銭湯へ行く。朝、そこへ通うのは私と知的障害のある中年女性だけだった。彼女はいつも洗い場で歌謡曲を大声で歌う。しかし、これが驚くほど美声なので、壁越しの男湯から拍手が沸くこともあった。ひたすら軽石で指をこすりながら古いポップスや演歌を歌う。身体を洗ったり湯船に入ったりする姿は一度も目にしたことがない。純粋に「歌い」に来ているのだった。
あの人好きだったなあ。
そんなことを懐かしみながら肩まで浸かった。

しばらく非公開にしていましたが、当時の日記です。

『歌い手さんの日常』
http://blog.livedoor.jp/shiod/archives/8408347.html

『湯屋のエンターテイナー』
http://blog.livedoor.jp/shiod/archives/8408321.html

「あー楽しかった」教

何度か訪れたことのあるスーパー銭湯へ夫と出かけた。大浴場の洗い場に座ってから、以前そこにあったはずのシャンプーやボディーソープが撤去されたことに気付く。私は自分用のを持ち歩いているからいいけれど、夫はタオルとバスタオルしか持っていない。現金も持ってないから買うこともできない。
「今頃どうしてるんだろな。隣の人にちょっとシャンプー貸してと言えるような人では絶対ないし」と考えながら湯船に浸かる。不憫に思い、早めに風呂から上がった。
「シャンプーも何も持ってなかったでしょう。どうしたの」
「いつもより熱めの湯で洗ったから大丈夫。強めに洗った」
哺乳瓶の消毒みたいに言った。

この年末、温泉宿に泊まったとき、私は間違えて男湯に入って普通に身体を洗い、風呂から上がった瞬間に脱衣所のおじさんと遭遇するという、もはや漫画やドラマでも採用されないようなベタな過ちを犯してしまった。そのときの衝撃がまだ抜けないので、風呂での攻防については落ち着いてから書こうと思う。

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車の中のラジオで、人生相談の回答者が「一日を終えるときに嘘でもいいから『あー楽しかった』と声に出してごらんなさい。それを一週間も続けていたら脳が錯覚してくれるの」と助言していた。最終的に余計気が狂いそうだな、と思ったけれど、どちらにしても悶々と暮らすのだから一週間くらいやってみようか。

あー楽しかった。明日は原稿が驚異的に進む。

どこに行っても罠がある

寒くて眠れないので、毛布とふかふかのシーツを買いに行った。初売りで混雑する店内で、夫が早速パニックの発作を起こした。「パニックはじめだ」と二人して早足でカートを押して店を出る。「パニック納め」はスーパーの駐車場でうまく車を停められなかった12月30日だった。駐車スペースに車を入れる行為は狭い場所で身を縮めるイメージと重なるらしく、イーーッとなってしまう。「生きてくの大変だな」と言ったら、夫は「どこに行っても罠がある」と答えた。

先日エッセイにも書いたけれど、事故を起こしたので代車に乗っている。自然とラジオを聴くようになった。毛布を買った帰り道、人生相談の番組をやっていた。子育てに悩むお母さんが「いけないとわかっているのに子を叩いてしまう、自分も親に同じことをされてきた」と話しており、それを聴いているうちに苦しくなって涙がこぼれた。この人は私だ、と思った。言うタイミングを逃して病死した親の遺体と暮らし続ける人、砲丸を誤って人に当ててしまう人、高速道路を逆走する老人、うっかりガス爆発させてしまう人、ぜんぶ私だ。

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12月に連れて行ってもらった新橋の立ち飲み屋さん。昔ながらの良い雰囲気だった。酒を飲めるようになってみたいが、養命酒を一口飲んだだけで苦しくなって寝込むくらいなので道のりは遠い。私はこの居酒屋にもカメラを置き忘れてしまった。11月にタクシーの中に忘れ、「もう失くさない、首から提げて離さない」と誓ったばかりなのに。顔面蒼白になって取りに戻ったら、お店のお母さんがちゃんと保管してくれていた。「良さ」しかない店だ。

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