2017年01月12日

怖い数字

三日月

 私は疑問に思う。三国志の張遼曰く「あの短足将軍は誰だ?」…って、なしてわざわざ敵将の脚の短さに注目するのか!? 大乱戦の中、わざわざ敵将(孫権)の脚の短さをマジマジと観察するなんて、何だか怖いわ! もし仮にこの人が現代にいたら、女性のウエストサイズを正確に見抜きそうで怖いよ(笑)。
 そういえば、何年か前の某バラエティ番組で、青木さやかさんが一般人女性のウエストを見て数字を推測して、それがだいたい当てはまるというのがあったけど、ウエスト60cmを「そんなに細くない」と思い込んでいる男性はリアル女体を知らない人だと言って良い。グラビアアイドルとかで公称ウエストサイズ58〜60cmの人たちは多いが、宇多田ヒカルさんは「わざわざ数字なんて見なくても、実際の体型を見れば分かるっしょ?」なんて言っていたらしいね。
 ただ、このスリーサイズという「数字」に対するこだわりは、男性的な美意識だろう。女性が自らの「身体性」と「数字」を結びつけるのは、スリーサイズよりもむしろ体重の問題がほとんどだが、男性は女性ほど女性の体重の数値には関心がない(男性向け雑誌では女性の体重はさほど話題にならない)。あくまでもヴィジュアルが大事で、実際の体重はよっぽどの肥満でもない限りはどうでも良いのだろう。

 さて、話は張遼と孫権の話に戻すが、孫権の短足が有名になっちまったのは十中八九張遼のせいだろう。しかし、張遼自身はわざわざ他人にそんな事を吹聴するような人ではなさそうだし、李典や楽進もそうだろう。しかし、きっと別の誰かが孫権の短足話を吹聴して、それが史書に残ってしまったのだろう。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史 

2017年01月06日

「極悪パーシヴァル」呉起

緋奈の美脚

 私はマロリー『アーサー王の死』のパーシヴァルの話を読んで、色々な女性キャラクターたちがパーシヴァルに絡みつく様子から、ある人物を連想する。当記事はその人物について説明する。

 中国史関係の言葉に「孫呉の兵法」というのがあるが、これは三国志の呉ではない。「孫」は「孫子」こと孫武もしくは孫臏だが、「呉」は戦国七雄の魏に仕えた兵法家「呉子」こと呉起を意味する。この呉起が当記事の主人公だ。
 呉起は小国・衛の出身だった。彼は孔子の弟子・曾子こと曾参に弟子入りしたとされるが、時代的に曾参本人ではなくその息子に師事したらしい。呉起は小国・魯(衛と同じく由緒ある国)に仕えたが、その魯が大国・斉と戦争する事になったので、魯の君主は呉起を将軍に任命しようとした。しかし、呉起は斉出身の女性を妻にしていたので、色々と疑われる。それで思い切って妻を殺し、将軍に任命されて斉軍を破った(ただし、単に離婚しただけという説もある)。
 そんな彼を非難する者たちがいる。ここで「女」がターニングポイントとなる。
「あれは昔、仕官に失敗して破産した。それで、自分を馬鹿にした連中を30人もぶっ殺した。あいつは母親と別れて『宰相になるまでは国に帰らない』と誓って出奔した。曾子に師事してから母親が死んだが、それでも国に帰らないので破門された。あんなろくでなしを重用するのは衛国に対して申し訳が立たない」
 要するに、「あんな親不孝者の『極悪パーシヴァル』には聖杯の騎士になる資格がありません!」というのだ。またしても「女」がターニングポイントだ。

 呉起は魯を去り、魏の文侯に仕えたが、宰相の李克は彼をこう評した。
「あれは貪欲で好色ですが、兵法は春秋時代の斉の司馬穰苴以上ですよ」
 呉起は秦を攻めて城を五つ落とした。彼は最下級の士卒と衣食を共にし、自らの兵糧を担い、士卒たちと労苦を共にするという清廉な姿勢で人望を得た。ある兵士が腫れ物に苦しんでいると、呉起はその兵士の腫れ物から膿を吸い取った。これでますます彼の人気が高まったが、ここでまた「女」が出てくる。

「あんたのせがれは一介の兵士だろう。それを将軍自ら腫れ物の膿を吸い取ってくれたのに、なぜ悲しむ?」
「あの子の父親も呉将軍に膿を吸い取ってもらいましたが、それに感激して敵に後ろを見せずに戦死しました。私はあの子も父親と同じように戦死しそうなのが悲しいのです」

 文侯が死に、息子の武侯があとを継いだが、呉起に嫉妬する重臣の一人が彼を陥れようとした。その重臣・公叔は主君に提案する。またしても「女」だ。
「呉起に公主(王女)様を降嫁させてはいかがですか?」
 公叔は呉起を家に招待するが、実は公叔はこの国の公主(縁談の公主の姉か叔母か?)を妻にしていた。呉起はこの夫婦の恐妻家ぶり(実は演技)に辟易して、後に公主との縁談を断り、さらに楚に亡命した。そして、楚王から宰相に任命されて政治手腕を発揮したが、ここでも嫉妬深い凡人たちを敵に回した。彼は楚王の死後、敵どもに殺されたが、彼は楚王の遺体にしがみついたまま矢でハリネズミ状態になっていた。
 新しい楚王は呉起ごと前楚王の遺体を傷つけた者たちを粛清したが、それに連座して滅ぼされた一族は70家以上いたという。

 うーん、こりゃパーシヴァルというよりもむしろファウスト的ヒーロー(もしくはアンチヒーロー)だよね。そんな呉起の後輩として「暴風宰相」商鞅がいたのだが、いずれは彼についての記事も書くつもりだ。
 私が思うに、『史記』の呉起列伝は「女」が主人公に対して重要な役割を持つ辺りがゲーテの『ファウスト』の雛形のようなものだ。さらに、呉起と女性たちとの関係は日本の戦国大名・宇喜多直家をも連想させる。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史 

2016年12月19日

姜維スパイ説?

紅白青

 昔、コーエーが発行していた歴史投稿雑誌シリーズ第一弾「光栄ゲームパラダイス」(略してゲーパラ)に、ある人が興味深い投稿をしていた。ズバリ、「姜維スパイ説」だ。
 その投稿者さんの仮説によると、姜維は仕方なく蜀に投降していたが、いつかは魏に戻ろうと思っていた。そして、孔明が死ぬのを待っていた。その孔明が亡くなってから、将来魏に戻る際の手土産として、意図的に蜀の国力を弱めるために無意味な北伐を繰り返していたというのだ。
 さらに、ゲーパラの別冊に投稿された別のお方の三国志小説では、姜維は最初から蜀を弱めるために魏から送り込まれたスパイだったという設定になっている。

 当時(90年代)は今ほど正史『三国志』が普及していなかったので、今より蜀びいきが多かった。だから、当然このお二方の仮説に対する反発は少なからずあったハズだ。しかし、この「姜維スパイ説」とはフィクションとして実に興味深い。
 その当時と比べると、今は正史『三国志』はかなり普及している。Yahoo!知恵袋の中国史カテゴリーを覗いてみると、かなりの正史通がいる。宮城谷昌光氏は一般人の三国志観=『三国志演義』と決めつけていたが、今時の三国志ファンは宮城谷さんが思うほど演義寄りではない。まあ、おそらく宮城谷さんはインターネットをやっていないだろうから、一般人の意見を知る機会が少ないのだろう(作品の原稿は手書きだし)。

 ちなみに一部のネットユーザーさんたちは宮城谷さんを「MGT」という略称で読んでいるが、おそらく宮城谷さん自身は(インターネットに触れていない限りは)それを知らないだろう。しかし、『ファイブスター物語』ファンの私はこの「MGT」という呼び名がどうしても気になるのだ。何だか「GTM」みたいだし(笑)。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史