2018年04月

2018年04月19日

夏姫と西施

 私が昔、ヤフー知恵袋に投稿した質問を元に、今回の記事を書く。中国・春秋時代の美女の代表格として、夏姫と西施がいるが、果たして、どちらが春秋No.1の美女にふさわしいだろうか?
 私は知恵袋に二人を比較する質問を投稿した時にはこう思った。個人的には、素朴で可憐なイメージのある西施の方を選びたい。どうせ夏姫は上流階級出身で、美容にお金と手間暇をかけられた上に、豊富な男性関係もあったから、その「美女」評判はある程度「水増し」されている可能性があるのではないのか? 庶民の娘である私はそう邪推した。
 それに対して、西施は野良仕事をする庶民階級出身で、セレブ美女の夏姫のように高度な美容技術に頼るだけの経済的・時間的余裕はおそらくなかっただろう。それにも関わらず絶世の美女とされるのだから、すごいのではないだろうか? 何しろ、上流階級の男性は地位と財力にものを言わせて、美女を手に入れ、子どもを産ませられる。それが何代も続いた結果、美男美女が産まれやすくなる。高貴な出自の夏姫が「美女」であるのは「お約束」であって、庶民出身の西施ほどの意外性はない。

 まあ、そもそも「勝ち組」に多い容姿が美男美女扱いされやすいというのがあるか。昔の日本でも、上流階級に多い弥生系の顔が美男美女だとされ、庶民に多い縄文系の顔がその逆だとされたのだ。現在だと、白人の容姿が「美男美女」の基準とされている。人間の容姿について語るのに欠かせないのがヒエラルキーの問題だ。

 話は夏姫と西施に戻すが、どちらが春秋時代を代表する美女か? 仮に当時写真技術があってそれが現存していたとしても(あるいは西洋美術のような写実的な肖像画があったとしても)、共に現代人の美意識に合う美貌だったとは限らない。何しろ、昭和の時代の「正統派美人」でさえも平成の時代にはウケないのだ。こんなんじゃ、外見的問題だけではない。その「歴史上の人物」としての立場が問題だ。そう、美女を「伝説」たらしめるのは本人の容姿ではなく「立場」なのだ。
 西施には架空人物疑惑がある。しかし、夏姫は『春秋左氏伝』などに記録されている。そんな夏姫は「モノ」のように男性たちにたらい回しにされる事によって、意図せずに当時の中国の国際情勢に影響を与えた。それに対して、西施は、越王勾践が宿敵呉王夫差に献上した無名の美女たちを元に創造された人物に過ぎなかっただろう。

 よくよく考えてみると、歴史上の美女たちは純粋に「美女である」というだけでは記録に残らない。まずは、本人の社会的地位がある。その地位に基づき、いかに社会に(世界に)影響を与えたかが問題だ。その点からして、西施よりも夏姫の方が春秋時代を象徴する美女だったのかもしれない。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史 | 女性史

2018年04月17日

「斉人」太史慈

 正史『三国志』の太史慈伝には、何だかスゴい話がある。
 後漢の青州 東萊 とうらい 郡は現在の山東省、すなわち春秋戦国時代の斉国にあった。若き太史慈はこの東萊郡の役人だった。その郡と州との間にトラブルがあり、朝廷に訴える事になった。
「先に洛陽に着かなきゃならんぞ」
 そこで洛陽への使者に選ばれたのがまだ21歳の太史慈、字は子義だった。彼は昼夜兼行の弾丸ツアーで洛陽にたどり着いたが、ちょうど州の役人が役所の門で取り次ぎを願い出ていた。

「あのう、もしもし?」
「何でしょうか?」
「あなた、役所に文書を提出するんですね?」
「そうですが」
「文書は今、どこにあります?」
「車に置いてあります」
「色々と間違いがないか、確認しませんか?」

 州の役人は太史慈に言われた通り、車から文書を持ち出し、太史慈はあらかじめ用意していた小刀でそれを切り裂いてしまった。

「あんた、なんて事しやがるんだ⁉」
「お互いに過失だねぇ…。一緒に逃げちゃお」

 太史慈は相手と一緒に一旦は城門を出たが、すぐに姿をくらまして引き返し、役所に文書を提出した。これで州と郡の揉め事は郡に有利になったのだが、太史慈は青州の役所関係者たちを敵に回してしまったため、報復を恐れて遼東地方にまで逃げてしまった。
 北海国の相(皇族の領地に就いている「宰相」だが、実質的には太守とほぼ同じだろう)だった「ああ言えば」孔融は、そんな無茶な息子のために肩身が狭かった太史慈の母親の生活の援助をしていた。母親は戻ってきた息子に「黄巾軍に包囲されている孔融様を助けろ」と命じた。太史慈は賊のスキをついて孔融の陣営に入り、目通りした。

「うーん、平原国の劉備殿に援軍を頼みたいのだけどね」
「私が参ります!」
「賊の包囲は堅い。いくら何でも、突破は難しいぞ」

 太史慈は恩義に報いるために志願した。しかし、任務のために工夫がいる。
 彼は二人の騎兵たちを連れて門を出た。そして、騎兵が掲げる的を射る。

「何じゃ、あいつら?」

 太史慈らはパフォーマンスを終えて城内に戻る。そして、次の日も次の日も同じ事をした。

「何だい、意味不明だな」

 太史慈は包囲軍が油断した隙に馬に鞭を振るい、包囲を突破した。そして、劉備が相になっている北海国にたどり着き、劉備に援軍を依頼した。劉備は三千人の兵士たちを貸し出し、孔融包囲網は逃げ去った。

 司馬遷は『史記』斉太公世家でこう書いている。「その民は闊達で、知恵を隠している者が多かった」。斉の国は太公望呂尚以来、知的水準が高い国だったのだ。だからこそ、管仲や晏嬰のような名政治家たちが生まれたし、優秀な知識人たちを生み出した。太史慈の知恵者ぶりはまさしく「斉人」である。

shion_faust at 00:00|Permalink中国史 

2018年04月11日

天道に是も非もない

 近藤勇が自分のゲンコツを口に入れる宴会芸を身につけたのは加藤清正の真似らしいが、ならば、清正はなぜゲンコツ宴会芸を身につけたのか? ひょっとして、さらに昔の人の真似をしたのか?

 なるほど、歴史は繰り返す。

 中国の正史トップスリー、『史記』『漢書』『後漢書』の編著者たちにも似たような(?)因縁がある。宮刑に処された司馬遷を批判した班固は獄死したが、その班固をさらに批判した范曄は刑死した。ん? ひょっとして、そんな范曄をさらに批判した後世の歴史家が、さらにそんな先輩たち同様に不運な目に遭い、そんな歴史家がさらに別の歴史家に批判され、その批判した歴史家がさらに同様の目に遭う…という「不幸ループ」なんて事態があったのではないのか? だとすれば、それは運命の女神の残酷な気まぐれだろう。
 人間が歴史を学ぶ必要があるのは、過去の過ちを繰り返さないためである。しかし、神々にとってはそれは「不遜」であろう。世界各地の神話には、神々が人間の「不遜」を罰する話が色々とある。その多くは理不尽極まりない。私は「神」とは「公正な政治家」ではなく「気まぐれな芸術家」だと思っている。そもそもいわゆる「無神論者」とは、「神=絶対善」を前提にしているからこそ「善とはほど遠い世界に神なんているものか!」と思った上で無神論者を自認・自称するようになったのだろう。
 ただ、この「神=絶対善」というのは、あまりにも安直な決めつけだ。ある人にとっての「善」は、その人の敵にとっては「悪」である。万人共通の「善」などない。いや、そもそも「善悪」というもの自体がご都合主義次第で前後左右に揺さぶられる。要するに、「天道是か非か?」に対する回答は「天道に是も非もない」のだ。善悪など、しょせんは人間の都合次第だ。

 小説や漫画を読もう。映画やドラマを観よう。そこには様々な「問題」がある。何の問題もなく「ドラマ」など成り立つか? 世界は劇場、我々は役者、そして神々は脚本家や演出家だ。

shion_faust at 00:00|Permalink雑記