先日、那須野が原の開拓の歴史が日本遺産に登録されました!
明治時代の初めに不毛の土地だった広野を開拓していった人々の功績が、今も静かに佇んでいます。


周りを山々に囲まれている塩原温泉も明治17年に塩原街道が開通したことで人の流れが変わりました。

それ以降、大正時代に掛けては特に、塩原温泉にはたくさんの文人墨客が執筆で疲れた体や心を癒しに訪れるようになり、この地で数々の作品も生まれました。


そして昭和に入り、たびたび塩原を訪れたのは「七つの子」や「しゃぼん玉」の歌を作詞したことで有名な童謡詩人の「野口雨情」でした。

とあることから親交のあった、福渡温泉にある和泉屋の主人「泉漾太郎」を訪ねての事でありました。

雨情と漾太郎(トリ)
写真 左:泉漾太郎(22歳) 右:野口雨情(48歳) 



この夏、塩原もの語り館では泉漾太郎の生誕110年を記念して、二人の親交を取り上げた企画展を開催いたします。

親子ほども年が離れた二人の出会い、
微笑ましいエピソード、
雨情の人となりがわかる名言などなど…を展示していきます。

そして、、、

雨情に師事した漾太郎の功績として挙げられるのが『校歌』です。
本業である旅館業の傍ら、地元に根差した活動をしていた漾太郎。

分かっているだけでも、栃木県内の40以上の学校の校歌が漾太郎の手で作詞されました!


学生生活を振り返って校歌を思い出すと、色々な背景が浮かんできませんか?
クラスメイトの隣で、体育館で、グラウンドで暑い日も寒い日も何度も歌った校歌。
歌詞の意味が分からないまま歌っていたり、お気に入りのフレーズがあったり、替え歌にして笑いあったり。
すっかり学生生活の一部として、沢山歌ってきましたよね。


今もなお多くの皆さんに歌い継がれている漾太郎の歌詞たちを、
ぜひこの機会に展示したいと思いまして塩原もの語り館では資料を集めております!
各学校に資料提供の呼びかけをさせて頂いたほかに、SNSを使って呼びかけをしておりますが、


集めている物は
〜寛了譴印刷されたもの(文集のコピーなど)
楽譜
2了譴記された額等の写真

上記の三点です。

既に廃校になっている学校もありますので、そういったところの歌詞をお持ちの際にはご協力を頂けますと幸いです!
提供いただいた資料は順次展示をさせて頂きます。


漾太郎作詞の校歌を通して、
地元である県内の皆様にも「塩原温泉」を訪れて頂ける機会になりますように、
私たちも展示に取り組んでおります!

よろしくお願いいたします^^

皆様からのエピソードをお伺いできるのを楽しみにして、お待ちしております♪


塩原もの語り館 http://www.siobara.or.jp/monogatari/
栃木県那須塩原市塩原747
電話 0287-32-4000(塩原温泉観光協会)