雑記

2018年04月11日

天道に是も非もない

 近藤勇が自分のゲンコツを口に入れる宴会芸を身につけたのは加藤清正の真似らしいが、ならば、清正はなぜゲンコツ宴会芸を身につけたのか? ひょっとして、さらに昔の人の真似をしたのか?

 なるほど、歴史は繰り返す。

 中国の正史トップスリー、『史記』『漢書』『後漢書』の編著者たちにも似たような(?)因縁がある。宮刑に処された司馬遷を批判した班固は獄死したが、その班固をさらに批判した范曄は刑死した。ん? ひょっとして、そんな范曄をさらに批判した後世の歴史家が、さらにそんな先輩たち同様に不運な目に遭い、そんな歴史家がさらに別の歴史家に批判され、その批判した歴史家がさらに同様の目に遭う…という「不幸ループ」なんて事態があったのではないのか? だとすれば、それは運命の女神の残酷な気まぐれだろう。
 人間が歴史を学ぶ必要があるのは、過去の過ちを繰り返さないためである。しかし、神々にとってはそれは「不遜」であろう。世界各地の神話には、神々が人間の「不遜」を罰する話が色々とある。その多くは理不尽極まりない。私は「神」とは「公正な政治家」ではなく「気まぐれな芸術家」だと思っている。そもそもいわゆる「無神論者」とは、「神=絶対善」を前提にしているからこそ「善とはほど遠い世界に神なんているものか!」と思った上で無神論者を自認・自称するようになったのだろう。
 ただ、この「神=絶対善」というのは、あまりにも安直な決めつけだ。ある人にとっての「善」は、その人の敵にとっては「悪」である。万人共通の「善」などない。いや、そもそも「善悪」というもの自体がご都合主義次第で前後左右に揺さぶられる。要するに、「天道是か非か?」に対する回答は「天道に是も非もない」のだ。善悪など、しょせんは人間の都合次第だ。

 小説や漫画を読もう。映画やドラマを観よう。そこには様々な「問題」がある。何の問題もなく「ドラマ」など成り立つか? 世界は劇場、我々は役者、そして神々は脚本家や演出家だ。

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2018年03月28日

魔女の祟り

 加藤恭子氏の『アーサー王伝説紀行』(中公新書)に、興味深い怪談エピソードがある。ただし、この話はアーサー王伝説とは無関係だ。
 18世紀の英国に、鉱山で財を成した一族がいた。このミシェル家の何代目かの当主に一人の息子がいたが、彼は家のメイドだった少女を妊娠させ、産褥死させてしまった。
 これに怒ったのが、少女の母親であるセリーナという女性だったのだが、何と彼女は魔女だった。セリーナは娘の仇であるミシェル家の者たちに呪いをかけ、不幸続きのミシェル家は屋敷を手放して南アフリカに移住した。しかし、魔女の呪いは遠い異国にまで及んだ。

 時は現代。ミシェル家の当主は魔女の呪いを解くために、魔女セリーナの墓を探し出し、鉄の杭を打ち込んだ。

 その後、魔女の呪いがどうなったかは分からないが、私はこれを読んで「ああ、やっぱり御霊信仰って『異教的』なんだな」と思った。だって、恨みを飲んで死んだ人間を丁重に弔わずに、「悪魔」扱いして強引に祟りを鎮圧しようとするんだよ? これじゃあ、あまりにもセリーナさん母娘が気の毒過ぎる。
 少なくとも、日本で同様の事態があれば、仏教なり神道なりのやり方で死者の無念を慰めて供養するんじゃないかな。せめて、キリスト教的な慈悲でセリーナさん親子を供養した方が良かったんじゃないのか、と思うが、もしかするとセリーナさんは 新異教主義 ネオペイガニズム に基づく魔女だったから、キリスト教式の供養は通用しないのかもしれない。

 とは言え、果たして我が国における御霊信仰とは本当に判官びいきなどの慈悲に基づくものなのか、結構怪しい。韓非子チックな意地悪目線で見るなら、人間とは恨みを抱いて死んだ人間の霊魂からも無理やりご利益を引きずり出したがる強欲な生き物という事になるだろう。まあ、そもそも「宗教」並びに「有神論」自体がそうかもしれないが、だからと言って無神論者が無欲だとは限らない。
 無神論者や唯物論者には有神論者に対してマウンティングしたい欲求があるからこそ「無神論者」や「唯物論者」でいるのだろうから、結局はたいていの人間は欲張りという事になるだろう。「全ての道はローマに通ず」ならぬ、全てのイデオロギーやその他価値観は欲望に通じるのだ。

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2017年11月25日

世紀の対決、差し歯VSキャラメル

「歴史にifはない」。建前上はそうだ。しかし、「if」すなわち「仮想歴史」を想像(妄想)するのは、歴史ファンが「歴史ファン」である醍醐味である。
 例えば、歴史上の名将たちが古今東西の枠組みを超えて対決するシチュエーションを考えるのは、歴史ファンにはありがちな想像力プレイ(と言うのかな…?)である。ただ、この手の想像を楽しむのは男性の歴史ファンが多い。女性の歴史ファンはもっぱら人物の「関係性」を想像して萌える傾向が強い人が多いだろう。
 とりあえず、まあ。ヤフー知恵袋などで「三国志の武将で誰が最強か?」なんて質問を見るのはゲップが出る食傷気味のネタだ。何だか、今はなきファンロード誌における『北斗の拳』のアミバのネタみたいだ。そんなにいいか、アミバ? ついでに、昔のコーエーの歴史投稿雑誌シリーズにあった「曹豹血盟軍」は明らかにアミバネタを意識して作られたコーナーだった。そりゃあ、「歴史ファンロード」などと揶揄されるのは当然だべさ。

 さて、本題。楚漢戦争の韓信と、カルタゴのハンニバルは、だいたい同時代の人たちであり、稀代の名将たちである。仮にこの二人が戦争をしたら、どちらが勝つかという「歴史if」妄想プレイである(「妄想プレイ」って、いかがわしい表現だな)。地理や軍備などの違いがあるなら、互角の戦力を持てる仮想の戦場に二人を置こう。
 ズバリ、関ヶ原の戦いの東軍の総大将が韓信で、西軍の総大将がハンニバルだったら、どちらが勝つか?

 …あ、どちらがどちらの総大将でも、西軍に小早川秀秋がいる時点で、史実通り西軍の負けかな? しかし、仮に韓信率いる東軍が勝っても、家康は何だかんだ言って韓信を粛清してしまうかもしれない。ハンニバルが東軍総大将だとしても同様だろう。うーん、参った。

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