子産

2018年07月15日

ドラゴンファイト!

 関羽の「おセレブ様」嫌いの要因になってしまったかもしれない恐るべき本『春秋左氏伝』に、変な話がある。
 紀元前523年、要するに中国の春秋時代だが、鄭の国で洪水があった。そして、街の外で2匹の龍が現れて、街の外でドタバタ争っていた。鄭の人々は「おっかないからお祓いしましょうよう」とお上に訴えたが、当時の鄭の名宰相子産は「我々人間には関係ない事だからほっときなさい」と却下した。

 この話、アーサリアンの私にとっては聞き捨てならないネタである。

「アーサー王伝説の王莽」ヴォーティガン王は塔の建設を命じたが、途中で崩れてなかなか完成しない。早速会議を開くが、なぜか「人間の父親がいない子供を人身御供にしましょう」という提案があった。それで探し出されたのがマーリン少年である。
 マーリンは夢魔が人間の女性に産ませた子供であり、予言の力を含めた魔力を持っていた。ヴォーティガンの前に連れて来られた彼は、塔の様子を見て言う。
「陛下、この塔の基礎に問題があります。中を掘り返してください」
 ヴォーティガンはマーリンに言われた通りに、作業員たちに地面を掘らせた。すると、中には池があり、赤と白の2匹の龍がいた。ただし、『ブリタニア列王史』では『左伝』とは違って2匹の龍は眠っていた。
 しかし、龍たちは目覚め、早速喧嘩をおっ始めた。最初は白龍が優勢だったが、赤龍は徐々に白龍を押し返していった。
 マーリン曰く、赤龍はブリトン人を表し、白龍は侵略者であるサクソン人を表している。「白龍」サクソン人はブリトン人を征服していくが、やがては「コーンウォールの猪」がサクソン人たちを打ち破るだろう。

 この「コーンウォールの猪」とは、後のアーサー王の事である。アーサー自身の名前は「熊」を意味するケルト系の単語と関連付けられるが、なぜか「猪」である。ヴォーティガンは、アーサーの伯父と父であるアウレリウス&ユーサー・ペンドラゴン兄弟の長兄コンスタンスを弑逆して簒奪者になっていたが、ブルターニュに亡命していた兄弟はブリタニアに戻り、ヴォーティガンに雇われていた火事場泥棒サクソン人を破り、要塞に追い込んだヴォーティガンを要塞ごと焼き殺した。
 その後、マーリンはペンドラゴン兄弟に仕えて、ストーンヘンジを建設した。いわゆる「アーサー王伝説」の本番はそれからの話である。

 さて、話を『春秋左氏伝』の2匹の龍たちの話に戻すが、ひょっとして、これはマーリンと龍の話の元ネタだったのではないかと、私は怪しむ。何しろ、孟嘗君の誕生日の話はモードレッドに酷似しているし、『ブリタニア列王史』には、飢えた主君を助けるために自らの腿の肉を切り取って調理して食べさせるという、介子推(晋の文公の忠臣)そっくりの話もあるのだ(ただし、これはアーサー王の死後の話だ)。
 2匹の龍の話といい、モードレッドの設定といい、ひょっとして中国起源ではないかと、私は邪推する。もちろん、単なる偶然の一致の可能性も高いが、あるいは双方に「第三者たる共通の起源」があった可能性もある。ついでに戦国時代の田斉の君王后には、アレクサンダー大王がゴルディオスの結び目をぶった斬ったエピソードと同工異曲の話がある(秦から送られた玉製の知恵の輪を金槌で叩いて「解いた」)が、こちらはアレクサンダーの話が中国に伝わって変化したものかもしれない。

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2017年11月29日

気まずいご対面

 1824年10月、若き詩人ハイネは大詩人ゲーテと会見した。大詩人は後輩に「あなたは今、何を手がけているのですか?」と質問したが、ハイネはハッキリキッパリと「ファウストです」と答えた。
 そう、ファウストといえばゲーテのライフワーク『ファウスト』だ。途端に気まずい空気になり、ハイネはサッサと退散した。ハイネは悪魔メフィストフェレスを女悪魔に変えた詩を作ったが、私はそちらは読んでいないので、感想を書きようがない。

 ゲーテの『ファウスト』の第一部は恋愛がメインテーマなので比較的とっつきやすいが、第二部は政治や経済などのテーマが色々とある上に、あっちゃこっちゃに時空を超えて物語が展開するので難しい。第一部が「箱庭」なら、第二部は青天井の大草原か、大海原か? いや、ああ果てしない大都会か?

 個人的には『史記』の呉起列伝はゲーテの『ファウスト』の雛形のように思える。己の立身出世のために愛する妻を犠牲にし、嵐を呼ぶ男。そんな彼の同類として秦の 商鞅 しょう おう がいるが、彼らはいわゆる「法家」である(呉起は兵家でもあるが、ある人曰く「兵家は法家の究極の形」なので、別に違和感はないだろう)。諸子百家の法家の元祖が誰かは意見は様々だが、春秋時代の斉の管仲や鄭の子産辺りが元祖であろう。
 春秋時代には鄭という国があった。この国は由緒あるが小国だった。そして、子産こと 公孫僑 こうそん きょう がこの鄭の宰相だった。
 法家思想は儒教のアンチテーゼとされる事が多いが、孔子は法家の元祖とされる子産を尊敬していた。前述のハイネもゲーテを尊敬していたのだが、もし仮に若き孔子と老宰相子産との会見が実現していたら、ハイネがゲーテに会ったのと似たような気まずい雰囲気になっていた可能性はある。
 現に、孔子は子産と並ぶ名宰相である斉の 晏嬰 あん えい と意見対立しているのだ。晏嬰は本によっては管仲や子産と同じく法家に分類されている(微妙に違和感があるが)。そんな晏嬰との関係からして、子産と孔子との相性も良くなかったかもしれない。

 …と思っていたが、訂正。『史記』鄭世家を読んだら、何と、孔子は実際に子産と会見して、しかも意気投合したのですね!? 失礼しました!

 司馬遷が『史記』での子産の列伝を「循吏列伝」という「僻地」に置いたのは子産に対する過小評価だと見なす人たちはいるが、もう一つ、仕えた国が小国過ぎたというのもあるだろう。いや、楚の 孫叔敖 そん しゅくごう もいるか…。ただ、孫叔敖は主君荘王(春秋五覇の一人に数えられる事が多い名君)の個性が強過ぎるというのもあるか…よく分からん!

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