アヴァロンシティ神話部

 関羽の「おセレブ様」嫌いの要因になってしまったかもしれない恐るべき本『春秋左氏伝』に、変な話がある。
 紀元前522年、要するに中国の春秋時代だが、鄭の国で洪水があった。そして、街の外で2匹の龍が現れて、街の外でドタバタ争っていた。鄭の人々は「おっかないからお祓いしましょうよう」とお上に訴えたが、当時の鄭の名宰相子産は「我々人間には関係ない事だからほっときなさい」と却下した。

 この話、アーサリアンの私にとっては聞き捨てならないネタである。

「アーサー王伝説の王莽」ヴォーティガン王は塔の建設を命じたが、途中で崩れてなかなか完成しない。早速会議を開くが、なぜか「人間の父親がいない子供を人身御供にしましょう」という提案があった。それで探し出されたのがマーリン少年である。
 マーリンは夢魔が人間の女性に産ませた子供であり、予言の力を含めた魔力を持っていた。ヴォーティガンの前に連れて来られた彼は、塔の様子を見て言う。
「陛下、この塔の基礎に問題があります。中を掘り返してください」
 ヴォーティガンはマーリンに言われた通りに、作業員たちに地面を掘らせた。すると、中には池があり、赤と白の2匹の龍がいた。ただし、『ブリタニア列王史』では『左伝』とは違って2匹の龍は眠っていた。
 しかし、龍たちは目覚め、早速喧嘩をおっ始めた。最初は白龍が優勢だったが、赤龍は徐々に白龍を押し返していった。
 マーリン曰く、赤龍はブリトン人を表し、白龍は侵略者であるサクソン人を表している。「白龍」サクソン人はブリトン人を征服していくが、やがては「コーンウォールの猪」がサクソン人たちを打ち破るだろう。

 この「コーンウォールの猪」とは、後のアーサー王の事である。アーサー自身の名前は「熊」を意味するケルト系の単語と関連付けられるが、なぜか「猪」である。ヴォーティガンは、アーサーの伯父と父であるアウレリウス&ユーサー・ペンドラゴン兄弟の長兄コンスタンスを弑逆して簒奪者になっていたが、ブルターニュに亡命していた兄弟はブリタニアに戻り、ヴォーティガンに雇われていた火事場泥棒サクソン人を破り、要塞に追い込んだヴォーティガンを要塞ごと焼き殺した。
 その後、マーリンはペンドラゴン兄弟に仕えて、ストーンヘンジを建設した。いわゆる「アーサー王伝説」の本番はそれからの話である。

 さて、話を『春秋左氏伝』の2匹の龍たちの話に戻すが、ひょっとして、これはマーリンと龍の話の元ネタだったのではないかと、私は怪しむ。何しろ、孟嘗君の誕生日の話はモードレッドに酷似しているし、『ブリタニア列王史』には、飢えた主君を助けるために自らの腿の肉を切り取って調理して食べさせるという、介子推(晋の文公の忠臣)そっくりの話もあるのだ(ただし、これはアーサー王の死後の話だ)。
 2匹の龍の話といい、モードレッドの設定といい、ひょっとして中国起源ではないかと、私は邪推する。もちろん、単なる偶然の一致の可能性も高いが、あるいは双方に「第三者たる共通の起源」があった可能性もある。ついでに戦国時代の田斉の君王后には、アレクサンダー大王がゴルディオスの結び目をぶった斬ったエピソードと同工異曲の話がある(秦から送られた玉製の知恵の輪を金槌で叩いて「解いた」)が、こちらはアレクサンダーの話が中国に伝わって変化したものかもしれない。

 精神科医の斎藤環氏は「女性性」と「身体性」は密接な関係にあると見なしている(講談社現代新書『関係する女 所有する男』参照)。ああ、なるほど。逆に言えば、男性性は女性性ほどには「身体性」とは密接な関係にはないという事になるのね。
 そう、他人の罪に連座した司馬遷が宮刑に処されて身体的に「男性性」を奪われてもなお、精神的には「男」であり続けたのは、 人間の ・・・ 男性が「男」たる一番の意義や価値が男性器ではなく「精神性」にあるからだ(人間の男性は単なる「動物のオス」ではない)。そんな司馬遷とは、始皇帝の母親の愛人だった 嫪毐 ろう あい (『史記』を読む限りでは「動物のオス」そのものだった男性像)のアンチテーゼである。

 さて、女性が「女」たらしめる所以が精神性ではなく外見などの身体性なのは、「女体好きの女嫌い」を主張する「異性愛」男性たちの存在からも明らかである。いわゆる 女性嫌悪 ミソジニー の大半は「女心嫌悪」だ。そんなミソジニストの異性愛男性が異性愛男性たり得るのは、女性の身体性への執着である。逆に言えば、女性がミソジニストの異性愛男性を自らの異性愛のターゲットに出来るのは、自らの身体性を売り物に出来るからだ。
 男性の唯一神を信仰する「アブラハムの宗教」、すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のセム系一神教が偶像崇拝を排斥するのは、偶像崇拝が「異教」すなわち多神教とのつながりがあるからである。しかし、キリスト教のカトリックは聖母崇拝などの聖人崇拝によって半ば多神教的になっており、聖母マリアは事実上の「女神」である。もちろん、カトリックが「アブラハムの宗教」の一種である限りは、マリアは建前上は女神ではない人間の女性だが、非信者目線から見れば明らかに「女神」以外の何者でもない。「女神」としての聖母マリアは、イエスの母マリアに中近東やヨーロッパ各地の多神教の女神信仰の要素が継ぎ接ぎされた存在である。
 さて、前述の通り、斎藤環氏は女性性と身体性との密接な関係を挙げていたが、多神教の女神信仰が偶像崇拝と密接な関係にあるのはまさしくそれである。「女神」とは、女性としての身体性を基本とした神である。その「身体性」を表すためにこそ、女神は「美女」や「多産の母親」などのイメージで表される。もちろん、全ての多神教が偶像崇拝を主体にしているのではないが、「アブラハムの宗教」の女神信仰や偶像崇拝への敵視は女性嫌悪と密接な関係にあるだろう。

 さらに言えば、セム系一神教が偶像崇拝を排斥する事が可能だったのは、前述の通り「男性性」が「女性性」ほど「身体性」とは密接な関係にはなく、それゆえ「唯一神」である男神の身体性を排除し、精神性を強調する事が出来たからだろう。しかし、そもそも神様が一人しかいないという時点で、多神教の男神様たちみたいにわざわざ性別を決める必要もない気がするんだけどなぁ…。やっぱりミソジニーじゃん。

 昔のキリスト教社会の過剰な性嫌悪指向は、女性嫌悪と密接な関係にあった。しかし、宗教的タブーの意識が薄れた現代の欧米社会では「美女はセクシーであるべし」という感覚があるようだ。映画界や音楽界での美女セレブたちの多くは「セクシー」だ。長年性的抑圧が強かった反動で、セクシーな美女たちが大っぴらにもてはやされるようになったのだろう。
 では、「異教大国」日本はどうか? あからさまにセクシーな美女(叶姉妹のような人たちはそんな「セクシーな美女」のパロディである)よりも「清純派」美女を好む男性は多い。女性もまた、むき出しの性的魅力を売り物にする男性を大っぴらに好む人は少数派だ。しかし、清楚な異性(もしくは同性)を好むのも、あからさまにセクシーな異性(もしくは同性)を好むのも、いずれにしても「偶像崇拝」だろう。「アブラハムの宗教」が最も忌み嫌う「偶像」とは、他ならぬ人間自身かもしれない。

 ギリシャ神話は、結構ミソジニー臭漂うネタがある。
 まずは、有力な女神様たちの性格がキツく設定されている。いわゆる「男社会」においては、自己主張が強い女は一種の「性格ブス」扱いされるが、ギリシャ神話のメジャーな女神様たちはたいていそんな「性格ブス」にされている。一見公明正大そうなイメージのアテナは、一皮剥けば陰湿な「偽サバサバ」女にされているし、神々の女王ヘラは夫ゼウスの愛人たちを粛清する嫉妬の権化である。しかし、ヘラは結婚の守護神であり、その立場上、自らが貞淑でなければならないから、夫の浮気をなおさら許せないのだ。
 ただし、ゼウスの愛人だった女性たちは元々地方の女神だったようだから、ゼウスとヘラと地方女神たちとの関係は、前漢の劉邦と呂后と韓信ら異姓王たちとの関係に例えられるかもしれない。ゼウスも劉邦も、地方勢力の粛清の責任を女房に押し付けていたのね。

 しかし、人間性に問題があるのは女神だけではない。男神も曰く付きだ。ゼウスの浮気性は困ったちゃんだし、ポセイドンの性格は某「名前を言ってはいけない」神様のように短気で嫉妬深い。男神たちの性格設定もまた、古代ギリシャの「男社会」の嫌らしさを反映している。
 何しろ、当時の男性同性愛は女性蔑視の裏返しなのだ。腐女子とフェミニストを兼ねている現代人女性はこの辺についてどう思うのだろうか?

 ギリシャ神話で最も男性の、さらには「男社会」の嫌らしさを体現している男神は多分アポロンだと、私は思う。彼は父ゼウスと同じく両性愛者だが、このアポロンの女性関係が曲者だ。彼は同性愛は(相手が人間で早死したとはいえ)比較的うまく行ったが、異性愛は目も当てられない。才色兼備のイケメン男性ならば、女性関係がうまく行くなんて、結構安易な見方だ。アポロンの異性愛遍歴は、その美貌とは裏腹に悲惨である。
 例えば、エロス(キューピッド)の恋の矢に射抜かれてダフネという美女に一目惚れした際には、ダフネはエロスに嫌悪の矢を射られており、アポロンを猛烈に拒絶した。そして、どんどん逃げまくって月桂樹に変身した。さらに、アポロンは別の人間女性に恋をしたが、その女性は「私は自分と同じ人間の男性を選びます。ごめんなさい」とアポロンのプロポーズを断った。
 さらにアポロンはまた別の人間女性に求愛し、長寿を与えたが、その女性はアポロンを振り、900年以上老け続けてから亡くなった。トロイの王女カサンドラには予言の能力を与えたが、カサンドラもアポロンを振り、アポロンから「誰にも予言を信じてもらえない」という呪いをかけられ、悲惨な最期を遂げた。

 アポロンは両性愛者だが、その類まれな美貌は女性ではなく男性たちのためにあったのだろう。それはさておき、異性愛においては、男性はだいたい自分自身の容姿よりも相手の容姿の方が大事で、女性はだいたい相手の容姿よりも自分自身の容姿の方が大事だ。いわゆる「美女と野獣」カップルは「意外と」少なくないが、その逆パターンは「案の定」少ない。なぜなら、男性のスケベ心は視覚に左右される事が多いからだが、女性の恋愛欲求は視覚だけの問題ではない。
 美男神アポロンが女性たちに振られたのは、明らかに当人の性格に問題があったからだ。自己愛が必要以上に強く、潔癖過ぎ、プライドが高過ぎる狭量な男である(もちろん、女性たちが「あのお方、美男子の神様で女なんて選び放題だろうし、後で振られるくらいならば、先に自分から振ってしまおう」と思った可能性もあるが)。そんなアポロンとは、古代ギリシャの「男社会」のキャンペーンボーイであり、女性たちはそんなアポロンの「美の中の醜」を嫌ったのかもしれない。

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