2018年03月29日

こんなところに出生疑惑

「始皇帝の実父は呂不韋だ」という説は疑わしい。なぜなら、呂不韋の息子にしては生まれるのが遅過ぎたからだ。

 前漢の武帝の後継者昭帝は、母親が妊娠して14ヶ月経ってから生まれたという事らしいが、これは怪しい。昭帝の母親は無実の罪で処刑されたとされるが、実は何らかの秘密があったのではないのか? 身も蓋もない推測をするなら、昭帝の母親は武帝以外の男性と肉体関係を持って昭帝を身ごもったのではなかろうか? 何しろ、始皇帝の母親には偽宦官 嫪毐 ろう あい との隠し子を生んだエピソードがあるのだ(ただし、昭襄王の母親宣太后にも同様の話があるので、ちょっと疑わしい)。武帝が昭帝の母親を処刑したのは、もしかすると昭帝の出生の秘密を封印するためだったのではなかろうか?
 司馬遷が「始皇帝の実父は呂不韋だった」という説(これもまた、楚の春申君と酷似した話なので疑わしいが)を記したのは、実は武帝・昭帝親子の疑惑を暗示するものだったのではないかと、私は邪推する。

 そういえば、『マルドゥック・スクランブル』のバロットも怪しいなぁ…。本当にあの父親は当人の実父なのか? バロットは人工授精で生まれたという設定だし、『マルドゥック・ヴェロシティ』でも、その辺の怪しさを匂わすエピソードがあったし、実に気になるのね。
 さらに、『ファイブスター物語』14巻でのカイエンのものすごい憤怒の表情(自分の出生の秘密を知ってバランシェを殺そうとした)からして、やはり(カイエンに酷似した出自の)『真・女神転生Ⅱ』の主人公たちは自分を生み出した奴らに対して復讐して当然だろうと思うね。そのメガテンの主要スタッフさんの一人が多神教優位論をこじらせてネトウヨ化してしまったのを知った時にはガッカリしたけど、私は『Ⅱ』の時点でメガテニストをやめたから、別に未練はない。

 日本史で出生疑惑といえば、豊臣秀頼がいる。秀吉は男性不妊症だった可能性が高いようなので、淀殿が別の男性との不倫関係で秀頼を生んだという疑惑だけど、石田三成が実父だという説はそれこそ呂不韋が元ネタじゃないの? 淀殿の乳母の息子だった大野治長が一番の有力候補のようだが、もしかすると無名の誰かが実父だったかもしれないね。下手すりゃ、淀殿自身にも分からなかったのかも…?
 しかし、呂后と審食其にしても、淀殿と誰かにしても、「悪女には性的スキャンダルが付きもの」という偏見でガセネタをでっち上げられた可能性が高い。そもそも悪女=性的に奔放とは限らないし、エッセイストの酒井順子氏は『たのしい・わるくち』(文春文庫)で「ヤリマンにあまり悪い人はいません」と書いている。確かにね、性的に奔放な女性よりも、逆に過剰に性的方面に対して潔癖な女性の方が性格がキツそうだよね。
 私が思うに、宮城谷昌光氏の小説のヒロインになった夏姫には特に「悪女」という印象がない。なぜなら、『春秋左氏伝』などの本を読む限りでは、夏姫という人からは悪女が「悪女」たり得る必要最低限の条件である「自分の意志」が感じられないからだ(モノのように男性たちの間をたらい回しにされている辺りがね)。それに対して、夏姫の娘の姑である「叔向の母」の方が、よっぽど性格がキツそうな気がする(どうやら息子はそんな母親の気の強さを受け継いだらしい)。融通の利かない風紀委員タイプなのね。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史 | 日本史

2018年03月28日

魔女の祟り

 加藤恭子氏の『アーサー王伝説紀行』(中公新書)に、興味深い怪談エピソードがある。ただし、この話はアーサー王伝説とは無関係だ。
 18世紀の英国に、鉱山で財を成した一族がいた。このミシェル家の何代目かの当主に一人の息子がいたが、彼は家のメイドだった少女を妊娠させ、産褥死させてしまった。
 これに怒ったのが、少女の母親であるセリーナという女性だったのだが、何と彼女は魔女だった。セリーナは娘の仇であるミシェル家の者たちに呪いをかけ、不幸続きのミシェル家は屋敷を手放して南アフリカに移住した。しかし、魔女の呪いは遠い異国にまで及んだ。

 時は現代。ミシェル家の当主は魔女の呪いを解くために、魔女セリーナの墓を探し出し、鉄の杭を打ち込んだ。

 その後、魔女の呪いがどうなったかは分からないが、私はこれを読んで「ああ、やっぱり御霊信仰って『異教的』なんだな」と思った。だって、恨みを飲んで死んだ人間を丁重に弔わずに、「悪魔」扱いして強引に祟りを鎮圧しようとするんだよ? これじゃあ、あまりにもセリーナさん母娘が気の毒過ぎる。
 少なくとも、日本で同様の事態があれば、仏教なり神道なりのやり方で死者の無念を慰めて供養するんじゃないかな。せめて、キリスト教的な慈悲でセリーナさん親子を供養した方が良かったんじゃないのか、と思うが、もしかするとセリーナさんは 新異教主義 ネオペイガニズム に基づく魔女だったから、キリスト教式の供養は通用しないのかもしれない。

 とは言え、果たして我が国における御霊信仰とは本当に判官びいきなどの慈悲に基づくものなのか、結構怪しい。韓非子チックな意地悪目線で見るなら、人間とは恨みを抱いて死んだ人間の霊魂からも無理やりご利益を引きずり出したがる強欲な生き物という事になるだろう。まあ、そもそも「宗教」並びに「有神論」自体がそうかもしれないが、だからと言って無神論者が無欲だとは限らない。
 無神論者や唯物論者には有神論者に対してマウンティングしたい欲求があるからこそ「無神論者」や「唯物論者」でいるのだろうから、結局はたいていの人間は欲張りという事になるだろう。「全ての道はローマに通ず」ならぬ、全てのイデオロギーやその他価値観は欲望に通じるのだ。

《余談》
 私が昔読んだ雑誌にこういう話があった。日露戦争から戻ってきた人が、自分が戦争で殺したロシア軍将校に祟られた。しかし、その人はキリスト教ではなく日本式のやり方でそのロシア人将校を供養したら祟りが収まったという。要するに、やり方を超えて真心が伝わったのだろう。
 ちなみに西洋の吸血鬼に対して十字架が効力を発揮するのは、あくまでも十字架を用いる人間の「信仰心」に基づくものらしい。つまりは、キリスト教徒ではない無宗教者や無神論者が十字架を吸血鬼に突きつけても効果はないという事だ。

shion_faust at 00:00|Permalink英国・アイルランド史 | 雑記

2018年03月21日

D.G.ロセッティの「なめとんのかおんどりゃ⁉」伝説

 いわゆる「ラファエル前派」と呼ばれる画家集団には、色々な問題児がいた。その中で特に札付きの問題児と言えるのが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティだろう。何しろ、自分のサークル仲間のウィリアム・モリス(ラファエル前派としては比較的マトモだった人)の妻ジェーンと不倫関係になった上に、自身の妻リジーを自殺同然に死なせてしまったクソ野郎なのだ。もう一人の愛人ファニー・コーンフォースも、このクソ野郎の被害者である。
 私は日本画家の上村松園を尊敬しているが、このクソ野郎ロセッティなんぞ全く尊敬なんぞしとらん。絵は素晴らしいが、とんでもないダメンズである。そんなクソ野郎の画学生時代のふざけたエピソードがある。

 ロセッティ青年は、ある日、学校を休んだ。翌日、ある教師に「なぜ休んだ?」と訊かれたが、このクソガキは実に人を食った返事をした。
「いやあ~、僕、『なまくら病』の発作が起こったんスよ(笑)」
 そして、先生が背を向けると、ロセッティはポケットから紙の束を取り出し、クラスメイトたちに配った。このクソガキは前日、家で自作詩を紙切れに書いていたのだ。

 やれやれ。その後のロセッティ画伯のクソ野郎伝説について書く気力がないや。それはさておき、誰かが「芸能界とは一般人として生きていけない人間の受け皿だ」と言っていたけど、それは芸能界以外にも言えると思う。まさしく「芸は身を助ける」だ。文学であれ、美術であれ、その世界における表現者たちの中には、一般人社会で生きていくには何かが過剰で何かが足りない人たちが少なからずいるようだ。
 ある作家は「漢の三傑」の一人淮陰侯韓信を「戦争芸術家」と評したが、なるほど、これは良くも悪くも韓信という人物にふさわしい。軍事の才能は一流だが、それ以外ではロセッティと同様に人間的な弱さをさらけ出す。ただでさえ、「天才」と呼ばれる人間は人間的な欠陥が目立つ人が少なくないのだ(だからこそ、楽毅のように「人格者」と「天才」を兼ねた人は貴重なのだ)。永野護氏風に表現するなら「ピーキーな性能」である。
 そんな「芸術家」たちと比べると、「普通の人」は突出した何かを持たない代わりに精神的に安定している場合が多い。ただし、今の日本ではその「普通の人」たちも精神的に病んでいる場合が少なくないが、たいていの「普通の人」は非凡な才能を持たない代償として一般人社会で生きていくための要領の良さを持っているのだ。