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こもれび | 本屋lighthouse (thebase.in)
前回2019年の文フリ東京の同人誌は寄稿者の頭文字から『でも、こぼれた』(でこ彦、餅井アンナ、こだま、僕のマリ、レンタルなんもしない人、髙石智一)。今回の『こもれび』もその流れを密かに受け継いでいる。髙石さんが考え、その手があったかと納得。私は、たこ、たこの散歩、たこの脱走...と頭を蛸に乗っ取られていたから。
文フリに出てみたいと髙石さんに言ったのは春先だった。髙石さんは本業の編集のほか銭湯の清掃バイト、web連載『清潔な人々』(現在は個人ブログで継続)と、とんでもなく多忙なのに共同参加を快く受けてくださった。私には何年も書けずにいる原稿があり「いや、まずやることがあるだろ」と言いたいはずなのに、脇道にそれるほうに手を貸してくれた。こんなにただ待って、尚且つ力を貸してもらえること、本当に贅沢だと思う。
今回載せた3本のうちのひとつにも書いたけれど、原稿だけでなく生活全般がうまくいかない日が多い。この数年は気持ちも荒みがちで思うように書けなくなってしまった。人のことを考えられない、ひどいことを平気で言う、自分の生活も管理できない。それが書くものにも表れて、以前のような気持ちで向き合えなくなってしまった。読み返しても文体が荒くて粗い。自分の悪いところがわかっているのに修正する力がない。それで、連載とか出版ではなく、初心に戻れそうな文学フリマに出てみたいと思った。
でも、いざ書き始めるとやはり難しくて以前のように「気楽に」とはいかなかった。忙しい髙石さんを巻き込んでしまったという責任も感じる。先に書き上がった髙石さんの3本を読ませてもらったら、ひとつひとつの描写がものすごく丁寧で、豊かで、そこに喫茶店の店主が、サウナが、古着の襟やギャザーの様子が次々と目に浮かんでくる。私もこういう風に書きたいのに、と本当に悔しくなってきた。そういうことを直接本人に言うようになったのも、いいのか悪いのか。とにかく文章も人間としても、いまの自分の事ぜんぜんよく思えない。でもこれがいまの私の限界なんだろう。変わりたい。そんな感情だけがとっ散らかった記録になった。薄い本なのに995円で、ますます申し訳ない。そもそも今回のテーマは「好きなもの」だった。書いているうちにどんどん逸れて最後には苦しい話になっていた。
文フリの前の晩、髙石さんと新橋の喫茶店「みやざわ」へ行った。
数年前に初めてそこへ連れて行ってもらい、たまごサンドイッチの美味しさにびっくりした。当時はまだそれほど悩んでおらず、ただ楽しい記憶として残っていた。だから、今回ちょっとでもその感触を思い出せたら。私の中では文フリと同じように願掛けみたいな気持ちで食べた。
皿の上のサンドイッチを指さしながら「たとえば、この状態を描写していたいんです」と髙石さんが言った。ああ確かにそんな楽しさが、押し付けることなくとても自然に伝わってくる文章だった。私はそういう視点でものを見ることが少なかったなとも思った。得意不得意なこと、文章についての悩みなどを話せてちょっと楽になった。これからの約束事もした。今回の上京を機にきっと変わっていけると思う。
長くなったので文フリ当日の話はまた次にする。