文庫版『夫のちんぽが入らない』を講談社さんから出し、1ヶ月が経った。単行本に続いてお買い求めいただき本当にありがとうございます。こんな時期になってしまったけれど、文庫本のことや出版後の反響などを書きます。

文庫の巻末には書き下ろしエッセイ『ちんぽを出してから』と末井昭さんによる解説『ちんぽの御利益』が収録されている。何も打ち合わせをしていないのに単語が見事に被っていた。末井さんとは2作目のエッセイを刊行した際に対談させていただいた。愛読してきた『自殺』や『素敵なダイナマイトスキャンダル』の作家さんを前にし、緊張で固まってしまったのだが、末井さんの第一声は「僕の故郷も『ちんぽ』って言うんですよ」だった。男性器の呼び方について。飄々とそんな話。一気に肩の力が抜けた。「ちんぽ」の本を出していなければ、こんなくだけた話で和む機会もなかった。私は、末井さんが人生の辛苦を何でもないことのようにあっさり書き切る姿勢が好きだ。何より、えらそうにしていないところが好きだ。対談したときの新刊は講談社エッセイ賞をいただいた。末井さんも過去に同賞を受賞されている。授賞式の壇上でスピーチをしているとき仮面の穴越しにお姿を拝見できたのも嬉しかった。これまでのさまざまな思いが込み上げてくる解説文をありがとうございました。


2017年1月に私小説『夫のちんぽが入らない』の単行本を扶桑社さんから出し、良くも悪くもたくさんの反響をいただいた。大きな石がダイレクトに飛んでくることも多々あり、はじめのうちはSNSの感想やレビューをあまり読めなかった。私は子供のころから、何が起きても「自分が悪い」と思い込む癖が付いていた。そういうふうに育てられ、そのまま大人になってしまった。だから、非難の声に「そうだよなあ」といちいち頷いたり、「書き方がよくなかったのかもしれない」「このタイトルでよかったのだろうか」と悩んだりもした。いつもなら、その調子でいつまでも自分を責めているはずなのに、今回は違った。うるせえ私の人生だ。そう思うようになった。この心境の変化に自分でも驚いている。別に投げやりになっているのではない。純粋に「その人と私は違う」という当たり前のことに気付いたのだった。その人の「ふつう」は私の「ふつう」ではない。その人の考える「解決」と私の「解決」も違う。「うるせえ」と思えたことで自分の欠けていた部分がようやく補充されたような気がする。そして、随分気持ちが楽になった。

「私には合わなかった」と書いて下さった方がいた。私はその言い方に救われた。「合わない」でいいのだ。どちらかの考え方や生き方が正しいか白黒つけるのじゃなく、私たちはただ感性が「合わない」。お互いに汚い言葉で否定し合うことなく、それぞれの好きなものを大事にして、生きていければいい。私は「この本を良く思わない人もいる」という事実をちゃんと知って、でもそれに飲み込まれたり萎縮したりする必要もなく、自分の信じたままに書いていこうと思う。そんな出版後の気持ちの変化を、あとがきエッセイ『ちんぽを出してから』に書いた。


母が唯一褒めてくれたのは私が教師になったときだった。だから尚更ちゃんと仕事を続けたかったけれど、数年で心が壊れて駄目になった。そのあたりから自分のことがわからなくなり、通常の精神状態では決してやらない行為に走っていた。死ぬつもりでいたから、自分の身体がどうなってもいいと思っていた。心を乗っ取られていたとき、私はいろんな方法で自分を傷つけたけれど、母はまわりを傷つけるタイプだった。形は違っても、源は同じ。子供の頃どうして母が荒れていたのか、なぜ私をめちゃくちゃにしたのか、その制御できないどうしようもなさの正体がわかって、私は少しほっとした。だから、悪いことばかりではなかった。私が子供を産みたくないと頑なになるのも、たどっていくとそこに繋がる。どうしてこんなに拒否反応が出てしまうのか、20代、30代のころにはわからなかった。「夫のちんぽが入らない」というタイトル通りの内容ではあるけれど、気が触れてしまった教師時代の出来事は、どうしても書いておきたいことだった。「入らなさ」は性だけでなく、人間関係そのものだった。同級生や同僚の輪に入れない。学級崩壊の中心となっている子の心に入っていけない。そして実の親の気持ちにも。


タイトルは2014年、同人誌『なし水』に収録したエッセイの原題をそのまま使用している。長年の苦悩をストレートにに込めた。書籍化が決まったとき、タイトルを変更するか、このままいくか、岐路に立たされた。担当編集の高石さんは、親や世間の求める「ふつう」に囚われ続けた話だからこそ、タイトルも「ふつう」じゃなくていいと言って下さった。また、一見ふざけていて下品にも思えるタイトルだが、読み進めると真面目な話だったと同人誌を読んだ人たちに言われた。そういう効果を狙って付けたものではなかったが、「外から見ただけではわからない事情がある」状態は、作品のテーマと重なる。そう考えて原題のまま出すことを決めた。

先日、数日ほど都内に『夫のちんぽが入らない』の巨大な垂れ幕が出現した。苦情があったら外す前提だったそう。ネット上では「そんな下品なものを公共の場に晒すな」という尤もな意見と、「苦情くらいで引っ込めるな」という相反する声があった。この垂れ幕に限っては「苦情が寄せられたので速やかに畳んだ」という今回の対応でよかったんじゃないかと思う。『夫のちんぽが入らない』は「私の主張を認めろ」と押し付ける本ではないから。「こういう人間や夫婦もいる」という独白だ。読んだ人と重なる部分があるかもしれないし、全くかすりもしないかもしれない。その人の育った背景や事情を無下にしたくないと本に書いたのだから、苦情を入れてくる人にもまた切実な事情があると考えなければいけない。だから、軽い気持ちで垂れ幕を掲げ、軽い気持ちで引っ込めたわけではなく、「可能な限り掲げる」方針だったのだと思う。タイトルがタイトルだしなあ、というのはこの作品に関わる全員が世間の誰よりもわかっている。それでも「これでやっていこう」と賛同して下さった扶桑社さんと講談社さん、そしてデザイナーの江森丈晃さん、漫画版を快諾して下さったゴトウユキコさん、大々的に展開していただいている書店さん方に感謝しかない。願わくば熊と狸しかいない我が集落の鉄塔に垂れ幕を掲げ、「生で見たかった」と呟いていたゴトウユキコさんを招待したい。

担当の高石さんへの感謝の気持ちは書いても書いても足りないのでほどほどにしておきますが、常に一番の理解者でいて下さりありがとうございます。私は思ったことをあまり言えないんだけど、高石さんへのメールには汚い言葉が盛りだくさんだった(本人への苦情ではない)。毒を山ほど吐き出させてくれたおかげで私はくじけずに書いてこられました。くじけないどころか、日に日に心が強くなるばかりです。私の現在の悩みは原稿の進みが鈍いことと、車の運転が致命的に下手ということくらいです。

まとめ役となって下さった講談社文庫の水口さんに「厄介な奴ら(こだま、高石)の世話をすることになった」と思われていないか不安だ。私は世の中のことを知らなすぎるし、高石さんは常識を壊していく人だ。おかしな方向へ走り出しそうになったら手綱を締めてほしい。この文庫を広めるために水口さんと高石さん二人の編集さんが動いて下さっていることが私はとても心強い。書店訪問は水口さんと高石さんのほか、販売担当の前田さんにもお世話になった。前田さんとは意外な共通点があり、誰も知らないローカルな話で盛り上がった。

漫画版のゴトウユキコさんと担当の小島さんとのつながりも頼もしい限り。私は完全にゴトウさんのファンになってしまいました。「ちんぽ」から離れても応援し続けます。そして、単行本に続いて漫画と文庫のデザインを担当して下さった江森さん。前回は、いかに「ちんぽ」を隠すか苦心の末に完成した美しい装丁でしたが、今回は魅せる「ちんぽ」へと変わりました。文庫の写真には江森さんの技術が光っている。漫画のカバーは泣きそうになる。素晴らしい作品にして下さりありがとうございます。


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【推薦文を寄せて下さった方】
上野千鶴子さんに読んでいただくのはとても怖かった。これは抑圧の記録に違いなく、上野さんの逆を行くような話だと思っていたから。私の半生に「私」はほとんど存在してこなかったから。まわりの期待に応えたり、喜んでもらえたりすることが一番で、そこにずっと「私」はいなかった。子供ができないんじゃなくて、ほしくないのだとはっきりわかった頃から「私」が表に出てきた。そして、本を出して、ようやく「私」になれた気がする。

おかざき真里さんとの思い出は何といってもツイッターです。単行本を出した際、お子さんのお友達のアカウントを一旦ブロックしてから「夫のちんぽ」への思いを何ツイートにもわたって書いて下さった。当時は今以上にタイトルの問題だけが先行し「とんでもない」「同人誌に帰れ」と本気で怒られることが多かった。おかざきさんの言葉にどれだけ励まされたかわからない。

麒麟の川島明さんが『夫のちんぽが入らない』についてテレビで熱弁する姿を拝見し、衝撃を受けた。「番組で紹介されるらしい」とだけ聞いていたので「変な本が出ましたね」くらいの扱いだと思っていたのだ。夫の実家に謝罪へ行き、寿司を食べるシーンを独自の目線で巧みに解説して下さった。熱く語っているのに笑いも取り、なんて最高の形だろうと担当編集さんと喜んだ。自分ではあまり湿っぽい話だと思っていないので、笑ってもらえるのは嬉しいことだ。すべて過去の話と割り切れているせいかもしれない。実際はもっと話したのに大幅にカットされたという後日談も面白かった。

小池栄子さんとは、どこにも接点がないように思っていたけれど、2017年のドラマ『母になる』のインタビューの中でこう話されていた。「私も結婚して10年、今年36歳で子どもはいません。そういう女性たちの代弁者になったつもりで演じました」。子供がいないけれど負の感情は抱いていないことが伝わる前向きな記事だった。素敵な生き方をする彼女から「大ファンになった」とのお言葉、とても嬉しい。

高城晶平さん(cero)の推薦文は、この世で高城さんにしか書けないものだ。めちゃくちゃ笑った。そもそも音楽に疎い私が繋がりを持たせてもらっているだけで奇跡なのだ。同人誌版『夫のちんぽが入らない』の「別の世界では兄妹だったのかもしれない」という一文が『Orphans』のモチーフになったと以前教えて下さった。誰よりも早く、2014年に「ちんぽ」を作品に取り入れていたのだ。大仁田の流血ソングを待ちます。

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岸本佐知子さんは同人誌のときから読んで下さっている数少ない作家さんのひとり。まだ商業誌に寄稿したこともない素人の文章を常識に囚われることなく面白がって下さった。先日、エッセイ賞の授賞式で念願の対面を果たした。文章も素敵だけれど、岸本さん自身が本当に素敵な方で(黙って付いて行きたくなるようなおおらかさ)、完全に舞い上がってしまった。そんな岸本さんに書いていただけて光栄です。

今日マチ子さんの作品を初めて拝見したのは20代の終わり頃。繊細な線と淡い色使い。言葉はほとんど存在しないのに、どうしてこんなに切ない気持ちになるんだろうかと、誌面で見かけるたびにそのページを切り抜いて保存していた。おかしな話だけど、今日マチ子さんという人がこの世に実在している気がしなかったので、この推薦文のお話をいただいたときは本当に驚きました。

私は燃え殻さんと同じ年に作家としてデビューした。だから、燃え殻さんに対していろんな方面から押し寄せる声が自分のときと重なって、それくらいしか接点がないのに勝手に嬉しくなったり、苦しくなったりもした。書いていくというのは常に批評と向き合っていくことなんだって今更わかった。燃え殻さんの繊細な文章が、これからも悩める人たちの胸に深く沁み込んでほしいと思っています。

映画監督の三浦大輔さんは単行本の発売直後「話題になってから手に取るのも癪に触ると思うので、とっとと読んだ方がいいと思います」とツイートして下さった。本当に嬉しかった。三浦さんがSPA!で連載されていた枠で私もコラムを書かせてもらっていた。最終回、担当の高石さんに向けて「あなたを喜ばせたいという思いが僕の一番のモチベーションでした」と書いていた。それはそのまま「夫のちんぽ」を書いた私の気持ちでした。

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雨宮まみさんについては「あとがき」の中に書きました。このコメントを何度読み返し、自分を奮い立たせてきたことか。これからも書くことに躓きそうになるたび読み返す。次も書ける、次も書けると自分に言い聞かせながら。