2018年01月

『ここは、おしまいの地』の話

25日にエッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)を出しました。前作『夫のちんぽが入らない』の出版前から『クイック・ジャパン』にて読み切り・連載として載せてもらっていたので、2作目といっても、ほぼ同時進行で2年間書き続けていた作品になります。こうして本を出せるのも前作や連載、そしてこのブログを読んで下さる方々のおかげです。本当にありがとうございます。

また、2014年から一緒に同人活動をしてきた爪切男さんのデビュー作『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)も同時に発売しました。「文学フリマ」で並んで売り子をしていた爪さんと、今度は書店の同じ棚に並べてもらっている。まさかこんな日が来るとは思ってなかった。同人誌を出せただけで充分幸せだったから、そのあとのことは全部夢なんじゃないかと思いながら過ごしている。

9784778316129_帯あり
カバー写真/こだま
ブックデザイン/鈴木成一デザイン室
公式サイト
http://www.ohtabooks.com/sp/oshimai/


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まるで集落の山並みのような目次。
2015年6月~2017年8月の全20話を大幅に加筆修正。


書店もCDショップも服屋もコンビニもない。電車も止まらない。ただヤンキーと熊がのびのびと暮らす。私はそんな山奥の集落で育った。「東京」はテレビや本の中にだけ存在する場所で、行ってみたいと思ったこともなかった。行く手段もわからなかった。憧れる気持ちすら抱けないほど、地理的にも心理的にも遠い場所だった。そんな閉ざされた地での暮らしは、集落の民ですら「おしまい」だと感じていたのだから、都会の人にはもっと奇異に映るかもしれない。

土地だけではない。家族、親戚、同級生、初めて交際したヤンキー、好きだった先生、奇病、いくつもの仕事。都会の出来事は黙っていても誰かがきっと書く。でも、私の「おしまい」の地の話は誰も書かない。そもそも誰も知らない。そのことに気付いてから故郷の話を綴るようになった。そして、少しだけ愛着を持てるようになった。

担当編集の続木順平さんから「手に取って、どこからでも気軽に楽しく読めるような本にしよう」と言われ、連載時よりも内容を絞った。文字数も1000弱~8000字と長短さまざま。


■担当編集さん
この2年で担当編集さんが2度代わった。退職や社内事情によるもので私が問題児なわけではないです、多分。交代のたびに悲しくて泣いたけど、いま思うと計3人の編集さんと関わることができたのは幸せだった。

「エッセイを書きませんか」とDMで声を掛けて下さったのは初代担当の小田部仁さん。編集者の方とやりとりすること自体初めてで、少し怖くなり、小田部さんのお名前で検索したら某番組に出演した動画があった。誕生日プレゼントをもらってすごく喜んでいる映像だった。その様子がとても誠実そうで、本当に良かった。この人は怖くない人だと思い、すぐ「書きます」と返信した。たぶん初めて言いますが『クイック・ジャパン』に寄稿しようと思った理由は「小田部さんが良い人そうだったから」です。その号に掲載されたのが『父、はじめてのおつかい』。好きなことを書いていいと言われて真っ先に父の顔が浮かんだ。

掲載誌が発売されると、昔からのネットの友達が自分のことのように祝福してくれた。本当に嬉しかった。私はこのことを家族や身の回りの人には言わず、ネットの人たちとだけ共有した。それはいまも変わらない。

二代目の担当さんは元編集長の藤井直樹さん。ももクロに全力を注いでいた藤井さんに「1万字を超える長い文章を読んでみたい」と言われ、そんなものは書いたことがなかったので大いに困った。もう何でも自分の思い出を詰め込んでやれと自棄になり、『集落に生まれて』という昭和初期の貧乏物語みたいなタイトルで提出。すると、藤井さんは文中にあった「おしまいの地」というフレーズを拾って「こっちのほうがいい」と言い、『ここは、おしまいの地』という題名を提案して下さった。貧乏そうなタイトルを捨てて正解だった。

そして三代目の続木さん。続木さんの編集長就任に伴って誌面がリニューアルし、私の「読み切り」が「連載」となった。2ヶ月に1度とはいえ、そこそこ長いエッセイを書いていくと、「体験」の貯金がどんどん減っていく。いずれ書きたいことが何もなくなってしまいそうで怖かった。そんなとき、とある方に「出し惜しみしないでどんどん書いていけ。どうにかなる」と励まされた。私は後先考えずに突っ走ることにした。この先も髪を振り乱して書いていこうと思っている。書籍の担当編集を務めるのはこれが初めてだとお聞きし(勘違いだったらすみません)、絶対いい本にしたいと思った。『クイック・ジャパン』の忙しすぎる編集作業で死んだ目をしていた続木さんを見てそう思った。

業務部の杉山さんは素敵な特設サイトを作って下さった。書店員さんの心のこもった感想が日々更新されている。何度か太田出版さんに伺ったことがあるのですが、みなさんとてもフレンドリーで、「いつも読んでますよ」と気軽に話しかけて下さる。こんなに応援してくれる人がいるんだ...と思うと次の連載も頑張れる。私は匿名で活動しているので「売れたい」とは思わないけど、本に関わって下さった方々にお世話になった分を返したいから、本は売りたい。作品は売れてほしい。


■装丁
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装丁は鈴木成一デザイン室の鈴木さんと岩田和美さんが手掛けて下さった。
鈴木さんは私の撮った10枚ほどの写真の中から「これがいい」と即決。「おしゃれにはしたくない。でもどこか気になるつくりにしたい」と言って下さった。実際の写真よりも全体の色味を落とし、絵画のような灰色の空の下、朽木が浮かび上がっている。白い題字が添え木と共に地面に打ち込まれている。この地で書いていけと背中を押してもらったような気持ちになった。


■推薦文
帯の推薦文はゴールデンボンバーの歌広場淳さん。お忙しい中、数編を収録した「プルーフ」ではなく、全編のゲラに目を通して下さったと聞きました。なんて律儀な方なのだろうと震えました。このブログも読んで下さっていたそうです。光栄です。侘しい草原を彩る画像と言葉。アンバランスさが素敵だなと思う。どうもありがとうございました。

書店用のPOPには竹原ピストルさんの力強い推薦文を掲載させていただきました。
https://twitter.com/mzsm_kuzuhaeki/status/956352974711762944
水嶋書房くずは駅店さん
https://twitter.com/tsutayahatagaya/status/956414422569725953
TSUTAYA幡ヶ谷店さん

この海辺の写真も、カバー写真候補としてデザイナーの鈴木さんにお渡ししていたものだった。10年くらい前、野狐禅の「カモメ」という歌が好きだとブログか何かに書いたことがあったのですが、竹原さんの沁み入る文章と共に偶然にもカモメの写真を使っていただき、ひとりでこっそり喜んだ。ツアーや紅白などでスケジュールがいっぱいな中、本当に感謝しています。

歌広場さん、竹原さん、とても素敵な推薦文をありがとうございました。贅沢だ。贅沢すぎる。

私は「かなりキている」

入院日記
2015年2月
入院して丸1ヶ月だと気付く。9時半からリハビリだった。腕の重りは750グラム。少しずつ重くなっている。「いつもの棒」に始まり「プラスチックのバット」を100回振る運動。私の曲がった手首をマッサージしてくれていたMさんの頭が突然ガクッと崩れた。筋を押しながら寝ていたらしい。ものすごい長押しだった。「もうマッサージ大丈夫ですよ」と言ったら「いやいや」などと揉み始めたが、また白目になっていた。かなり疲れているらしい。むかし教習所の先生も助手席で堂々と寝ていたし、教育実習の指導係の先生も私の授業を監督しながらいびきをかいて寝ていた。私は人を退屈にさせ、たちまち寝かせる才能に長けている。全身から睡眠導入成分が出ているのかもしれない。眠れない人は呼んでほしい。

正気に戻ったMさんが「手首のレントゲン、2年前のやつと比べてみたんですけど・・・」と言いにくそうな表情をしたので、「キてましたか」と訊いたら、笑いを噛み殺しながら「かなりキてましたね」と言った。人の骨で笑うなよと思いながら私も笑った。骨と骨の隙間がなくなり、一枚の歪んだ板のようになっているらしい。「もうくっついちゃったらどうしようもないんでしょうね」と尋ねると、「そうですね、どうしようもないですね」と即答される。少しは否定してくれよ。笑った。最悪なのだが笑った。

ハガさんのあとに「くまさん」というおばあさんが入った。くまさんの血圧、くまさんのお薬、くまさんのおしっこ、くまさんのおむつ交換、くまさんのげぼ。名前のおかげで何もかもが可愛らしい。昼過ぎに図書ボランティアのおじいさんが来た。中島京子『小さいおうち』と辻村深月『ツナグ』を借りる。『小さいおうち』は、先日読み終えた幸田文『季節のかたみ』の丁寧な暮らしぶりと重なる。おせちの支度や掃除の仕方、そんな日常の所作ひとつひとつが細やかに描かれていて良い。退院したら家事をきちんとやろうと思う。22日「猫の日」に外出できることになった。今度はちゃんと外出届が許可された。猫を触るために帰る。

2015年2月
部屋のおばあさん3人が午後の日差しに吸い寄せられるように窓辺でお喋りをしていた。ハガさんが去り、この部屋の患者にも他愛のない会話を楽しむ余裕が生まれた。おばあさんたちは「リハビリの先生の中で誰が一番イケメンか」という話題で盛り上がっていた。「澤田くん良いよね」と向かいのばあさんが率先して声を上げた。仏頂面の彼女が乙女みたいにはしゃいでいた。「入院代なんて1円も払わないよ」と看護師に食ってかかるばあさんと同一人物とは思えない。「あっ、ショウくんもいいかも」と私の知らない名前が続々と出てくる。落ち着いてほしい。ほか数人の名が挙がったが、Mさんの名は一向に出てこない。駄目らしい。Mさんイケメンではないらしい。Mさんは出目金に似ている。


2015年2月
外出できる日。母が病室まで迎えに来た。父の運転で帰るも、水たまりを避けようとしてハンドルを取られ、センターラインを越えてぐるんぐるんと3回くらい大きくスピンした。対向車がちょうど途切れていて間一髪で助かった。死ぬかと思った。病院で首を切られても死ななかったのに。しばらく外に出ないうちに路面の雪は無くなり、春の景色に近付いていた。分厚い真冬のコートを着ている私は季節に置いて行かれている。

○○屋に寄ってもらい、夫の好きなケーキをおみやげに買う。猫は、ロボットみたいな装具をつけた私を見ても逃げ出さずに出迎えてくれた。部屋は相変わらず清潔に保たれている。ちゃんと掃除機をかけているようだ。布団はレイコップできれいにしているらしい。すばらしい。やはりこの家は私がいないほうがきれいだ。

みんなでケーキを食べた。父は鹿児島に行っていたらしい。おみやげの「かるかん」をもらう。両親が帰ったあと、人間のトイレと猫のトイレを掃除した。病院まで夫に送ってもらった。途中でカレーを食べた。スーパーでイチゴカプリコと霧の浮き舟を買う。穴の空いている系が好きだ。私の肺もちょうどこんな穴が空いている。病院の売店の品揃えの少なさに慣れつつあった私は、お菓子だけで何列も棚があることに興奮し、どうしよう決まんない!どうしよう!と大人なのに手足をばたばたさせてしまった。前回も同じことをした。「ぜんぶ買いなさい」と言われた。ほしいお菓子を好きなだけ買うことができるので大人は得だ。

明日、向かいのおばあさんが退院するという。このおばあさんは息子の買ってくるたこ焼きやキャラメルコーンをつまみながらテレビを観て、そのまま歯も磨かずに寝るので看護師にいつも怒られている。ジャンク老人。偏屈なところが好きだったので、いなくなるのは寂しい。


2015年2月
向かいのおばあさんが退院した。ボーダーのシャツとジーンズに着替えたおばあさんは、ちょっと小沢健二に似ていた。息子が用意してくれたものらしい。「こんなの着たくないんだよ」と怒っていたが、かなり嬉しそうだった。素直じゃないところも好きだ。気付かなかったけれど、意外と若いのかもしれない。寝巻きは人間を老けさせ、駄目にする。

明日は私を含め、この部屋の3人が別の階に移動することになった。症状の軽い患者はリハビリ専用のフロアに移されるのだという。退院も近いのかもしれない。上田岳弘『太陽・惑星』を読み始めた。情報がガーッと押し寄せてくる。「この書き手を絶対にデビューさせたい。強くそう思った」という中村文則さんの帯も良い。川上弘美さんの恋愛短編『天頂より少し下って』読了。私は恋愛の話が好きではない、ということに気付いた。ドラマも恋愛ものはあまり観ない。感情が死んでいるんだろう。川上さんの文章は美しいので好きです。

「お便」との別れ

1/25のエッセイ発売日までに入院日記を卒業できるのか。ちなみに退院したのは3月。

2015年2月
食事中に長い横揺れがあった。私は大きな地震に遭遇して自宅がめちゃくちゃになったことがあり(祖母は仏壇の下敷きになった)、少しの揺れにも敏感だ。すぐさま察知し「地震ですね」と教えると、向かいのばあさんが「ニシンの小骨は嫌だよねえ」と呑気に答えた。地震とニシンを聞き違えたらしい。
「あ、いや、揺れてますよ」
「私は逆流性食道炎なのでね」
聞く耳を持たない。すると、毒が回って親指がフライドチキンになったばあさんまで「私もよ」と加勢した。
地震だっつってんだろ。私の速報は逆流性食道炎に打ち消されてしまった。
フライドチキンのばあさんは「うんちにね、けさ食べたひじきがそのまんま出てきたの。それじゃあね」と手を振って退院した。最後の言葉、それでいいんだ。最終的に「地震ですね」が「未消化のひじき、かなり嫌」という話でまとまった。

ベッドで「お便」をするハガさんが明日ついに退院するらしい。とうとう平和な日常が戻ってくるのだ。私はこの嬉しさを抑え切れず、売店で雪見だいふくを買った。前祝いだ。リハビリにも力が入る。肘の重りが増え、棒の上げ下げも増えたけれど、ハガさんの退院にかなうものはない。エアロバイクを5キロ漕いだ。ハガさんの退院を思うと何でもできる。ハガさんの退院!ハガさんの退院!たくさん汗をかいた。私はこんなにも無臭の日々を欲していたのだ。

夜、回診にきた担当医がレントゲン写真をくれた。埋め込まれたネジが3本、暗黒の中にぽっかりと浮いていた。良い写真だ。宝物にしよう。今夜はクイズ番組がないので、おばあさんたちが静か。最高の夜だ。そう安心していたら隣から「十五、十六、十七と~私の人生暗かった~」と、しんみりした鼻歌が聴こえた。ハガさんも入院最終日に何か思うものがあるのかもしれない。

向かいのおばあさんは看護師の介助でトイレに行くのだが、きょうはナースコールを押してもなかなか来てもらえず、「ちょっと出ちゃったよう」と悲しげな声を上げた。どこか可愛らしかった。このおばあさんの漏らしは許せて、ハガさんの漏らしがちっとも許せないのはなぜだろう。単純に好き嫌いの問題かもしれない。私は向かいのおばあさんの「お便」なら許せる。


2015年2月
ハガさんが5時、6時、7時にベッドで「お便」をした。私はナースコールとともに素早くポケットから鼻栓を取り出し、装着するようになった。もう何も怖いものはない。私は「お便」を克服したのだ。この先、誰の「お便」に遭遇しても嘆いたりしない。淡々と「お便」をこなすことができる。

6時の「お便」のとき、看護師に「たっぷり出たね」と言われたハガさんは「あらそうなの。先週5日間出なかったものだからね、宿便が一気に来ているのかもしれないわね。そんなに出ている感じはしなかったのだけどね」と再び多便かつ多弁。尻を拭いてもらいながら、よくそんなに話せるものだ。相変わらず他人事の口調で、最終日まで「5日間」というワードを引っ張った。だが彼女は本日退院するのだ。すべてが終わる。私の中の憎しみも消える。
そんなことを考えていたら不意に話しかけられた。
「お隣さん?」
「はい」
「何度もお便をしてしまいましたね。くさいんでしょうね」
「いえ、大丈夫ですので・・・」
だから、その「自分じゃない誰かのお便」みたいな言い方、なんなんだ。なぜ「お高いんでしょうね」みたいに言うのか。

ハガさんは朝食直前の7時にも「たっぷりと(看護師談)」した。憎しみが再燃した。飯時は許しがたい。9時にも再び「お便」。ハガさんの最終回、一筋縄ではいかない。
彼女の夫と娘が退院の手伝いに来た。優しい家族のようでよかった。寝たきりの人が家族に疎まれ、冷たくあしらわれながら暮らすのはあまりにも不憫なので。本当にそれはよかった。

昼に妹がコーヒーとアルフォートを買って見舞いに来てくれた。「お便」を乗り越えた暁に食べようと思っていたのが、他でもないアルフォートだったので驚いた。私はハガさんの「お便」のたびに強い念を飛ばし、それを妹が正確に受信していたのかもしれない。妹に最近の「お便」事情をぶちまけたかったが、カーテン越しに家族がいるので自粛した。でも言いたい。「お便」のこと言いたい。

そこで私は筆談で説明することにした。

(今ハガさん)透析いってる
毎日ここでウンコして
毎日めちゃくさい
1日なん回もする
今日は5、6、7じ
めちゃくさい!!

妹はグーにした手で、齧歯類みたいな大きな前歯を隠すように「キュッキュッキュッ」と笑った。私はこの妹の笑い方が昔から好きだったので、調子に乗って「めちゃくさい」の後ろに「!!」と強く書き足した。妹は肩を縮めて「キュキュッキュキュッ」と笑った。いいぞ。

ハガさんが荷物をまとめ、旦那さんに車椅子を押してもらいながら近付いてきた。「お便」にはあんなに馴染んでいたけれど、姿を見たのはこれが初めてだった。
驚いたのは、想像していたよりもずっと若かったこと。そして、両脚が無かったこと。
車椅子の背に胴体を立て掛けるようにして「乗っかって」いた。

ハガさんは私と同じ病気だった。彼女は20~30年後の自分かもしれない。邪険にしたり笑ったりしてごめんねと一瞬思ったけれど、やはり「お便」を他人事にされると笑ってしまう。何といっても「お便」しすぎだ。
「お互い頑張りましょうね」
同じ病を持つ者同士、短い言葉で励まし合って別れた。
ハガさん、元気でいてほしい。
あなたのことも、あなたの「お便」と闘った薄暗い明け方の病室も忘れない。 

「お便」の管理人

入院日記
2015年2月
隣のハガさんが看護師に便の回数を聞かれ「4回かなあ、わかんないなあ」と、とぼけて申告した。正確には6回である。2回分なかったことにされて腹が立つ。私はあなたの「お便」の回数分だけ闘っているのだ。安易にちょろまかさないでいただきたい。私は「お便」の管理人だ。

ハガさんは昨日の深夜も「お便」コールを連発した。おむつ交換の最中に「ああっ、まだ出てる・・・ああ・・・」と看護師の落胆する声を聞いた。ハガさんの「ごめ~ん」がそれに続く。せっかく毎回看護師が「トイレ行く?」と誘ってくれるのに「ここがいい」と頑なにベッドを指定する。ハガさんは大部屋のベッドで普通に大便できてしまう側の人間なのだ。

こんなに「お便」に親しんでいるけれど、私はまだハガさんの顔を見たことがない。顔を見ると臭いがよりリアルになるのではと思い、せめてもの抵抗として絶対にカーテンを開けなかった。「お便」を遮ってくれるのは桃色のカーテン1枚。

しかし、「お便」生活3日目ともなると慣れたもので、あらかじめ丁度良いサイズに丸めておいたティッシュをすばやく鼻に詰めるようになった。病衣のポケットに何個か作って入れておくのだ。「予備の弾」みたいに。ただ鼻に詰めるだけ。すこぶる良い。昨夜までの苦悩が嘘のようだ。手ごたえを感じる。これを「お便」のたびに繰り返せばよい。しかしこう何度も奇襲が続くと寝る時間がなかった。ハガさんは一体いつ寝ているのだろう。ベッドで気軽にお便ができて全く寝ない妖怪だ。

朝食を食べていると「野に咲く~花のように~」と鼻歌が聴こえてきた。ハガさんである。確かに彼女の天真爛漫さは裸の大将に通ずるものがあった。ハガさんは咀嚼音を発しながら最後まで歌い切った。助けてほしいが、これも試練。私は試されている。乗り越えなくてはいけない。

午後からリハビリ。正当な理由で部屋を出られるのが何より嬉しい。グーとパーを交互にひたすら続ける痴呆のような訓練に始まり、左右の肘に重りを付けられて曲げ伸ばし。そのあと奴隷を労うように、担当のMさんが手首のマッサージをしてくれた。私の指や手首が変な角度に曲がっているので、それを伸ばすのだという。
不意にMさんが「負けないで」と言った。人生つらいことばかりではない、骨が曲がってもきっと良いことがある。そう励ましてくれているのだと思い「はいっ!」と大きな声で返事をしたら、「こっちの引っ張る力に負けないようにもっと踏ん張れ、これじゃ指が伸びないだろ」という意味だった。恥ずかしかった。

海の毒が身体に回って親指がフライドチキンみたいになったおばあさんは明日退院だという。 包帯を外して見せてくれたが、まだ完全にフライドチキンだった。なぜ海の毒でフライドチキンになるのか謎のままだ。おばあさん自身もよくわかっていないらしい。やだよ、そんな罰。

向かいのおばあさんとハガさんが「ネプリーグ」に夢中になっている。お互い負けじと回答を叫んでいるが、それが当たっているのか定かではない。私は耳に指を突っ込みながら、中村文則『土の中の子供』を読んだ。もうそろそろ終わっただろう、と指を抜いたら、二人して「行っけ~」と叫んでいた。トロッコの時間に違いない。

「お便」に怯える日々

入院日記
2015年2月
早朝4時、隣の「お便でます」のコールで目が覚める。もう私はこの言葉で反射的に覚醒するようになった。隣人がベッド上で大便をするのだ。この時間では退室することもできない。首のガーゼをぐっと引き伸ばし、鼻と口をしっかりガードした。念のためバスタオルも被る。隣のハガさんはフン・・・フフン・・・と、お便をひねり出そうと頑張っている。静寂の中、ハガさんの荒い息遣いが薄いカーテン越しに聞こえてくる。耳も塞がなければいけない。押さえる箇所が多くて手が足りない。ハガさんも看護師も私も、みんなそれぞれのことに忙しい。

看護師が「また、お便?」と聞いている。また、ということは深夜にもあったのか。ハガのお便を100%把握したつもりでいたが、私は逃していたのだ。こんなことなら何も知らずに寝ていたほうが幸せであった。
「5日振りなのでね、たくさん出るのね。普段は毎日なのでね」
ハガさんは便を始末してもらっている間も多弁。昨日も「お便コール」をしていたので「5日振り」というのは間違いである。本人以上に本人の便に精通していることが悲しかった。日中の、どん底みたいな苦い臭さを味わった私は「最低でも30分は鼻を塞ぐ」と決めていた。時刻を確認し、絶対にガーゼを離さなかった。
5時、おそるおそる外気を確認した。安全なのか、臭いに慣れているだけなのかわからない。密林に潜む兵士のような警戒心だけが日々身に付いてゆく。

6時。起床時刻を告げる照明が点くやいなや再び隣人が「おむつ換えてほしいの」とコール。さっき大便をしたばかりだから小の方だろう。そう油断していたら、フン・・・フフンと鼻息が聞こえた。危険だっ。これは危険なやつ。私は布団を被り、身構えた。
ハガさんは看護師に言った。
「さっきもしたのだけどね、まだ出るようなのね。5日振りなのでね。普段は毎日しっかり出るものだからね」
デジャブみたいなやりとりが始まった。ここは延々と明け方を繰り返す部屋なのかもしれない。私は遺体のように鼻の穴にしっかりとティッシュを詰め、ベッドに腰掛け、いつでも飛び出せるよう準備した。すると、こちらの気配に気付いたのかハガさんが妙に可愛らしい声で話しかけてきた。
「お隣さん?」
「はい?」
「おはよ」
「おはようございます」
「ごめんなさいね、私ここで用を足すのよ。くさいでしょうね」
こちらの行動を見透かすようなことを言う。
「いえ、私は鼻が詰まっておりますので大丈夫です」
全然大丈夫ではないのに、いつもの癖で大丈夫と言ってしまった。
「あのね、5日振りですのでね、たくさんうんちが出てしまうのね。何度も出てしまうのね。ごめんなさいね。本当は毎日するのだけどね」
なんでいつもちょっと他人事みたいに言うんだよ。
その言い草、暗誦できるくらい覚えてしまった。どうか黙っていてほしい。多便にして多弁。「くさくてごめん」の一言だけでいいのだ。

まだ6時15分だが、一刻も早く部屋を出たかったので洗面所へ行った。すると、そこに同じ部屋のおばあさんがいた。臭いに耐えられず出てきたのだろう。私たちはお互い何も語らず、疲弊しきった顔で歯を磨いた。あの臭気の中で朝食を食べている数十分後の未来を想像し、絶望した。

看護師に頼めばきっと部屋を変えてくれるだろう。けれど、そうしようとは思わなかった。ここで負けるわけにはいかない。ハガさんのお便に打ち勝つことができれば、自分の中で何かが変わると思った。それが何なのかはわからないけれど。とにかく「お便」に勝つ自分を見たい。見届けなければいけない。睡眠不足で気が触れているのだろうか。もう何と闘っているのかわからない。
糞の話だけで日記帳を2ページも使ってしまった。

隣人との戦が始まった

入院日記
2015年2月
昨夜、隣のベッドに新しく入ったハガさんが消灯後もずっとテレビをつけており、その明かりがカーテン越しに漏れていた。目を閉じてもちかちかする。私は首の器具がズレるので横を向いて寝られない。ハガさんに背を向けることができず、ちかちか反射する天井を睨みながら「いい加減にせえよ」と呪った。眩しい上に独り言も激しい。「ああ~痒いよぉ、かいかいかいかい~よぉ」と衣の擦れる音。ほぼ眠れぬまま4時、ハガさんがナースコールを押した。「汗かいちゃったから、お着替えしたい」「今ですか?」「うん、今お着替えする」。園児みたいに無邪気に言う。「シャツちゃんと引っ張って。もっとピンとだよぉ」「お水取って。それじゃなくて冷蔵庫で冷えてるやつだよぉ」と注文多数。ごちゃごちゃうるせえ。

いらいらしていたら、いらいらしている夢を見た。埃だらけの部屋で携帯を失くし、固定電話から自分の番号を押して鳴らそうとするが、0と9のボタンが無い。私は発狂し、埃まみれの炊飯器や電子レンジや炬燵をめちゃくちゃに蹴り上げていた。はっと目を覚ますと、ハガさんがまたナースコールを押していた。「おしっこの管が抜けちゃったよぉ。ベッドに染みてるんだよぉ」って一大事じゃないか。夢も現実も“最悪”が続く。看護師が数人がかりで対応。ハガさんの尻が雑に拭かれる音がする。怖ろしくなって布団を鼻の上まで引き上げた。この部屋の空気、吸いたくない。

早朝からそんな調子だった。きょうはバレンタインデーなので夫とケーキを食べに出かける約束をし、数日前から外出届を出していたのだが、突然「先生の許可が取れなかったので外出できません。それに少し雪も降ってますし、転倒のおそれがあるので安静にした方がいいですよ」と看護師に諭された。さすがに鈍い私でも「許可を取り損ねたのを雪と私のせいにして、それっぽくまとめてきたな」というのがわかった。前回は大雪でも外出できたのだった。この臭い部屋から離れるチャンスとケーキチャンスの2つを同時に失った私は恥ずかしながら布団に顔を埋めて泣いてしまった。40にもなって、うんことケーキで泣くとは思わなかった。泣くのだなあ。人は泣くのだ。

私の落ち込みなど関係なく、ハガさんはナースコールを連打。「お便が出そう」と聞こえた。いまの嘘であってほしい。「車椅子でトイレに行く?ここでする?」の問いかけに、「ここでする」と即答。少しでいいから迷ってほしかった。恥らってくれ。ハガさんが速攻いきみ始めたので、私は空き巣のような身のこなしで音を立てずに部屋を飛び出した。

夫に外出できなくなった旨を伝えると、ケーキを買って見舞いに来てくれた。大便のにおいが充満する部屋を出て、ロビーのテーブルに座った。家からナイフとフォークと紙皿を持参したらしく、上手にケーキを切り分けてくれた。こんなことができる人だったのかと驚く。わずか20分ほどの滞在のために雪の中を往復4時間かけて来てくれたのだった。きょうのことを忘れないようにしようと思った。

夜、向かいのおばあさん(好きなおばあさん)が「志村どうぶつ園はじまるよ」と教えてくれた。病院の老人は「志村どうぶつ園」がほんと好きだよなと思いながら観てみたら、45年ぶりに忠犬と再会する話でうっかり泣いてしまった。きょう一日、感情が馬鹿になっている。ほとんど寝ていないせいだ。私は普段から寝不足になると、どうでもいい料理番組や天気予報でも泣いてしまう。

津村記久子『これからお祈りにいきます』読了。ゆっくりはじまり、ラスト一気に畳みかけ、最後の、神様に毒づく場面がなんとも言えず良かった。

奴隷の運動

入院日記
2015年2月
吉村萬壱さんの『臣女』を夢中で読んだ。日に日に巨大化していく妻の介護と後ろめたさ。純粋さ、可笑しさ、下品さ、しょうもなさ、いろんな感情の詰まった話だった。最後の数ページは涙なしには読めない。最近読んだ本の中で、ずば抜けて好きだ。

きょうからリハビリルームへ通うことになった。担当はMさんという男性。はっきりものを言う人。カラオケバトルの点数を煽る堺正章みたいに「まだいける。もっとー!もっとー!もっといけー!」と大声で励まされながら握力を測定すると左右4.0だった。入院時は0だったので、これでもかなり増えた。指だけでなく、腕や肘の筋力もかなり衰えているらしい。「レントゲン見せてもらったんですけど、首の骨かなりぐちゃぐちゃでしたね」と遠慮なく言われ、「そうみたいです」と笑った。窓辺に並んだエアロバイクを10分間漕いだ。夕暮れの雪の街を走っているようで、気持ちが良い。

図書ボランティアの人が本のカートを押して病室へやってきた。この棟は寝たきりの老人が多く、誰も本を借りないらしい。幸田文『季節のかたみ』を選ぶ。ボランティアのおじいさんは「これらの本をどうやって選んでいるか知りたい?」と勿体ぶり、「裏技なんだけど、アマゾンというサイトで星のついたやつを買っているんだよ、みんなには内緒だよ」と真顔で秘密を打ち明けてくれた。可愛らしかった。

向かいのベッドのばあさんは自由奔放。血圧を測りに来た看護師に「あたしは金が無いから入院代なんて払わないよ」「前の病院の看護師さんはみんな注射が上手かったよ。絶対に痛くないんだよ。ここの人はみんな下手くそ」と言いたい放題。いやなばばあであるが、話がわりと面白いので嫌いになれない。私が一晩だけ相部屋になった「絶叫さん」についても「あの人おしっこの管をハサミで切っちゃったんだよ。飛び散って大惨事。奇想天外だよ」という情報をくれた。絶叫さん、なかなかやるな。

この部屋の、必要なときしか喋らない3人の関係が好きだ。20時ごろ、仕事を終えた妹が寄ってくれた。「リハビリ担当のMさんは患者に暴言を吐く人だから気をつけて」と忠告して帰っていった。部屋のばあさんも同じことを言っていた。私は全く悪い印象を持たなかったけれど、ほかの人からすると「骨ぐちゃぐちゃ」は暴言かもしれない。町田康『おっさんは世界の奴隷か』を読んで寝る。

Cさんがお見舞いにくれた「ゆずこしょうふりかけ」が、とうとう尽きました。月日の流れを感じた。


2015年2月
転院して初のシャワー。この病院の入浴システムがわからず、シャワーの権利を逃がし続けていた。そして、幸か不幸か身体を洗えないことに慣れつつある。後頭部の縫い目に気をつけながら1週間ぶりに髪を洗った。部屋に戻ると、私の隣のベッドに新たな患者が入っていた。閉めきったカーテンのそばに車椅子があった。

午後からリハビリ。500グラムの重りを両肘に巻き付けられ「しばらく曲げ伸ばしをやっていて下さい」と放置された。奴隷みたいなトレーニングだ。壁に向かって黙々とやる。その後、うどんの延べ棒みたいなものを渡され、また放置される。「1、2・・・」と数えながら重りを括り付けられた腕を前に出す。まわりの患者が歩行訓練をする中、私だけ極めて地味な訓練だ。

担当のMさんに「左の肘が弱いので疲れますね」と言ったら「いや左だけじゃないです。むしろ右の方が弱い。あなたはどこもかしこも弱い」と5倍返しで指摘される。私は器具で首を固定されていて基本的に前しか見えないのだが、Mさんは私の真後ろでずっと監視していたらしい。つのる奴隷感。さぼらなくて良かった。最後にエアロバイクを15分漕ぐ。心地よい疲れ。

寝る前に西村賢太『やまいだれの歌』読了。きれいな話よりも、人でなしのような人が書く非情な話が好きだ。

澱みの源

入院日記
2015年2月
 「ここで転んだらすべてが台無しですからね、絶対ひとりで外を歩いてはいけませんよ」と担当医に念を押され、入院して初めての外出を許された。朝、両親が車で迎えに来ることになっていたのだが、マッサンを観ながらのんびり朝食を食べていたら、もう来てしまった。両親にとっての「朝」とはAM3:00~8:00を指すらしい。

ひどい雪道だった。轍や段差で車が揺れるたび患部に衝撃が走った。試練のために父があえて悪い道を選んでるんじゃないかと疑った。首と尻が痛み、故郷に着くころには無言になった。転院してから入浴させてもらえなかったので、実家に寄ってシャワーを浴びた。首が濡れないよう縫い目のあたりにスーパーのレジ袋を巻き付けた。変身し損ねたヒーローみたいな姿で、首から下だけを洗った。変な格好だし、足も臭いし、悲しい。

自宅まで送ってもらった。家を空けて約1ヶ月。どんだけゴミで溢れ返っているのだろうと危惧していたが、信じられないくらいすっきりと片付けられていた。清潔なにおいがした。新年に買ったばかりのレイコップでこまめにカーペットのダニ吸引をしているらしい。風通しが良くなっている。
この家の澱みの源は私だったのかもしれない。
テーブルの上に「洗剤、柔軟剤、シャンプー、トイレットペーパー」と買い物のメモがあった。「洗剤まだ半分くらいあるじゃないの」と言うと「俺は詰め替え用をちゃんと何個も用意しておきたいタイプなの、無くなってから買いに行くのはいやなの」と専業主婦みたいなことを言った。そしてケーキを食べた皿をすぐに下げ、洗い始めた。間違いない、主婦だ。私がいない方が夫は真人間になるような気がした。

猫の爪をふたりがかりで切った。夫が猫を抱きかかえ、私が爪切り用のハサミで手早く切る。毎回暴れて大変だ。そのあと猫は爪切りも空白の1ヶ月もなんにもなかったようにスカートの上で丸くなった。やわらかく、温かい。1時間ほど滞在し、病院に戻る。途中の書店で気になっていた本を何冊か購入。コンビニでおやつも買う。「これも、あれも、売店には置いてないやつだ・・・こんなにたくさん並んでると選べない・・・もうどれが欲しいかわからない」と先進国にやってきた子供みたいに大きな声を出してしまった。夫はホームセンター内を行ったり来たりしながら一番安い洗剤を手に取った。目つきも足取りも優秀な主婦だった。ファミレスでハンバーグを食べた。

20時、腹と心を満たして病院に戻ると、部屋のおばあさんふたりに「遅いよぉ、あなたがいなくてさみしかったよぉ」と迎えられた。病院には病院の暮らしが、良さが、ある。私は妾の家に帰った気分になり、少し溜め気味に「ただいま」と言った。

私は石鹸泥棒

入院日記です。
新刊『ここは、おしまいの地』発売日(1/25)までに「退院」したい。

2015年2月
深夜1時ごろ「おねえさァん、おねえさァん」と呼ぶ声で目が覚める。この部屋には向かいのばあさんしかいない。眼球や唇が窪み、ボウリングの球のように穴が3つあいているばあさんだ。食事のときは看護師がスプーンで流動食をすくい、穴の中に押し込んでいた。「生きてるのか死んでるのかわからないな」と思いながら、ふたりの様子を盗み見ていると、ばあさんがテーブルをバンと叩いて自己主張していた。何かが気に入らなかったらしい。味か、配慮か。

そんな屍のようなばあさんが闇の中から明瞭な口調で呼びかけてきたので、縮み上がった。この人もしかして呆けた振りをしていたんじゃないか。呆けを装い、周囲の本音を見定めようとしているのではないか。昔読んだ東野圭吾の小説にそんなくだりがあったのを思い出す。私は負傷している首を押さえながら身を乗り出し、カーテンの隙間から様子を窺った。暗闇の中、ばあさんが身体を起こしていた。こちらを凝視しているのかもしれないが、穴なので表情を読めない。
「おねえさァん、おねえさァん」
「はい、どうしました?」
「石鹸の箱とってくれよぅ」
「ん・・・?」
「そこの上に石鹸の箱があるんだよぅ、取ってくれよぅ、いいから取れって言ってんだよぅ」
前言撤回。装ってなどいなかった。
私が沈黙を貫いていると、ばあさんは諦めたらしい。落ち着いたようだし寝るか。目を閉じると、全身を絞られるような痛みが走った。いつもの金縛りである。家では滅多にならないが、入院すると頻繁に発生する。咽喉がぎゅうぎゅうと締め付けられて声が出ない。

そんなときにあれが再開した。
「おねえさァん、石鹸の箱とってくれよぅ、そこにいるのはわかってんだよぅ、隠してねえで早く出せや、花王の石鹸をよぅ、いつまで待たせんだよコノヤロ!花王の石鹸返せ!」
休憩を挟んだせいか、さっきよりめちゃくちゃ勢いを増していた。
そして要求が具体的になった。
どうやら私は石鹸泥棒らしい。花王の。

だが今は金縛りの真っ只中。私の方こそ助けてほしい。もしかして金縛りを操っているのは、このばあさんなのか。石鹸を渡せば痺れから解放してもらえるのだろうか。
その静と動のやりとりがどれくらい続いたのか。最後にばあさんが「サチコォーーーーー!!!んぎゃーーーー!!!」と裁判官の如くテーブルをドンと激しく叩いて終わった。閉廷。
あの枯れ枝のどこにそんな力が残っていたのか。悪夢のようだった。
金縛りは解けたが一睡もできぬまま朝を迎えた。
その晩の騒音は隣室まで響いたらしい。看護師に部屋の移動をすすめられた。ばあさんはこの病棟のちょっとした有名人で、患者の間で「絶叫さん」と呼ばれているらしい。ふさわしい名だ。新しい部屋にはおばあさんがふたりいた。ここは安全な気がする。そう思ったら、どっと眠気が押し寄せてきた。

正午、妹がパンを持ってやって来た。時間のあるとき、ここで昼ごはんを食べると約束していたのだ。妹の揚げパンと私の唐揚げを交換した。楽しいね。遠足みたいだね。妹は30分で勤務に戻り、私は心電図やレントゲンの検査を受けに行った。19時からR-1を観た。マツモトクラブが面白かった。病院のベッドで、イヤホンで、あまり笑わないようにして観るという貴重な経験をした。

明日の外出届が受理された。1ヶ月ぶりに自宅に戻って猫を触ることができる。何食べよう。本買いたい。半日だけの外出だけど、そわそわする。昼間から遠足がずっと続いているような、そんなふわふわした気分のまま電気を消した。

泣きながらペコサブレを食べた夜

入院日記
2015年2月
首の装具があると下を向けないので食事のときにかなりの量を食べこぼす。こぼしていることにも気付かない。あまりにも汚れるので首元にタオルを巻いて食べるのだが、食後にそれを外すと、全種類のおかずとご飯の塊がくっ付いている。この具材でもう一品作れそう。歩行器から掴まり立ちへ、食べさせてもらう生活からよだれ掛けを汚しながら箸を使う生活へ。この歳で赤ん坊を経験した。

ここで過ごす最後の夜。もう夜間のトイレ以外は自力で歩けるようになった。「夜は転倒の可能性があるので一人で行かないように」と注意されている。まだ首が不安定なので今転ぶと手術が台無しになるらしい。担当看護師が引き継ぎ用の書類を持ってきたので「お世話になりました」と挨拶をした。最初の数日は苦手だったけれど、連日嘔吐やトイレの世話をされすぎて感情がおかしくなり「好きだー」としか思わなくなった。消灯時刻まで森永卓郎似のおばあさんや骨肉腫の奥さんと話す。この病院で知り合った人たち、本当に良い人ばかりだった。明かりの消えたベッドの上で、初めて「帰りたくない・・・」と思った。


2015年2月
転院の日。夫が迎えに来た。部屋のみんなと首のおばあさん、そしてずっと面倒を見てくれたホストみたいな担当看護師に別れの挨拶をして空港へ向かった。長い距離を歩くのはきついので、空港で車椅子を借りた。医者も気にしていた飛行機のタラップだが、カウンターの人に「車椅子に乗ったまま移動できる」と言われ、安心する。でも、どこにもスロープのようなものが見当たらない。一体どうやって運ぶのか。

私はCAさんに車椅子を押してもらい、機体の横にあるガチャポンみたいな透明なカプセルに乗せられた。私とCAさんのガチャポンはクレーンで吊り上げられ、ゆっくりゆっくり上昇した。この日は吹雪。ガチャポン号は激しく横揺れした。一足先に搭乗し、その様子を機体の小窓から覗いていた夫は「UFOに攫われる車椅子の中年」がかなり面白かったようだ。携帯で写真を撮ろうとしたが機内のスタッフに怒られたらしい。

夕方、普段通院をしている地元の病院に到着。ほぼ死んでいるようなおばあさんと二人部屋になった。おばあさんはぼーっとこちらを向いて座っているが、反応は無い。目と口が深く窪んでいてボウリングの球のようだった。院内はとても綺麗だけど、患者もスタッフの数も少ない。あまりにも静か過ぎて早速ホームシックになってしまった。この地が私のホームなはずなのに。

これからは身の回りのことは自分でやらなければ、と強く思う。ひとり暮らしを始めた日の夜のようだ。あの病室のみんなはテレビを見ながら笑っている時間だ。骨肉腫の奥さんがくれた不二家のペコサブレを食べていたら涙がこぼれた。泣きながら食べるようなものじゃない。

病衣に着替えていると、この病院で働く妹が様子を見に来てくれた。「おう、帰還したぞ」と手を上げると、「姉さん、着替えるときはちゃんとカーテン閉めてよ。廊下から丸見えなんだけど。下着一枚でなに考えてんの。この歳になると、もうそんなことどうでもよくなっちゃうの?」妹はめちゃくちゃ怒っていた。心配だから明日からここで一緒に昼ごはんを食べてくれるという。お母さんみたいだ。もう寂しくない。

子供霊に囲まれる

入院日記
2015年2月
朝の血圧は下が四十台なので、いつも看護師に「生きてます?よね?」と顔色を確認される。来週地元の病院に転院できることになった。また飛行機に乗らなければいけない。揺れに耐えられるのか、狭い座席に座っていられるのか。「みんなで噂してたんですよ、タラップどうするんだろうねって。大変だあ、ははは」。担当医は楽しげだ。今度はプロペラ機なので自力で階段を昇降しなければならないらしい。ようやく歩行器を卒業し、壁伝いに一歩一歩進むのがやっとなのに、嫌なことを聞いてしまった。さっそく自主トレを始めた。骨を採取された側の脚が上がらないので段差があると痛みが走る。

ここへきて森永卓郎似のおばあさんが「わたし仲村トオルが好きなんだ。トオルのドラマは全部観てる」と告白してきた。トオル。下の名前で呼ぶんだ。卓郎はTVガイドを隅々まで読んでいるので芸能人情報を熟知している。「長谷川博己は際どい役にも積極的に挑戦するね。そういうチャレンジはいいことだね。これから伸びるよ」とも言った。ご意見番だ。

この前借りた本の1冊は語り口が明るくて苦手だった。人の好みもそれに似ている。元気の良い人が怖い。夜、打ち上げ花火の音が聞こえた。病院の外はお祭りらしい。


2015年2月
検温のとき、ホストみたいな担当看護師に「あとで来るからちょっと待っててね」と言われ、膝をポンと叩かれたので2時間おなじ姿勢のままピシッと大人しく待っていた。私は犬並みに忠実。完全にホストにはまる中年と化していた。薄気味悪い。もう二度と部屋のばあさんたちのこと笑えない。

シャワーのときは「サイヤ人みたいな装具」から、濡れてもいい「風呂用の装具」に着け換える。きょうもホストに首輪を交換してもらった。「首が細いんだなあ、これじゃ隙間が出来て駄目だ」と言われ、ベルトのようなマジックテープを持ってきて首をぎゅうぎゅうに絞め上げられた。苦しいが、悪い気はしなかった。このまま死んでもいいと思った。義母がお見舞いに来てスニッカーズを3本くれた。どんだけ腹ペコだと思われているのだろう。


2015年2月
朝4時半ごろトイレに起き、その後うとうとしていたら「囲まれている」という気配を感じた。目を開けてはいけないと思った。何者かに右足を引っ張られたり、捻られたり、つねられたりしている。私はベッドの柵に掴まって、足を引き摺られないよう、じっと耐えていた。咽喉が苦しくて、声を出せない。普段の金縛りとは違い、不思議と恐怖心はなかった。目を閉じているのに「子供だな」とわかった。あさって転院することが決まったので「私が出て行かないようにしている」というのが、おかしな話だけれどテレパシーのように瞬時に伝わってきた。身体の硬直による脳の作用か何かなのだろうけれど、あまりにもリアルな感触だったので本日のこれは「子供霊のいたずら」とさせていただく。

歩行器なしで病棟をぐるっと一周する練習をした。まだ左脚が上がらず、腰がちくちくと痛む。私と同じように首を手術したおばあさんがやってきて、プリンとバナナをくれた。部屋を越えた交流だ。病状も手術内容も同じだと思っていたが、おばあさんはコルセットをしておらず、骨の移植もなかったらしい。普通にスタスタ歩いていた。「思ったよりも辛くないね」と喜んでいた。全然違う。

夜、元気になった骨肉腫の奥さんが「みんな、『志村どうぶつ園』おもしろいよー!」と教えてくれたので、「どれどれ」と言いながら一斉にチャンネルを合わせた。チンパンジーの赤ちゃんが出ていた。

笑い袋のおばあさん

入院日記
2015年2月
ここのところ朝6時55分ころになると、骨肉腫の奥さんが「そろそろよ」と言い、胸部をコルセットでぎゅうぎゅうに締め上げた直角さん、車椅子の森永卓郎、ロボみたいな動きの私の3人が窓辺に集合。ビルの谷間から淡い光の脚が伸びる瞬間を見守る。神聖な儀式のように続いている。並んで朝日に目を細める様は、ひと仕事終えたヒーロー漫画の一コマのようだ。大将(卓郎)の手足はコオロギのように黒くてガリガリだけど。

優しい直角さんと笑い袋みたいなおばあさんが昼前にそろって退院した。
直角さんの気配りには押し付けがましさがなかった。出過ぎず、引っ込み過ぎず。ちょうど良い距離でいてくれる人だった。こういう恥じらい兼ね備えた老人になりたいと思う。
笑い袋のおばあさんは真っ赤なベレー帽に真っ赤なセーターを着て「ばいばーい、ふははははは」と最後まで低音で笑いながら手を振って出て行った。つられて私たちも笑い、ぶんぶんと手を振って別れた。福祉施設の人が迎えに来て、私たちに「大きな声を出してみなさんに迷惑をかけませんでしたか?」と訊いた。そのときになって初めて、おばあさんに軽い知的障害があることを知った。骨の検査で入院している自覚はなかったのかもしれない。笑い袋のおばあさんは毎日たくさんテレビを観られて楽しそうだった。その心底嬉しそうな声を迷惑には思わなかった。

移動図書のカートがまわってきた。20~30冊ほどの中から吉本ばなな『とかげ』、藤沢周平『竹林始末』、山本文緒『アカペラ』を借りた。入院するたび「テレビをつけるとお金が掛かる」という現実に直面する。テレビカードの残数が常に視界に入る。私が観ていたのはニュース、マッサン、おばけ、猫、だった。厳選した結果そうなった。

首の抜糸をされた。一瞬だった。担当医に「もうすぐ転院できそうだ」と言われる。担当のホストみたいな看護師に「うん、首きれいになってきたね」と言われ、肩をぽんぽんと叩かれた。すっかり老婆たちと共ににホストに嵌っている自分がいた。自分だけはそうならないと思っていたのに、おそろしいことだ。洗脳だ。きょうもホストの笑顔が眩しい。

2015年2月
骨肉腫の奥さんの手術日だった。呼び出しがあるまで、奥さんはベッドでめそめそ泣いていた。旦那さんは朝早くから付き添い、何も言わずに彼女の脚をずっとさすってあげていた。

私は採血のときに血の出が悪く、恰幅の良い年配看護師に「少し叩かさして下さい、叩かさしてもらいますね」と言われ、赤くなるまでビンビン叩かれた。「叩かさしてもらう」の響きが気に入り、口に出して言ってみた。手術室から戻った奥さんは「ウーッ・・・ウウーッ」と夜遅くまで唸り続けた。

2015年2月
大勢の研修医に囲まれながら尻の抜糸をされた。移植用の骨を採取した部分だ。恥ずかしいと思うことが恥ずかしい、恥ずかしいと思うことが恥ずかしいのだ、これは医療、学びの場であります、とお経のように平坦に唱えながら尻を出した。そして、こんなことは何でもない、という顔をした。担当医が何か説明してくれたが耳に入ってこなかった。

空いたベッドに女子大生、田舎から転院してきたおばあさん、ニワトリのようなおばあさんの3人が加わった。卓郎は新メンバーを前にして「私、おならは遠慮なくさせてもらっているの。こればかりは生理現象だし、女同士ですもの。みなさんも、したいときにして下さいね」と言ったが、誰ひとりその言葉には従わず、卓郎の全く遠慮のない放屁だけが部屋に響いた。我が家でくつろいでいるときの音だった。

20時から猫特集の番組をやっていた。猫飼いの卓郎も同じものを観ていたらしく、番組が終わると同時にふたりそろって「フ~ッ」と深い溜息をついた。猫の柔らかさが恋しい。帰りたい。

私の友達

入院日記
2015年1月
Cさんがお見舞いに来て下さった。Cさんとは数年前にネット大喜利の飲み会でお会いしたことがあった。入院が決まったとき「お見舞い行きます」「待ってます」というやりとりをしたけれど、完全に冗談だと思っていた。まさか本当に来るとは思わなかった。感激してしまった。Cさんは可愛らしい方を連れていた。私は数日風呂に入っていないことを思い出して急に恥ずかしくなり、ろくに目も合わせず、自慢するためだけに持ってきたマジックハンドをガチャガチャやりながら誤魔化した。

可愛らしい方はお出かけになり、私とCさんはロビーのコーヒー店でお互いの近況を話した。Cさんは私の首の装具に書かれた「VISTA」の文字に半笑いし、「キズものの野菜みたいな手だね」と斬新でかっこいい喩えをした。しばらく風呂に入っていない無礼を伝えると「もっと臭いと思ってた」「軽い風邪みたいなにおい」と言われた。若干におう状況をそう言ってくれるCさんは優しい。「全然臭くない」は嘘だとわかるから。新入りの乞食くらいの臭さで済んで安心した。

バリカンで刈られた後頭部を見せた。自分で確認したことはなかったのだが、それほど短くなっていないらしい。東京で色々な人と会ってきた話をとても楽しそうに語るCさんは全く変わっていなかった。身内以外の「外の人」と話すのは本当に久しぶりで、笑いすぎて鼻水が止まらなかった。これを2015年の初笑いにすることにした。この数年間をぎゅうぎゅうに濃縮したような時間だった。

夜、給湯室の熱湯で、ふたりにもらった紅茶を淹れ、これまたもらったクッキーを食べるという贅沢に浸る。夫から「猫が最近餌を食べない」というメールがきた。一気に悲しくなった。私が死んだと思い、あいつなりに喪に服しているのだろうか。飛んで帰りたい。私は生きています。美味しいものを食べています。たくさん笑っています。

2015年2月
この部屋の人たちは時間をきちんと守る。21時にテレビを消し、たとえ早く目が覚めても起床時刻の6時まで自分のベッドで静かにしている。そんなの当たり前と思われるかもしれないけれど、5時から顔を洗ったり窓辺のカーテンを開けたりする老人を何人も見てきただけに、普段の生活を病室に持ち込まないなんてえらいなと感心する。とても過ごしやすい。これもひとえに、風紀の乱れに目を光らせる森永卓郎似のおばあさんのお陰だ。

そんな卓郎が今朝6時ちょうどに「人質の後藤さん、殺されちゃった」と告げた。私たちは「駄目だったか・・・」と深い溜息を漏らした。みな、国の事情や責任や難しい話なんかわからないけれど、死に対しては人一倍敏感で、いつも彼の安否を気にしていた。深夜もイヤホンでラジオを聴いている卓郎は暗闇の中でひとり速報を受け止め、誰にも言うことができないまま、じっと朝が来るのを待っていたのだろう。ぐっと堪えている姿が目に浮かんだ。

午後、Mさんから「俺も可愛い人連れて行きます」とメールがあった。誰だろう。緊張しながら歩行器を押してロビーまで下りていくと、坊主頭のHさんが隣にいるのが見えた。笑いが止まらなかった。これ以外の正解は無いだろう。このふたりもネット大喜利サイトの繋がりで、10年くらい前から遊んでもらっている。最近なかなか会いに行けず、疎遠になりかけていたので、手負いの乞食みたいな風貌になってしまったけれど、こんな機会をもらえて幸せだった。

連日の懐かしい人との再会は入院生活最大の「良い事」だった。酔っていないMさんに会うのは初めてだ。昼間のMさんは誰にも絡まず、身体のことをとても心配してくれた。最後に会ったのは4年くらい前。当時私の手は、ここまで変な形になってなかったらしい。言われるまで気が付かなかったけれど、じわじわと進行していたのだ。Mさんが子育ての話をしている、ということがとても新鮮で、感慨深かった。その横でHさんは静かに微笑んでいた。Hさんのことはよくわからない。温和と凶暴を持ち合わせている。謎が多すぎる。Hさんはこの日も動物園でレッサーパンダを見てから来たらしい。年間パスポートを持ち、レッサーパンダだけを見に通っているという。そのこだわり、何なんだ。最近ツイッターを始めたようで、ひたすらレッサーパンダの画像をあげている。そんなふたりのやりとりを聞いているだけで楽しかった。

Cさん、Mさん、Hさんは私と同世代。3人とも可笑しなエピソードをたくさん持っていて、いつも楽しげで、余裕があって、ぜんぜん年齢を感じさせない。歳を取るのは怖いと思っていたけれど、こういう風にも生きられるんだなと希望が持てた。今度から売れ残った同人誌を抱えて行商に来ようと思った。

いただいたケーキを頬張り、この2日間の出来事を思い出し、幸せな気分で布団に入った。何日も風呂に入らないまま人に会うのはとてもスリルがあった。Cさん、可愛らしい人、Mさん、もうひとりの可愛らしいHさん、ありがとうございました。

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