51tvUlD0dXL__SL500_AA300_NHKの「鴎外の恋人〜百二十年の真実〜」(→こちら)で、「エリス」探しは終止符をうったと思われていたが、最近になって、「六草いちか」とめずらしい名前のベルリン在住の女性寄稿者が「鴎外の恋舞姫エリスの真実」という著作の中で新説を打ち出した。新説の内容は後述するとして、NHKは植木哲氏の説に立ち、エリスは当時15歳だったとしているが、しろちゃんはここがどうしてもしっくりこなかった。15歳と言えばまだ中学生だ。中学生が一人で船に乗り、極東の日本まで旅行できるのか。そして、親がそんな無謀な企てを許すのか。また、鴎外側に立つと、いくら鴎外が若かったと言え、娘にもなってない少女に夢中になるのかという疑問が出てくる。これに対し、植木氏は15歳でも単身旅行は可能。一等船室に乗れたのは裕福な仕立て屋の娘であったから。そして、当時の女は早熟だったとしている。しかし、この植木氏の解釈には違和感を禁じえなかった。それからもう一つ納得のいかないところがあった。植木氏はエリスを「アンナ・ベルタ・ルイーゼ・ヴィーゲルト」としているが、日本と香港の新聞に載っていた乗船者名は「エリーゼ・ヴィーゲルト」でルイーゼではない。

六草女史もしろちゃんと同様な疑問をもった。彼女は、鴎外は「舞姫」の中に痕跡を残しているはずだと考えた。小説とは言っても、全くの作り事ではなく、差し障りのない部分は事実を書いているのではないのか。この直感は正しく、しろちゃんも全く同感だ。六草女史は、豊太郎とエリスが出会った場所、教会を特定することからエリス探しを開始した。ここからの彼女の手法が見事で、精緻な推理小説を読んでいるような感じがする。彼女の最大の功績は教会簿に注目したことだ。欧米社会は、出生・結婚・死亡などの個人情報が教会によって管理されている。「エリーゼ・ヴィーゲルト」についても、彼女の洗礼記録が豊太郎がエリスと出合った教会又は付近の教会に残っているはずだと考えた。これまでどの研究者も考えたことがなかった発想である。しかし、そんなに簡単には行き着かなかった。両親の記録は見つかったが、彼女の名前が見つからない。行き詰ったところに、光がさした。シュロス教会は、シュチェチン(現・ポーランド)の聖マリア教会と統合している。そこの記録を調べてみたらというアドバイスをエリス探しを通じて親しくなった教会関係者から受けた。幸運なことに、ベルリンの教会公文書館にはベルリンだけでなく当時のプロイセン全体の教会簿が保存されていた。調べると、「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」の名前が見つかった。シュチェチンは母親の故郷で、故郷に帰ってエリーゼを出産したわけである。1866年9月15日誕生という記録から、鴎外を追いかけて日本に来たのは21歳の時になる。年齢的に妥当である。「舞姫」には、エリスの母が「ステッチン(=シュチェチン)わたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せん」と言った記述がある。鴎外は痕跡を残しているのだ。

六草女史はまた住所帳から1898年から1904年まで、帽子作り屋としてベルリンに住んでいたことを確認。鴎外の妹・小金井喜美子が鴎外談として、エリーゼが「帰って帽子会社の意匠部に勤める約束をして来たと言っていた」との発言と一致している。

六草女史の新説は、明らかに植木哲氏の解釈よりも、多くの点で条件が合致しており、説得力がある。NHK、今野ダイレクターの“新証拠”、刺繍に使う金型のモノグラムとイニシャルが違う(EでなくLである)が、ほぼ、これで決まりと思える。

六草女史は、また、著書の中で、面白い推論をしている。エリーゼが土産物など買って、大人しく帰ったのは、鴎外が後から行くと約束したからだという推論である。実に鋭い。しろちゃんもその通りだと思う。無理やり引き裂かれて泣き泣き帰ったというなら、船での長旅の間に自殺してしまうかもしれない。鴎外は彼女を騙すつもりはなかったと思うが、実母から、私を取るか彼女を取るかと迫られ、再渡航を断念、結果的に騙したことになった。鴎外がエリーゼの帰国後程なくして、一連の騒動を思い起こす「舞姫」を敢えて書いたのは、なぜか。豊太郎に化体して卑怯でふがいない自分を曝け出したかったからではないだろうか。