アヴァロンシティ視聴覚室

 私が数年前に観たあるテレビ番組に、磯野貴理子が出ていた。その番組で「磯野貴理子はうるさいから嫌いだ」という一般人の意見が紹介されたが、それに対して磯野さん自身は「うるさくしなきゃ仕事にならないじゃないの!?」と反論していた。ごもっとも!
 磯野さんはバラエティタレントだから、トーク技術が商売道具だ。話下手な人間はバラエティタレントには向いていない(数年前、某イケメン俳優さんがバラエティ番組に出る事が多かったが、この人はマトモに臨機応変で当意即妙で融通無碍で軽妙洒脱なトークが出来なかったので、見ていてつらかった)。私はバラエティタレントの存在意義がいまいち分からなかったが、よくよく考えてみると「トーク」こそがバラエティタレントの存在意義なのだ。

 バラエティタレントではないが、倖田來未は「恋愛とダイエット以外にトークネタがない」と批判されていた。そもそもこの人はバラエティタレントではなく歌手なのだから、別にトークを売り物にする必要はない。ただでさえ、暴言や失言をしやすい気質なのだから、演奏よりトークコーナーの方に時間を割いている音楽番組(何だか、お菓子の方が実質的にオマケの食玩みたいだ)には出さない方が良い。
 あの和田アキ子だって、事務所やテレビ局が下手にバラエティ番組に出さずに歌手活動に専念させていれば、必要以上に嫌われずに済んだだろう。これは本人よりもむしろ所属事務所が悪い。この人が「裸の女王様」になったのは本人だけの責任ではないのだ。倖田來未の暴言失言だって、事務所の教育が不十分だったからだろう。

 まあ、バラエティ番組も基本的にドラマと同じように台本があるようだから、当然、出演者の発言は全てアドリブだというのではない。しかし、数年前の西川史子や道重さゆみのように、作られたキャラクターを嫌われる人たちは少なくない。バラエティタレントって結構しんどい仕事なのだろう。しかも、それでいて、俳優さんやミュージシャンほどの高い評価はされない。なおさらしんどいね。

 私は小学生から中学生になるまでの時期に『クリィミーマミ』にハマっていた。当時は同じ魔法少女もののアニメである『ミンキーモモ』が人気だったが、私はマミ派だった。『モモ』の再放送は「何となく」観ていたが、『マミ』は熱心に観ていた。今は亡き末の叔母からマミ人形を買ってもらったくらいだが、その人形は今はない。
『マミ』か『モモ』か。『モモ』はオタク系の男性(いわゆる「大きいお友達」)からの人気が高かったが、『マミ』は本来の対象である女児たちからの人気が高かった。その女児たちが成人してから、『マミ』をモチーフにした様々なグッズが売り出された。あのボークスのスーパードルフィーにも、限定品としてヒロインたちの人形がある。似たような感じの人気があるアニメに『セーラームーン』があるが(ちなみにセーラー戦士たちの衣装がモチーフのランジェリーも発売された)、『マミ』も案外息の長い人気があるのだ。

 この『クリィミーマミ』というアニメは魔法少女アニメとしては異色なものだった。芸能界が舞台であり、主人公である女子小学生森沢優は魔法で謎のアイドル「クリィミーマミ」に変身して芸能活動をする。そんな優は幼馴染の中学生の少年大伴俊夫に片想いしているが、俊夫は自分のもう一つの姿であるマミに憧れており、優をただの子供だと思って見向きもしない(そりゃそうだ。まだ小学生だし)。優は自分自身であるマミに嫉妬するという複雑な心境に置かれる。
 自分自身への嫉妬とはずいぶんとぶっ飛んだ設定だが、自分自身の「虚像」と「実像/実体」とのギャップに悩まされるというシチュエーション自体はよくある事だ。マミ/優の葛藤とは、そのようなシチュエーションの一つである。本当の自分を好きになってもらいたいが、しょせんは恋とは「幻」にとらわれるものである。幻を「幻」のまま愛でるか、それとも相手の「実体」を受け入れて大切にするかが、「恋」と「愛」の違いだろう。
 そんな奥深い『マミ』と比べると、私は『モモ』に対してはさほどストーリーにはのめり込めなかった。優はマミにしかなれないが、モモは様々な姿の大人の(厳密に言えば18歳らしいが)女性に変身して活躍する。しかし、色々なキャラクターを演じられるという利点が、かえって私が物語への関心を持つのを阻んでいた(その辺がストーリーが分かりづらい要素だったのだ)。『モモ』の魅力とは『マミ』以上にヴィジュアルに依存するものであり、それがオタク男性たちを惹きつけたのだろう。それに対して『マミ』の女性人気は、ストーリー性が基本だろう。『モモ』がいわゆる「単体萌え」志向なのに対して、『マミ』は「関係性萌え」志向なのだ。

 多分、『クリィミーマミ』は私に対して『ファイブスター物語』に匹敵する影響を与えている。自作小説のヒロインが年上の男性に恋をして、さらには人気ミュージシャンになるというのは、明らかに『マミ』の影響だ(もちろん、宇多田ヒカルや椎名林檎などの実在ミュージシャンの影響も強いが)。私にとって『マミ』は単なる子供向けアニメ以上の作品である。

 私はダウンタウン(並びにダウンタウン派閥)が嫌いだ。あの辺の男性芸人さんたちはいかにも「学校文化」の暗黒面を感じさせるから不愉快なのだ。同様の事はとんねるず、いや、石橋貴明氏にも言える(とりあえず、木梨憲武氏には他の三人ほどの不快感はない)。
 要するに、義務教育期間における男子いじめっ子のイメージなのだ。他の男子たちに対するマウンティングや、女子たちに対するセクハラなどの負の匂いが立ち込める存在感が不愉快なのだ。ただ、この手の芸人さんたちが放つ「負の匂い」と学校文化の暗黒面の関係は「鶏が先か卵が先か」だったりもする。少なくとも、私の義務教育時代のいじめっ子連中は変にお笑い文化にかぶれていた。お笑い文化のどぎつさは、子供や若者のサディズムをあおる。
 その点では、昔の萩本欽一の冠番組はすごかったと思う。視聴者のサディズムをあおり立てる事もなく「お笑い」を成立させていたのだ。しかし、今の日本のお笑いファンたちには欽ちゃん的な優しいお笑いは物足りない。より一層、刺激を求める。

 今の私がテレビを観ていないのは、ただ単にテレビが壊れただけに過ぎないが、仮にテレビが壊れていなくても、今時のバラエティ番組に対して食指なんぞ動かない。傲慢な大物芸人と、媚びへつらうひな壇芸人。なんて気持ち悪い図式なんだろう。
 かつての元ブロ友さんの一人が「私にとっては芸能人なんて何の価値もない」と言ったのも当然だ。「嫌なら見るな」などと言われるまでもない。嫌だから見ないのだ。たとえテレビが壊れていなくても、だ。

 私は男性お笑い芸人に対して派閥争いのきな臭さを感じてしまうが、女性お笑い芸人に対してはそうでもない。ああいうジャンルの女性芸能人は、他のジャンルの女性芸能人たち(例えば、モデルさんや女優さん)よりは同性同士の協調性がありそうだからだ。お笑い界は男性優位だから、フェミニズム的な結束力が高まるのかもしれない。しかし、日本人女性芸能人でハッキリ「フェミニスト」という姿勢を取る人はめったにいない。やはり「男社会に寄生する」メリットの方を選ぶのかね?

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