2018年01月27日
血だらけで床に横たわり笑っていたいじめられっこ転校生
遠い昔のこと
昭和のころである。これから話すことには懺悔も含まれる。
あるとき渋谷区から転校生が来た。転校生は1日に3言ぐらいしか口を開かない、極度の人みしりだった。しかも男の癖に自分を「僕」と称す、気持ち悪いヤツだった。
郊外の公立中学で僕など言うやつはいなかった。あるとき、対立しているグループが彼をいじめていた。なんだか無償に腹がたった。自分だって都合のいいようにからかったり、いじめたりしていたのになぜか腹がたった。
人を殴ったこともない転校生の彼に、こぶしを握らせた。ケンカを教えた。ベランダで来る日も来る日も。そのうち愛情が湧いてきて「ぜったいこいつを勝たせなきゃ!」と思うようになった。彼は僕より体も大きく腕力も強かった。本気を出せば強くなれる!
それを分からせてあげた。家にも行った。家は2部屋しかなく、彼の姉の友達のたまり場になっていた。たばこが山盛りになっていて、シンナー臭くて族のステッカーが貼ってあった。ジメっとしたその場所に彼の居場所はなかった。悲しくなった。
翌日学校のベランダで特訓をしていたら「なにをやっているんだ!オラア!」と突然うしろから蹴られた。生活指導の教師だった、とっさに反撃しようとすると、襟首をつかまれ、壁に3人の大人に押し付けられた
当時、生徒からの反撃で教師が何人も怪我をしていたので、こういうときは男性3人がかりでやってくる。教師たちは僕が“彼をいじめている”と思ったらしい。「トレーニングだ」と言っても聞いてくれない。
「何嘘ついてんだ、また、おまえか?」
もう何も言うのもめんどくさく、無言でけだるくにらみ返す。ときどき小突かれたリ、またにビンタをされる。
翌週いつもの輩が、転校生を小突き、いじめようとしていた。転校生は「大丈夫」とはにかみながらこっちを向いて言った。そしてなんと、相手にものすごい勢いでかかっていったのだ!。相手は面くらった。教えたとおりに、相手の顔にパンチが2発入り相手がのけぞる。
前けりもはいった。しかしケンカなれしている相手は懐にはいりこみ脇のしまった2発の重いパンチを彼の顔にいれる。グチャっとメロンを床に落としたような音がした。転校生の大ぶりなパンチはあいての側頭をかするだけ。
側頭への大ぶりパンチは人差し指と手首の付け根をねんざするし、手首の軟骨も壊れる。それに髪の毛でやけどして手の甲の皮がむける。やるなといったが我を忘れている。もう一発くらった転校生の鼻と口から滝の血が出た。
それが教室の床に滴り落ち女子がキャーッと悲鳴をあげる。
でも彼はひるまなかった。鼻パンチは普通、数秒、戦意喪失するはずなのに「うおっ〜!」と聞いたこともない言葉を叫び、また飛びかかっていった。あのいじめられても、はにかむことしかできなかったあいつががんばっている
――腹の底から熱いものがこみ上げてきた。
うれしくて泣きそうになった。
やがて彼は大量出血からめまいを起こし、床に横たわった。鼻パンチを受けた目からは涙も出ていた。これは泣いているのではない。自然に出るものだ。相手は転校生の体を踏みつけようとした。
僕は助走をつけて相手の太ももを蹴った、顔面を殴り、廊下に引きずり出した。さらに教室に戻り、相手の助っ人のケツを椅子でフルスイングして転ばせ、しゃがんだところを蹴りあげ、教室から追い出した。
転校生は、鼻血を流しながら横たわり笑っていた。「よくやった!!よくやった!!大丈夫だ。」
止めどなく流れる血、鼻につまったたくさんのトイレットペーパーの塊が赤く染まっていた。そのあと。教師がかけつけ、今度は僕と小競り合いになった。「ケンカぐらい自由にやらせろよ」。さらに教師が大勢でやってきて職員室に連れていかれ長い説教を聞かされた。
でもそんな説教は耳にはいらない。とにかくうれしかった。
僕は、いじめっ子としてのレッテルを貼られ、
ケンカを無理やりやらせてケガをさせたことも咎められ、
いっさい彼に関わることを禁止された・・・
一筆もかかされた
2年生の最後の日、「2年生の思い出文集」読んでいた僕は、転校生のところで目を止めた。彼の字は汚く、文章もたどたどしかった。
「僕は転校してきて、誰も話す人がいなかった。毎日いじめられました。2年5組に来るのがイヤでした。“じゃがいも”とか言われ名前を呼んでもくれませんでした。パシりなので「金魚のフン」って言われたりもしてました。でも最初いじめてきた●●くんは、最初は意地悪だったけど途中からケンカを教えてくれました。
●●くんは僕にケンカ教えたことで、またいろいろ先生とかから、怒られていました。でもずっと教えてくれました。おかげでいじめてくる強い奴とケンカしてパンチを2発当てることができました。生まれてはじめてでした。怖くないって思いました。鼻血を出して倒れてしまったけど、全然痛くなかった。本気だせば痛くないってわかりました。
今度は勝てると思います。はじめて嬉しかったです。だからいじめられている人もがんばってほしいです。みんなも先生も●●くんのことをいじめっ子だって言っているけど、そんなことはないです。ケンカの仕方を教わったのが僕の2年5組の一番の思い出です。
もう●●くんは僕と口もきいてくれないけど、僕は●●くんのこと忘れないし、2年5組のこと忘れません。またケンカ教わりたいです。3年生になったら帰宅部はやめて陸上部にはいって頑張ります。」
僕はその場から文集を持ってトイレに駆け込み息を殺して泣いた。
その後3年生になって彼は陸上部のエースになりヒーローになった。立場や性格は違っても友情のキャッチボールができたことがうれしかった。後にも先にも学校で泣いたのは小中高でそれっきりだった・・・・ここから少しづつ“誰かのために”という気持ちが芽生え始めた。
昭和のころ
遠い昔のことである。
昭和のころである。これから話すことには懺悔も含まれる。
あるとき渋谷区から転校生が来た。転校生は1日に3言ぐらいしか口を開かない、極度の人みしりだった。しかも男の癖に自分を「僕」と称す、気持ち悪いヤツだった。
郊外の公立中学で僕など言うやつはいなかった。あるとき、対立しているグループが彼をいじめていた。なんだか無償に腹がたった。自分だって都合のいいようにからかったり、いじめたりしていたのになぜか腹がたった。
人を殴ったこともない転校生の彼に、こぶしを握らせた。ケンカを教えた。ベランダで来る日も来る日も。そのうち愛情が湧いてきて「ぜったいこいつを勝たせなきゃ!」と思うようになった。彼は僕より体も大きく腕力も強かった。本気を出せば強くなれる!
それを分からせてあげた。家にも行った。家は2部屋しかなく、彼の姉の友達のたまり場になっていた。たばこが山盛りになっていて、シンナー臭くて族のステッカーが貼ってあった。ジメっとしたその場所に彼の居場所はなかった。悲しくなった。
翌日学校のベランダで特訓をしていたら「なにをやっているんだ!オラア!」と突然うしろから蹴られた。生活指導の教師だった、とっさに反撃しようとすると、襟首をつかまれ、壁に3人の大人に押し付けられた
当時、生徒からの反撃で教師が何人も怪我をしていたので、こういうときは男性3人がかりでやってくる。教師たちは僕が“彼をいじめている”と思ったらしい。「トレーニングだ」と言っても聞いてくれない。
「何嘘ついてんだ、また、おまえか?」
もう何も言うのもめんどくさく、無言でけだるくにらみ返す。ときどき小突かれたリ、またにビンタをされる。
翌週いつもの輩が、転校生を小突き、いじめようとしていた。転校生は「大丈夫」とはにかみながらこっちを向いて言った。そしてなんと、相手にものすごい勢いでかかっていったのだ!。相手は面くらった。教えたとおりに、相手の顔にパンチが2発入り相手がのけぞる。
前けりもはいった。しかしケンカなれしている相手は懐にはいりこみ脇のしまった2発の重いパンチを彼の顔にいれる。グチャっとメロンを床に落としたような音がした。転校生の大ぶりなパンチはあいての側頭をかするだけ。
側頭への大ぶりパンチは人差し指と手首の付け根をねんざするし、手首の軟骨も壊れる。それに髪の毛でやけどして手の甲の皮がむける。やるなといったが我を忘れている。もう一発くらった転校生の鼻と口から滝の血が出た。
それが教室の床に滴り落ち女子がキャーッと悲鳴をあげる。
でも彼はひるまなかった。鼻パンチは普通、数秒、戦意喪失するはずなのに「うおっ〜!」と聞いたこともない言葉を叫び、また飛びかかっていった。あのいじめられても、はにかむことしかできなかったあいつががんばっている
――腹の底から熱いものがこみ上げてきた。
うれしくて泣きそうになった。
やがて彼は大量出血からめまいを起こし、床に横たわった。鼻パンチを受けた目からは涙も出ていた。これは泣いているのではない。自然に出るものだ。相手は転校生の体を踏みつけようとした。
僕は助走をつけて相手の太ももを蹴った、顔面を殴り、廊下に引きずり出した。さらに教室に戻り、相手の助っ人のケツを椅子でフルスイングして転ばせ、しゃがんだところを蹴りあげ、教室から追い出した。
転校生は、鼻血を流しながら横たわり笑っていた。「よくやった!!よくやった!!大丈夫だ。」
止めどなく流れる血、鼻につまったたくさんのトイレットペーパーの塊が赤く染まっていた。そのあと。教師がかけつけ、今度は僕と小競り合いになった。「ケンカぐらい自由にやらせろよ」。さらに教師が大勢でやってきて職員室に連れていかれ長い説教を聞かされた。
でもそんな説教は耳にはいらない。とにかくうれしかった。
僕は、いじめっ子としてのレッテルを貼られ、
ケンカを無理やりやらせてケガをさせたことも咎められ、
いっさい彼に関わることを禁止された・・・
一筆もかかされた
2年生の最後の日、「2年生の思い出文集」読んでいた僕は、転校生のところで目を止めた。彼の字は汚く、文章もたどたどしかった。
「僕は転校してきて、誰も話す人がいなかった。毎日いじめられました。2年5組に来るのがイヤでした。“じゃがいも”とか言われ名前を呼んでもくれませんでした。パシりなので「金魚のフン」って言われたりもしてました。でも最初いじめてきた●●くんは、最初は意地悪だったけど途中からケンカを教えてくれました。
●●くんは僕にケンカ教えたことで、またいろいろ先生とかから、怒られていました。でもずっと教えてくれました。おかげでいじめてくる強い奴とケンカしてパンチを2発当てることができました。生まれてはじめてでした。怖くないって思いました。鼻血を出して倒れてしまったけど、全然痛くなかった。本気だせば痛くないってわかりました。
今度は勝てると思います。はじめて嬉しかったです。だからいじめられている人もがんばってほしいです。みんなも先生も●●くんのことをいじめっ子だって言っているけど、そんなことはないです。ケンカの仕方を教わったのが僕の2年5組の一番の思い出です。
もう●●くんは僕と口もきいてくれないけど、僕は●●くんのこと忘れないし、2年5組のこと忘れません。またケンカ教わりたいです。3年生になったら帰宅部はやめて陸上部にはいって頑張ります。」
僕はその場から文集を持ってトイレに駆け込み息を殺して泣いた。
その後3年生になって彼は陸上部のエースになりヒーローになった。立場や性格は違っても友情のキャッチボールができたことがうれしかった。後にも先にも学校で泣いたのは小中高でそれっきりだった・・・・ここから少しづつ“誰かのために”という気持ちが芽生え始めた。
昭和のころ
遠い昔のことである。
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2013年03月17日
僕の中には「魔」が住んでいる!
僕の中には「魔」が住んでいる!
原稿を書く前「読者の心に沁みる文章が書けるのか?難しいんじゃないか?おまえには?」の声が自分が心を蝕む。その反対に書き始めると「自分の中に自分じゃないもの入ったでしょ?」的な感覚になる。
空中遊泳しているかのような軽いトランス状態がおとずれる。どちらも正常ではない。「魔」の力とのかけひきをしながら我が仕事は続く。良いか悪いはわからない、作品が評価されているかどうかもわからない。
ただ僕は、目の前のことに集中し、より多くの方の心につながるために、誰彼と自分比べ一喜一憂ことなく、また誰彼を悪くいうこともなく、ただ営む。
短絡的なシンプルな道を歩く。
もっとビジネス的な思惑などにも周波数をあわせないといけないかなとも思うが、
そこから生じる、一般の会社にあるような複雑な人間関係を泳ぎきる自信がない。
迷惑を微妙にかけながらこれからも歩み続ける。
迷惑をあまりかけずに、あるいは感じない人を見抜きながら、
狭まれた道をいきてゆく。
shionagipoem at 18:58|この記事のURL│Comments(0)
2012年12月04日
ごみごみの日常東京も外から見たら宝石箱
あんなにきれいな宝石のなかにぼくらは居たんだね。
そとから見たらまるで宝石箱だよ。
さっ、そろそろ宝石箱のなかに戻ろうか、、、
shionagipoem at 22:18|この記事のURL│Comments(0)
2012年11月29日
透明になりたいんじゃないかな
透明になった瞬間が好き
何かを成し遂げた後になる「透明」
寝起き後3分の「透明」
踊ってハイになったときの「透明」
恋する気持ちのせつなさがくれる「透明」
おいしいものを食べ、それが口に広がる時の「透明」
ドライブ中の「透明」
キスの時の「透明」
感動して泣いた「透明」
みんな透明になりたい。
僕も透明になりたい。
その瞬間を探してる。
あと何度、一生のうちで透明になれるかな。
shionagipoem at 14:18|この記事のURL│Comments(0)
2012年01月16日
TOKYO DREAM CITY
これから東京へ来ようとしているきみたちへ
きみたちは何のために東京にくるか?
大事なのは3つだ。
「夢を追い叶える」
「Dramaticな友情関係を築く」
「Dramaticな恋をする」
東京に来たら、この3つを叶えるためのHOTな流れに乗れ、
そこそこどほどの淀みにハマり、そこで腐っちゃダメだ。
刺激の少ないナアナアの日々など送るな
どんな方法を使っても上の3つを叶えるためのHOTな流れに乗れ、
流れに乗るまではいろんな場所に顔を出し、いっぱい話して、いっぱい働いて、つながりを作る。
そして人間力を鍛えあげよう。
仕事だけ、勉強だけにハマっちゃだめだ。
それだけじゃ自分は育たない。
東京力をつけよ。
東京人よりも東京人らしい地方出身者がいる街
東京人なのに東京人っぽくない東京人がいる街
最初は差があるだろうが、洗練は自分の手でつかみとれ
知性のともなった華やかさが支配する街、
知性だけでも、華やかさだけでもこの街は楽しみきれない。
金だけでも学歴だけでも楽しみきれない
学歴、金がなくても
「感動させる力」さえあれば人生が最高の舞台になる街
それが東京
不義理も裏切りも、”創造と躍動の泡”のなかでうやむやになる、芸術的な巨大ワンダーランド
キミの妄想と興奮と白昼夢の中にこそ
本当の未来の設計図がある
舞台がある
この街の未来だってキミの妄想のなかにある
若者よ
東京でおおいに夢をみよ
妄想せよ
借り立てのマンションから見える街並みに
酔いしれよ
そこがキミの舞台だ
◆夜の香川県、丸亀港、翌日新幹線にて帰京。上京する若者の気持になってみた。
きみたちは何のために東京にくるか?
大事なのは3つだ。
「夢を追い叶える」
「Dramaticな友情関係を築く」
「Dramaticな恋をする」
東京に来たら、この3つを叶えるためのHOTな流れに乗れ、
そこそこどほどの淀みにハマり、そこで腐っちゃダメだ。
刺激の少ないナアナアの日々など送るな
どんな方法を使っても上の3つを叶えるためのHOTな流れに乗れ、
流れに乗るまではいろんな場所に顔を出し、いっぱい話して、いっぱい働いて、つながりを作る。
そして人間力を鍛えあげよう。
仕事だけ、勉強だけにハマっちゃだめだ。
それだけじゃ自分は育たない。
東京力をつけよ。
東京人よりも東京人らしい地方出身者がいる街
東京人なのに東京人っぽくない東京人がいる街
最初は差があるだろうが、洗練は自分の手でつかみとれ
知性のともなった華やかさが支配する街、
知性だけでも、華やかさだけでもこの街は楽しみきれない。
金だけでも学歴だけでも楽しみきれない
学歴、金がなくても
「感動させる力」さえあれば人生が最高の舞台になる街
それが東京
不義理も裏切りも、”創造と躍動の泡”のなかでうやむやになる、芸術的な巨大ワンダーランド
キミの妄想と興奮と白昼夢の中にこそ
本当の未来の設計図がある
舞台がある
この街の未来だってキミの妄想のなかにある
若者よ
東京でおおいに夢をみよ
妄想せよ
借り立てのマンションから見える街並みに
酔いしれよ
そこがキミの舞台だ
◆夜の香川県、丸亀港、翌日新幹線にて帰京。上京する若者の気持になってみた。
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2012年01月11日
絆つむぎの時間
海を見ていると
なつかしい友達に順番に連絡したくなる
「最近どうよ」から始まる会話
心が宙で踊りだす
乾いた砂に湧水がしみ込むように
心の隅々なで血が通いだし
埃をかぶっていた心の楽器が鳴りだす
ふだん、俺はこんなにいくつもの感覚を眠らせていたのか?
今では平日の多忙時にはとうてい難しい、全方位型の包み込みの心スタンス
たしか昔は毎日こうだった
心の隅々まで血が通っていたし
いつもいつも仕事をしているときも
仲間のこと思い出してたし
離れていても心のそばで気配を感じてた
理由なんていらない
真っ白になってまたつながろう
海を眺めながら電波をつかって心よりそう絆つむぎの時間
こんなにも心地いいのなら
素直になれるのなら
この波打ち際に何度でも来よう
なつかしい友達に順番に連絡したくなる
「最近どうよ」から始まる会話
心が宙で踊りだす
乾いた砂に湧水がしみ込むように
心の隅々なで血が通いだし
埃をかぶっていた心の楽器が鳴りだす
ふだん、俺はこんなにいくつもの感覚を眠らせていたのか?
今では平日の多忙時にはとうてい難しい、全方位型の包み込みの心スタンス
たしか昔は毎日こうだった
心の隅々まで血が通っていたし
いつもいつも仕事をしているときも
仲間のこと思い出してたし
離れていても心のそばで気配を感じてた
理由なんていらない
真っ白になってまたつながろう
海を眺めながら電波をつかって心よりそう絆つむぎの時間
こんなにも心地いいのなら
素直になれるのなら
この波打ち際に何度でも来よう
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2011年12月05日
ダイヤモンドヘッドの夜明け。
ダイヤモンドヘッドの夜明け。
夜明け前の団体行動。
本能が刺激される。
狩りに出たDNAの記憶か?
そうでなくても
DNAが喜ぶ圧倒的な景色。
その中に身を置くのは
心に何かを貯金したような気分
こういう瞬間をあと何度味わうか。
それを数えるのも人生の楽しみだ
夜明け前の団体行動。
本能が刺激される。
狩りに出たDNAの記憶か?
そうでなくても
DNAが喜ぶ圧倒的な景色。
その中に身を置くのは
心に何かを貯金したような気分
こういう瞬間をあと何度味わうか。
それを数えるのも人生の楽しみだ
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2011年12月03日
11年目のハネムーン
「あなたと新婚旅行に行こうとおもって密かにとったパスポート。結局使わなくて期限きれちゃったのよ(笑)」
ハワイ行きの機内で、
新しく取り直したパスポートを見ながら目を細める妻。
子供も大きくなり、親離れの年齢も近づいてきた。
11年間先延ばしになったハネムーン。
彼女は俺と結婚して幸せだったろうか?
子供たちはウチに生まれ来てよかったと感じているだろうか?
波乱万丈
普通じゃない人生に付き合わせている
その埋め合わせ。
家族にせめて「おつかれさん」と言いたい。
そして「ついてきてくれてありがと」と密かに思う。
面と向かって言えないから、
ここに書いておこう。
いつか見つけてくれたらいい。
出産や多忙やその他のいろんな理由で
11年間先延ばしにし伸ばしてしまったハネムーン
その悲願のハネムーンを
家族4人で決行した
人並みのことが
あとからやっとのことで達成できた感覚
それってすごくすばらしい
朝、これからみんなでダイヤモンドヘッドに登り、朝日を見たいと思う。
人生最高の日の出
苦労して、苦労して、がんばって、がんばって、
先が見えないこともあるけれど
こんないい朝もある
ハワイ行きの機内で、
新しく取り直したパスポートを見ながら目を細める妻。
子供も大きくなり、親離れの年齢も近づいてきた。
11年間先延ばしになったハネムーン。
彼女は俺と結婚して幸せだったろうか?
子供たちはウチに生まれ来てよかったと感じているだろうか?
波乱万丈
普通じゃない人生に付き合わせている
その埋め合わせ。
家族にせめて「おつかれさん」と言いたい。
そして「ついてきてくれてありがと」と密かに思う。
面と向かって言えないから、
ここに書いておこう。
いつか見つけてくれたらいい。
出産や多忙やその他のいろんな理由で
11年間先延ばしにし伸ばしてしまったハネムーン
その悲願のハネムーンを
家族4人で決行した
人並みのことが
あとからやっとのことで達成できた感覚
それってすごくすばらしい
朝、これからみんなでダイヤモンドヘッドに登り、朝日を見たいと思う。
人生最高の日の出
苦労して、苦労して、がんばって、がんばって、
先が見えないこともあるけれど
こんないい朝もある
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2011年09月13日
青春SONGのせつなく鼻に抜ける香り
青春ってせつなく鼻に抜ける香りがたまらない
青春まっただなかの頃
「永遠だな」
「ずっと俺らは変わらない」
って・・・
言ったその先から、せつなさが漂って、
たちまち失うのが怖くなって、
バカやって、寄り添って、語らって、確かめ合って、雑魚寝して。
ずっと変わらないつもりで生きてきて10年、20年。
そんでもやっぱ時は経っていて
あの頃の曲を聴くと、あの夜の香りが鼻に抜けて---
この感じ、みんな覚えててるのかなって想像して・・・
くっそ忙しい夜にこの曲でまた集いたいなって思ったりもする
「あんな感じ」とか「こんな感じ」とか・・・
“同じ空気”を感じ合いたいだけ、なのに
なんでかこんなに寂しくなる(笑)
青春SONGのせつなく鼻に抜ける香り
今度はみんなで
青春まっただなかの頃
「永遠だな」
「ずっと俺らは変わらない」
って・・・
言ったその先から、せつなさが漂って、
たちまち失うのが怖くなって、
バカやって、寄り添って、語らって、確かめ合って、雑魚寝して。
ずっと変わらないつもりで生きてきて10年、20年。
そんでもやっぱ時は経っていて
あの頃の曲を聴くと、あの夜の香りが鼻に抜けて---
この感じ、みんな覚えててるのかなって想像して・・・
くっそ忙しい夜にこの曲でまた集いたいなって思ったりもする
「あんな感じ」とか「こんな感じ」とか・・・
“同じ空気”を感じ合いたいだけ、なのに
なんでかこんなに寂しくなる(笑)
青春SONGのせつなく鼻に抜ける香り
今度はみんなで
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2011年07月13日
くやしさの分断
くやしくて、
やるせなくて、
傷ついてて、
なんとかしたくて
示しをつけたくて
でもこんなことでくやしい自分も滑稽で
結局悶々とする
湧きあがる残念さが止まらないときは、
当たり前だけど、
楽しいことに没頭するしかない
没頭することで人は心の痛みを和らげる
やるせなさもなかったとにする
会話に没頭することで和らぐこともある
爆発させるには及ばず
腹に押し込んだ感情
こんなことで怒ったり、傷つくなんて自分、もしかして病気?
そう思っているうちに時は過ぎ
うやむやにそのことはどこかに消えてゆく
人間なんていい加減な生き物
他人の気持ちをすごく大事にするのに
自分の気持ちをこんなにも雑に扱ったりもする
いいかげんで、やけくそで、独りよがり
やるせなくて、
傷ついてて、
なんとかしたくて
示しをつけたくて
でもこんなことでくやしい自分も滑稽で
結局悶々とする
湧きあがる残念さが止まらないときは、
当たり前だけど、
楽しいことに没頭するしかない
没頭することで人は心の痛みを和らげる
やるせなさもなかったとにする
会話に没頭することで和らぐこともある
爆発させるには及ばず
腹に押し込んだ感情
こんなことで怒ったり、傷つくなんて自分、もしかして病気?
そう思っているうちに時は過ぎ
うやむやにそのことはどこかに消えてゆく
人間なんていい加減な生き物
他人の気持ちをすごく大事にするのに
自分の気持ちをこんなにも雑に扱ったりもする
いいかげんで、やけくそで、独りよがり
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心の底で単館上映
まぶしすぎる思い出は、心の中で、映写機みたいにしてみるのがいい。
焦がれて、欲しくて、手にしたくて
でも、ほんとうに触れることができそうになると、
想像の自由を奪われるような気がして、
小宇宙を感じることを否定されるのが怖くて、
やっぱり触れるのをやめてしまう。
ただただ閉ざした心の海の
またその底の秘密の場所でひっそり上映し続ける終わらない物語。
あの香り、
あの空気を再現して表現しろって言われたら
すぐにできる。
ただそれは俺の勝手な、勝手な、お戯れ。
ただひっそりとそれは再生され、
いつかなにかの物語として描かれるまで、
この心の奥底で単館上映され続けるだけ。
その物語のなかで俺はずっと生きている。
shionagipoem at 01:23|この記事のURL│Comments(0)
2011年05月02日
東京がすっぽり
この東京がすっぽり入る景色が好き
140年前の歴史の舞台から、
今の東京を見つめる場所。
まるで過去から今を見つめているかのような気分。
今日もここの草のベットでうたたね。
20代の頃はいつもここから東京の今を眺めてたっけ。
ビジネスも
失恋も
出会いも
別れも
友情も
裏切りも
じだんだも
悲しみも
このコンクリートの塊の中で
あたかもそれが永遠であるかのように繰り広げられている。
140年前の歴史の舞台から、
今の東京を見つめる場所。
まるで過去から今を見つめているかのような気分。
今日もここの草のベットでうたたね。
20代の頃はいつもここから東京の今を眺めてたっけ。
ビジネスも
失恋も
出会いも
別れも
友情も
裏切りも
じだんだも
悲しみも
このコンクリートの塊の中で
あたかもそれが永遠であるかのように繰り広げられている。
2011年04月05日
しずかな春
桜が悲しく見えた春ははじめてだ。
夕暮れが冷たく、さみしく、何かを呑み込んでゆくように感じたのもはじめてかもしれない。
それでも・・・・・僕は必死で生きてる
2011年03月18日
この時を乗り越えて
日々が突然奪われてしまった人々の魂はどこにいっているのだろう。
悲しみに襲われた残された人々は何を感じ日々を送っているのだろう。
日本全国の人々の誰もが自分自身に襲いかかったかもしれなかった、この震災。何を書いても、どんな励ましの言葉を書いても、この東京から送った言葉なんて宙に浮くだけ―――そう思ってました。
でも被災地の方々により、逆に表現する勇気を頂きました。
みなさんと繋がる勇気、を持つことができました。
それまでは「仕事を通じてやれるとをして経済に貢献しよう」なんて言葉も嘘くさい、資本主義洗脳に毒された考えだと思っていました。とくに復興と関係ない職種の人が言っているのを聞いて
「今言うなよ」
と心底思いました。でも今、1週間がたち「自分の仕事を被災地の人々の心を癒すためにアレンジしておこなうべき」と言う考えが可能になりました。それまでは恋愛、夢、生き方とか“平和があってこそなりたつようなメッセージ”を送ってばかりでした。
誰かを思う気持ち。
それによって人は強くなれたり
恥じない行動をするような気がします。
誰かを思い、
家族を思い
地域を思い
国を思い
この時を乗り越えてゆきましょう。 潮凪洋介
悲しみに襲われた残された人々は何を感じ日々を送っているのだろう。
日本全国の人々の誰もが自分自身に襲いかかったかもしれなかった、この震災。何を書いても、どんな励ましの言葉を書いても、この東京から送った言葉なんて宙に浮くだけ―――そう思ってました。
でも被災地の方々により、逆に表現する勇気を頂きました。
みなさんと繋がる勇気、を持つことができました。
それまでは「仕事を通じてやれるとをして経済に貢献しよう」なんて言葉も嘘くさい、資本主義洗脳に毒された考えだと思っていました。とくに復興と関係ない職種の人が言っているのを聞いて
「今言うなよ」
と心底思いました。でも今、1週間がたち「自分の仕事を被災地の人々の心を癒すためにアレンジしておこなうべき」と言う考えが可能になりました。それまでは恋愛、夢、生き方とか“平和があってこそなりたつようなメッセージ”を送ってばかりでした。
誰かを思う気持ち。
それによって人は強くなれたり
恥じない行動をするような気がします。
誰かを思い、
家族を思い
地域を思い
国を思い
この時を乗り越えてゆきましょう。 潮凪洋介
2011年03月05日
なぜ生きるを考える
生きることを誇りに思えるから人は生きる
生きるべきと本能で思うから人は生きる
誰かを愛しているから人は生きる
守りたいものがあるから人は生きる
楽しいことに心奪われ人は生きる
仲間や家族とつながってたいから人は生きる
その中で人は自分をカテゴライズする
そのいろんな区分けのなかで命がけになったり
喜んだり
落ち込んだりする。
自分の基準で生きるのは幸せなことだ。
ただその基準すら
外から受け入れたもの
人は誰もいろんな基準を受け入れ
ブレンドして
自分のものとしてる。
だれもがそうだ。
それを人々は自分らしさと呼ぶ
人はいろんな人の価値観の複合体なのである
そう考えると
やっぱり
人は一人ではいきていないことがわかる
誰かが必ず“中”にいる。
こんな晴れた日に
からだいっぱいで息をして
自分を構成するいろんな基準に
向き合ってみるも悪くないね。
2011年02月17日
もし残りの人生の日数があとわずかだとしたら?
もし残りの人生の日数があとわずかだとしたら?
それを想像したら「ああしたい」「こうしたい」がとたんに湧きあがりました。
一抹の物悲しさの中にあったかい感情が湧きあがるのを感じました。
ジンワリと、
体の底から、
まるで本のシメとかあとがきを書くような
目次を整理するような
自分の人生というのはどんな作品だったのかを編集するような
なんかほっとした気分になりました。
大切な人たちに何を残してあげられるか、
そんな想像をし、
誰彼抱きしめたくなりました。
偽りなく
自分の道を
おくすることなく
堂々と歩いてきた
ときに傷を刻みこんだり
へこたれそうになりながらも
人生という作品をつづってきた。
悔いはないかな・・・なんて思ったりもしました。
本番はまだまだ先のことだと思うけど
いつかその日がやってくるときは、
ほっとしてベンチに戻りたいし、そして悔いを残したくないですね。
で、あちこちに後始末を残したくない。
ありがとうございましたって、
相応のプレゼントをこの世に残して
カッコよく、
去り際華やかに、
粋にこの世にあいさつして旅立ちたいですね。
「みんなに会えたから人生、最高だったよ」
って言いたいですね。
で、また生まれ変わって自分の残したものに運命を感じながら再会したいですね。
まだまだ先のことですけど。
ふとそんなことに心をはせて泳がせてみました。
深い自分に会えたような気がして
とてもあたたかい気分です。
■↑三浦半島の端っこから見た、伊豆半島に沈む夕日。
世の中に傷つかない人はいない
世の中に傷つかない人はいない。
でもたいていは傷ついたことを人に話さずに過ごすよね。
傷を口にすると愚痴屋と称され、後ろ向きと噂されることもある。
だから、できるだけ愚痴らずにみんな生きてゆく。
限界がきたら適度に切れて
干されない程度に自己主張する。
暮らしはそうして過ぎゆく。
あなたの傷が癒えればそれだけで世の中は少し明るくなるのかな。
そしてその傷をつくった相手が自分を変えれば、もっと世の中は明るくなるのかな。
2011年02月08日
気になっていた場所を歩く
北鎌倉、明月院に続く小道。
歩きたかった道をあるくと、人の心は、おいしいご飯を食べたような気持ちになる。人生もまた同じ。自分の歩きたかった道を歩くだけで美味しい満腹感で満たされる。
2011年01月30日
風邪ごもり
風邪ごもり
その字のごとく“籠る”ことに徹しても咎めがない。
自分の内面と向き合って過ごすことが許される稀有な時間。
風邪ごもりは昔から“たくらみ”の時間。
良くなりはじめた頃から、ちいさなたくらみに着手する。
すこし熱があって恍惚な精神状態。
だからこそいつもと違った楽しい発想が出る。
熱が上がらない程度に創造する。
一歩も家から出なくても、
誰とも連絡をとらなくても、
唯一罪悪感が湧かない、静かな日々、
ある意味、お正月よりも腰を据えて自分を癒せる時間。
2011年01月26日
希望という名の駅
希望が丘
いい名前だ。
希望を胸に歩かなきゃって思った。
近くに母が昔通っていた高校がある。
DNAが喜ぶエリア。
たぶん何百年もその地域に馴染んだDNAが喜んでるんだと思う。
しっくりくる、おちつくエリア。
四国の瀬戸内、丸亀近辺もDNAが喜ぶ。
土の思い出
横浜旭区のある場所。
土の感じがなつかしい。
この土を見た瞬間。
いろんな思い出がよみがえってきた。
土はその土地土地で顔を持っている。
この土にまみれて遊んだ夏休み、
カナヘビをとったり、
アリジゴクを縁の下でとったり、
庭の芝生で野球をしたり、
セミの幼虫を探したり、
いろんな躍動がよみがえってきた。
この土にもう少し見入ってみようかな。
なつかしくてワクワクする土の記憶。
2011年01月20日
住宅街を上から見てみた。
■三茶のキャロットタワーからの風景。打ち合わせの合間に。
溜池山王のあるビルの27Fでランチ。
次に三茶のこれまた高層ビルでMTG。
今日は高層日和。
高いところからの風景はやっぱり心が開く。
写真の風景はビル群じゃなく、わりと住宅街。
なんだか人肌感を感じる。
「いってらっしゃい」って送り出した余韻。
大切な人の帰りを待っている佇まい。
2011年01月17日
休日のやさしい気持ち、仕事中のやさしい気持ち
■これは何でしょう。人工のカルガモの巣です。書斎の下の運河。
やさしい休日を過ごし、週が明ける。
その瞬間、やさしい気持ちを心の彼方に一度追いやる。
この瞬間はむごい感じがして少しイヤだ。
結局、仕事場でも「やさしい気持ち」で過ごすが、
でも休日のそれとは種類が違うらしい。
気が済むまで仕事をしたら
今度は「仕事中のやさしい気持ち」を心の彼方に追いやってから家に帰る。
これまたむごいかんじがする。
太陽と月みたいに順番こに現れ、消える違う種類の「やさしい気持ち」。
妙な感じ。
2011年01月14日
仕事すしぎでしょって言われました
仕事しすぎでしょって言われました。
しすぎかもしれません。
でもそれは生きることそのものです。
仕事と遊びの境界線があまりありません。
そんなことをしすぎるぐらいやらせてもらっているならば
感謝しなければいけません。
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2011年01月12日
2011年1月12日というSHOWのはじまり
夜明け。
2011年1月12日というSHOWのはじまり。
東京という街。
このリアルな舞台でいろんな主人公が喜怒哀楽を繰り広げます。
押さえつけられて喜怒哀楽を発せない人。
奔放に喜怒哀楽を発する側の人。
あまりにも運命的で、
あまりにも残酷で、
ところどころ喜ばしいあれやこれやが同時進行します。
広大な自然。
その一極、関東平野。
そこに無数にへばりついたフジツボのようなビル群。
そのなかでちいさなわたしたちの劇場が同時進行開始です。
仕事がうまくいったり
友達ができたり
恋したり
結婚したり
新しい命が生まれ出たり
そんなかわいらしい幸せたちも
健気にちゃんとちりばめられてゆきます。
光のあたっている場所
運河。
光のあたっている場所と、そうでない場所がくっきり見える。
さわやかな開かれた朝。
この解放感はすぐにPCに向かってしまっては味わえない。
外に出て歩き、心のフタを開くがいい。
ただそこに在るがまま。
息を吸うがまま。
2011年01月07日
朝のまぶしい光の中へ
重い体で
こんなんじゃ倒れるんじゃないかって思いながら
朝のまぶしい光の中に歩き出した。
太陽の光ってすごい。
やる気が満ちて止まらない。
朝食を食べようとしても、
創造が次から次に湧いてきて止まらない。
2011年01月06日
開いている朝と閉じている朝がある
■ヨコハマ 元町の灯り
朝って不思議。
心が希望に向かって開いている朝もあれば
曇り空のように閉じている朝もある。
占いみたい。
閉じている朝は何かに追われる感じがする。
開いている朝は、何かに滑りだす滑走感がって、あれもやりたい、これもやりたい、と頭の中がスクランブル状態になって楽しい。
眠る前の精神状態と関係があるのかな。
2011年01月04日
20代、お正月休みは、本当の自分の呼吸と、視野と、人間性を取り戻すための療養バカンスだった
■港の見える丘公園
20代、お正月休みは、本当の自分の呼吸と、視野と、人間性を取り戻すための療養バカンスだった。
でもその聖なる感覚とリズムは、日々の経済活動の中で20日間ぐらいで半分麻痺してしまったっけ。もう1月20日ごろには自分らしさは半分になってた。
それでもなんとか自分の人生を形づくたっけ。
昔の写真を振り返る。
上出来だ。鮮やかだ。
自分を褒めたい。
写真の中にはお金じゃ買えない素晴らしいものがたくさん溢れている。
そして40代の今、お正月休みは希望と結果責任と自由の3つが順番こに渦巻く、あたたかくゆるやかで、チクチク痛い、バカンスになった。
去年1年生きられて感謝。
今年も1年生きなきゃ。
限りない自由と限りない責任を抱きながら2011年の日々がはじまる。
2011年01月03日
黄泉の国の入り口!?
黄泉の国の入口ってきっとこんなかんじ?一分でも長くたたずんでいたい場所。ここに一日いたら心の扉が開くんだろな。洗足池のある場所です。
2010年12月04日
こんな海を楽しむ人もいる
嵐の葉山。
護岸の真下から海水が跳ね上がり、
ボンネットにバシャッとかかる。
大きな大きなうねりに威圧感を感じ身をひそめる。
車体を揺らす海からの直風を竜巻と疑い水平線に目をやる。
でも、こんな海に出て遊んでいるサーファーもいる。
世の中、捉え方次第なのかもね。
かなしみに似た変わり目
太陽が西の雲に隠れ、つめたい海に変わる瞬間
かなしみの到来に似た変わり目
でも明日の夜明けはまたやってくるよ
悲しみもいつかこうして・・・・・
1分も1万日も
人生のうちであと何日間を好きなこと、自分をうたがわないことでうめつくせるのだろう。1分にするも1万日にするのも自分次第だね。
2010年10月25日
線路を超えたら思い出ゾーン
真夜中のサイクリング。
あの街並を走り抜ける。
線路を超えたら思い出ゾーン
何度も酔って、はしゃいで友情を確かめ合って、
あぶなっかしい未来への希望に光を求めたあの頃。
おもったよりガラクタっぽい街並み
でもこの街で僕らは大人になり、
そして人間としての多面体を形成した。
絶対的で、圧倒的な思い出に包まれた風景はしばし目まいを催す。
あの海でもそうだった。
なじみになじんだ風景にピントがあわない。
あうまでに2秒。
いまは世の中を見る目が違っているのか?
失ったもの。
忘れたもの。
進化したもの。
置き忘れたくないもの。
深夜のただのサイクリングが、いろんな心の振動を巻き起こす。
なつかしくて、胸騒ぎの48分間。
2010年10月13日
やわらかな秋の日
記憶の中なのか、
未来のことなのか、
その感覚はどこからやってくるのかわからない。
でもなつかしいような、
やっとこさ、たどり着いたような不思議な午後。
子供のころかつて夢みたようなやわらかくてまあるい秋の午後。
生きてるってこういうことなのか。
すべてのシーンが腑に落ちる秋の昼下がり
運命、人生がぱーっと目の前に広がった。
感謝の気持ちが沸き上がる。
何もなくてもあなたがいれば
ただ明日がくるだけで、
僕のすべては特別なまぶしさで満ち足りる。
心の中にもいて
心の外にも存在する人
こんな午後にいつまでも浸っていたい。
2010年09月22日
仕事上で「自分のことのように嬉しい・・・」ということ。
昨日、近しい人が初めての単独作品を出版した。
僕と同じ「恋愛系の本」だ。
その本の表紙の「著者名」を見た瞬間、本当に自分のことのように嬉しかった。
彼がどんな思いでこの道に入ったのか
どんな不安や葛藤を抱えていたのか
いろんなことが脳裏に浮かび上がってきた。
しごとを手伝って貰ったり、逆に助けてもらうこともあった。
応援していた人が、目標を達成してゆく姿を目の当たりにする嬉しさを今日は感じている。
作品のところどころに「らしさ」が出ていると
「いいぞ、いいぞ」
とセコンドのように叫びたくなる。
この世界、甘っちょろい世界じゃない。
だからこそ、その道を選んだ彼を讃えたい。
この先、伝説の表現者になってほしい。
戦友が増えた喜びを今日は感じている。
僕と同じ「恋愛系の本」だ。
その本の表紙の「著者名」を見た瞬間、本当に自分のことのように嬉しかった。
彼がどんな思いでこの道に入ったのか
どんな不安や葛藤を抱えていたのか
いろんなことが脳裏に浮かび上がってきた。
しごとを手伝って貰ったり、逆に助けてもらうこともあった。
応援していた人が、目標を達成してゆく姿を目の当たりにする嬉しさを今日は感じている。
作品のところどころに「らしさ」が出ていると
「いいぞ、いいぞ」
とセコンドのように叫びたくなる。
この世界、甘っちょろい世界じゃない。
だからこそ、その道を選んだ彼を讃えたい。
この先、伝説の表現者になってほしい。
戦友が増えた喜びを今日は感じている。
2010年07月27日
同じ東京なのに
日の出桟橋、竹芝桟橋まで一直線の写真。
コンクリートの一直線が続いてます。
こんなに広い場所なのに人っ子ひとりいない。
東京っておもろい。
人が集まるとこににはぎゅうぎゅうに集まっていて、そんで「同じ東京」なのにこんなに「放置状態」の場所もある。
みんなくればいいのに。
2010年07月26日
景色が心を開いてくれることがあるんだ
たった1ビューの景色が、閉じていた心を開いてくれることがあるんだ。
今日のこの景色もそう。
自転車で小学生みたいに海沿いを走り、ここにたどり着いた。
心がパカンと開いた。
こんな開いた感じ、いつぶりだろう。
パカンて開くとここに書きたくなるんだよ。
仕事場のそばにはまだまだこうやって心開ける景色があるにちがいない。
景色って大事だね。
またぶらりと探そうかな。
2010年06月15日
丁寧に生きる
前に進もう進もう、広げよう広げようと思うのもいいが、今広げたものを丁寧に心をこめて整理したり、磨いたりするのも大事かな・・と思った今日この頃。そうしようと思ったら心が楽になったなあ。結果はどう出るかな。人生いろんな試し方があって面白い。
写真は徳川慶喜の墓。
2010年01月20日
遊び人は人間の原点
遊び人は人間の原点だよ。より楽しい人生を追及してるからさ。
遊び人はいかなるときもみじめにはならない。
自分の心に勝手に境界線を張らない。
誰の心も躍らすことなく、周囲に気をつかわすだけの人はみじめだよ。
「ふさぎこんだ聖人君子」はもうやめ、やめ。
もっと遊んで、そこに人生ドラマつくりなさい。
勉強、仕事とったら「空虚な人」は惨め。
体を鍛えるように心の感性を敏感に、鍛えなはれ。
カネも地位もなくても「自由な心と思考回路」があればいい。
自由な行動パターンを生む感性があれば、人生はバラ色なんだ。
地位を持たずに心を動かす人。
カネをつかっても何も動かさない人。
さあ、どっちを行く?
2010年01月04日
大きな深呼吸をした正月。人生の中庭。
思えば去年も1年中、全力疾走だった。
作家、物書きだからといってのほほんと毎日過ごしてはいない。
100%の自由と120%の自己責任は、ときに自分を無限労働へと駆り立てる。
私も多くのビジネスホリックの皆さんと同じように、軽いバーンアウトを起こした。
この正月、ほんとに久しぶりに時間を気にせず寝て、明日のことを考えずに映画を見た。そしてカラっぽになった。カラッぽになるってこういうことだったのか…その感覚すら忘れてしまうそうになっていた。
そしていま、そのカラッぽ感を満喫する間もなく創作に向かう。
今年は何度感動するのだろう?何度落ち込むのだろう?できれば落ち込みたくないし、ずっと感動していたい。大きな大きな深呼吸をした正月。人生の中庭だった。今年はいつも心が太陽のようであってほしいと、心の底から感じる。
ただそうあるためには、ときには戦える覚悟もないといけない。戦う覚悟のない愛のある態度は、ナアナアな空気感と、後悔を呼んでしまうから。
作家、物書きだからといってのほほんと毎日過ごしてはいない。
100%の自由と120%の自己責任は、ときに自分を無限労働へと駆り立てる。
私も多くのビジネスホリックの皆さんと同じように、軽いバーンアウトを起こした。
この正月、ほんとに久しぶりに時間を気にせず寝て、明日のことを考えずに映画を見た。そしてカラっぽになった。カラッぽになるってこういうことだったのか…その感覚すら忘れてしまうそうになっていた。
そしていま、そのカラッぽ感を満喫する間もなく創作に向かう。
今年は何度感動するのだろう?何度落ち込むのだろう?できれば落ち込みたくないし、ずっと感動していたい。大きな大きな深呼吸をした正月。人生の中庭だった。今年はいつも心が太陽のようであってほしいと、心の底から感じる。
ただそうあるためには、ときには戦える覚悟もないといけない。戦う覚悟のない愛のある態度は、ナアナアな空気感と、後悔を呼んでしまうから。
2009年10月27日
何かを積み上げているのだろうか?
何かを日々積み上げる人生は素晴らしい。
しかし“それができているのか?”と我に問いたい。
「毎日、コツコツとレンガを積み上げ、それはいつか明るく世の中を照らす。毎日すこしづつそれは積みあがっている。」
自分の人生はそうだと確信できるだろうか?それとも
「単に生命活動をするために、食うためにあっちこっち、狩りにおもむき、食い、眠り…やがてそれらに思慮した一瞬一瞬すら忘れてしまう。」的人生を送っているのだろうか?
おそらく人生はこの前者と後者のミックスが気持ち良いのではないかと感じる。
狩りのスリルも、積み上げの充実感も両方人生に必要ではあるまいか?
私が「積み上げたな」と思えるのは、不思議と仕事方面ではなく、貯金方面でもなく、手に入れた不動産でもないような気がする。そのどれもありがたいのだが。
10代からアルバムに整理している、友や仲間との思い出の1シーン、1シーンを見ると心の底から「積み上げてるな」と感じるものだ。最近、忙しかったり、年齢を重ねたりで、その「積み上げ」感のある財産にすら、霧がかかったような気がする。情熱不足か?努力不足か?もしくは往生際が悪いだけなのか?大人になりきれないだけなのか?また我に問うてみる。
しかし“それができているのか?”と我に問いたい。
「毎日、コツコツとレンガを積み上げ、それはいつか明るく世の中を照らす。毎日すこしづつそれは積みあがっている。」
自分の人生はそうだと確信できるだろうか?それとも
「単に生命活動をするために、食うためにあっちこっち、狩りにおもむき、食い、眠り…やがてそれらに思慮した一瞬一瞬すら忘れてしまう。」的人生を送っているのだろうか?
おそらく人生はこの前者と後者のミックスが気持ち良いのではないかと感じる。
狩りのスリルも、積み上げの充実感も両方人生に必要ではあるまいか?
私が「積み上げたな」と思えるのは、不思議と仕事方面ではなく、貯金方面でもなく、手に入れた不動産でもないような気がする。そのどれもありがたいのだが。
10代からアルバムに整理している、友や仲間との思い出の1シーン、1シーンを見ると心の底から「積み上げてるな」と感じるものだ。最近、忙しかったり、年齢を重ねたりで、その「積み上げ」感のある財産にすら、霧がかかったような気がする。情熱不足か?努力不足か?もしくは往生際が悪いだけなのか?大人になりきれないだけなのか?また我に問うてみる。
2009年09月07日
自分の中のCORE HEART
自分が熱くなれて、涙があふれて心躍る場所には、絶対に顔を出したほうがいいって思う。 人生の洪水にながされてしまわないうちに。たとえ仕事で成功していても、知らず知らずのうちに「心」が流されていることってある。 過去を振り返るな…とよく言いますが、 「未来を作るために参考になったり、心のガソリンになる過去の場所」というのは誰にでもあるはず。 大変な時期だからこそ、自分の中のCORE HEARTとのふれあいを大切にしょう。
熱い心になれるということ
熱い心になろう!
そう思っても、熱い心にはなれない。
熱い心とは出会いが決める。
熱くなれる何かと“出会えた人”こそが幸せになれる。
そうなるにはどうしたら良いか?
それは好奇心を持ち続けること。
好奇心のアンテナにひっかかったものの中に、生涯魂を揺さぶる何かがある。
あなたが伝説をつくるためのステージがそこにある。
その運命の一粒を身落とさないようにしっかり、心の声に耳を澄まそう。
そう思っても、熱い心にはなれない。
熱い心とは出会いが決める。
熱くなれる何かと“出会えた人”こそが幸せになれる。
そうなるにはどうしたら良いか?
それは好奇心を持ち続けること。
好奇心のアンテナにひっかかったものの中に、生涯魂を揺さぶる何かがある。
あなたが伝説をつくるためのステージがそこにある。
その運命の一粒を身落とさないようにしっかり、心の声に耳を澄まそう。
2009年08月19日
スキンケアローションのシトラスの香り
たった今、10年以上前の「悲しい朝」を思い出すスキンケアローションの香りと再会した。シトラスの香り。かつての僕に「旅立ちの時間だ。毅然と歩き出せ」と告げた香り。
秋を迎えようとする高い空が頭の中に蘇る。恋人と最後の朝を迎えたあの朝の空だ。朝8時。ゴーと底鳴りのする晴天の街。それを空っぽの心で眺めたっけ。自分におこった悲しみなど吹き飛ばすように、東京は容赦なく動いていた。このシトラスの香りは容赦なく躍動する東京の香りだ。
「さあ、行けよ」とシトラスが語りかける。
バリっとスーツを着て、ネクタイを締める。悲しい心を抱きしめて玄関を出る。頬をひんやりとした風がなでる。シトラスの香りが鼻筋を登ってまた頭の中に侵入し、せつさを増幅する。それを抱えたまま底鳴りの渦の中に飛び込み、ヘナヘナの心で今日も1日、泳ぎ切る。
「大人の男は別れに勝つものなのだ。さあ行け!」
そういえば95年に父が他界した夏過ぎの空もそうだった。このシトラスのスキンローションの香りがそばにいた。孤独を抱きしめ、それでも歩きださなければならないヘナヘナの朝、自分を透明にして迷いをリセットしてくれた香り。さみしくも、凛とした香り。
昨日は14回目の父の命日だった。
秋を迎えようとする高い空が頭の中に蘇る。恋人と最後の朝を迎えたあの朝の空だ。朝8時。ゴーと底鳴りのする晴天の街。それを空っぽの心で眺めたっけ。自分におこった悲しみなど吹き飛ばすように、東京は容赦なく動いていた。このシトラスの香りは容赦なく躍動する東京の香りだ。
「さあ、行けよ」とシトラスが語りかける。
バリっとスーツを着て、ネクタイを締める。悲しい心を抱きしめて玄関を出る。頬をひんやりとした風がなでる。シトラスの香りが鼻筋を登ってまた頭の中に侵入し、せつさを増幅する。それを抱えたまま底鳴りの渦の中に飛び込み、ヘナヘナの心で今日も1日、泳ぎ切る。
「大人の男は別れに勝つものなのだ。さあ行け!」
そういえば95年に父が他界した夏過ぎの空もそうだった。このシトラスのスキンローションの香りがそばにいた。孤独を抱きしめ、それでも歩きださなければならないヘナヘナの朝、自分を透明にして迷いをリセットしてくれた香り。さみしくも、凛とした香り。
昨日は14回目の父の命日だった。
この世は夢幻か
うまくいかないことがあっても、嘆かない―
とてつもなくよいことがあっても驚かない・・・そんな自分になるための方法がある。
「この世界は夢幻(ゆめまぼろし)」だと思うことだ。織田信長でさえ言った。
「夢幻のごとくなり」
自分の感じていることも夢幻であり、起こっている悲劇も、ラッキーもすべて夢幻(ゆめまぼろし)なのだ。いまあなたが読んでいるこの文字だって「まぼろし」なのかもしれない。夢、幻だから、どんな夢だって叶う。革命家になって世の中を楽しくすることだってできる。憧れの女優との恋だってできる。
自分以外、すべて夢幻…今日1日、そう考えて、もしラッキーなことが起こったら、この世は本当に「あなた次第」のバーチャルなのである。だから…自分にラッキーで、みんなにもハッピーな夢を見たほうが得なのである。
とてつもなくよいことがあっても驚かない・・・そんな自分になるための方法がある。
「この世界は夢幻(ゆめまぼろし)」だと思うことだ。織田信長でさえ言った。
「夢幻のごとくなり」
自分の感じていることも夢幻であり、起こっている悲劇も、ラッキーもすべて夢幻(ゆめまぼろし)なのだ。いまあなたが読んでいるこの文字だって「まぼろし」なのかもしれない。夢、幻だから、どんな夢だって叶う。革命家になって世の中を楽しくすることだってできる。憧れの女優との恋だってできる。
自分以外、すべて夢幻…今日1日、そう考えて、もしラッキーなことが起こったら、この世は本当に「あなた次第」のバーチャルなのである。だから…自分にラッキーで、みんなにもハッピーな夢を見たほうが得なのである。
2009年08月16日
命のリレー
親や親族と膝を交えて語らうお盆―
祖父や祖母の時代の写真にまた語りかける。
明治維新の直後、険しい顔の祖母と祖父がいる。
みんな一生懸命人生を駆け抜け、
一生けん命恋をして、
一生けん命「なにくそ!まけないぞ!」と歯を食いしばり、
一生けん命、人生の達成をたたえあい・・・
100年前も今の俺と同じように盆を迎え、さらに100年前の祖父の話をしていたのだろう。そんな先祖さんに「おれはここにいる!おれはこんなに燃えている!おれは先祖さんの分もがんばって生きている!」と叫びたい気分になる。
先祖様がいまもし生きていたらなんて言ってくれるのだろう?
それを想像してふとワクワクする。
自分自身が先祖になる頃…きっと子孫の命がけのがんばりを応援しているに違いない。
愛すべき血脈、愛すべき、命のリレー…先祖様の顔に恥ずることなく武士道精神で生きてゆきたい…毎年そう思う。
祖父や祖母の時代の写真にまた語りかける。
明治維新の直後、険しい顔の祖母と祖父がいる。
みんな一生懸命人生を駆け抜け、
一生けん命恋をして、
一生けん命「なにくそ!まけないぞ!」と歯を食いしばり、
一生けん命、人生の達成をたたえあい・・・
100年前も今の俺と同じように盆を迎え、さらに100年前の祖父の話をしていたのだろう。そんな先祖さんに「おれはここにいる!おれはこんなに燃えている!おれは先祖さんの分もがんばって生きている!」と叫びたい気分になる。
先祖様がいまもし生きていたらなんて言ってくれるのだろう?
それを想像してふとワクワクする。
自分自身が先祖になる頃…きっと子孫の命がけのがんばりを応援しているに違いない。
愛すべき血脈、愛すべき、命のリレー…先祖様の顔に恥ずることなく武士道精神で生きてゆきたい…毎年そう思う。
2009年07月07日
ノスタルジックで透明な咽せ溶け入りそうな思い出
恋愛感情ではない。
青春を共にした女友達が、生きる意味と心をフカフカに解きほぐしてくれることがある。仲間の結婚式に行った。そこで昔の女友達たちに会う。みんな仲間うちの奥さんになっている。
楽しくてたのしくてカラオケに行った。5次会だった。あのころのように「くん付け」で呼んでくれる彼女。学生のとき恋人と別れたときに深夜から会ってくれて峠のドライブに付き合ってくれた彼女。「あのときはね〜」ノスタルジックな香りが蘇り、鼻に抜ける―あの青い深い夜の闇と星空のこと…彼女は覚えていた。
彼女が彼にふられたときには西湖で逆に俺が心をほぐしてあげたっけ。いつも俺達の悪ふざけを見て横で笑っていた彼女。いたずら好きな彼女。歌がうまくて、踊りも大好きで夜通し踊って朝日を一緒に見た彼女。
公園で格闘技ごっこをして朝5時そのまま会社に行った彼女。今でも昨日のようにあの思い出が残像があのころの香りを思い出させる。マライヤのEMOTIONがかかってたっけ。胸がせつなかったっけ。さみしくて、でもみんながいたから救われたっけな。
強くて透明で、危なくて、せつなくて、もろかったあのころ。
あのころと同じように今でも君の笑顔がそこにあった。
いつも聞いていた歌声――何年かぶりにその声を聞いていたら涙がでてきた。
「どうしたの?」
とやさしく彼女は笑う。
恋愛感情ではない。過去にも何もない。一晩中一緒にいても―――
今では10代からの俺の友達の奥さん。
もうすぐ2回目のハタチがやってくるけど。
この先、たとえ80歳になってもキミは変わらない。ずっと10代のまま。
ありがとう。
俺がどこから来てどこに行くかわかったよ。
また偶然とかあるかもね。
そういった矢先、翌々日中央高速道路で横を走っていたキミ。
これからも人生を節目節目で支え合っていこう。
そんな宝が人生にあることを喜びたい。
青春を共にした女友達が、生きる意味と心をフカフカに解きほぐしてくれることがある。仲間の結婚式に行った。そこで昔の女友達たちに会う。みんな仲間うちの奥さんになっている。
楽しくてたのしくてカラオケに行った。5次会だった。あのころのように「くん付け」で呼んでくれる彼女。学生のとき恋人と別れたときに深夜から会ってくれて峠のドライブに付き合ってくれた彼女。「あのときはね〜」ノスタルジックな香りが蘇り、鼻に抜ける―あの青い深い夜の闇と星空のこと…彼女は覚えていた。
彼女が彼にふられたときには西湖で逆に俺が心をほぐしてあげたっけ。いつも俺達の悪ふざけを見て横で笑っていた彼女。いたずら好きな彼女。歌がうまくて、踊りも大好きで夜通し踊って朝日を一緒に見た彼女。
公園で格闘技ごっこをして朝5時そのまま会社に行った彼女。今でも昨日のようにあの思い出が残像があのころの香りを思い出させる。マライヤのEMOTIONがかかってたっけ。胸がせつなかったっけ。さみしくて、でもみんながいたから救われたっけな。
強くて透明で、危なくて、せつなくて、もろかったあのころ。
あのころと同じように今でも君の笑顔がそこにあった。
いつも聞いていた歌声――何年かぶりにその声を聞いていたら涙がでてきた。
「どうしたの?」
とやさしく彼女は笑う。
恋愛感情ではない。過去にも何もない。一晩中一緒にいても―――
今では10代からの俺の友達の奥さん。
もうすぐ2回目のハタチがやってくるけど。
この先、たとえ80歳になってもキミは変わらない。ずっと10代のまま。
ありがとう。
俺がどこから来てどこに行くかわかったよ。
また偶然とかあるかもね。
そういった矢先、翌々日中央高速道路で横を走っていたキミ。
これからも人生を節目節目で支え合っていこう。
そんな宝が人生にあることを喜びたい。