異臭

連休中に少し変わった出来事があったので書き残しておく。

夫がとある団体の催しの挨拶を依頼されたが、休みの日にそんなことをしたくないので「その日は無理です。泊まりで会議があります」と嘘をついて断ったらしい。なので家にいてはならず遠くの温泉に泊まりに行った。田舎だから家を特定されている。車あるじゃん、家にいるじゃん、と言われるくらいの小さな町である。逃亡を兼ねた旅行だった。

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ちょうど紅葉が見頃だった。帰りに立ち寄った喫茶店の庭が立派で、私はしばらく散歩しながら写真を撮った。そういうものに興味がない夫はひとり先に車に戻った。あとは家に帰るだけ。のどかな田畑を眺めながら車を走らせた。
「なんかくさいな」
夫がしきりに車の窓を開けたり閉めたりする。
「畑の臭いじゃないの?」
「いや外じゃない。車の中がくさい」
若干つんと酸っぱい臭いが漂うが私はそれほど気にならなかった。
「何系?うんこ系?」
「わかんないけど俺には嫌な臭いだ」
原因不明のまま一時間ほど走り、その間も夫は窓を開閉した。気温10度。身体が冷える。
そのとき何気なく、本当に何気なく、自分の足元に目をやるとスニーカーの側面に握りこぶし大の黒い塊が付いていた。
足を動かしたくらいでは落ちない。しかも両足の側面に黒握りこぶし。しがみつくようにべったりと付いている。間違いなく異臭の源である。
なぜ気付かなかったのだろう。運転中の夫に言ったらパニックを起こすかもしれない。
「ちょっと車とめてもらえる?どこでもいい。とめやすいところでいい。ちょっと思い当たることがある」
遠回しに言った。他人事みたいに言った。

町はずれ。自衛隊の駐屯地の塀が続く。車通りもない。ちょうどいい。
車が停止するやいなや私は外に飛び出し、夫の視界に入らないところまで歩き、アスファルトに黒い塊を擦り付けた。土のように見えるが粘っこい。うんこではないと思う。私は犬のうんこを二回踏んだことがあるのでわかるのだが、ちょっと付着した程度でも猛烈な臭いを放った。とても車内で耐えられる臭いではない。だから、これはうんこではないと思う。臭いの質が違う。そう信じたい。しかし土にしては粘性があり、木の棒で剥がそうにもうまくいかない。塊はなんとか落とせたが側面は黒いままだ。しばらく物体と格闘し、幾分ましになったので車に戻った。

「今なにしてた?」当然夫は聞く。
「別に」
「なんか踏んでたんだろ、白状しろ」
「もう落とした」
「落ちてねえよ。靴真っ黒だろ。あんたが木の棒でほじってる一部始終を見てたぞ」
「ここから見えたんだ」
「愚かな姿が丸見えなんだよ」
「そうでしたか」
「やっぱりな。絶対車の中から臭ってたんだよ」
「でもうんこじゃないと思う」
「今うんこかどうかは問題じゃねえんだよ、くさいって言ってんだ」
しばらく取り調べみたいなやりとりが続いた。夫の言うことはいちいち尤もであった。

「靴の底にも付いてると思う。どっかで洗いたい。川か海か洗車場に寄ってもらえる?」
川も海も近くにあったが夫は素通りし、ホースで洗うタイプの昔ながらの洗車場を見つけた。私は洗面道具を入れたポーチから歯ブラシを取り出した。まさかこんなことに使うとは思ってもみなかった。水の勢いが強いのでスニーカーに直接水を掛けることはできない。替えの靴などない。慎重にやらねばいけない。得体の知れない黒い汁が靴下に沁みるのも避けたい。
私はアスファルトの窪みを探し「ここに水を溜めて」と頼み、歯ブラシで靴底をガシャガシャと洗った。「水おかわり」「あいよ」夫が濁った水を弾き飛ばし、窪みを新たに満たす。先ほどまでの取り調べが嘘のように、よい協力体制だった。スニーカーから臭いの元を取り除きたい私と、車内から異臭を締め出したい夫の利害が一致したのだ。靴底も側面も汚れが綺麗に落ち、余った時間で車とアスファルトに散水した。
「気持ちいいね。臭わない靴っていいもんだね」と愚行を忘れて喜んでいたら、夫が再び取り調べ室の形相で「ここから歩いて帰れ」と言った。罪は素直に認めたほうがいい。


『ふたり』文学フリマ札幌

9月22日(日)文学フリマ札幌に持っていく本が完成しました。

ふたり1

ふたり2

『ふたり』
こだま 「母とふたりで」
髙石智一「ふたりの久雄」
江森丈晃(絵・デザイン)

『夫のちんぽが入らない』でお世話になった担当編集者・髙石さん、繊細な本に仕上げてくださったデザイナー・江森さん。ふたりとまた本(冊子)を作ることができてとても嬉しい。

昨年父を亡くしてから母と過ごす日が増えた私。避けていた父と向き合わざるを得ない状況になった髙石さん。伴侶に先立たれ、ひとりで暮らす親の話を互いに書きました。
あまり自分から身内の話をしない髙石さんがバラバラになっていた家族について踏み込んで書いてくださったことに感謝しています。胸が押し潰されそうになる場面がいくつもあった。コロナに感染して寝込んでいた時期に無理をさせてしまい本当に申し訳なかった。というか熱を出しながらこれを書き上げたのか、と驚きました。

江森さんが描いてくださった表紙の絵は「ふたり」を取り巻く人間関係やさまざまな事情が絡み合っている。親が子を抱えているようにも、子が親を介護しているようにも見える。家族とは限らないのかもしれない。親の生活を近くで見守ってくれる人たちもいる。この絵だけでなく冊子のつくりも凝っているので手に取ってみてほしいです。素晴らしい冊子にしてくだりありがとうございました。


当日は三人ともブースにいる予定です。
気軽に足を運んでいただけたら嬉しいです。

【会場】札幌コンベンションセンター(大ホール)
【開催時間】11:00~16:00(最終入場15:55)
【ブース】きー10
【店名】ここは、おしまいの店

配置図


家族の話を読むのも書くのも好きだ。自分で新たにつくる家族ではなく、自分では選ぶことのできない生まれた家の話に興味がある。勝手すぎる、関わりたくない、許しがたい、何を考えているのかわからない。そんな家族とどうやって折り合いをつけているのか、それともこじれたままなのか、選べない相手とどう暮らしてきたのか。仲が良くても、崩壊していても、家族の話に惹かれる。

私は強すぎる母とうまくいかない時期が長かったけれど、私小説『夫のちんぽが入らない』を書いた頃からだんだんどうでもよくなってきた。書きたかったことを書けて憑き物が落ちたのだと思う。母の価値観に縛られていたことに気付き、ようやく自由になれた気がする。

昨年父が亡くなり、また少し母との関係が変わってきた。相変わらず「好き」とは違うし、小さくむかつき続けている。でも身内や近所の人のことをめちゃくちゃに罵る母を見るのはちょっと面白い。そんな母との日々を書きました。


レモンフレンチトーストの答え

かつて祖父母が営んでいた銭湯を探し、江戸川区平井まで行った話を先日書いた。
戦時下の東京を生きた、祖母と銭湯の足跡を追う – OHTABOOKSTAND

この平井にはもうひとつ気になる場所があった。
平井駅のそばにある喫茶店ワンモア。たまたまネットで見たスライスレモンの乗ったフレンチトーストの写真に目を奪われ、これを食べなきゃ後悔すると思った。

レモンが好きだ。レモンを使ったお菓子、パン、料理、全部好きだ。シゲキックス・レモン味の粉だけ舐めていたい。唐揚げにはクタクタになるまでレモンを絞りたいし、つけ合わせのキャベツもレモン汁だけで食べたい。レモン絞り器を考えた人を尊敬している。そもそも酸っぱいものが好きで、酢の消費が激しい。餃子は酢だけで食べる。塩胡椒等は入れない。餃子のこと、酢を摂取するためのツールとして見ている。

酸性の強いものは歯によくないと知ったのは大人になってからだった。中高生の頃は自分用のポッカレモンを冷蔵庫の隅に置き、寝る前に飲んでいた。蓋にちょっと注いで、くいっと飲む。あのボトルは私にとって徳利だった。胃がキュッと委縮するように痺れるのが気持ちよくてやめられなかった。歯を溶かしたくないから今は酸と程よい距離を保っている。

銭湯の翌朝、開店して間もないワンモアに向かった。テレビや雑誌などで紹介される人気店らしい。あっという間に席が埋まっていった。フレンチトーストと生バナナジュースを頼んだ。大好きなものが揃っている。最高。

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なんてシンプルで美しい品でしょうか。
真ん中にレモンが一枚。薄い二枚重ねのパンに卵液がよく沁みている。メープルシロップも添えて運ばれてきたが、酸味を味わいたかったので使わなかった。あっという間になくなってしまい悲しかった。おかわりしようか。でもバニラアイス入りの生バナナジュースの糖分も相当なはず。かなり迷い、一皿でやめておいた。

帰宅してもレモンのフレンチトーストのことを考えた。おかわりしなかった反動がすぐにきた。簡単に食べに行けない距離でよかったのかもしれない。私はしつこいので同じものを何回も食べてしまう。これでよかったのだと思うことにした。

あれを作れないだろうか。それらしいレシピを検索した。
以下、レモンフレンチトーストの試行錯誤の記録。

試作①
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薄切りのレモン一枚の上品なスタイルは私には無理だった。乗るだけ食べたい。欲が素直に出てしまった。まず見栄えがよくない。パンもレモンも厚い。ワンモアで何を見たのか。パンとレモンを与えられた人間が初めて料理したらこうなる、という出来だった。レモンはハチミツに漬けたものを乗せた。


試作②
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若干学習した。欲を出してはいけない。レモンはせめて二枚で妥協した。パンも薄くした。仕上げのレモンのソースが足りず、ちょっとパサパサしている。レモンまだ厚い。うまく切れない。


試作③
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レモン一枚で妥協する代わりに粉砂糖をかけた。これはこれでよい。まだレモンは厚い。粉砂糖をまぶすと多少の失敗はごまかすことができる。便利。やはり薄いパン一枚では食べた気がしない。二枚重ねることに意味がある。


試作④
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ここにきて気付く。私は全部の場所にくまなくレモンが乗っているのを食べたいのだ。その初心に返る。卵、牛乳、レモン(半分)の搾り汁、砂糖の液にパンを浸す。仕上げにレモン汁とはちみつに漬けておいた薄い小切りレモンを乗せる。そのシロップもかける。園児みたいな感想だが、全部にレモンが乗っていて嬉しい。かなり嬉しい。現時点で私が作れるレモンフレンチトーストの上位はこれです。

おわりでーす


追記
次に行くレモンとパンの喫茶店は決めている。去年店の前まで行ったけど臨時休業で、それからずっと心の中にある。


誰も知らない祭

毎回のことだけど、自主的に出す同人誌とは違う責任を感じる。いっぱい宣伝してもらってるのに力が足りずごめんなさいと思うし、版元の倉庫に置けなくなって処分されていく本のことを思うと胸が痛む。そうは言っても同情で手に取ってもらうのは嫌で、難しい。

特にコロナ禍の外出規制が厳しかった頃に出した『縁もゆかりもあったのだ』はあまり動けないまま旬の時期を逃してしまった後悔をずっと引き摺っている。もともとキノブックスのwebで連載していた作品。京都、東京、東北、札幌、網走、台湾などの旅先で起きた事件や家族との思い出話を書いている。webの閉鎖に伴い太田出版に引き継いでもらった。編集者も元キノブックスのTさん、元太田出版のTさんを経て太田出版のFさんへ。リレーのように三人の方に担当していただいている。この本が出版された頃にはまだ入社していなかったFさんが発売から三年経た作品を「売りましょう」と力強く言ってくれたのが涙が出るほど嬉しかった。

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その話をもらったのが昨夏で「はい!がんばります!おまけのエッセイ書きます!」と威勢よく返事をしたにもかかわらず、父の死後しばらく何もできなくなった。亡くなるのはもうずっと前からわかっていて、葬儀の段取りを生前から進めるほど淡々としていたのに、いざその時を迎えると悲しみよりも燃え尽きたようなぼうっとした日々がひたすら続いた。実家と自宅の行き来で疲れていたのかもしれない。

でも秋の文フリにはエッセイを出していたのだから丸っきり書けないわけではなかった。頼まれていたエッセイを書かず、文フリに出てしまった。何やってるんだろう。本を売るために動いてくれたのに。ひどすぎ。最悪。と愚かさを悔やむもその件に触れる勇気がないまま年が明け、再びFさんが「春にやりましょう」と声を掛けてくれた。神様かと思った。それどころか「太田出パン 春のこだまつり」というふざけた案を出し、私の手描きの絵皿までプレゼントするという。
付いて行きます!!!!!私は信用を取り戻すべく改心した。

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サイン本の特典エッセイ『代理サーカス』。秋に出すつもりで書いた話だから春の要素がほぼない!という初歩的なミスに気付いたのは印刷所に出す数日前だった。

『縁もゆかりもあったのだ』をはじめ、講談社エッセイ賞の『ここは、おしまいの地』、『いまだ、おしまいの地』『ずっと、おしまいの地』のサイン本を大量に作った。以前段ボール箱の画像を載せたけど、あれはほんの一回分に過ぎず、笑ってしまうくらいの量が届いて、書いて、送った。

こんなに作って全然売れなかったらどうするのだろう。新刊ならまだしも、普段読んでくれている人は既に持っている気がする。大丈夫なのでしょうか。新たに「読んでみるか」と思って手に取ってくれる人が現れたらすごく嬉しい。でも、その新たなひとりに出会う難しさも知っている。すぐに売れなかったとしても、この先いろんなイベントに出るたびに長く手売りしていきたい。秋や冬になっても「春」「筍」「こだまつり」などと書き込んだ本を配り歩くつもりなので、どこかで見かけた際には「あいつの祭りはまだ続いているのだ」と思ってほしい。

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「太田出パン 春のこだまつり」
抽選で5名に私の描いたオリジナルの絵皿が当たります

①X(旧Twitter)公式アカウント「太田出版なかのひと」をフォロー。 
 https://twitter.com/OHTABOOKS_PR
②『縁もゆかりもあったのだ』の感想を、ハッシュタグ
 「#春のこだまつり」をつけて投稿。

●応募期間
2024年3月19日(火) ~ 4月22日(月)23:59まで
【4月22日まで】太田出パン「春のこだまつり2024」サイン本&感想投稿キャンペーン&イベント開催! - 太田出版 (ohtabooks.com)

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サイン本を置いてくださっている書店さま
*書き下ろしエッセイ『代理サーカス』ペーパー付

・芳林堂書店 高田馬場店さま
芳林堂書店 | いつでも気軽に立ち寄れる身近な本屋さん (horindo.co.jp)

・大盛堂書店さま
こだまさんトークイベント&サイン会 (taiseido.co.jp)

・キャッツミャウブックスさま
春のこだまつり2024(特製ペーパー付きこだまさんサイン本4タイトル) | Cat's Meo... (stores.jp)

・本屋lighthouseさま
縁もゆかりもあったのだ[数量限定でサイン本です] | 本屋lighthouse (stores.jp)
いまだ、おしまいの地[数量限定でサイン本です] | 本屋lighthouse (stores.jp)
ずっと、おしまいの地[数量限定でサイン本です] | 本屋lighthouse (stores.jp)

・丸善 日吉東急アベニュー店さま
honto店舗情報 - 日吉東急アベニュー店 :丸善 - 店舗詳細

・QJストアさま
太田出パン「春のこだまつり」 – QJストア (qjweb.myshopify.com)

*サイン本を置いてくださるお店をまだまだ募集しています
太田出版までご連絡ください



ストロングじじい

都内で初開催となる伊野尾書店でのサイン会で、ひときわ注目を集めた人物がいる。ストロングじじいだ。ストロングおじさん、ストおじなど、目撃者の感覚によって、おじいさん派とおじさん派に分かれた点も興味深い。私は熱がこもらないよう浅めに覆面を被っていたため視界が狭く、小柄なおじいさんに見えたのだけど、実際それほど高齢ではなかったのかもしれない。昔から、まわりに迷惑をかけた大人をじじい(ばばあ)と表記することにしているので、今回はストロングじじいでいかせてもらいます。

サスケの覆面を被り、緊張のまま始まったサイン会。店のレジ横に机を配置してもらい、引換券番号順に二人ずつ入店する流れとなった。感染対策と通常のお客さんへの配慮もあり、参加者には店の外に並んで待っていただくことに。私の作業の遅さから、暑い中かなり待たせてしまい申し訳なかった。そんなまっすぐ伸びる行列に誰よりも反応したのが、隣のセブンイレブン前でストロングゼロを飲む老人だった。界隈によく出没する人だという。

新刊を読みながら待つ方が多かったらしい。歩行者の邪魔にならぬよう道路の端で等間隔に並ぶ、静かな謎の行列。格好の酒の肴を見つけたストロングじじいは、ひょこひょこと歩み寄り絡んでいく。

「外で酔っ払ったおじさんが」「ストロングゼロを」と対面した方々から少しずつ情報が入ってくる。初めは「わあ、大変ですね」と驚くも、通りすがりの酔っぱらいだろうと思っていた。ところが、しばらく経ってもストじいの目撃談が寄せられる。しかも新情報だ。え、まだ居るんか。どういうこと。外のみんな無事だろうか。まだ見ぬストじいへの不安が募る。なぜかストじいの報告をしてくれる人は半笑いだった。凶暴なじじいでは無さそう。それだけが救いだった。

私にできることは「30分押し」を取り戻すこと、目の前の人に感謝の気持ちを伝えること。夢中でサインしている間、外で何が起きていたのか。ストじいを目撃した人々のツイートやブログを追ってみる。

ストじいに気付く人々
・登場時は隣のコンビニから両手に食べかけの麺類みたいなの持ってたけどいつしか手ぶらになり、サイン待機列の横の歩道傍に座った。「あっ!座った!なんか言ってる!」というところまでは横目で確認していた。
・サイン会の待機列に並びながらめろめろに酔っ払っているおじさんを眺める
・皆さんが話題にされてるストロングおじさんもきちんと見ました
・ずっと見えない誰かと楽しそうにお話していて微笑ましかった
・サイン待ちの列に向かってコンビニ前の酔ったおじさんがささやかに演説していて、それがまた良かった

犬に噛まれるストじい
・待ってる間、本を読む人たちが多かったけど、きっと誰もが視界の端に捉えてたおじちゃん。散歩中のワンちゃんに優しく声かけてた。
・散歩してた犬に手を少しかまれてました

ストじいを通して広がる交流、対応する紳士
・私はスマホをみるふりをしながら、一部始終をきいていたところ、伊野尾書店さんのお店の外壁に貼ってあった芥川賞受賞された女性作家さんがきてるのだと思っていたらしく、絡んだ男性に、この人が来てるのか??と尋ねるストロングゼロおじいさん。違うんですよ、と優しくこたえる若き紳士。
・酔っ払ったおじさんが列の方に絡んでたけど、どなたかすごく優しく対応してて流石…と思った「誰がきてるの?こだま?下の名は?」「下はないんですよ」ちょっと笑ってしまった。こだまファンはみんな優しい。
・あ、それ私です。壁のポスターの女性が来てるの?と2度尋ねられたのでおじさんのタイプだったのかなと思いました。ともあれ待ち行列でも優しい気持ちにさせてくれたのはこだまさんのおかげです。まさにこだまさんのエッセイに出てきそうなおじさんでしたね笑(若き紳士談) 
・おじさんが「直木賞なの?」「賞じゃないのに何で並んでるの?」とボケと鋭さが入り混じったツッコミをしてくるのが可笑しくて、ちょっと演じるような気分で返答していました(若き紳士談)

ストじい謎のマウント
・何と、そのおじいちゃん、こだまさんの素顔をみた、的なことをいいはじめ。www綺麗な人だった、俺、みた、といって、マウントとって、また定位置のコンビニ前へ。 思わず、私は笑ってしまったのですが、みんな静かに、何事もなかったかのように並び続けていたので、[ 皆さん、大人なんだわ、、、]と自分を恥じた次第。

遭遇できなかった参加者が寂しがる
・こだまさんファンはあのおじちゃんに出会えた事をラッキーだと思う人種の人達だと思うよ。なんかわかんないけど、こだまさんのサイン会っぽい!みたいな感情になったもの。
・あのおじいちゃんのお陰で、こだまさんワールドに迷い込んだ気がしました
・こだまさんのサイン会に参加した人々は、道端の酔っ払ったおじさんをもれなく目撃しており、共通の話題としている。もちろん私も見た。こだまさんと会えたことと並ぶくらいインパクトに残った可能性がある。サイン会を思い出すとき、おそらくあのおじさんのことを皆も思い出すのだ…
・1番乗りだったから話題になってるストロングおじさんに会えなかったな〜
・サイン会は早い順番だったので、皆さんが噂しているストロングおじさんに会えなくてちょっぴり残念。こだまさんと皆さんと共有したかったなぁ

ストじい意外な結末
・私が最後尾だったので、酔っ払いおじいさんの動きをずっと見守りながら並んでいました。結構派手な立ち回りでした。
・スタッフの方に話しかけたり、最後は先生のサインがほしいって店内に入ってきたりしてたけど、結局どうなったのか気になる
・「業界が大変な中、あなたのおかげで100人も200人も並んで……」と感極まって涙しながらお帰りになりました(編集・藤澤さん談)


窓の外がすっかり暗くなっていた終盤、視界の端で伊野尾さんが誰かをなだめていた。噂のストじいがとうとう店内に入ってきたのだ。しばし押し問答のようなやりとりが続き、やわらかな声掛けとは裏腹に、腕にぐっと力を込めて店の安全を守ろうとする伊野尾さんがいた。どうやらお帰りになったようだなと安堵した直後、ストじいが『ずっと、おしまいの地』を持って目の前に立ったので笑った。急に「買う」と言い出したらしい。絶対読まないだろ。そう思ったけれど、べろんべろんで会話が成り立たず、そうでもしないと店に居座りそうな状況だった。

いきなり世の中を嘆く演説が始まった。座っていた私は「おっ、達者だな」と思いながら、サインの手を止めてストじいを見上げた。マスクから出ている両方の鼻の穴から大きめの白い塊が見えた。「この不況で」と論調が強まると、その白いものがふわりと揺れる。ストじいの呼吸と連動してる。その様子をじっと見ていると、とつぜん会話が途切れ、ストじいの目が赤く潤み、演説じいから泣きのじいに急変した。よくわからないまま必要以上に感謝され、大人しく店を出て行った。「この辺でよく見かけるけど、うちの店で本を買ったのは初めてです」と伊野尾さんも驚いていた。

「これからも伊野尾書店をよろしくお願いします」とサインした。本当に頻繁に来るようになったら伊野尾さんに迷惑が掛かるなと後悔していたら「こないだは芥川賞作家さんにサインしてもらえてよかったですねと言っておくのでノー問題です」と強気の返信があった。ストじいは終始、芥川賞作家の高瀬さんのサイン会だと思い込んでおり、散々ちがうと言っても聞いてくれなかった。ストじいの中では今でもそういう話になっているだろう。それは感極まって泣くよな。高瀬さんがザ・グレート・サスケに扮する意味は全くわからないが。


中学生のとき、集落の公民館でとある女性エッセイストの講演会があり、人数集めのため、母に連れ出された。本業は俳優らしい。初めて聞く名前だった。母親の世代がぎりぎり知っているくらいの知名度だった。彼女の壮絶な体験が本になったという。本人が登壇しても「ああ、あの人か」とはならなかった。知らない人の知らない話だった。

だけど、ひとつだけ鮮明に覚えているエピソードがある。本の営業でスナックをまわった彼女は、酔っぱらいに「一曲歌ったら買ってやる」と絡まれ、屈辱を味わいながらマイクを持った。この酔っぱらいが興味を持たなくても、翌朝テーブルの上に本があったら家族の誰かが読んでくれるかもしれない。そう思ったら歌えた。そんな話だった。

赤ら顔のストじいにサインをしながら、私も同じようなことを思った。この人に家族がいるかわからないけれど「芥川賞作家のサインだぞ」と自慢された相手が「聞いたことねえよ、こだまって誰だよ」と思いながらページをめくってくれたらいいな。

ストじいのことばかり書いてしまったが、来てくださったひとりひとりのことを折に触れ思い出すだろう。文学フリマにも来てくださった人、「なし水」や「塩で揉む」を持参してくださった人、家族や姉妹で読んでいるという人(多かったです。ありがとう)、一度も会ったことはなかったけれど十数年前からネット大喜利の投稿で名前を見続けてきた人、創作に励んでいる人、ツイッターでよく「いいね」してくれる人(意外とアイコン覚えてます)、ごはんを食べに行ったことのある人、素晴らしい作品を生み出している人、お誕生日の人(3人に「おめでとう」と書いた)、数時間前に訪問したキャッツミャウブックスの安村さん、家出中の人(このあと無事帰宅できた模様)。どうもありがとうございました。伊野尾さんをはじめ、書店スタッフのみなさま、不慣れな私に親切にしてくださりありがとうございました。そして、暑い中ずっと外で案内をしてくださった太田出版営業部の森さん、本間さん、店内で終始にこやかに対応してくださった担当編集の藤澤さん、大変お世話になりました。


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サイン会終了後、伊野尾さんが「あっ貼るの忘れた!」と、とても残念がっていたポスター。この日のために自作してくださったのに。記念にいただいた。

思えば、地元を出る際にも想定外の出会いがあった。山道で「〇〇空港」とスケッチブックを掲げるヒッチハイクの青年を乗せたのだ。空港まで十キロほどの民家のない草原で、近くには「クマ出没」の看板が立っていた。前夜泊めてくれた親切なおじさんが「台風が近づいている。帰るなら今だ」と飛行機の手配をしてくれたのだという。青年はスマホを持たずに旅をしており、世話になった人々の住所や電話番号を手帳にメモしていた。昭和のようなやりとりである。私と同じ便に乗って東京へ行くことがわかった。飛行機に乗るのが初めてで搭乗手続きがわからないと言われ、保護者のように立ち会った。親切なおじさんが書いてくれたメモを見ながらパネルを操作していくと、前方の高いシートが予約されていた。空港までのバス賃なかったのに広々とした席に座るんだ、と思うと笑いが込み上げてきた。「いい席ですよ」と教えたら「交換しましょうか」と言われた。遠慮した。東京へ何をしに行くか聞かれた私は「ちょっと知り合いの集まりがあって」と言葉を濁した。嘘ではない。

サインと覆面

9月3日、中井にある伊野尾書店で新刊『ずっと、おしまいの地』のサイン会だった。人生2度目の書店サイン会。1回目は昨秋、函館の隣町の北斗で開催していただいた(その様子は新刊に収録した日記で)。トークイベントなどの終盤にサインの時間を設けてもらったことは何度もあったけれど、サインだけのために集まってもらうイベントには慣れていない。

いいんだろうか、とサイン本を作るたびに思う。私の名は、平仮名三文字。堂々と自分の名を中央にバンと書いて終わることもできるけれど、その文字数の少なさ、平易さに、申し訳ない気持ちになり何か一言書いている。デビュー作で初めてサインをすることになった時、その申し訳なさは今よりももっと強く、無名の人間のサインをありがたく思う人がいるだろうか、と懐疑的だった。だから、一言添えるだけでなく、できるだけ被らないメッセージにしようと決めた。くじ引きみたいにいろんなパターンがあったら、それほど思い入れがなくてもSNSに載せてくれるかもしれない。そんな下心もあった。自分の身をわきまえているけれど、同時に欲深い。本買ってほしい。そうやって2017年に今のサインの形がほぼできあがった。

次の本ではやめようと思っていたけど、やっぱりやっていた。平仮名三文字だけで買ってもらえるような立場ではない。それに、どうしたって欲深い。ビニールの封を開けるまで、または通販で注文して手元に届くまで、何が書いてあるかわからないのはちょっとした占いみたいでいいじゃないか。そんな流れで5年経った今も80~100くらい文言を用意しておく。主に東京へ向かう飛行機の中で考え、手帳にメモする。ネット大喜利に最もはまっていた頃と同じようなことを形を変えてやっている。名前ひとつでいく人をかっこいいと思っている。私は自信がないからいろいろ書いてしまう。

前置きが長すぎる。伊野尾書店の話だ。覆面作家が本格的な覆面を被ったらいいのでは、とプロレス好きの伊野尾宏之店長が私物の覆面を何枚か用意してくださった。その中に私でもすぐわかるザ・グレート・サスケのマスクがあった。サスケは岩手の県議に当選した際、奇しくもベテラン議員たちに「覆面を外して活動しろ」と怒られた人でもあった。けっこう揉めて、顔を覆う面積を若干減らす譲歩をしつつも、最後まで覆面で通していた。他人と思えない。ジャンルがあまりにも違うから結びつかなかったが、同じ道を渡ってきた人ではないか。これでサインをするのは息苦しいかもしれないと言われたけれど、そんな親近感もあり、絶対着けなきゃと思った。

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一般のお客さんとして来店していた子供に「誰?何してるの?」と不思議そうに言われた。本当にその通りだ。君の疑問は正しい。


次回、ストロングじじいの話


この夏はよく動いてる

久しぶりだ。新刊の準備と急に始めたバイトで頭がいっぱいになり他のことができなくなっていた。他の人ならさっと片付けられるようなことに何日もかかってしまい、私は本当に仕事ができないんだなとつくづく思う。新刊にも仕事の話をいくつか書いたけれど、同じ職場で何年も働くことができない。いい顔をして引き受けすぎたり、細部までやろうとして時間が足りずどんどん作業が増えたりして当然のように限界がくる。その調整がかなり下手で、「できない」や「辞めたい」もなかなか言い出せない。働きたい気持ちは常にあったけど、うまくいかない。あるときから数か月、半年の臨時職員に絞ったら何とかやり通せることがわかった。自分から言わなくても自動的に消滅するのは助かる。終わりが見えているのも助かる。職場に迷惑をかける前に終われる。

今のバイトも体力がぎりぎりだけど、帰宅して汗でざらざらになった顔を洗い、寝転びながらアイスを食べ、録画した番組を観ながらうとうとしている時間がたまらなく幸せだ。次の勤務日が近付くとそんなことも忘れて再び不安に襲われるのだが、「不安、働く、不安からの解放」という短期の流れが今はちょっとした麻薬みたいになっていて、無計画にぶち込んだバイトにこの夏は救われている。
去年の夏は精神の状態がかなり悪く、春先にほぼ毎日つけていた自分だけの日記が夏の間だけぽっかり抜けている。本当に何もできなかった。急にバイトを始めたのはいくつか理由があり、去年みたいになりたくないという不安もそのひとつだった。

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数年前から文章の仕事をもらえるようになってありがたく思っているのは仲介してくれる編集さんの存在だ。一対一で仕事の依頼をもらうと自分の能力を考えず、「やります」と言ってしまう。どれくらいの時間を要するか、他の作業と被ってないか、ちゃんと考えることができない。断るのも苦手だ。今は目の前の作業に集中したほうがいいのではないか、無理してませんか、断ってもいいんですよ、この日までにできるんですか、といった編集さんの一言で正気に戻り、そうだった、私は一度にいろんなことができないんだったと気付く。仕事量かなり少ないはずなのにうまくやりくりできない。多分これは直らない。ゆっくり自分のできる範囲のことだけやっていきます。

最後に、不器用ながら書き続けてきたエッセイと日記が本になります。
ずっと、おしまいの地 - 太田出版 (ohtabooks.com)


おすすめした一覧

先日おすすめの本を訊かれ、推薦コメントを載せていただいたり、書評欄で紹介した作品をまとめておこうと思った。ツイッターではその都度告知しているけど、私のどうでもいい日常の投稿にどんどん埋もれていくので以後ここに追加していきます。思い出しながら書いたので、漏れている作品もあるような気がする。毎回のことだけど、人様の作品に自分のような無知が意見してよいのかという気持ちになり、百文字程度に何日も何日も悩む。定期的に身の回りのことが何もできなくなる停滞、落ち込みの時期が訪れ、本もまったく読めなくなり、書評やコメントのお話を引き受けられないことも多々ありました。寄稿したエッセイなどもまとめたことがなかった。今度ちゃんとやろう。

◇小説現代「読書中毒」で紹介

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』
津村記久子『水車小屋のネネ』

ひらいめぐみ『転職ばっかりうまくなる』
点滅社編『鬱の本』
シソンヌじろう『シソンヌじろうの自分探し』

金川晋吾『いなくなっていない父』
草下シンヤ『怒られの作法』
蛭田亜紗子『窮屈で自由な私の容れもの』

僕のマリ『書きたい生活』
国崎☆和也『へんなの』
赤染晶子『じゃむパンの日』

今村夏子『とんこつQ&A』
キム・ジヘ(訳/尹怡景)『差別はたいてい悪意のない人がする』
堀静香『せいいっぱいの悪口』
鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』

藤野千夜『団地のふたり』
高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』
オルナ・ドーナト(訳/鹿田昌美)『母親になって後悔してる』

吉村萬壱『哲学の蠅』
桜庭一樹『少女を埋める』
キム・ヘジン(訳/古川綾子)『娘について』

わかしょ文庫『うろん紀行』
諸隈元『人生ミスっても自殺しないで、旅』
高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』

坂本千明『退屈をあげる』
五十嵐大『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』
坂口恭平『躁鬱大学』

12人のオムニバス・エッセイ『障害と病と、傍らにあった本。』
温又柔『魯肉飯のさえずり』
サラ・クロッサン(訳/最果タヒ・金原瑞人)『わたしの全てのわたしたち』

鳥羽和久『おやときどきこども』
寺地はるな『水を縫う』
佐々木ののか『愛と家族を探して』
山崎ナオコーラ『かわいい夫』

戸田真琴『あなたの孤独は美しい』
王谷晶『どうせカラダが目当てでしょ』
福森伸『ありのままがあるところ』
島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』

◇hontoブックツリー
末井昭『自殺』
松尾スズキ『東京の夫婦』
押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
せきしろ『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』
王谷晶『完璧じゃない、あたしたち』

◇エッセイ・短編掲載
合同誌『ふたり』
個人誌『西瓜になった父』
キャッツミャウブックス7周年記念ペーパー『ミイの当番』
meguru ぐるり通信vol.4「猫もあなたを愛してる」
雨宮まみ『40歳がくる!』
点滅社編『鬱の本』
合同誌『超個人的時間旅行』
鶴見済『人間関係を半分降りる』書評
クイックジャパンvol.165『ちひろさん』特集
河出書房新社編『「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ』
合同誌『こもれび』
『群像』2021年5月想い出の駅
『覚醒するシスターフッド』
『余命一年、男を買う』刊行記念リレーエッセイ
『夫のちんぽが入らない』作者こだまさんの「本を読まない父に読ませたい話」 | 『余命一年、男をかう』刊行記念リレー連載 もし余命一年だったら | mi-mollet(ミモレ) | 明日の私へ、小さな一歩!
本屋lighthouse編『灯台より』増刊号
『つくづく』休刊記念増刊号
合同誌『でも、こぼれた』
合同誌『生活の途中で』
『飛ぶ教室』vol.57 短編
『飛ぶ教室』vol.56 エッセイ
『文藝』夏季号「平成文芸 何読んだ?」
週刊読書人ウェブ『2018年を振り返って』
『私と、アセンス。』
she is『私は気にしないができない』
私は「気にしない」ができない/こだま - She is [シーイズ] (sheishere.jp)
she is『壊れた母と、壊れた私』
壊れた母と、壊れた私/こだま - She is [シーイズ] (sheishere.jp)
合同誌『僕の休日は誰かの平日』
『ユリイカ』2017年8月号
合同誌『別冊ZOO』
『PONTOON』2016年3月号
合同誌『森のヤマンバ姉』
個人誌『塩で揉む』
合同誌『ペンネの日記』
合同誌『なし水』

※まだいくつか抜けている気がします


◇帯や特設サイトなどにコメントを載せていただいた作品
ササキアイ『花火と残響』
スズキナオ『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』
川井俊夫『金は払う、冒険は愉快だ』
藤岡みなみ『パンダのうんこはいい匂い』
鶴見済『人間関係を半分降りる』
ララ・パーカー『子宮内膜症で痛すぎてセックスも満足にできない女子が、毎日闘いながら生きていく話』
佐々木ののか『自分を愛するということ(あるいは幸福について)』
僕のマリ『常識のない喫茶店』
鳥飼茜『漫画みたいな恋ください』
レンタルなんもしない人『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』寺地はるな『大人は泣かないと思っていた』(文庫解説)
爪切男『死にたい夜にかぎって』(文庫)
寺地はるな『水を縫う』
pha『夜のこと』
舞城王太郎『されど私の可愛い檸檬』
吉村萬壱『前世は兎』
まなつ『おっぱいが大きかったので会社員を辞めてポールダンサーになった話』
はらだ有彩『日本のヤバい女の子』
小林エリコ『この地獄を生きるのだ』

吉田貴司『やれたかも委員会』3巻
ペス山ポピー『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』2巻
藤岡拓太郎『夏がとまらない』
うめざわしゅん『パンティストッキングのような空の下』

ベルク郎×ヘテ『TWIN PEAKS ZINE(全話感想&イラスト集)』
ミワ『日々はすべて穏やかな一日に』

◇映画
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
『17歳の瞳に映る世界』
『夜、鳥たちが啼く』
『あのこと』



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