都内で初開催となる伊野尾書店でのサイン会で、ひときわ注目を集めた人物がいる。ストロングじじいだ。ストロングおじさん、ストおじなど、目撃者の感覚によって、おじいさん派とおじさん派に分かれた点も興味深い。私は熱がこもらないよう浅めに覆面を被っていたため視界が狭く、小柄なおじいさんに見えたのだけど、実際それほど高齢ではなかったのかもしれない。昔から、まわりに迷惑をかけた大人をじじい(ばばあ)と表記することにしているので、今回はストロングじじいでいかせてもらいます。
サスケの覆面を被り、緊張のまま始まったサイン会。店のレジ横に机を配置してもらい、引換券番号順に二人ずつ入店する流れとなった。感染対策と通常のお客さんへの配慮もあり、参加者には店の外に並んで待っていただくことに。私の作業の遅さから、暑い中かなり待たせてしまい申し訳なかった。そんなまっすぐ伸びる行列に誰よりも反応したのが、隣のセブンイレブン前でストロングゼロを飲む老人だった。界隈によく出没する人だという。
新刊を読みながら待つ方が多かったらしい。歩行者の邪魔にならぬよう道路の端で等間隔に並ぶ、静かな謎の行列。格好の酒の肴を見つけたストロングじじいは、ひょこひょこと歩み寄り絡んでいく。
「外で酔っ払ったおじさんが」「ストロングゼロを」と対面した方々から少しずつ情報が入ってくる。初めは「わあ、大変ですね」と驚くも、通りすがりの酔っぱらいだろうと思っていた。ところが、しばらく経ってもストじいの目撃談が寄せられる。しかも新情報だ。え、まだ居るんか。どういうこと。外のみんな無事だろうか。まだ見ぬストじいへの不安が募る。なぜかストじいの報告をしてくれる人は半笑いだった。凶暴なじじいでは無さそう。それだけが救いだった。
私にできることは「30分押し」を取り戻すこと、目の前の人に感謝の気持ちを伝えること。夢中でサインしている間、外で何が起きていたのか。ストじいを目撃した人々のツイートやブログを追ってみる。
ストじいに気付く人々
・登場時は隣のコンビニから両手に食べかけの麺類みたいなの持ってたけどいつしか手ぶらになり、サイン待機列の横の歩道傍に座った。「あっ!座った!なんか言ってる!」というところまでは横目で確認していた。
・サイン会の待機列に並びながらめろめろに酔っ払っているおじさんを眺める
・皆さんが話題にされてるストロングおじさんもきちんと見ました
・ずっと見えない誰かと楽しそうにお話していて微笑ましかった
ストじい意外な結末
・私が最後尾だったので、酔っ払いおじいさんの動きをずっと見守りながら並んでいました。結構派手な立ち回りでした。
・スタッフの方に話しかけたり、最後は先生のサインがほしいって店内に入ってきたりしてたけど、結局どうなったのか気になる
窓の外がすっかり暗くなっていた終盤、視界の端で伊野尾さんが誰かをなだめていた。噂のストじいがとうとう店内に入ってきたのだ。しばし押し問答のようなやりとりが続き、やわらかな声掛けとは裏腹に、腕にぐっと力を込めて店の安全を守ろうとする伊野尾さんがいた。どうやらお帰りになったようだなと安堵した直後、ストじいが『ずっと、おしまいの地』を持って目の前に立ったので笑った。急に「買う」と言い出したらしい。絶対読まないだろ。そう思ったけれど、べろんべろんで会話が成り立たず、そうでもしないと店に居座りそうな状況だった。
いきなり世の中を嘆く演説が始まった。座っていた私は「おっ、達者だな」と思いながら、サインの手を止めてストじいを見上げた。マスクから出ている両方の鼻の穴から大きめの白い塊が見えた。「この不況で」と論調が強まると、その白いものがふわりと揺れる。ストじいの呼吸と連動してる。その様子をじっと見ていると、とつぜん会話が途切れ、ストじいの目が赤く潤み、演説じいから泣きのじいに急変した。よくわからないまま必要以上に感謝され、大人しく店を出て行った。「この辺でよく見かけるけど、うちの店で本を買ったのは初めてです」と伊野尾さんも驚いていた。
「これからも伊野尾書店をよろしくお願いします」とサインした。本当に頻繁に来るようになったら伊野尾さんに迷惑が掛かるなと後悔していたら「こないだは芥川賞作家さんにサインしてもらえてよかったですねと言っておくのでノー問題です」と強気の返信があった。ストじいは終始、芥川賞作家の高瀬さんのサイン会だと思い込んでおり、散々ちがうと言っても聞いてくれなかった。ストじいの中では今でもそういう話になっているだろう。それは感極まって泣くよな。高瀬さんがザ・グレート・サスケに扮する意味は全くわからないが。
中学生のとき、集落の公民館でとある女性エッセイストの講演会があり、人数集めのため、母に連れ出された。本業は俳優らしい。初めて聞く名前だった。母親の世代がぎりぎり知っているくらいの知名度だった。彼女の壮絶な体験が本になったという。本人が登壇しても「ああ、あの人か」とはならなかった。知らない人の知らない話だった。
だけど、ひとつだけ鮮明に覚えているエピソードがある。本の営業でスナックをまわった彼女は、酔っぱらいに「一曲歌ったら買ってやる」と絡まれ、屈辱を味わいながらマイクを持った。この酔っぱらいが興味を持たなくても、翌朝テーブルの上に本があったら家族の誰かが読んでくれるかもしれない。そう思ったら歌えた。そんな話だった。
赤ら顔のストじいにサインをしながら、私も同じようなことを思った。この人に家族がいるかわからないけれど「芥川賞作家のサインだぞ」と自慢された相手が「聞いたことねえよ、こだまって誰だよ」と思いながらページをめくってくれたらいいな。

サイン会終了後、伊野尾さんが「あっ貼るの忘れた!」と、とても残念がっていたポスター。この日のために自作してくださったのに。記念にいただいた。
思えば、地元を出る際にも想定外の出会いがあった。山道で「〇〇空港」とスケッチブックを掲げるヒッチハイクの青年を乗せたのだ。空港まで十キロほどの民家のない草原で、近くには「クマ出没」の看板が立っていた。前夜泊めてくれた親切なおじさんが「台風が近づいている。帰るなら今だ」と飛行機の手配をしてくれたのだという。青年はスマホを持たずに旅をしており、世話になった人々の住所や電話番号を手帳にメモしていた。昭和のようなやりとりである。私と同じ便に乗って東京へ行くことがわかった。飛行機に乗るのが初めてで搭乗手続きがわからないと言われ、保護者のように立ち会った。親切なおじさんが書いてくれたメモを見ながらパネルを操作していくと、前方の高いシートが予約されていた。空港までのバス賃なかったのに広々とした席に座るんだ、と思うと笑いが込み上げてきた。「いい席ですよ」と教えたら「交換しましょうか」と言われた。遠慮した。東京へ何をしに行くか聞かれた私は「ちょっと知り合いの集まりがあって」と言葉を濁した。嘘ではない。
サスケの覆面を被り、緊張のまま始まったサイン会。店のレジ横に机を配置してもらい、引換券番号順に二人ずつ入店する流れとなった。感染対策と通常のお客さんへの配慮もあり、参加者には店の外に並んで待っていただくことに。私の作業の遅さから、暑い中かなり待たせてしまい申し訳なかった。そんなまっすぐ伸びる行列に誰よりも反応したのが、隣のセブンイレブン前でストロングゼロを飲む老人だった。界隈によく出没する人だという。
新刊を読みながら待つ方が多かったらしい。歩行者の邪魔にならぬよう道路の端で等間隔に並ぶ、静かな謎の行列。格好の酒の肴を見つけたストロングじじいは、ひょこひょこと歩み寄り絡んでいく。
「外で酔っ払ったおじさんが」「ストロングゼロを」と対面した方々から少しずつ情報が入ってくる。初めは「わあ、大変ですね」と驚くも、通りすがりの酔っぱらいだろうと思っていた。ところが、しばらく経ってもストじいの目撃談が寄せられる。しかも新情報だ。え、まだ居るんか。どういうこと。外のみんな無事だろうか。まだ見ぬストじいへの不安が募る。なぜかストじいの報告をしてくれる人は半笑いだった。凶暴なじじいでは無さそう。それだけが救いだった。
私にできることは「30分押し」を取り戻すこと、目の前の人に感謝の気持ちを伝えること。夢中でサインしている間、外で何が起きていたのか。ストじいを目撃した人々のツイートやブログを追ってみる。
ストじいに気付く人々
・登場時は隣のコンビニから両手に食べかけの麺類みたいなの持ってたけどいつしか手ぶらになり、サイン待機列の横の歩道傍に座った。「あっ!座った!なんか言ってる!」というところまでは横目で確認していた。
・サイン会の待機列に並びながらめろめろに酔っ払っているおじさんを眺める
・皆さんが話題にされてるストロングおじさんもきちんと見ました
・ずっと見えない誰かと楽しそうにお話していて微笑ましかった
・サイン待ちの列に向かってコンビニ前の酔ったおじさんがささやかに演説していて、それがまた良かった
犬に噛まれるストじい
・待ってる間、本を読む人たちが多かったけど、きっと誰もが視界の端に捉えてたおじちゃん。散歩中のワンちゃんに優しく声かけてた。
・散歩してた犬に手を少しかまれてました
犬に噛まれるストじい
・待ってる間、本を読む人たちが多かったけど、きっと誰もが視界の端に捉えてたおじちゃん。散歩中のワンちゃんに優しく声かけてた。
・散歩してた犬に手を少しかまれてました
ストじいを通して広がる交流、対応する紳士
・私はスマホをみるふりをしながら、一部始終をきいていたところ、伊野尾書店さんのお店の外壁に貼ってあった芥川賞受賞された女性作家さんがきてるのだと思っていたらしく、絡んだ男性に、この人が来てるのか??と尋ねるストロングゼロおじいさん。違うんですよ、と優しくこたえる若き紳士。
・私はスマホをみるふりをしながら、一部始終をきいていたところ、伊野尾書店さんのお店の外壁に貼ってあった芥川賞受賞された女性作家さんがきてるのだと思っていたらしく、絡んだ男性に、この人が来てるのか??と尋ねるストロングゼロおじいさん。違うんですよ、と優しくこたえる若き紳士。
・酔っ払ったおじさんが列の方に絡んでたけど、どなたかすごく優しく対応してて流石…と思った「誰がきてるの?こだま?下の名は?」「下はないんですよ」ちょっと笑ってしまった。こだまファンはみんな優しい。
・あ、それ私です。壁のポスターの女性が来てるの?と2度尋ねられたのでおじさんのタイプだったのかなと思いました。ともあれ待ち行列でも優しい気持ちにさせてくれたのはこだまさんのおかげです。まさにこだまさんのエッセイに出てきそうなおじさんでしたね笑(若き紳士談)
・あ、それ私です。壁のポスターの女性が来てるの?と2度尋ねられたのでおじさんのタイプだったのかなと思いました。ともあれ待ち行列でも優しい気持ちにさせてくれたのはこだまさんのおかげです。まさにこだまさんのエッセイに出てきそうなおじさんでしたね笑(若き紳士談)
・おじさんが「直木賞なの?」「賞じゃないのに何で並んでるの?」とボケと鋭さが入り混じったツッコミをしてくるのが可笑しくて、ちょっと演じるような気分で返答していました(若き紳士談)
ストじい謎のマウント
ストじい謎のマウント
・何と、そのおじいちゃん、こだまさんの素顔をみた、的なことをいいはじめ。www綺麗な人だった、俺、みた、といって、マウントとって、また定位置のコンビニ前へ。 思わず、私は笑ってしまったのですが、みんな静かに、何事もなかったかのように並び続けていたので、[ 皆さん、大人なんだわ、、、]と自分を恥じた次第。
遭遇できなかった参加者が寂しがる
・こだまさんファンはあのおじちゃんに出会えた事をラッキーだと思う人種の人達だと思うよ。なんかわかんないけど、こだまさんのサイン会っぽい!みたいな感情になったもの。
・あのおじいちゃんのお陰で、こだまさんワールドに迷い込んだ気がしました
・こだまさんのサイン会に参加した人々は、道端の酔っ払ったおじさんをもれなく目撃しており、共通の話題としている。もちろん私も見た。こだまさんと会えたことと並ぶくらいインパクトに残った可能性がある。サイン会を思い出すとき、おそらくあのおじさんのことを皆も思い出すのだ…
・1番乗りだったから話題になってるストロングおじさんに会えなかったな〜
・サイン会は早い順番だったので、皆さんが噂しているストロングおじさんに会えなくてちょっぴり残念。こだまさんと皆さんと共有したかったなぁ
・1番乗りだったから話題になってるストロングおじさんに会えなかったな〜
・サイン会は早い順番だったので、皆さんが噂しているストロングおじさんに会えなくてちょっぴり残念。こだまさんと皆さんと共有したかったなぁ
ストじい意外な結末
・私が最後尾だったので、酔っ払いおじいさんの動きをずっと見守りながら並んでいました。結構派手な立ち回りでした。
・スタッフの方に話しかけたり、最後は先生のサインがほしいって店内に入ってきたりしてたけど、結局どうなったのか気になる
・「業界が大変な中、あなたのおかげで100人も200人も並んで……」と感極まって涙しながらお帰りになりました(編集・藤澤さん談)
窓の外がすっかり暗くなっていた終盤、視界の端で伊野尾さんが誰かをなだめていた。噂のストじいがとうとう店内に入ってきたのだ。しばし押し問答のようなやりとりが続き、やわらかな声掛けとは裏腹に、腕にぐっと力を込めて店の安全を守ろうとする伊野尾さんがいた。どうやらお帰りになったようだなと安堵した直後、ストじいが『ずっと、おしまいの地』を持って目の前に立ったので笑った。急に「買う」と言い出したらしい。絶対読まないだろ。そう思ったけれど、べろんべろんで会話が成り立たず、そうでもしないと店に居座りそうな状況だった。
いきなり世の中を嘆く演説が始まった。座っていた私は「おっ、達者だな」と思いながら、サインの手を止めてストじいを見上げた。マスクから出ている両方の鼻の穴から大きめの白い塊が見えた。「この不況で」と論調が強まると、その白いものがふわりと揺れる。ストじいの呼吸と連動してる。その様子をじっと見ていると、とつぜん会話が途切れ、ストじいの目が赤く潤み、演説じいから泣きのじいに急変した。よくわからないまま必要以上に感謝され、大人しく店を出て行った。「この辺でよく見かけるけど、うちの店で本を買ったのは初めてです」と伊野尾さんも驚いていた。
「これからも伊野尾書店をよろしくお願いします」とサインした。本当に頻繁に来るようになったら伊野尾さんに迷惑が掛かるなと後悔していたら「こないだは芥川賞作家さんにサインしてもらえてよかったですねと言っておくのでノー問題です」と強気の返信があった。ストじいは終始、芥川賞作家の高瀬さんのサイン会だと思い込んでおり、散々ちがうと言っても聞いてくれなかった。ストじいの中では今でもそういう話になっているだろう。それは感極まって泣くよな。高瀬さんがザ・グレート・サスケに扮する意味は全くわからないが。
中学生のとき、集落の公民館でとある女性エッセイストの講演会があり、人数集めのため、母に連れ出された。本業は俳優らしい。初めて聞く名前だった。母親の世代がぎりぎり知っているくらいの知名度だった。彼女の壮絶な体験が本になったという。本人が登壇しても「ああ、あの人か」とはならなかった。知らない人の知らない話だった。
だけど、ひとつだけ鮮明に覚えているエピソードがある。本の営業でスナックをまわった彼女は、酔っぱらいに「一曲歌ったら買ってやる」と絡まれ、屈辱を味わいながらマイクを持った。この酔っぱらいが興味を持たなくても、翌朝テーブルの上に本があったら家族の誰かが読んでくれるかもしれない。そう思ったら歌えた。そんな話だった。
赤ら顔のストじいにサインをしながら、私も同じようなことを思った。この人に家族がいるかわからないけれど「芥川賞作家のサインだぞ」と自慢された相手が「聞いたことねえよ、こだまって誰だよ」と思いながらページをめくってくれたらいいな。
ストじいのことばかり書いてしまったが、来てくださったひとりひとりのことを折に触れ思い出すだろう。文学フリマにも来てくださった人、「なし水」や「塩で揉む」を持参してくださった人、家族や姉妹で読んでいるという人(多かったです。ありがとう)、一度も会ったことはなかったけれど十数年前からネット大喜利の投稿で名前を見続けてきた人、創作に励んでいる人、ツイッターでよく「いいね」してくれる人(意外とアイコン覚えてます)、ごはんを食べに行ったことのある人、素晴らしい作品を生み出している人、お誕生日の人(3人に「おめでとう」と書いた)、数時間前に訪問したキャッツミャウブックスの安村さん、家出中の人(このあと無事帰宅できた模様)。どうもありがとうございました。伊野尾さんをはじめ、書店スタッフのみなさま、不慣れな私に親切にしてくださりありがとうございました。そして、暑い中ずっと外で案内をしてくださった太田出版営業部の森さん、本間さん、店内で終始にこやかに対応してくださった担当編集の藤澤さん、大変お世話になりました。

サイン会終了後、伊野尾さんが「あっ貼るの忘れた!」と、とても残念がっていたポスター。この日のために自作してくださったのに。記念にいただいた。
思えば、地元を出る際にも想定外の出会いがあった。山道で「〇〇空港」とスケッチブックを掲げるヒッチハイクの青年を乗せたのだ。空港まで十キロほどの民家のない草原で、近くには「クマ出没」の看板が立っていた。前夜泊めてくれた親切なおじさんが「台風が近づいている。帰るなら今だ」と飛行機の手配をしてくれたのだという。青年はスマホを持たずに旅をしており、世話になった人々の住所や電話番号を手帳にメモしていた。昭和のようなやりとりである。私と同じ便に乗って東京へ行くことがわかった。飛行機に乗るのが初めてで搭乗手続きがわからないと言われ、保護者のように立ち会った。親切なおじさんが書いてくれたメモを見ながらパネルを操作していくと、前方の高いシートが予約されていた。空港までのバス賃なかったのに広々とした席に座るんだ、と思うと笑いが込み上げてきた。「いい席ですよ」と教えたら「交換しましょうか」と言われた。遠慮した。東京へ何をしに行くか聞かれた私は「ちょっと知り合いの集まりがあって」と言葉を濁した。嘘ではない。