朝の5時までオリンピックを見てしまった。
福原愛選手と石川佳純選手の4回戦があったからだ。
福原選手の相手はオランダのリー・ジエ。福原選手の苦手とするカットマンだった。
初めの1セットはビックリするぐらい楽にとれた。しかし案の定2セット目からは心臓に悪いセットの連続だった。
福原選手の強打はことごとくネットにかかるか、台をオーバーしたからだ。相手にリードされて福原選手は思い切った強打が打てなくなり、ツッツキとループドライブで凌ぐ展開が続く。1-3の崖っぷちに立たされて、5セット目を辛うじてとると、次第に本来のペースに戻り、フルセットの末、ギリギリで格下の選手を下し、準々決勝に進んだ。
近藤欽司

この中継は近藤欽司氏の解説によるものだった。近藤氏はよっぱらった田舎のおじいちゃんを彷彿させるような語り口で、初めはうさんくさく感じたのだが、なかなかどうしてすばらしい解説で、次第に惹きこまれていった。1セット目に福原選手がミドルに強打を決めると

「こんなふうにミドルを狙っていかなきゃだめですね」

みたいなこと言っていた。また

「カットマンは後ろに下げてしまうと、強打を打っても効かないんですよ。やっぱりゆっくりしたボールで前に寄せておいてから強打ですよ。」

のようにカットマン攻略を語り、

「今日の福原はフォアハンドが安定しているが、バックのストレートは全部台から出ている」

と福原選手の問題点を指摘した。

2セット目以降はこの指摘通りの展開になっていくのだ。
福原選手が2セットめからミドルを狙わず、クロスのきびしいコースを打っていくと、それがほとんど返されてしまう。深いボールばかりで相手を下げさせてしまうと、ちっとも打ち抜けない。それで弱気になってツッツキとループドライブでしのいでいると、近藤氏は「これから相手は甘いボールを攻撃してきますよ。ブロックをしっかりしないとダメですね」と予言し、果たしてそのとおりになった。

・シェークハンドの選手にはミドルを狙う
・カットマンは寄せておいて、強打

のようなことは基本的な攻略であり、近藤氏でなくとも指摘する点ではあるが、それでも福原選手は2セット目以降、その基本的な攻略がおろそかになっていた。おそらくトップ選手と言えども、その渦中にあるときは自分が何をやっているのか、何をやればいいのか、自分を見失うことが往々にしてあるということなのだろう。私のようなへたっぴは意図も戦略もなく、打てそうなボールが来れば、がむしゃらに打つだけであるが、上級者はそうではないのだ。

近藤氏の指摘は非常に的確だった。

崖っぷちに立った5セット目以降、福原選手は近藤氏が指摘したとおりに

・ミドルに攻撃を集中する
・相手を下げてからの強打は控える
・相手の攻撃が増えるので、攻撃される前に攻撃する
・バックハンドの精度を上げる(これは不十分だったが)

という戦略で優位に立った。
この試合を見て思ったことは、試合は表現であり、対話だということだった。

出来の悪い文章というのは、夾雑物がたくさんある。本筋と関係のない話を突然始めてみたり、語っているテーマと結論が一致しなかったりして、振り返ってみると何を言いたかったのかはっきりしない。また布石がなかったり、論理の飛躍があったり、根拠が薄弱だったりして、牽強付会で説得力のない「論」ができあがる。
一方、良い文章というのは筆者の言いたいことが分かる、というより、筆者がどこに重点を置いて語ろうとしているかはっきり分かる文章だと思う。そのような文章は筆者の顔が見え、筆者が主張に説得力を持たせるためにどんな工夫をしているかまで分かる。段落ごとに、もっと言えば1文ごとにどんな意図や役割があるかはっきりアレンジされており、それまでの幾つかの部分が最終的に一つの大きな主張を構成しているのだ。

いい試合というのはおそらくいい文章と同じなのだろう。自分が何をやろうとしているか(主張)が自分でよく分かっている。自分がやりたい形に持っていくために、確実に布石を打っている(根拠がある)。対策を講じられた時(反論された時)のための別の対策も考えておく。

福原選手の試合で言うと、

・ミドルへの強打(主張)
・下がられると強打が効かないので、まずツッツキやループドライブで寄せておく(根拠)
・相手が攻撃に転じてくる(反論)ので、攻撃をされる前に攻撃を仕掛ける、あるいは攻撃された時はそれに対する心の準備とブロックを確実にする

近藤氏の解説を聞きながら、試合を観戦すると、福原選手や相手の考えていることがなんとなく分かるのだ。福原選手はリー選手と対話しているように見えた。

「このように打ったら、あなたはきっと、こう返すでしょ?だから私はこう打つ!」
「あなたはここが私の弱点だと思って、私のミスを誘うでしょうけど、私はこの対策で応じる!」

福原選手の試合は上記の観点からみると、非常に分かりやすい試合だった。しかしすべての試合がこのような分かりやすい試合ではないと思う。弱点とその対処法が分かりにくい試合というのもたくさんある。だからすべての試合をこのような論点のはっきりした形で観戦することはできないだろう。福原選手の試合は非常に論点がはっきりしていたので、見ていていとてもおもしろかった。

試合は福原選手の勝利で終わり、最後に近藤氏の口から出てきた言葉は

「この試合はまさに格闘技ですね!」

え?今まで非常に怜悧で的確な分析でいちいち納得させられた私には、ビックリするような意味不明な言葉だった。

「卓球はやっぱり最後は意地と意地のぶつかり合いなんですよ。」

格闘技の試合は技術ではなく、意地と意地のぶつかり合いなのだろうか。それは偏見じゃないですか?格闘技だからといって、いつも血みどろになって「最後は気力で勝つ」というのは違うと思うのだが…。

近藤氏は人を惑わせる。一見すると、

「酒を飲みながらプロ野球の采配に文句を言っている田舎の親父」

だが、実は

「的確に試合の展開を見通せる卓球の達人」

で、ときには

「思い込みが激しく、ときどき変なことを口走る人」

というおちゃめな一面も持つ。

なんとも不思議な人である。

ついでに石川選手の解説だった星野一朗氏にも触れてみるが、非常にそつのない解説で、優等生的である。声質も穏やかで心地よいし、試合の分析・解説も的確だった。しかし近藤氏の解説の印象が強烈すぎて、星野氏の解説はすっかり光を奪われてしまった感がある。