しろちゃんブログ

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。(芭蕉) 人生という旅の後半に入り、新たな生き方を模索してます。

上海レポート−13年前の上海

戸籍 (1999年6月)

「上海レポート−13年前の上海」も今回で終了です。実は7年前、友人と上海に遊びに行ったのですが、その時ですら道がわからない位変わっていました。今行ったら、迷子になってしまうでしょうね。

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  中国では農村の戸籍(戸口という)と都市の戸籍が峻別されており、農村の戸籍を持つもの、つまり農民が都市の戸籍を得ることは、例外的な場合を除いて不可能である。言うまでもなく、農民を農村に縛り付け、都市に流入することを避けるための措置であるが、改革・開放政策以来、現実的には、この規制を無視し都市に流入してくる農民が多いことも事実である。いわゆる、「盲流」というやつである。いったん都会の豊かさに気づいてしまった農民を農村に押しとどめておくことは難しい。もちろん、都市の戸籍がないと、都市で暮らしていくにはたいへんだ。公共のサービス、例えば子弟の教育や医療が受けられない。住居が得られない。しかしながら、昔と違い、戸籍がないと食料の配給が受けられないということはない。金さえあれば、食料店やスーパで自由に買える。従って、戸籍がなくとも生きて行くことはできる。農民が戸籍がない「たいへんさ」をものともせず、都市に押し寄せる所以である。

 このような自然の流れに対して、当局も、規制一辺倒では対処できないことに気づき始めたようだ。農村から出て来た連中の中で、運良く金儲けに成功した者には都市戸籍を与えようというわけである。これが、一定以上の価格のマンションを購入した者には都市の戸籍を与えるという奇抜な措置である。つまり、戸籍付きのマンションだ。上海市内の場合は、35万元以上のマンションを買うと上海の戸籍が一つ貰える。最初、人気のない浦東地区で「入植」を促すためスタートしたとのことだが、現在では市内はもとより郊外にも広がっている。地獄の沙汰も金次第ではないが、全く、中国的な発想で、農民も金持ちになったら仲間に入れてやろうというわけだ。だが、このように一見、実態に則し、妥当とも思われる方策にも実は裏がある。この辺のところが中国だ。マンションの売れ残りが余っているのだ。

 ご多分に漏れず、中国も不動産ブームによるミニバブルの洗礼を受けている。改革・開放による外国企業の進入により、外国人向けの住居が払底し、家賃が急騰したことが発端である。機を見るに敏な香港、台湾人が外国人向けのマンション、一戸建て建設にに乗り出した。上海の家賃が東京、ニューヨークより高いのであるから、最初に投資した連中は大もうけした。これを見て、われもわれもと後に続くのはどこの国でも同じ。一方、経済の急激な伸びにより、国民の貯蓄も進み、政府の社宅制度の廃止、それに代わる住宅ローンの拡充を軸とする持ち家政策の推進により、中国人の間にも住宅購入のの高まりが出てきた。かくて、外資、内資を問わず一大住宅ブームが起こった。いったん、流れが奔流になってしまうと止められないのは世の常である。たちまち、供給過剰になり、家賃は急落、売れ残り住宅の山ができた。実際、筆者のマンションの家賃も実勢は3年前入居時の半分である。上海市内を巡ると完成したが、未入居のマンションがごろごろしていることがわかる。これでおわかりのように、マンション購入者に戸籍を与えるというのは、売れ残り住宅の販売策の一環なのだ。農民は喜び、政府の持ち家政策も進み、在庫を抱えている業者にとっては何よりも強力な支援策である。正に、三方ハッピーというわけ。中国人とはなんとフレキシブルなことか。

上海江戸村(1999年6月)

 テーマパークと言えば、ディズニーランドをぱくった北京の「石景山遊楽園」が有名だが、このようなまともなものもある。

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 上海の豫園の近くに「上海江戸村」が出現した。上海江戸村とはもちろん日光江戸村の上海版のことで、江戸村よろしくオールド上海の町並みを復活させたものである。プライベートで上海に遊びに来た会社の同僚を豫園に案内した後、空港に向かう途中偶然発見した。運転手の話では昨日オープンしたばかりとのことだが、全く知らなかった。外国人にとっては情報の少ない中国ではこういうことはよくある。もともと豫園の南側に広がるリングロードに囲まれた一帯(現在の南市)は旧市街で、阿片戦争の敗北によって開城させられる前まではここが上海の中心であった。かっては、中国の他の都市と同様、城壁に囲まれていたが、とっくの昔に取り壊されて、現在ではその面影さえ無い。しかしながら、濠添いに出来たリングロードの内側には、周囲の近代的な光景とは異なる100年前の中国人街の一角が覗かれる。従って、上海江戸村をここに造ったのは全く正解である。

近年、中国ではテーマパークばやりである。もともとはディズニーランドに触発されて始めたのだろうが、規模、内容が全くお粗末。形だけ似せれば、客が入るだろうと目論むところが中国人的である。キャンペーン期間中は、物珍しさと割引料金の為客が入るが、それが終わるとたちまちがらがらになる。また、中国人は他人のことを考えないから、同じ内容のテーマパークが近くにできる。当然、共倒れとなる。さすがに、当局も問題にし、建設認可を厳しくしている。

ディズニーランドもどきはともかく、上海江戸村はこの点まともである。何よりも、西洋の物まねでなく、自分たちの歴史に回帰するところが良い。周囲の風景とも違和感が無い。これを造った目的は、もちろん客寄せであるが、中国人は派手好きだから普通はキンキラしたものを造る。このような地味でかつ啓蒙的な見世物を造ったのは、中国人も自分の出自を見つめる余裕が出てきたのかもしれない。

  帰国も迫ったある休日、前回、通り過ぎただけでよく見てなかったことが心に残り、雨が降っていたにもかかわらず家内と出かけてみた。駐車場より道路に出るとそこは、真新しいが、100年前の町並みが広がっていた。両脇に茶館、お茶屋、土産物屋、食堂、骨董屋が軒を連ねている。必ずしも、精巧に造られているわけではないが、雰囲気は出ている。お茶屋に入り、日本へのお土産を買った。一月とは言わないまでも一週間分位の売上げの量を買ったので、女主は大喜びであった。出口である福祐路の近くに骨董デパートがあった。福祐路の骨董市が引っ越したと聞いて探していたのだが、ここに一部が集約されたようだ。95%は贋物と言われるが、はなからそう思えば寛大になれる。石仏の頭部だけを切取ったものが並べられており、あたかも、盗掘品を思わせ心が引かれたが、日本に持ち帰るには重過ぎる。第一、船便は既に出航済み。簡単に諦めて店を出た。上海に駐在して3年近くなるのに、中国での思い出になる物はあまり多くない。突然、もう二度と上海に来れないかもしれないという思いがよぎる。暇があったのだから、こういうところをもっと頻繁に訪ねとけばよかった。来た道をもどり、初めに入った茶屋でまた追加の茶を買う。女主は満面笑みを浮かべ今度はサービスしてくれた。駐車場に戻る前に思わず振り返った。雨中のなか、オールド上海の町並みが眼前に広がっていた。

エンジニアリングビジネス(1999年5月)

荏原は以前から中国に熱心だった。青島に汎用ボイラーの工場を最初につくったのも荏原だった。

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 5月17日付の「人民日報」によると、荏原製作所は国華能源投資有限公司と共同で2千万ドル出資、排煙脱硫、ごみ処理など環境防止装置のエンジニアリング&コンストラクションを目的とする「国華荏原環境工程有限責任公司」を5月10日北京で発足させたとのことである。筆者は以前このレポートで(1998年3月号)、中国の「縦割り組織」を論じたが、荏原はこの縦割り組織の中で、設計から、調達、建設まで一元的に引き受けるEPCM・コントラクターの領域に打って出たわけである。実は、日系企業で中国においてこの領域に進出した企業は無い(と書いたがゼロかどうかは自信が無い)。中国の「縦割り組織」、「分割発注」という社会構造の中では、一貫請負という方法は受け入れられにくいからだ。施主(指揮部*)、設計院、メーカー、ゼネコンが仲良く分担施工してきたプロジェクトを一社の管理下に置き、ごりごりやろうと言うわけである。当然、既存の組織と真正面からぶつかることになる。国家の後ろ盾がないとうまく進まないが、この点、荏原は「国家発展計画委員会」のサポートを得ているらしい。また、荏原が幸運なのは、環境装置という中国にとって新しい技術分野であること。技術的蓄積がほとんど無いから、設計院を筆頭とする既存の組織ともバッティングしにくい。うるさい設計院も、下請けとして取り込めるかもしれない。荏原の決断は意外と賢い。参考の為、上海に進出している日系企業をタイプ別に分けてみた。

駐在員事務所   三菱重工業、日立造船、川崎重工業、IHI、日揮(本社営業のサポート、調達)

工事事務所     川崎製鉄上海工程事務所、新日鉄海外鉄構部・上海工程事務所(鋼構造工事、営業)

現地法人       上海松尾鋼結構有限公司(鋼構造)、上海中遠川崎重工鋼結構有限公司(鋼構造)、上海荏原成套工程有限公司(水処理機器)、鎮江正茂日立造船機械公司(エンジン部品)

  現地法人は全て製造業である。荏原の今回の企てが斬新であることがおわかりいただけるでしょう。

 

*「指揮部」とはプロジェクト遂行のため施主の中にできるチーム。

上海人(1999年5月)

上海には言語を異にする上海人がいる。

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 現指導者の江沢民、朱鎔基をはじめとする所謂「上海閥」のお陰で上海人はすっかり有名になってしまったが、上海人とはそもそもどういう人達なのだろうか。上海地方に住む少数民族ではないので、上海に住んでいる人達と言うことだろうが、歴史をたどると等質ではない。大きく言って、旧租界を中心に住んでいた元祖上海人と19世紀後半、揚子江北部(蘇北)から移住してきた江北人で構成される。蘇北は、かっては栄えたが、19世紀後半、揚子江の流れが変わり、水運が利用でなくなり没落、貧しさの代名詞となった。一方、物流が水運から海運に変わり上海は急速に発展、食いつぶした江北人が移ってきたと言うわけである。これらの人々は、下層労働者、農民を形成、その末裔が、現在の上海駅周辺(閘北)や旧上海縣城(南市)の貧しい住宅街に住んでいる人達である。筆者も通りかかったが、確かに周囲とは一線を画するところで、先月まで当事務所のスタッフであったW君によると、特殊な職業に就いている人が多いそうだ。蘇北人と馬鹿にされる所以である。

さて、元祖上海人、蘇北人は問題なく上海人だが、もっと郊外に住んでいる人も上海人と称している。それどころか、飲み屋で、女の子にどこの人と聞くと大抵上海人と答える。不審に思い、よくよく聞くと蘇州だったり、無錫だったり、寧波だったりする。埼玉や千葉の人が東京人と言いたいのと同じノリであろうが、女の子の主張に全く根拠がないとは言い切れない。これらの地域では上海語が通じるからである。そこで、筆者としては、上海人を次のように定義したい。上海人とは、正確な上海語を話す人達である。W君によると、無錫や寧波の上海語は純正上海語と違うそうだから、筆者の定義はそう間違ってないと確信する。サルトルは「ユダヤ教を信じる人がユダヤ人」と看破したが、筆者は「上海語を話す人が上海人」とする。

上海人は勘定高いと言われる。計算力も強い。買物や食事をしてもおつりの間違いを心配する必要は先ずない。大阪人との類似性をあげられるが、確かにその通りである。加えて、語学の才能は抜群である。普段から二カ国国語(標準語、上海語)を話しているせいか、外国語の学習能力はたいしたものだ。飲み屋やカラオケの女の子も1〜2年もすれば、日本語がぺらぺらになる。英語に苦しんでいる日本人にとっては一体どういう頭脳の構造になっているのか疑いたくなる。外国の文化、技術に関心が強く、常に時代の最先端を行こうとする。こういう特徴は、上海がかって東洋一の大都市であったことに由来する面もあろうが、現在でも、中国で一番と言う自負から来るのであろう。

  反面、上海人(特に上層階級)は選良意識が強く、排他的である。上海以外の人、首都北京の人を含めて、「外地的人」と言ってはばからない。仲間意識が強く、よそ者を受け入れない。上海人が地方の人から嫌われる所以である。実際、全寮制の大学の中でも嫌われており、地方出身の学生に「上海人はどうか」と聞くと、堰を切ったように悪口が飛び出してくる。筆者はこのような仲間意識は上海語によって形成されているのではないかと考える。これだけ標準語が普及している中で、上海人は仲間内では上海語しか話さない。他の面では進取的であるのに、こと言葉に関しては頑固である。あたかも、上海語を話すことで仲間意識を確かめ合っているようだ。

上海人は自分達が特別な存在であると思っているせいか、上海以外の地域には驚く程関心が無い。上海が中国の一都市であるより上海国であるといった感じである。上海人に中国は何省、何直轄市からなっているかと聞くと、答えられない人が少なくない。日本人は「中国はやはり広いんだな」と変な感心をするかもしれないが、関心がないのである。中国がヨーロッパであれば、上海は確実に独立国になっていただろう。言語が違うことも独立の正統性をバックアップしている。

  上海人と付き合って、2年半以上経つ。自意識過剰で煮ても焼いても食えないところもあるが、この見栄っ張りで常に背伸びしながら生きている人々を憎めない。

知識人(1999年5月)

胡錦濤、温家宝、今回リーダーとなった習近平、党中央委員、常務局員の全てが大学卒、つまり知識人である。田中角栄のような小学卒はいない。中国では知識人というのは、学問、教養のある人と言う意味に加えて、特別な意味を持つ。

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ここでいう知識人とは、学者、教師だけでなく、ホワイトカラー、役人などを含む、平たく言えば、学校を出た人と考えていただきたい。なんでいきなり知識人かと言うと、中国では、知識人の意味するところが、我々の世界とは少し異なるからである。中国では、「学問、教養のある人々」という意味に加えて、社会を統治する能力と権限が与えられている特別な存在として受容されてきた。これは、言うまでもなく、儒教社会の伝統的な秩序と価値観によるものだが、社会主義革命を経た現在でも、この知識人の選良意識は脈々と生き続けている。

筆者が赴任してまもない頃である。中国語の家庭教師に中国のビル建築がいい加減なのは「職人」がいないからだ。日本の職人は人に言われなくともきちっと仕事をするととケチをつけた。筆者は愛国精神に溢れている中国人のことだから、必ずや弁護すると期待していたが、さにあらず、彼女は、工人(田舎からの出稼ぎ労働者)は学問がないのだから仕方が無いとあっさりと応える。あたかも違う種類の人間のように言い、ああいう人間はどうしようもないのだ言うので少々驚いた。彼女は一流大学の大学院生で、しかも共産党員である。学問ばかりでなく社会主義的価値観を叩き込まれてはずだが、この儒教的な選良意識は消え去らないようだ。

このような作業労働者に対する蔑視感はかなり一般的である。ある、日系鉄工会社の例である。総勢で社員旅行に行くことになった。(中国企業では社員旅行は盛んで、日系企業もそれに習うようになっている。)旅先で、常日頃から従業員の融和に気を遣っている総経理は、ここぞとばかりサービス精神を発揮、カメラを片手に従業員の写真を取りまくった。もちろん、写ってない従業員がいないように配慮しながら撮ったわけで、帰社後、早速現像し、写真を全員に配ることになった。そこで、考えられないことが起こった。女子事務員に溶接工と一緒に写った写真を手交した時、彼女は、なんと、その写真を破いてしまうではないか。そして、ネガも捨てて欲しいと言う。総経理の驚きようは手に取るようにわかる。つまり、この女の子としては、作業労働者と一緒に写っていることを人に知られたくないというわけである。

上記のような知識人対作業労働者という対比でなくとも、同じ頭脳労働でも、知識人はより頭脳度が高い、従ってより作業度が低いと見える職種の方を高級と考える。同じ技術者の中でも、設計を上位と考えている。やはり、先の日系鉄工会社の話であるが、設計課長の中国人を製造課長に異動しようした時のことである。この設計課長は異動の内示を聞くや、顔面蒼白となり、自分の仕事にどういう落ち度があり配置転換になるのかと食って掛かる。翌日には、奥さんも動員して総経理に抗議。もちろん、課長は、事務所で静かに行う設計の仕事の方が、作業服を着て現場を歩き回らなければならない製造課の仕事より上に見ているからだ。会社としては、将来の幹部候補生として、いろいろな部署を経験させるという教育的な配慮からだが、本人はそう思わない。結局、日本では幹部候補生は皆こうしているとおだてて納得してもらったとのことである。

  知識人の労働作業蔑視の性向は、思わぬ誤解を生じることがある。筆者がこちらに赴任する前の環境本部に在籍していた時のことである。中国からのミッションを清掃工場に案内することになった。お願い方々事前打合せの為、某清掃工場を訪問したところ、どうも工場長が中国ミッションの訪問をあまり歓迎してないことがわかってきた。理由はこうである。前回、初めて中国ミッションを迎えた時、お国柄、最大限の気を遣ったにもかかわらず、相手の態度が尊大で、腹が立ったという。後で案内者から聞かされた話では、工場長が作業服を着ていた為、ミッションの団長は自分が応対する相手として相応しくないと憤慨した為との由。結局、訪問は受け入れて貰えることになったが、筆者がミッションを案内して清掃工場を訪れた時、工場長がスーツにネクタイ姿で応対したことは言うまでもない。

この知識人の特別な役割、地位を最初に問題にしたのは毛沢東である。文化大革命で知識人がやり玉に挙げられたのは有名だが、文革よりもずっと前から、毛沢東は知識人に警戒感を抱いていた。国民の1割にも満たない知識人に対し敏感になるのは、むろん、この知識人のみが持つ役割、地位のためである。知識人のみが自分に取って代わるかもしれない存在である。毛沢東は知識人と宥和するより、圧倒的多数の無知蒙昧な農民を取り込むことにより、むしろ孤立化させようとした。「農村が都市を包囲する」という戦略は、彼の意識の片隅では、農民が都市の象徴である知識人を追い詰め、支配することであったように思えてならない。解放後も、彼は知識人に対する警戒感は解けなかったようで、大衆を大動員して行った「反右派闘争」、「大躍進」は、目的は、反革命分子の摘発、生産量の飛躍的拡大と異なっていても、知識人を監視するということでは一致していた。といって、もちろん、彼は知識人の能力、知識までも否定したわけではなく、これらの良い所は利用しようとした。知識人から危険な選良意識を完全に払拭させ、知識人の道具化をはかろうとしたわけで、「為人民服務」というスローガンは、人民に奉仕という大義に名を借りた知識人の無害化改造キャンペーンであった。毛沢東はどうも、終生、知識人を信用しなかったようだ。

  改革・開放の現在では、知識人はもはや遠慮して生きる必要がなくなった。知識人は本来の力を発揮、その力量に相応しい地位と権力を手にするようになった。それに伴って、毛沢東が根絶しようとした選良意識も復活、政府役人、国有企業幹部の権利の乱用、公金の無駄使い、横領、汚職を惹起している。かって、清廉の代名詞であった教師も、教育ブームによる副業のお陰でかなり潤っているようだ。毛沢東の努力はどうやら水泡に帰したようだ。

中国人の見栄(1999年5月)

中国人は見栄っ張りである。これがわからないと中国人を理解できない。

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 中国人の見栄っ張りさを示す例は沢山あるが、これから述べる日系鉄工会社の総経理の話は、中国人の見栄の本質を良く表しているだけに興味深い。

日本では稼働率を上げる(人件費を抑える)為工員の多機能化をはかることは言わば常識である。件の総経理は前から鋼材の表面加工のアイドルが気になっていたので、この作業を行っている工員に時間が空いている時は穴あけ加工もするようにと命じた。この工員は血相を変え、自分は表面加工の工員として採用された、別の仕事は出来ない。どうしてもやれと言うのなら、他に仕事口は沢山あるので会社を辞めると言う。結局、この工員はその日の内に退社することになり、手続きを済ませサインをして帰ったが、夕方、わざわざ電話をよこし、別の会社に採用されたと連絡してきた。腹が立ったが、人はいくらでもいるからと気をとりなおしていたところ、翌日、この工員は細君に連れられてやってきた。細君は、目に涙を溜め、この人は馬鹿なことをした、何とか退社を取り消して欲しいと哀願する。総経理は、ここで譲歩してしまったら、他の工員に示しがつかないときっぱり拒否。なんと、男は、突然、かみそりを取り出し、手首を切るではないか。鮮血が吹き出し、総経理仰天、男を医務室に連れて行き応急手当てをさせ、すぐ病院に行く様にと指示。男は、この水際になって、金が無いから病院に行けないと駄々をこねる。仕方ないので、部下の中国人スタッフに連れて行かせ、彼に立て替えさせた。

まるで落語の世界であるが、この話の真骨頂はもちろん、再就職が見つからないにもかかわらず見つかったと嘘をつく点にある。実は、この話を聞いた時、とっさに、当事務所を最近退社したW君のことを想念した。彼は、送別会の後の二次会で、自分は今、日本政府系の団体と面接しており、多分採用されるだろうと言っていたそうだ。その時は超就職難の上海で、そんな簡単に、それもお堅い日本の役所に採用されるわけはないと思いつつも可能性は否定出来なかった。現在でも真偽のほどは定かでないが、その後彼からなんの連絡も無いことが彼の見栄に真実性を与えている。W君は工員と違い一応インテリである。インテリもこの種の見栄からは免れられない様である。

ところで、中国人の見栄は社会生活の様々な場面でいかんなく発揮されている。結婚式に本人の年収以上の金を使うことは常識だ。従って、金がないと結婚できない。政府が人口抑制の為、晩婚を奨励しなくとも、自発的に晩婚になってしまう。未だお金の貯まってない若いカップルには、親が負担することもあるようだ。宴会で食べきれないほどの料理をホストが注文するのもそう。客をもてなすことを考えているのでなく自分の見栄を張る為と言うのは言い過ぎだろうか。学生達は一緒に食事をし、勘定の段になると、100元札を振りかざし争って私が払うと言う。中国人は見栄を張るのに見境が無くなってしまうようだ。嘘をつくぐらいたいしたことではないのかも知れない。

  先程の総経理の話から、中国人の幼児性、虚言癖を指摘するのは容易である。これだから中国人とは付き合えないという人も多い。しかしながら、筆者は心情的には、幾ばくかの同情を禁じ得ない。この国の人々は、それが見栄からであろうとなかろうと絶えず自己主張をしてないと、生きて行けないことを歴史の中から無意識に体得しているからである。

コソボ問題(1999年5月)

中国人は自分の権利は主張するが他人の権利は尊重しないと言われる。本稿は、中国人が人権についてどう考えているか考察したものです。

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 家内の中国語の家庭教師のZさんが夫と家に遊びに来た。このレポートの3月号で書いたように、彼女は、昨年、華東師範大学の大学院を卒業、コンピューター関係の国有会社に就職、この3月、早々と大学院の同級生と結婚したばかりである。

家内の手料理を食べながら、取り止めのない話をしていたが、自然の流れとして、話題は、NATO軍のユーゴ空爆の問題に移った。NATO軍による中国大使館誤爆の直後であるから当然である。中国大使館空爆が誤爆であるか、故意にやったかどうかは別にして、夫妻は、そもそも、NATOの空爆は、ユーゴの主権を侵すもので、それ自体許されるものでないと主張。我々は、中学生を諭すように、NATOが空爆に踏み切ったのは、国際的な調停、説得工作にもかかわらず、ミロシェビッチ大統領がコソボのアルバニア系住民に対する弾圧を続けている為で、責任はユーゴ側にあるとしたが、どうも彼等にはピンとこないようだ。一つには、当局がユーゴ軍(セルビア人)のアルバニア系コソボ住民に対する人権抑圧、残虐行為の報道を規制していること。従って、情報が不足していることもあるが、彼等が言わんとしたいのは、コソボで何が行われようと、それはユーゴの問題であって、他国がとやかく言う問題でない。ましてや、一方的に武力攻撃を加えるとはとんでもないということだろう。つまり、内政不干渉と言うことだろうが、このバンドン会議以来の伝統的な外交戦略が、やっと社会人になったばかりののカップルまでにしっかりと継承されているわけだ。内政不干渉は、もともと、チベット独立、少数民族、台湾問題を抱えている中国にとって貫徹すべき原則であるが、個人のレベルでの判断の基準になるとは思わなかった。張夫妻は大学院卒のインテリである。国の方針をうのみにするほど批判力が欠けているのだろうか。そう思える面も確かにあるが、本当にそうなのだろうか。張旦那の次の言葉が印象的である。「NATO(米国)が戦争をしかけているのは、戦争によって利益が得られるからだ」つまり、利益がないのなら、戦争をやる馬鹿はいない。他国民の人権擁護の為、犠牲を払うことなど有り得ないというわけである。

  人権が国家の枠組みを越え護られるべきという概念は中国人にまだ受け入れられていないようだ。考えれば、この国の長い歴史の中で人権が意識されたことがあるだろうか。

西欧のような市民社会を経てないからとしたり顔で言うつもりはないが、個人の権利の主張はあっても、国家、人種を越えて普遍的な権利があり、人類の証として犠牲を払っても護るべしという発想はない。魯迅の苦悩は現代になっても生きている。

  さて、NATOの中国大使館空爆が、誤爆か、故意によるものかについては、Z夫妻は故意によるものとしている。今日(5/12)の「時事速報」によると香港文匯報の記事として、北京、上海の市民1,500人を対象に行った電話世論調査によると、回答者の82.3%が「故意による挑発行為」と報じている。くしくも一致している。

結婚式(1999年3月)

 

あれから13年。Z夫妻はどうしているのかな。

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 上海レポート家内の中国語の家庭教師であったZさんから突然結婚式の招待状が舞い込んで来た。Zさんは華東師範大学の大学院を卒業後江沢民の息子が総経理のコンピューター関係の国有会社に就職していた。学生時代の同級生のボーイフレンドと卒業後すぐ結婚したが、式は、彼女の大学の教授が簡単な祝いの宴を開いてくれた以外、正式なものは挙げてなかった。彼女の旦那が四川省の農民の出という経済的な問題もあったのかもしれない。解放後の中国では結婚式そのものはなく、披露宴が結婚式である。問題は、結婚式に金がかかりすぎることである。大不況下の現在はいざ知らず、日本も相当派手であるが、それでも経済状態に応じてそれなりに工夫して格好をつけようとする。中国の場合は、余裕があろうと無かろうと、一定のスタンダードを満足させなければならない。分相応という考え方はない。従って、お金がないと結婚できないことになる。自分達だけでは貯めきれないので、親が支援するケースも多いと聞く。張さんもこのケースなのであろう。一人っ子政策の為、親は一人の子供に愛情、お金、期待の全てを注ぐようになる。結婚式は子の見栄というより、親の見栄になってきている。

こういう中国人の見栄を利用して、今や、結婚式は日本と同様一大ビジネスとなりつつある。その中で、ちょっと変わってるのがアルバム作成である。日本では、アルバムというと、ホテル側のパックに入っているのが通例だが、中国では独立したアルバム業者がいる。一般的なのは、カップルをウェディングドレスとタキシードで着飾らせ戸外のシャレタ場所を選んで写真に撮り、編集してアルバムにする。日本人なら恥ずかしくて到底出来ないが、中国人はモデルになったかのようにポーズを取っている。あまりの真剣さにこっちの方が恥ずかしい。筆者のアパートは、階下が公園になっているが、ここが格好の場所らしく、天気の良い日はこういうカップルが数組見受けられる。

Zさんの結婚式は彼女の実家の近くにある嘉定のレストランで行われた。嘉定は上海から1時間半程の郊外の町。思ったより早く着いてしまい、時間つぶしに近くのお寺を見て回っている内に頃合いがよくなった。会場のレストランに戻ると、既にZ家の人と思われる人々が入り口に立っており、招待客を招じ入れていた。Zさんの同級生で筆者の家庭教師であったPさんの姿も見える。階段を上がるとそこが会場で2階を借り切ってあった。テーブルが沢山ありどこに座れば良いのかとウロウロとしていたところ、Pさんがここだ叫ぶ。Pさんも同じテーブルで、そこで同伴の連れ合いを紹介された。Pさんからは事前に電話があり、自分も招待されていること、また、結婚したことを聞かされていた。家内の新しい家庭教師のMさんーZさんが自分の後がまとして推薦くれたーとその旦那も招待されており一緒のテーブルであった。なるほどと、Zさんの気配りに感心する。

受付がなかったので、お祝いを誰に渡すのかときょろきょろしている内に、席が埋まってきた。どうやら、外国人は我々だけのようである。やがて、新郎新婦の入場。ウェディングドレス姿の新婦はその場をパッと明るくするほど華やかであったが、思いのほかリラックスしている。新郎は小柄でおとなしそうな好青年。中国人が晴れの舞台であがるのは良く知られていることだが、二人が緊張してないのは意外だった。急に皆がそわそわしだした。見ていると、お祝いを取り出し二人のところへ駆け寄り手渡している。あ、そうかと、我々も祝儀袋を持って近寄り、Zさんに渡す。中国では直接渡すのかとあらためて感心。

一騒ぎが収まると、来賓の方の挨拶が始まった。半分位しかわからなかったが、型通りで中味は無い。中国人はスピーチが上手いというのは、日本人の先入観かも知れない。次に新郎新婦の誓いの言葉。まるで、結団式のようだ。最後はZさんのお母さんの番だった。お前が今こうして幸せな日を迎えられるのも、学校の先生方、同級生の皆さん、会社の上司、同僚の皆さんが助けてくれたお陰。皆さんのご恩を忘れてはいけません。ここまではそうそうと聞いていたが、次にお前を育てた親の恩を忘れてはいけませんと言った時にはびっくりした。日本で、自分の子の結婚式の時、大勢の前で親の恩を忘れてはいけないとスピーチをする人がいるだろうか。日本人も本心はそう思っている。ただ、皆の前で言わないだけ。中国人は自分の感情に忠実で、市民社会のマナーに囚われないだけである。

食事が次々に運び込まれ、披露宴は本格化して行く。中国人は外国人の中では猫を借りてきたようにおとなしいが、中国人同士では遠慮がない。わいわいがやがや、出された料理を次から次へと片づけて行く。これが高等教育を受けた者かと思う程。やがて、宴たけなわになると、新郎新婦が酒を持って、各テーブルを廻る。彼等が自分のテーブルに来ると、若者はたわいないゲームを仕掛け、新郎新婦を困らせる。その都度、乾杯であるから、新郎新婦にとっては人生の最初のハードルである。新郎は気の毒な位真っ赤になっているのに、新婦の方は平気である。やはり、中国では女が強い

  始めあれば終わりあり。長かった披露宴も終わりに近づいた。また、型通りの挨拶がありお開きとなる。席を立とうとした時、新郎新婦がやってきて、これから、二次会のカラオケがあるので出席して欲しいと言う。あ、二次会もあるのかと感心したが、この上、二次会に出るのはどうにも気が重い。家内は断るのは失礼ではないかとささやくが、無視し、丁重に固辞し、会場を後にした。

共産党の一党独裁(1999年3月)

温家宝、習近平親族の桁外れの蓄財が話題になっているが、富裕層、共産党高級幹部の海外逃亡が急増している。ここ10年で、富裕層の海外逃亡は20,000人、高級幹部は4,000人を上回っているそうだ。ヒラリー・クリントンによると、中国の9割の官僚家族と8割の富裕層が移民申請を提出又はその意向があるという。中国全土での暴動数は年間30万件にも達し、これまでは不満の矛先を日本に向けることで糊塗してきたが、もはや、このような姑息な手段は通用しなくなって来ている。共産党は内部から崩壊しつつあると言わざるを得ないが、しろちゃんはこんなに早く来るとは思わなかった。

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 小平が残したものは共産党だけであると良く言われている。つまり、「共産党」という党のみを残して、社会主義(共産主義)は潰してしまったという意味だ。確かに、小平の改革・開放以後、中国の実質的な非社会主義化は急速に進んでいる。社会主義という言葉は残しているが、計画経済に替わって、市場経済を導入、文化大革命で壊滅した私企業の復活とその地位の正式認知、国有企業の株式化と株式の上場による資金調達。社会主義の二大柱である計画経済と公有制を放棄しよとしているのだから、非社会主義化=資本主義化のなにものでもない。もっとも、小平の後継者は、公式的にはなかなかこれを認めたがらない。党内の保守派のこともあるが、社会主義は共産党の権威の根拠となっているので、この名称はそう簡単には捨てられない。そこで、「中国の特色ある社会主義」だとか、「国有企業が株式化されたからといって、大部分の株式は国が保有しているのだから、公有制は維持されている」とかの苦肉の策を考えなんとか取り繕うとしている。筆者は、これに対して、異議を唱えるつもりはない。13億の民を導くには、多少の強弁は仕方のないことである。

  それよりもっと大事なのは、共産党の一党独裁は今後も続くのかという点だ。つまり、常識的に考えられるように、経済の非社会主義化に従って、政治の民主化も進んで行くのかということ。筆者の考えは、多党制を含む政治の民主化はそうとう後、早くても、中国が中進国の仲間入りする位までは起こらないと思っている。これは、中国においては、共産党が単に社会主義を標榜する一政党でなく、独特な権威をもっており、指導者は13億の民を治めるのに、この権威が発散する求心力に頼らざるを得ないからである。

共産党のこの権威は、中国社会と中国人の「特異性」に拠るところが大きいと筆者は考えている。中国は「アジア的停滞」を特徴とする「東洋的専制主義」(ウィットホーゲル)の王朝国家と言われる。4千年以上にわたる歴史は歴代王朝の交代に過ぎなく、歴史的な進歩や変化はない。社会主義になっても、王朝が共産党に替わっただけで、基本的な構造に変わりはない。毛沢東の時代が、毛を皇帝とする「毛王朝」に擬せられる所以である。このような社会構造と「東洋的専制主義」の歴史がこの国の人々の行動様式、倫理観に影響を与えていると筆者は考えている。曰く、この国の人々は、刹那的、自己中心的、相互不信で自律性がなく、上からの強制がないとまとまらない。黄文雄が『脅かす中国  騙される日本』の中で面白いことを書いている。台湾の経営者の発言を引用して、『中国人労働者に対しては…民主的なやりかたは絶対禁物で、管理方法を変えて、「独裁専制」の方法でいけば、会社経営はうまくいく』と。この国を治めるには「独裁専制」が有効であることを、毛沢東は体得していたに違いない。現在の指導者は王朝を形成するほどの絶対的な権力もカリソマ性もないので、依拠するところは共産党の権威である。筆者の家庭教師も「共産党は必要である」と言っていた。

現在、中国には、国有企業の改革による失業者の増加、農村の余剰労働力、銀行の巨額な不良債権、幹部の汚職、沿岸部と内陸部の所得の格差、犯罪の増加など問題が山積している。現指導層は、これらを片づけて行くには、民主的なやり方でなく、強権をもって制しなければ達成できないと考えている。中国がもともと性悪説であることも、こういう考え方を補強している。民主的なやり方をしていたら、国民が図に乗り、勝手なことをしだし、収拾がつかなくなる。民主活動家に対する必要以上と思われる弾圧も、緩めてしまえば、この国の人々は、すぐ扇動に付和雷同し、混乱を引き起こすと考えているからだ。現指導者層にとって、6・4の天安門事件は苦い教訓である。中国が「人権」に執拗に反対するのは、欧米の市民をベースとした人権は、自己中心的で、自律性がないこの国の人々にはそぐわないと思っているからだ。共産党の一党独裁を堅持するのは、単に、現体制の維持や幹部の既得権の保持の為ばかりでないことは確かであろう。

  現指導者層は一党独裁を維持し、その強権をバックに、経済の資本主義化の過程で生じる諸矛盾、諸問題を乗り切ろうとしている。一党独裁でなければ、これらの矛盾、問題を解決できないばかりか、国そのものが混乱に陥り、沈没すると考えている。この点は改革派のリーダーである朱鎔基も例外でないと思う。多党制への移行など期待できない。中国はソ連崩壊後のロシアの昏迷を見ているからなおさらだ。中国が民主化に向かうのは、経済が十分豊かになり、国民意識が変わってきた時で、その時は第二の革命になるかもしれない。(本稿は、中国の現指導者層の考え方と今後の予想される方向を予想しただけで、筆者がそれに同調していることを示すものではない。筆者は民主活動家の努力にケチをつけるつもりは毛頭無く、むしろ中国の一刻も早い民主化を望む立場である)

所謂「歴史認識」について(1999年1月)

しろちゃんの知っている限り、国交回復前の毛沢東の時代には、日本人の「歴史認識」を問題にすることはなかった。国交回復後、江沢民になって取り上げ出したのは、背後に天安門事件がある。小平は一党独裁を否定する動きが出てきたことに驚愕し、若い世代に共産党の輝かしい歴史、正当性を説く愛国主義教育を強化しなければならないと考えた。小平を引き継いだ江沢民は若者に中国の屈辱の近代史を想起させ、中国は豊かで強くならなければならないと教えた。現実に改革開放政策が成功し、国力が増してくると、日本になめられてたまるかと思うようになってもおかしくない。屈辱感の裏返しの大国主義である。

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 昨年11月、江沢民主席が訪日した際、案の定、この問題を持ち出してきた。役人のつめが甘かったのか、土壇場になって、「共同宣言」の調印をめぐり日中双方に齟齬が生じ、結局、異例の調印式なしの発表となった。日中双方、調印式は最初から予定されてなかったと言って体裁を繕ったが、直近の日韓の「共同宣言」はサインをしており、大体、調印式が大好きな中国人が最初から予定してなかったとは考えにくい。漏れ伝わってくるところによると、江沢民主席は、あの、お人善しの塊みたいな小渕首相から、「過去の反省」は既に「日中共同声明」、「日中平和友好条約」で表明されており、新たに文書でサインし合う必要がないと言われ、激怒したらしい。何でもイエスの筈の日本の首相に、あっさりとノーと言われ、大国中国の領袖として大いに面子が傷ついたわけだ。どうせ、我が国の首相は官僚が用意したシナリオに従って演技したに過ぎないと思うが、一国の首相としては、何とも不用意であり、思慮が足らなかった。さらに、事態を不可解にしているのは、文書で確認しないかわりに、宴会の席で口頭で謝罪するという「弁明」を行っていることだ。文書ではまずいが、口頭なら良いということか。口頭なら、しばらくすれば忘れてしまうが、文書なら末代まで残るからまずいということか。初めて海外に出張する若輩のサラリーマンに、先輩が「お前な、口頭なら良いが、文書で残すなよ」と言っている様なものだ。外務省の小賢しい役人の入れ知恵に相違ないが、これにホイホイと乗るようでは情けない。

それはさて置き、正直なところ、こういう機会がある度に日本の首相が謝罪を繰り返すのは、当の首相はともかく、大方(大多数とは言わないまでも)の日本人にとって気が滅入ることである。戦後半世紀が過ぎ、戦争を体験してない世代が多数を占めるようになった今、尚更のことである。戦後世代にとって、過去の日本の悪行は、父親や、祖父の時代の出来事であり、自分達がそこに関与しているという意識はない。しかしながら、一方で、戦後の「民主的」な歴史教育を受けているので、日本の侵略を歴史的事実として受け入れている。(戦後の歴史教育は、教科書問題はあったにせよ、現場での教師の努力により、公正な歴史観を育んできた)この歴史的事実に対して、同じ民族として罪悪感を共有しているのであり、当事者意識から出たものではない。ここが、戦争体験者の世代と異なる点で、反省といっても想像力の世界のことである。

中国が謝罪を求めるのは、公式的には、日本が過去の歴史的事実に対する認識が不十分だとしているからで、つまり反省が足りないからと言うことだ。内閣が替わる度に、太平洋戦争を肯定する発言をする閣僚が凝りもせず出てくるのは確かに残念である。また、中国は予てより、教科書の字句一つを捕らえ、日本の歴史教育の「偏向」を批判してきた。この点にかんしては、筆者は反対で、先述したように、戦後の歴史教育は、文部省の思惑とは別に結果的に公正であった。右翼が非難しているのが何よりの証左である。また、西ドイツのナチスとの対比において、日本は過去を十分悔い改めてないとの非難がある。筆者は、ナチスのホロコーストと南京事件を同一視するのは適切だとは思わないが、南京事件で日本の軍部が中国人を虐殺した事実は、ほとんどの日本人は否定しない。犠牲者の数が30万人だとか3万人だとかは歴史が解明する問題で、虐殺した事実は数の問題ではない。一部の右翼や政治家を除けば、ほとんどの日本人はこう考えているのではないだろうか。

つまり、日本人の多くは公正な歴史認識を持ち、過去に対しても反省しているのである。中国が十分反省してないとするのは、教科書問題や政治家の失言を捕らえて言っているのだろうが、筆者はこういう中国贔屓が同調するような見方には組みさない。もっとどろどろとしている。中国は、日本が過去の精算は終わったと平然としていることにいらいらしているのだ。日本の豊かさを目の当たりに見て、この気持ちは一層屈折し、増幅している。日中国交正常化の時代と違い、小平になってから日中間の人の往来は飛躍的に増えた。もう、昔のように、日本の労働者、農民は貧しいというようなウソは通じない。中国人民は日本が豊か、それも「超」豊かであることを知っている。こんなに豊かであるのに過去の借りに無頓着なのはけしからんというわけだ。これまでは、こういう庶民感情があっても、政府の公式見解に「上書き」されていたので、日本人はのほほんとしていられた。が、最近では、主張として顕在化してきている。「日中平和友好条約」で戦時賠償は要求しなかったが、賠償請求権を放棄したわけでないというのがそれである。もちろん、このような奇抜な解釈が国際的にまかり通るわけはないが、こういう主張が堂々となされるようになったことは注目に値する。

戦時賠償というとすぐに蒋介石が「怨みを報いるに徳を持ってす」という論語の一節を引用し、日本に対する戦時賠償の請求を放棄したことが思い浮かぶ。蒋介石に代表される中国人の温情の深さばかりが強調されるが、実際は、戦時賠償を取ろうとしたが、ルーズベルトに「日本が中国に残してきた満鉄を始めとするインフラ、資産を考えれば、十分ではないか」とたしなめられ、諦めたようだ。無条件降伏という、自己選択権が絶たれた状態では、賠償請求権の放棄と言う「恩赦」を受け入れざるを得なかったが、その後の1972年の日中国交回復の時点で、選択肢があるにも拘わらず日本は将来に禍根を残すミスをしてしまった。周恩来としては、仇敵の蒋介石が放棄した賠償を請求するのは面子にかけても出来ない。日本人は面子がわかる民族と言いながら中国人のこうした見栄を理解できない。近視眼的な官僚は、得をしたと思って、また、この中国の「温情」を受け入れ、その代わりに多額の円借款供与を約束した。日本はうまくやったと考えたに違いないが、結果的には中国の方に分があった。円借款はいくら多額でも「借款」であり、日本は賠償を払ってないという事実が残ったから。

  では、どうしたら良いのであろうか。筆者は何らかの形で賠償問題にけりをつけることだと思う。自民党の議員の中にも同じような考えの人もいる。それが、慰安婦に対する基金でもよいし、あるいはもっと端的に、アンタイドの無償資金供与でもよい。(タイドにすると、又そこで日本は自国企業の為に資金供与をしたと言われかねない)交渉のきっかけを作るのは難しかもしれないが、とにかく、謝罪と言う精神的な形でなく、ものや金銭という実体が伴う形が必要である。日本人は、こういうプロポーザルをすることは相手の面子を傷つけるとか、欠礼であると考えがちだが、実際は違う。筆者はかえって、受け入れやすいのではないかと思う。したたかな中国のこと故、どんな巨額な賠償金を要求してくるかわからないが、子々孫々まで悔いを残さない為には、歯を食い縛っても払わなければならない。この問題の完全解決無しに、日中の真のイークワル・パートーナーシップは確立できないからだ。

上海中遠川崎重工鋼結構有限公司(1998年12月)

中国が世界の工場になるとは信じられなかった。特に重厚長大の鉄鋼、重工、造船が日本を凌駕するようになるとは誰も思わなかった。この上海中遠川崎重工鋼結構有限公司も先日ネットで検索してみたら出てきたので、活躍していることでしょう。

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同社については、本レポートの2月号で紹介しましたが、年末の挨拶を兼ね宝山区に建設中の工場を訪問した。同社の概要をおさらいすると、

1、 川崎重工業と中国最大の海運会社COSCOの関連会社である中遠工業公司との合弁会社で、鋼構造製作を目的に、1997年10月設立。総投資額2,980万ドル、内川崎重工業が40%出資。

2、 敷地面積16万屐建屋面積2万屐2湛能力年産3万トン。NCガス切断装置、穴あけ装置、各種専用生産ライン、5百トン、2千トンプレスなど最新鋭設備を装備。

同社へは起工式以来の訪問であるが、その時はまだ農地を造成中で何も無かった。様変わりである。もう立派な工場が立っている。一目見て、大きいなという感じ。これは、上海松尾橋梁のイメージとの比較においてだが、資料によると松尾の約2倍、川崎重工業野田工場とほぼ同規模とのこと。建屋は完成、機械設備の搬入、据付けを待っている状態。

近くの学校の敷地内にある臨時の事務所で、同社企画部K部長、営業部O部長、技術部U氏から話を聞いた。

1、 現在の予定では、3月から稼動開始。当座は、川重本体から仕事を回してもらう。従業員300人程度、内、日本人15人程度を予定。従業員100人を日本でトレーニング。

2、 一期工事では、鉄骨、橋梁などの鋼構造、二期で、タンク、圧力容器などの製缶物も取り込む。

3、 本工場は輸出ではなく中国国内向けを目的としている。従って、本工場が稼動したからと言って、野田工場を縮小したり、移転する計画はない。工場を食わせるだけの仕事量を確保できるかどうかはわからないが、品質が日本並みで、コストがそこそこであれば需要はある筈。中国も今後は品質を問題にするようになる。

4、 社長の方針は川重の高品質の製品を中国で造り、中国に供給すること。

同社が、所謂、日本での高コストから海外立地を目指しているのではなく、中国国内を仕向け対象としていることには正直のところ意外だった。松尾の生き方とは正反対である。上海の鋼構造業界が既に過当競争気味であることは常識となっている。なのに、なぜ、敢えて国内を選ぶのか。コストに自信があるのか。それにしては日本人の数が多すぎる。品質といっても、この国の社会はコストを犠牲にしてまでも、品質を選ぶまでには成熟してない。もちろん、COSCOという強力なパートナーが仕事をかき集めてくれる事を計算に入れてのことだろうが、それにしても大変である。
  上記のような見方が一般的であろうが、筆者は、川重の行き方になぜかすがすがしさを感じる。あれこれ心配して何もやらないよりは、はるかにましだ。5年、10年後の中国はわからない。品質を重視する世の中が来るかもしれない。

家庭教師の就職(1998年10月)

あれから13年。Pさん元気にしているかな。もう、30代後半になっていると思うが、成功したかな。

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 筆者の中国語の家庭教師が就職してから早いもので4ヶ月になる。先日、といっても2ヶ月位前になるが、夜、彼女から自宅に電話があった。何事かと思ったが、特に用事はなく、ただ話しがしたかっただけとのことだった。本当はなにか頼みたかったのかもしれないが、彼女の本心を見抜くほどの語学力はもとよりない。それいらい彼女からは何の連絡もないが、何か気にかかる。

上海に赴任するやすぐ、中国語の家庭教師を雇おうと決めた。自己研鑚の為という殊勝な考えからではない。正直言って、この年になれば自ずと語学能力の向上には限界がある。むしろ、家庭教師を通してこの国の人々、特に若い人達が今どんな価値観、考え方を持っているのかを知りたかったからだ。筆者が多少はかじった中国は一昔前の中国で、改革・開放政策下の中国は、話には聞いていても、実体験はない。それに、ビジネスマンにとって、この国の人々に直に触れる機会はそう多くはないと考えた。幸いなことに、程なくして当社派遣の留学生のつてにより、家庭教師の候補が見つかった。上海四大大学の一つ、華東師範大学大学院生のP小姐で、家内の手前、女子学生であることが多少気になったが、その方が勉強の励みになるという皆さんのアドバイスを拠り所に、彼女に決めることにした。かくして、週3回の「事務所」での早朝学習が始まったが、予想していた通り、はじめは、意思疎通すら難しい。筆者としては4半世紀ぶりに真面目に取り組む羽目になった。

そうこうするうちに、彼女も就職の時期を迎えることになった。以前は、学生の就職先は国が決めていた。学生は国の貴重な人材だから、他の資源と同様、国が管理し、必要な部署に適正に分配するというわけである。従って、学生にとっては、就職できるかどうかではなく、自分の専攻と合致し、より条件の良い職に就けるかどうかが問題であった。幹部の子弟が優遇され、コネが幅を利かせる社会が醸成される所以である。

現在では、学生には「職業選択の自由」がある。大学が就職を斡旋してくれるケースもあるが、学生は自分で就職先を探さなくてはならない。そうは言っても、学生が中国ではエリートであることには変わりなく、文革時代の「知識人」に対する偏見が完全に払拭された現在、むしろエリートであることを主張するのに遠慮はなくなった。学生が額面給料が安いにもかかわらず国家公務員を志望しているのは、安定化志向という面もあるが、エリート意識の現われであろう。行政が支配者である中国では国家公務員は権力の中枢であるからだ。権力には当然金がついてくるから、実質的な収入も悪くはない。

彼女も当初は国家公務員も念頭に置いてたようだが、程なくして諦めた。日本と同様、いや科挙の国では当然か、国家公務員になるにはとてつもなく難しい試験がある。それに、仮に合格しても、コネがなければ良いところには行けないそうだ。一方、彼女の専攻は「地理」だ。どう見ても、会社向きでない。(因みに、コンピューター、金融、会計、外国語が就職には有利とのこと。)なかなか就職が決まらず、彼女も一時大学に残ることも考え、筆者もどうしても見つからないときは、事務所で引き取る他ないかと考えてた矢先、やっと上海市政府の不動産情報を扱う機関に内定した。日本で言えば地方公務員か。公務員だから当然給料は安い。おまけに、制度が変わり住宅の支給はなくなった。(その代わりに住宅手当が支給されるとのことだが)さらに悪いことには、この機関は情報サービスを売り物につくられたわけだから、軌道に乗れば切り離されて公司化(=株式会社化)されるそうだ。

「そうなったら、公務員のメリットがなくなるじゃないか。どうして、外資系に行かないの」

 「外資系は確かに給料は良いのだけど、いつ首になるかわからない。三十半ばで放り出されたら、雇ってくれるところはない」

  中国では女性は完全に独立しているのである。就職は一生のもので、結婚までの腰掛けなどという発想も習慣もない。

ところで、中国でも知識人復活とともに、大学も知識人の子弟が多くなった。知識人はもともと教育熱心だから、子弟の教育に金を惜しまない。当然、農民、労働者階級の子弟より出来るようになる。以前は入学の際、成績より出自の階級が重視されたから、階級の正統性に欠ける知識人の子弟は相対的に少なかったが、現在では事情が異なる。筆者も当初、彼女の両親は知識人かと思ったが、実際は労働者階級だった。彼女によると自分のようなケースは少ないそうだ。

就職は、彼女の人生において最初にぶつかった社会の現実であったようだ。それまでは、両親が労働者階級という出自も申し分ないし、成績も良く、党員にも選ばれたのだから正に「三好」*を地で行っていた。就職でこんなに苦労するとは思わなかっただろう。自分が頼りにしてきた社会の価値基準が実は建前であり、現実は別の尺度で動いていることを痛感したに違いない。いずれにしろ、俗な言い方であるが社会の荒海に一人で漕ぎ出して行くことになる。中国の女性は一般的に言って芯が強いが、同年代の日本の若者と比べるとやはり憐憫の情を禁じ得ない。

どこからか、サイモンとガーファンクルの『明日にかける橋』の一節が聞こえてきた。 彼女が落ち込んだ時にも支えにはなれない筆者としては、ただただ幸あれと祈るばかりである。

 

*「三好」とは「学習好、身体好、思想好」のことで模範学生を言う。

人民元の切り下げ(1998年8月)

 人民元は不当に安いと米国から切り上げを要求されているが、13年前はなんと人民元の切り下げの論議があった。輸出が後退し、貿易収支が悪化すると予想されていたからだ。世の中、わからないものである。

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 東南アジアを席捲した通貨、経済危機の嵐の中で、独り安定を保ってきた人民元にこのところ、切り下げの論議、観測が高まっている。大方のエコノミストは、人民元が独歩高を続けることは困難として、切り下げは避けられないと予想している。その根拠は、言うまでもなく輸出が後退し、貿易収支が悪化するからだ。しかしながら、貿易収支は本当に悪化しているのだろうか。8月10日発表された税関統計によると、今年1―7月の貿易総額は1,794.9億ドル(前年同期比4.2%増)、うち輸出は1,031億ドル(同6.9%増)、輸入は763.9億ドル(同0.7%増)で、貿易黒字は267.1億ドル。なんと輸出は増えているのだ。この趨勢が今後とも続くかどうかはわからないが、少なくても現時点では、切り下げの必要はない。しかるに、切り下げの観測が執拗に流れるのは、現時点はともかく、今後、輸出の後退、貿易収支の悪化は必至とエコノミストが予想しているからで、中国側が、公式の否定にかかわらず、中国のシンクタンクやエコノミストを使って、150円とか180円以上円が安くなったら、切り下げざるを得ないとちらつかせていることも判断材料となっている。中には、中国の統計そのものに疑問を呈するエコノミストも居て、税関統計に載ってない輸入があると主張しているが、ここではこういう憶測は除こう。

さて、人民元の切り下げは、輸出の後退、貿易収支の悪化に対して、本当に効果があるのだろうか。筆者は否定的である。理由は二つある。

1.中国の貿易の過半数を占めるのが「加工組立貿易」である点だ。加
 工組立貿易は原材料や機器を輸入し、加工、組立し輸出するわけだ
 から、輸出の大部分が輸入で相殺されてしまう。また、加工組立貿
 易とは、輸出が減れば、輸入も減る構造になっているから、輸出減
 が貿易収支の悪化にもろには効いてこない。

2.貿易相手国の東南アジアは、正に通貨、経済危機の直中にあり、内
 需が極端に減退している。人民元安になったからといって輸入が増
 えるわけではない。加えて、中国の主力輸出製品である繊維など
 は、相手国の輸入割り当ての対象になっており、輸入価格が下がっ
 たからといって量は増えない。

中国は、切り下げを行わない理由として、「切り下げは東南アジアの連鎖的な通貨切り下げを惹起し、経済危機をより深刻にさせる」としているが、こういう優等生的な発言を信ずるわけには行かない。中国は人民元の切り下げが余り効果がないことを承知しているばかりでなく、本当は実行しにくいお家の事情もあるのだ。

1.中国の対米貿易黒字問題。現在、輸出が期待できるのは経済が好調な米国だ。米国を刺激して、最恵国待遇の取消しを招いたらそれこそ元も子もない。

2.ゴールドマン・サックス証券によると、香港上場の、H株、レッド
 チップと呼ばれる中国企業や中国系企業の中にはドル建て債務をか
 かえている企業がある。東方航空、南方航空、粤海投資、華潤創業
 などがそうだ。彼等の収入の大半は人民元なので、切り下げになっ
 たら債務が膨らんでしまい大変なことになる。彼等が中央に捩じ込
 む姿が目に浮かぶ。

  持って行き場を失った中国はいきおい矛先を最大の貿易パートナーである日本に向けることになる。元はといえば、日本の円安、景気低迷が原因。円安の是正、内需拡大にもっと本腰を入れろというわけだ。正に米国の主張と同じで、6月末に訪中したクリントン大統領は共同声明の中で、アジア経済危機の中での中国の危機沈静化努力を賞賛する一方、日本の景気回復努力に対し異例の批判を行っている。日本は「米中共同の敵」になりかねない。

  こういう状況下において、中国は切り下げを「延期」しているだけで何も手を打ってないということではない。7月1日には電気、軽工業製品に対する輸出増値税の還付率を9%から11%に2%引き上げた。こうすることにより実施的に切り下げを行ったのと同じ効果を狙ったものだ。繊維製品については、赤字に苦しむ繊維業界の経営改善の為、既にこの2月、還付率を同じく2%引き上げているが、これをさらに3%引き上げることも検討中とのこと。

一方、中国は、現在の東南アジア経済の低迷は当分の間続くと見ており、貿易不振の穴埋めを内需に求めている。内需拡大の為の処方策が矢継ぎ早に打ち出されている。インフラへの前年比15.5%増、4,000億人民元の投資、赤字国債、1,000億人民元の追加発行、住宅ローンの充実。さらに、9月中に1〜1.5ポイント,年内までに4〜5ポイントの利下げを行うもようである。その矢先の未曾有の大水害だが、この復旧事業も内需喚起策の一つとしてとらえている。インフラ、内需拡大の為には当然のことながら多額の人民元が必要になる訳で、それは、税金、国債、銀行預金を通じて、庶民の懐から集められる。庶民の人民元に対する信任が前提になるわけで、これが失われればインフラ、内需拡大の原資がなくなり、8%は無理としても持続可能な経済成長は絵に描いた餅になる。ドルの闇取引きに対して、死刑を含む厳罰をもって処するのも人民元の信任維持の為であり、庶民の人民元離れを助長する切り下げは出来ない。

以上のことから、筆者は、ブラフはあっても−ブラフは中国人の常−中国は当面切り下げをしないと見ている。

ごみ処理問題(1998年7月)

ごみの焼却処理が始まるのは一人当たりのGDPが3,000ドルを越えた時点からであると言われる。しろちゃんが赴任した13年前は奇しくも上海のGDPが3,000ドルを超えた時で、ごみ焼却元年であった。現在の上海のGDPは12,447ドル(2011)で13年前の4倍になっており、他の沿岸部の大都市も同様な状況なので、さぞかし、ごみ焼却場の建設ラッシュかと思うのだが、あまり情報が聞こえてこない。国産化志向の中国では、海外の焼却炉メーカーの役割は設計と主要部材の供給で、建設は中国企業が行なうのが通例である。金額的には全体の数分の一と小さいので、話題に上らないのかもしれない。

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 発展途上国の中国でもごみ処理の問題は無視できない問題となってきている。もっとも、これは広大な中国の中でも沿岸部でのことで、中国全体での話ではない。問題は、中国の富と人口が沿岸部に極端に集中していることにある。沿岸部には、北から言って、大連、天津、烟台、青島、連雲港、南通、上海、杭州、寧波、温州、福州、アモイ、汕頭、深セン、広州、珠海、湛江と大中都市が陸続し、合計人口は3億人とのことである。また、これらの都市のGNPを合計すると中国全体の20%になる。この内、皆様もご存知の通り、深セン、広州、上海が裕福な都市のビッグ3で、上海の1人当たりのGNP既に3,000ドルを超えている。中国全体の1人頭のGNPが570ドルであるから5倍強で、深セン、広州はもっと高い。

  これらの裕福で人口が多い都市で、ごみ処理が問題になりつつあるのは、世界の他の大都市と同じ理由、即ち、埋立地の確保が難しくなってきているからである。広大な中国で、いくら人口が集中していると言っても、こんなことがありえるのだろうか。土地はあるのである。但し、埋立地に使いたくないのである。中国では土地は外貨を稼ぐ為の貴重な手段であるので、沿岸部のように外資に高価に売れる土地を埋立地などに使いたくないのである。(中国では土地は国有であるので、長期の使用権を売買することになる。)内陸部とは根本的に状況が異なる。

  貴重な土地を埋立地に使いたくないと言っても、ごみは人口の増加、国民経済の伸長とともに増えて行くのだから、何とか手だてを講じなければならない。上海の例で言うと、現在、ごみは、浦東の外れの「老港」という上海版「夢の島」に埋立てられている。この最終処分場はかなりの広さであるが、やがては満杯になる。拡張すれば良いではないかと言うかもしれないが、浦東の外れとはいえ、新空港が完成すれば、土地の値段は上がる。やはり、埋立地に使うにはもったいないと思うのが人情である。結局、浦東、浦西の二箇所に1,000トン/日規模の焼却炉を建設することになった。ごみを一部焼却することによって、埋立地の延命をはかると言うわけだ。

ごみを処理する方法としては、埋立て、焼却、堆肥化(=コンポスト)がある。これまで、中国ではコストの1番安い埋立てが主流であった。ところが、上述のように、改革・解放による著しい経済の発展の結果、沿岸部を中心としてこの常識が変わりつつある。外資を誘致して、輸出を伸ばすことがこの国の基本的なサバイバル戦略である。前号でも書いたように、輸出の50%弱は外資系企業が稼いでいるのである。土地は外資の為、リザーブしてこそ意味があり、ごみの埋立地にしてしまったら元も子もない。加えて、外資に土地を売れば外貨が入る。これでインフラを充実出来る。土地は錬金術師なのだ。土地をあまり使わずに、ごみを大量に処理する方法は焼却である。

一方、先程、上海の1人頭のGNPが3,000ドルを超えたと述べたが、これはくしくも日本の昭和47年のGNPに匹敵する。東京、横浜など大都市のごみ焼却場の建設が始まった頃である。国民経済の成熟度から言っても、中国沿岸部はごみ焼却の元年となりそうである。

それでは、沿岸部で1体どのくらいの数の焼却場が見込まれるのだろうか。1人1日1圓瓦澆鮟个垢箸靴董0・001T X 300、000、000人=300、000T/D。この内、60%が焼却されるとして、300、000T/D X 0・6=180,000T/D。1,000T/D規模の焼却場が180個所必要になる。これはあくまでも都市ごみだけであり、この他産廃が出てくる。現実的には、産廃との混焼が多くなるだろうから、焼却場の数はこれより多くなる。

この理屈が正しければ、正に巨大マーケットである。ごみ焼却炉をメインビジネスとする我が社ばかりでなく、同業他社の三菱重工、日立造船、タクマ、エバラにとっても到底見逃せないマーケットである。しかしながら、三菱重工が深センの炉を建設して以来、日本のメーカーで受注した会社はない。最大の理由は具体化したプロジェクトの数がまだ少ないからである。なぜ、プロジェクトの具体化が進まないのか。プライス・レベルが余りにも違うからである。無理も無い。昭和47年のGNPのレベルであれば焼却炉の単価もその時点の数字、即ち、500〜800万円/トンでなければフィージブルにならない。実際、彼らが計画しているプロジェクトの予算は、この辺がベースになっている。従って、現在の4,000〜5,000万円/トンの炉を持って行っても全くかみ合わないわけで、これを何とかかみ合うようなレベルにまで持って行くことがニーズを巨大マーケットに育て上げる必要条件である。これは、単にスペックを昭和47年のものに戻しただけでは、物価の上昇があるから実現できない。建屋を簡素化したり、炉や公害防止機器の機能を必要最小限のものに抑えたり、自動化を止めるなど、思い切った設計変更が不可欠である。また、大幅なコストダウンをはかるには機器、マンパワーとも中国のリソースを最大限活用することが必要になってくる。中国側企業との「合作」は「義務」でなくなり、コストダウンの現実的な手段となろう。前項で述べた国産化の問題も当然考えなくてはならない。

筆者は、ごみ焼却炉のみならず環境装置というものは、もともと極めて、国民経済的な産業であると思っている。生産設備ならば、投資効率が最大の要件になり、この点から仕様、価格が決まってくる。インターナショナル産業で、国を選ばない。非生産設備の環境装置はその国の国民経済の成熟度にリンクしている。その国の国民経済が許容できる仕様、価格でなければマーケットが醸成しない。また、国民経済にリンクしていると言うことは国産化の土壌を形成しやすい。かっての日本が歩んできた道で、中国の環境プロジェクトに対しても、こういう視点から捉え直すことも必要であると思う。

国産化の問題(1998年7月)

しろちゃんが駐在していた13年前にフォルクスワーゲンは、既に、上海で乗用車の現地生産を始めていた。この自動車が中国製なのか外国製なのかをめぐって現地社員と議論になった。しろちゃんは、設計も主要部品もドイツなのだから外国製ではないかと主張したが、彼らは異口同音に中国製と言う。彼らの理屈は、中国で作っているのだから中国製ということだった。なにか変な気がするが、これが彼らの解釈である。

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 国産化の問題は、中国でもの造りやプラント・ビジネスをやって行こうと考えている外国企業にとっては悩ましい問題である。4月号で書いた国内外への分割発注の問題も所詮国産化の一形態に過ぎない。中国はなぜ国産化にこだわるのであろうか。他の漢民族の国の台湾、シンガポール、香港でさせ、中国ほどこだわってないので民族性の問題ではなさそうだ。第一、中国も戦前は、国産化にこだわっていなかった。“洋務運動”にもみられるように、良い技術やものは取り入れようとしている。因って、国産化への志向は、解放以後の社会主義政権下で育まれたと考えられる。ナショナリズムの発揚という点では自然な動きであるが、中国の場合、国産化を志向せざるを得ない“外的”事情があった。中ソ対立の出発点となった50年代後半のソ連人技術者の総引き揚げである。ダム、橋、工場等ソ連の技術指導の下に進められてきたインフラ建設はストップし、ソ連人は図面さえも持ち帰ったので、中国は独力で再設計をし、工事を完成させねばならなかった。筆者は「自力更生」の原点はここにあると考える。自力更正は選択肢の一つでなく、自力更正しか選択肢はなかった。この孤立感が強烈なナショナリズムを生み、自力更生を「国是」にまで押し上げてしまった.国産化志向は当然の帰結である。

国産化自体は大なり小なりどこの国でも志向しているのだから、中国だけを特別視するのはおかしい。問題は、中国では国産化すること自体に価値を見出していることだ。外国製品に比べて、性能、品質が悪くても、(あるいは、納期、コストがかかっても)大した問題ではなく、自国で造ったこと自体に価値がある。「国産化に成功」は国民の中華意識を満足させるばかりでなく、それを成し遂げた個人や組織にとって、名誉と同時に金と地位を得ることをも意味していた。従って,形だけの国産化が横行するようになる。外国の技術を十分消化した上で国産化に取り組むのでなく、うわべだけの知識の寄せ集めで国産化の体裁だけをつくろう。正に、官民あげての国産化運動であるが、当然のことながら、結果は欠陥商品、プラントの続出である。「大躍進」の時に生産量の過大報告が競って行われたことと同じである。改革・開放後は、外資との競合があるので、さすがにこういう事態は少なくなったが、国産品の品質は一部の家電製品を除くと、まだまだ問題がある。

  国産化への志向は、自力更生というナショナリズム発揚の一環であることは既に述べたが、現実的には、極端な外貨不足のため、外国から良い製品やプラントを輸入しようにも出来なかった。つまり、国産化を志向する以外、方法はなかったのである。ところで、外貨保有という点では、現在では状況は全く異なっている。改革・開放策が成功したおかげで、1,400億ドルという未曾有の外貨を保有するまでになっている。もはや、昔日の中国とは違い、外国からものを買うのに経済的な制約はない。にもかかわらず、国産化という点では、現在でもなおこだわりを見せている。但し、国産化の中味が、昔と変わってきている。従来は、違法な模倣も含めて中国人だけで国産化を行おうとした。現在では、自分たちだけでやるのでなく、不足しているところは外国から導入して補えばよいという柔軟な考え方に変わってきている。前述した国産品の欠陥、品質問題に対する反省もあるが、改革・開放の結果上陸した外資との競合に伍して行くには、短期間のうちに、欠陥の除去と品質の向上をはかることが至上命題であることを真剣に考え始めたからだろう。国産化という大枠は堅持しながら、構成要素である、個別技術,製品は海外に良いものがあれば、取り入れていこうわけである。こうしなければ、マーケットのニーズに着いていけない。

外資導入(1998年4月)

この10年の間に、中国は経済超大国になってしまった。輸出額は世界第1位で日本(第4位)の2倍弱。輸入額は世界第3位で日本(第4位)の1.6倍。しかし、輸出、輸入とも外資系企業の占める割合は55%と極めて高く、外資依存体質は13年前と変わらない。

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 中国の97年度総輸出額1,827億ドルの内、外資系企業の輸出額の占める割合はどのくらいなのか皆さんは知っているだろうか。1割と答える人はいないにしろ、2割、せいぜい3割位と思っている人が大部分ではないかと思う。答えは何と4割強である。97年度の貿易収支403億ドルで見ても外資系企業の輸出―(機械設備輸入を除く)輸入*1はやはり4割を占めている。つまり、この国の外貨の半分弱は外資系企業が稼いでいるということで、外資系企業が撤退したら外貨準備高は激減してしまい、債務国に転落するのは必死である。外貨準備高は1,400億ドルもあるが、対外債務も1,200億ドルあるからだ。現在、差し引き黒字だから、人民元は安定しており、結果的にファンダメンタルズもしっかりしている。これが赤字になれば、他の東南アジアの国々と同じ状況に陥ってしまう。

中国は、自国の経済が外資によって支えられ、外資が逃げ出したら苦境に陥ることについてどう受け止めているのか。かっての中国であったなら、「逃げれば良い。その資産を「接収」*2して、自分達で行うまでだ」とし社会主義の本義に回帰することだろう。改革・開放を推進している現在の中国はもちろん違う。経済を成り立たせる為には、外資の導入が不可欠だと「本気」で考えてるようだ。外資系企業との競争で国有企業が苦境に立たされているにもかかわらず、更なる外資の誘致を世界中に呼びかけていることも一つの証拠であるが、外資系企業からの税収入、土地(使用権)の売買益は、既に財政の基本的な柱になっているからである。もっとも、中国はしたたかだから、外資の方も中国の安価な労働力と広大な潜在的市場を捨てられるわけがないと踏んでいるのか。はたまた、彼らは既に莫大な投資をしているから、逃げるに逃げられないと思っているのかもしれない。いずれにしろ、外資は、既に中国の経済にビルトインされており、中国も彼らが逃げ出さない為に、投資環境の維持に一層の努力が必要になろう。

 

1  出典:「FUJI CHINA REPORT」(平成10年3月17日付)機械設備輸入
   を除外したのは、外資系企業の場合は通常資本で賄われるから。

2  文字通りの接収でなく、合弁解消時に中国側が評価する資産の額が
     異常に低いため、実質的に接収に近くなる。

プロジェクトの分割発注(1998年4月)

中国にプラントを売り込もうとするとこの問題に直面します。中国は、プラント・メーカーに一括して発注することはまずありません。なぜなのか。掘り下げてみました。

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前回は、中国社会の「縦割り組織」の問題を述べましたが、今回は、プラント・プロジェクトの発注形態の問題を取り上げてみたいと思う。ここで言う発注形態とは、施主が単数のコントラクターに一括して発注するか、複数のコントラクターに設計、調達、製造、建設といった要素別に分割して発注するかという問題で、日本の土木、建築工事でよく行われる、同一工事を量的に分け複数のコントラクターに発注すると言うことではありません。中国では、この発注形態が、他の国のように一括発注されるケースはほとんどなく、分割発注が一般的です。なぜ、分割発注になるのかというと、前号で述べた社会主義的合理主義の帰結である“縦割り組織”のおかげで、EPCM全体を統括できるコントラクターが育ってない、一括発注しようにも一括請負が出来る受け皿がないからです。従って、施主は、設計は設計院、機器はメーカー、建設は建設会社に個別に発注することになる。

こういう分割発注には当然問題がある。先ず単純な疑問として誰がプラント全体の責任(PerformanceにしろCompletionにしろ)を取るのかという問題です。理屈の上からは、施主が個別に発注するのであるから、全体の責任は施主が取ることになる。実際には、施主の組織の中にプロジェクトチームが創られ、ここが、スペックの決定、納期、品質管理、プロジェクト・コーディネーションを行うことになる。が、全体を統括、管理し、纏め上げるには、EPCM各要素の工程を織り込んだ全体計画の策定、各要素間のインターフェースの調整、各要素の技術的問題の解決など高度な専門性、能力が要求され、各要素に精通し、且つ、プロジェクト遂行経験のあるプロフェッショナルの存在抜きには考えられない。施主の組織の中にこのような専門集団を創るのは、非現実的であるばかりか事実上不可能である。加えて、中国の場合、施主(政府、市政府、国有企業)もコントラクター(国有企業)も出所は同じ「官」である。ミスがあっても、相手に責任を求めることが難しいばかりでなく、同じ釜の飯という同族意識により、目をつぶろうという傾向さえある。結局、お互いになあなあになり、結果として、プラントのパフォーマンス、工期、仕上がりに問題が出てくることになる。

外国企業が絡むプロジェクトの場合でも、分割発注の形態は踏襲される。通常、基本設計は外国、詳細設計は中国、中国で調達可能な機器の設計は中国、海外からの輸入機器であれば外国、建設・据付は中国(+外国からのS/V)、コミッショニングは中国+外国からのS/V、というように分割される。従って、外国企業側は、設計(基本設計+詳細設計の一部)+機器(FOB)+S/Vが所掌範囲になる。中国側もこの分け方に従って、施主が設計院、メーカー、建設会社と契約することになります。

誰が全体の責任を取るのかという問題は、外国企業が絡むプロジェクトの場合、施主もコントラクターも国である「国内企業プロジェクト」と様子が異なって来る。前記のような“弊害”をあたかも認識しているかのように自分達の責任の一端を外国企業に押し付けてくるからだ。通常は、基本設計(一部詳細設計を含む)、主要機器の供給、S/Vの派遣を所掌しているのを理由にPerformance Guaranteeを外国企業に転嫁しようとする。もっとも、最近は、かなりインターナショナルになって来ているので、理屈が成り立たないのにごり押しするケースは少なくなったが、少しでも道理があれば、押し付けてくる。これが外国企業にとって最も悩ましいことである。むげに断われば確実に商談に影響がでてくるからである。

  外国企業が参加しているプロジェクトの場合は、受け皿の心配がないのだから一括発注出来る筈なのに、分割発注に固執しているのはどういうことなのだろう。外国企業に一括発注すると、仕事が中国に落ちなくなることを心配しているのだろうか。そうであるならば、よくやっているように、Local ContractorsLocal ProductsMaximum Utilizationを入札書に明記しておけばよい。どっちにしろ、中国企業、中国製品が使われるのだから同じことである。まさか、一括請負者の中国ポーションにかかる管理費をケチるためではないだろう。

中国が一つのプロジェクトを内外分割して発注しようとするのは、単に中国側が仕事を取込めるか否かということでなく、中国側が自分で出来るところは、自分が主人公でやりたい、下請として、他人の管理下でやるのはごめんだということであろう。このような性向は一見、中華思想との連想で漢民族固有のものに見えるが、他の漢民族の国の台湾、香港、シンガポールでは一括発注が行われているので、民族固有のものでは無さそうである。やはり社会主義との関連で捉えられるべきで、社会主義、民族主義的な排外性によるものと言わざるを得ない。(この問題は次号で取り上げたいと思う。)

このような分割発注の習慣はいつまで続くのだろうか。やはり、一括発注の前提の一括請負ができる企業が育つことが鍵である。設計から建設まで一括請負が可能な企業が出てくれば、国内で先ず一括発注が増えてくるだろう。中国の指導者も分割発注に起因する「弊害」を認識しているからである。(少なくとも識者は指摘している)外国企業との関係でも、同じ土俵で戦えるので、変則的な分割発注を押し付ける必要性がなくなる。改革・開放が進み、資本主義的思考が支配的になってくれば、社会主義、民族主義的排外性は薄れてくるだろう。そうなれば、外国企業を一括請負業者として受け入れる抵抗感はなくなってくる。筆者は遠くない将来、メーカーを軸として、設計院、建設会社を巻き込んだ業界再編成の動きが出てくると予想している。これを裏付けるように、4月28日の日経新聞に上海で原発の一貫メーカーが設立されるという記事が載った。(当地文匯報の転載記事)上海電気集団総公司を核に、上海核工程研究設計院、華東電力設計院が企業体を形成し、金属加工、計器、電機などのメーカーも加わるとのこと。この動きは着実に進んでいるようである。

社宅がなくなる(1998年3月)

13年前の中国には社宅というユニークな制度があった。学生が大学を卒業して、国有企業に入ると、国有企業の所在地の戸籍と社宅が与えられた。農村出身の者でも都市戸籍が得られるので、国有企業は学生に人気があった。その社宅制度がしろちゃんがいる間に廃止されてしまった。さぞかし、大騒ぎになるかと思ったら上海市民は意外やクールであった。上海人は豊かになり始めたのである。当時の上海の1人当たりのGDPは3,000ドルで、既に中進国のレベルになっていた。2011年のGDPは12,784ドルと言うから驚きだ。

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筆者は97年12月の社内報で学生が就職先を選ぶメルクマールとして社宅が与えられるか否かをあげ、社宅が与えられる国有企業が外資系より人気があることを述べたが、ここに来てこの事情が急激に変わってきている。この6月から社宅制度がなくなるのである。ここで説明が必要なのは社宅と言っても年限の限られた日本の社宅と違って、中国の社宅は退職後も継続して一生住むことが出来る。正確に言うと、非常に安い金で払い下げをうけられるのだ。従って、自分のもの(といっても使用権だけだが)になるわけで、息子にも相続できる。この社会主義の最大の恩典が改革・解放の波の中で消え去ろうとしている。もちろん、すでに社宅に住んでいる人は出て行く必要はなく、これまで通りの恩典が受けられる。さぞかし、大騒ぎになるかと思えば、上海で見る限り意外にクールである。筆者の中国語の家庭教師は今年大学院の修士課程を卒業する予定で、やっと、就職先(上海市の機関)も決まりほっとしたところだが、今度はアパートの心配をしなければならなくなった。もっとも、何も無くなってしまうわけでもないようで、彼女によると社宅のかわりに住宅補助は出るらしい。

人々が比較的冷静にしていられるのは、やはり上海市が豊かになったせいであろう。(新聞は上海市民のGNPが3,000ドルを超えたことを報じている)金もうけが上手い連中はとっくにマンションを手に入れている。住宅ローンもここへ来て充実してきたので、マイホームもなんとか手の届くところになってきた。住宅価格が日本の10分の1(もちろん、外人が住む「高級マンション」は別)だから、収入水準を考えるとあながち無理な話でもない。

  これまで、中国では、社宅を含めて、年金、医療、教育など福祉厚生の全てを「単位」(国有企業)が引き受けてきた。これは人民公社の考え方だが、人民公社が解体した後も今日まで継承されてきた。本来、このようなことは国がやらなければいけないことだが、従来の慣習を良いことに国有企業に押し付けていた。これが国有企業の赤字化の最大の原因であることは既に論じられている通りである。今度は、国有企業を株式化して、採算重視の経営体質にもって行こうとするのであるから、こういう「余分」な負担は当然取り除かなくてはならない。しかしながら、この福祉厚生の財源はどこから持ってくるのであろうか。結局、税金しかあるまいから、増税ということになるだろう。中国人も大変なのである。

国有企業のもう一つの改革(1998年3月)

中国の国有企業は設計、製造、建設など機能別に分かれた縦割り組織であった。設計は設計院、製造は工場、建設は建設会社とそれぞれ別の企業が担当し、プラント全体を請負う企業はなかった。旧ソ連も同様な構造になっており、機能別に特化したほうが生産性があがるという社会主義的合理主義に由来するものだった。あれから13年、この構造が変わったのかどうかしろちゃんは知らない。

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 中国には三菱重工、IHI、日立造船のようなプラントメーカーが無いと言ったら大抵の人は驚かれるであろう。もちろん、規模の話しではない。従業員の数から言えば、これらの企業よりも数倍大きな企業がごろごろしている。筆者がここで言いたいのは、プラントの建設を設計、(製造)、調達から建設、試運転(=EPCM)まで一貫して、一元的に請負う企業(メーカー)が無いということ。要するに、一つの企業がEPCMを一元的に管理するのでなく、EPCをそれぞれ別の会社が管理する縦割り組織になっているということ。多くの場合、設計は設計院、製造はメーカー、建設は建設会社になる。かといって、もちろん、全体を管理する組織、会社がないと言うわけはなく、通常、これらの会社の上部組織(役所)がその任に当たることになるが、我々が抱いているEPCMコントラクターのイメージとは程遠い。もちろん、メーカーに全く、設計機能、組織が無いと言うのではなく、逆に大メーカーであればほとんど設計組織を抱えている。問題はその機能であり、個々の産品の設計(それも製造に必要な工作図が主体)に特化されている点だ。例えば、上海ボイラーももちろん設計組織を有するが、その機能はボイラーの設計に特化されており、ボイラーを組み込んだプラント全体の設計は彼らの所掌外であるということ。上海重型のように日本で言えば「ミニ三菱重工」のような企業でも、驚くべきことに、設計は工作図に毛の生えた程度で、我が社のようにごみ焼却プラント全体の設計を行っているメーカーはない。中国でプラントビジネスをやっている人は、この問題に気づいている筈なのになかなか活字となっては現れてない。

こういう縦割り組織は、社会主義国に共通しているようで、筆者がかって訪問したことのあるベトナムでも同様なシステムになっていた。つまり、機能別(更には製品別)に特化させ効率を上げるという社会主義的合理主義の体現であるが、責任感、創意工夫の面で障害が大きい。すぐ気がつくことは一体誰が全体の責任を取るのかということ。理屈から言えば上部組織であるが、請負っているという感覚が無いから責任感は希薄である。また、縦割り組織ということから、当然、設計、製造、建設相互間のフィードバックは少ない。設計院がメーカー、建設会社からのクレームを取り上げ自分達の設計に反映させると言うイニシアティブに欠けているのも事実だが、むしろ、メーカーはメーカーで設計書通り作っていれば事足れりという考えで、設計にミスがあっても自分達の知ったことではないとする体質である。こういう環境にあっては、設計院はメーカーの製造性や建設会社の据付性を考えて設計するという発想が出てこないし、メーカー、建設会社が自分達のコスト・ダウンにつながる設計変更を提案することもまれである。(もっとも、これは我が社でも難しいが)

この設計問題に関しては滑稽な(しかし、どこか身につまされる)例があるので披露したい。あるプラントメーカの所長の談。宝山製鉄に連鋳設備を入れたのだが、その時はレイアウト上の制約から跳ね出し装置(確かこう聞いたが装置がなんであるかはここでは問題でない)を余分につけなければならなかった。また、当時の技術では完全にリモート制御をすることが難しく一部ローカルにせざるをえなかった。第二期工事は、自分達で設計したとのことなので、どういうふうになったのか見に行ったところ、今度はレイアウトの制約がないにもかかわらず、相変わらず跳ね出し装置がついており、リモート制御が可能であるにもかかわらず、ローカルがついていた。「しろさん。彼らの実力なんてこんなものですよ。10年いや20年かかっても日本に追いつけないでしょう。大体、彼らには創意工夫がない。日本人は技術導入しても、すぐ色々改良して本家より良い物を作ってしまう。」

彼の言っている事は一面(全面ではないが)の本質を突いている。が、中国人が生来創意工夫の能力がないと言うわけではなかろう。創意工夫に対してのインセンティブが無いというのももちろん大きな理由であるが、縦割り組織の中で、他部門と切磋琢磨する機会が無いことから創意工夫をしようとする資質が育ってないからだ。こういう自己完結的な世界では、自ずと自己防衛本能が働くから、ミスをしないことが最大の判断基準になる。失敗というリスクが伴う改良よりも、現状維持を選択したわけである。

設計、製造、建設が縦割り組織になっていること、技術導入(中国側から見て)、技術移転(日本側から見て)の面で大きな障害となっている。もともと、プラント技術というものは、Comprehensiveなもので設計、製造、建設(据付)が一体不可分である。設計院あるいはメーカーが技術導入しても、この両組織間の交流が無いため、せっかく導入した技術もその全体的な機能を十分発揮できない。先述したように工夫、改良のイニシアティブが生まれにくい土壌の中では技術が導入時の状態のまま化石化してしまうことさえある。50年代にソ連から導入した技術そのままで現在まで営々とボイラーを生産し続けているメーカーもある。彼らにとっては、技術とは図面であり、図面通り造るのが技術導入なのかもしれない。一方、技術移転をする側にとっても、中国側の受け皿がどこになるのか判然としない。中国側は口を開けばやれ日本は技術移転に消極的である、技術を出し惜しみしていると非難するが、実体は必ずしもそうでない。民間企業であるから、技術移転しか参入の方法が無い場所で、技術移転に相当な対価が支払われるのであれば喜んで行う。3年前、筆者が参加した日中経済協会主催の環境ミッションの中国訪問時でも言及されたが、問題は中国側のどの組織に技術移転をすれば良いのかということだ。設計院なのか、メーカーなのか。技術は一体不可分であるから、どちらか一方でも効果があがらない。特に、ライセンス供与を通じて中国マーケットに参入しようと思っている企業にとっては問題なのである。

さて、これまで見てきたように、設計、製造、建設というように機能分化している縦割り組織の中で、国有企業(製造、建設業)の設計、エンジニアリング能力が圧倒的に不足している点が、中国が今後克服すべき最重要課題であるように思われる。中国の指導者がここに気づいているかどうかは知らない。では、どうすればよいのであろう。先ず、今回の全人代でも再確認された、国有企業の再編・統合、株式化、経営自主化(早い話が民営化)を強力に推進すること。何しろ国有企業の数が多すぎる。これを集約することが先決。その上で、やはり設計院を解体、再編し、一部を国有企業に合体させること。エンジニアリング能力を短期間に、効率的に高めるには他に方法が無い。基礎研究は、設計院の一部を吸収して、国がやるしかない。完全に民営化してしまうと、Money-orientedな国民は、すぐもうからないことはやらないからである。

エンジニアリング能力を身につけることは容易なことではないが、中国の指導者がこの点に早く気づき意識的に改革を進めれば、未来の三菱重工の誕生も夢ではないだろう。

 

アジア経済危機と人民元(1998年2月)

1997−1998年にタイを中心にして、アジア経済(通貨)危機が起こっているのですね。人間、10年以上経つと忘れてしまいます。バーツが暴落したのに対して人民元はびくともしなかった。中国経済が10%を超える成長率で上昇し始めたのはこのころからですね。当時の外貨準備高が1,400億ドル。現在は、3兆憶ドル。何と13年間で21倍。驚嘆するよりも恐ろしくなります。

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大半の東南アジアの国々が経済、金融危機に陥っている中、一人気を吐いているのが中国である。新聞は中国が世界貿易番付の10位に入ったことを伝えており、国家統計局のエコノミストは今年の経済成長率が8%を超え9%をうかがう展開になるとの見通しを述べている。

海外からの直接投資も、今後東南アジアの経済、金融危機の影響を受け鈍化するとは言え、97年は過去最高の520億ドルに達している。人民元は1ドル=8.3人民元のレベルを保っており、下がる気配は見えない。人民元が強いのは言うまでもなく、中国が1,400億ドルという潤沢な外貨準備を保有し、対外債務の1,200億ドルを差し引いてもお釣が来るからだ。

  上海で言えば、浦東の開発は予定通り進んでおり、市内の高速道路、地下鉄、商業ビルの建設も中断することなく続いている。森ビルの『森茂ビル』はこの2月から入居を開始するが、当初の予想に反して、80%のテナントがついたとのこと。

このように表面的に見る限り中国は今回の東南アジアの経済、金融危機の影響を受けてない。しかしながら、今後はどうかと言えば、やはりじわじわと効いてくるのではないかと思う。中国経済が既に東南アジアの経済に組み込まれている以上、影響を受けないということはありえない。

最近訪れた上海の造船所では輸出競争力の低下を心配し、今年の目標はずばりコストダウンであると表明している。中国が今後輸出競争力を増した東南アジアの国々と戦って行くには、現在推し進めている国有企業の改革に加え、更なるコストダウン、即ち、更なるリストラが必要になってくる。これは当然大量の失業者を生み、中国が目論んでいる国有企業改革のソフト・ランディングをより困難にさせよう。中国当局の度重なる否定にもかかわらず、人民元切り下げの噂が絶えないのもこの辺に原因がある。金持ちの中には人民元の預金を取り崩しヤミでドルに換え、ドル預金に変える人が増えてきて、当局はドルの預金金利の引き下げを決定した。

 中国が人民元の切り下げを実行するのかしないのか予測するのは難しいが、相対的に強くなった人民元によって実際に輸出にかげりが出てくれば、断行するであろう。中国のファンダメンタルズがしっかりしているのは、何よりも豊富な外貨準備高にあることを当局が一番良く知っているからである。

日系鉄工業の上海進出(1998年2月)

しろちゃんが赴任した1997年には、上海に進出した日本企業は、まだ少なかった。先鞭をつけたのはアパレルなど軽工業だった。このころはまだ、中国を市場として捉える見方は希薄であったうえ、自動車、鉄鋼など巨額な設備投資を要する重工業の進出は、慎重に考えた方が良いという通産省の考え方が生きていた。中国リスクを考慮してのことである。中国は、自動車産業を興すため、トヨタにラブコール送ったが、トヨタは政府の方針に従って断った。怒った中国は、代わりにフォルクスワーゲンを選び、続いてGMと日本外しにかかった。トヨタは進出が遅れたばかりでなく、良いパートナーを既に他社にとられ、事業の立ち上げに苦労した。鉄鋼業は現在でも、一貫製鉄所の建設、投資は行われてない。
家電は、意外に設備投資は少なくてすむので、しろちゃんの赴任した頃にも、シャープをはじめ大手が進出していた。
流通業は、ヤオハン(浦東)、ジャスコが進出していた。そんな時代のことである。

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 最近、日系企業が相次いで上海で鉄工工場を建設、筆者は各々の起工式、開業式に出席する機会を得た。一つは川崎重工業の起工式であり、もう一つは松尾橋梁の開業式である。川重の方は所謂合弁企業であり、パートナーは中国最大の海運会社であるCOSCOの系列下の中遠工業公司であり、川重はこの会社と既に南通で修繕船を手がけており、最近では新造船をも取込んでいる。新会社の名前は「上海中遠川崎重工鋼結構有限公司」、総投資額2,980万US$で資本構成は日本側、中国側50%、50%、場所は宝山区。年間加工量3万トンを目標。一方の松尾橋梁は100%自己出資(独資という)、工場は昨年10月に完成しており、現在まで既に500トン加工している。生産規模は年間10,000トン、3年後に15,000トンにもって行く予定。

 

■上海中遠川崎重工鋼結構有限公司

    所: 上海市宝山区滬太路5198号

    立: 1997年10月28日

総投資額: 2,980万US$

出 資 者: 川崎重工業                40%

           伊藤忠商事                10%

           中遠工業公司              40%

           中国外輪代理総公司         8%

           上海市宝山区劉行工業公司   2%

董 事 長: 李建紅

総 経 理: 櫻井隆

敷地面積: 16万

建屋面積: 2万

生産能力: 年間3万トン

 

■上海松尾鋼結構有限公司

    所: 上海市奉賢県西渡村28号

    立: 1996年3月26日

総投資額: 900万US$

出 資 者: 松尾橋梁株式会社

董事長兼総経理: 中島真輔

敷地面積: 6万

建屋面積: 8千

生産能力: 年間1万5千トン

 

上海には鉄骨加工業として、上海、滬東、江南の3造船所にグランドタワー(香港との合弁でスタートしたが現在では中国側が経営)、宝成(理成―台湾系)があり現在でも過当競争気味である。なのになぜこの2社は敢えて上海に進出したのか。松尾の場合は、これまで生産した500トン全量が日本向けで、今後も日本向けが主力になるとのことだから、意図するところは比較的明確である。つまり、国内の競争に打ち勝って行くために、付加価値の低いものを賃金の安いところへシフトし、コストダウンをはかるということ。専業メーカーであるから、競争力がなくなったからといって、他に転換するわけには行かない。賃金が日本の20分の1である中国はそれだけでも十分魅力的でロケーションも悪くない。そのかわり生産性、品質が悪いと言うかもしれないが、これについてはのちほど論じよう。とにかく、日本人10人(これはもっと減らせると思う)と中国人140人、計150人で年間1万5千トン出来れば、相当なコストダウンになり、競争力は飛躍的に向上する。
 川重の場合は、他に付加価値の高い商品をもっているのに、相対的に付加価値の低い鉄骨に今から投資するのは、正直なところ良く理解できない。起工式の後のパーティーで隣り合わせた、三菱重工、日立造船の駐在員の意見も同感であった。川重の場合、生産量から言って中国国内をもマーケットの対象にせざるを得ないと思うが、それにしても3万トンは半端な数字ではない。川重のような大会社がやるのだから、ちゃんとしたマーケット・スタディをして、成算ありと踏んで決めたんだろうがたいしたものである。

 さて、先程の生産性と品質の問題だが、確かに中国に外注する場合、問題あることは、筆者も否定しない。しかし、ここで注意しなければならないのは、外注で物を作らせるのと合弁なり、独資で中国人を使って作るのとは根本的に違うということである。外注というのは、どんなにスーパーバイザーが入り込んでも、中国の管理システムの中で物が作られるわけで自ずと限界がある。曰く、中国人は働かない、責任感がない、自分に関係のないことは一切しない、横の連絡が悪い等々、その通りである。なぜなら、その反対なことをしても何の得にもならない社会システムの中に居るからだ。社会主義の最大の弊害であるが、中国人が生来こういう特質をもっているかと言うと疑問である。個人的な関係になれば違うからである。よく、中国人は物を大切にしないと聞くが、それは公司の物に対してであり、自分の自転車は別であるからだ。また、中国人は気が利かないと言うが、気を利かせても得にならない社会であり、反って、余計なことをしたおかげで、とんでもない目に会う危険性を知っているからだ。国有企業(中国では国営企業とは言わない)の問題点は、ここにある。質量(品質のこと)向上のスローガンがいたるところに貼ってあるが、声高に叫ばれるのは取りも直さず、質量が悪いからで、品質改善の努力なり、提案をしても個人の給料が上がるわけではないからだ。

 中国の指導者もこの辺のところはわかっており、様々な改善を行っているが、長年続いていたシステムを変えるのは容易なことでない。つまり、外注ベースではスーパーバイザーの努力にもかかわらず、納期、品質面でのリスクはどうしても残る。三菱重工、日立造船が中国調達を全面的に展開しているのはこのリスクを相殺しても余りある金額の魅力があるからだ(日造の上海事務所長は筆者に明言していた)。

 合弁あるいは独資で中国人を使って物作りをすることは、こういうシステムから逃れられる点で有利である。能率給を導入するなりしてインセンティブを与えれば中国人も良く働く。実際、外資系の工場はそうしているところが多い。もともと、Money -orientedな国民である。お金で能力を評価するシステムは彼らにとって最も受け入れ易い。この点、求道者精神を残している日本の職人と区別しなければならない。価値観が違うのだから職人魂を求めてはいけないのだ。能力の面でも、CWTC (China World Trade center)の鉄骨で江南造船所に常駐しているスーパーバイザーの話では、日本に連れてかえりたいぐらい腕の良い溶接工が居るそうである。彼らに賃金面でのインセンティブを与えれば、結果は想像できる。

 こういうことを考えると、松尾橋梁の選択は賢い。さらに、奥が深いのは、独資にしたことだ。純粋に物作りの観点から見れば、中国人の干渉を防げる独資の方が良いに決っている。現実的には中国での官公庁とのやり取り、中国内でのマーケッティングを考え、合弁にするケースが多いが、日本向けが主体であれば中国側のビジネスパートナーは必ずしも必要でない。荏原の青島のボイラー工場も独資である。輸出が主体であれば独資の方が良いのかもしれない。
 筆者はこの2件の中国進出を見て、我が社もそうすべきだと短兵急に主張するつもりはない。専業の松尾と異なり、我が社は様々な商品を持っており、必ずしも鉄骨に投資する必要はない。もっと金をかけるべき商品はあるかもしれない。しかしながら、我が社が清水、津という鉄工工場を抱えていることも現実で、大競争の時代を迎えて、高賃金化したマンパワーで付加価値が相対的に低い鉄工を今後とも続けて行けるのかは、疑問である。

上海雑感(1997年12月―N社内報原稿)

しろちゃんは、1997年から1999年までの3年間、上海に駐在していたが、その時、本社に不定期的に送っていた「上海レポート」をブログを開設した際、一気に22編アップしました。しろちゃんとしては、かなり思い入れの強い作文だったので、密かに読者の反響を期待していたが、しろちゃんの淡い期待は見事に打ち砕かれた。何が悪かったのか。10年以上前の上海なんて、誰が興味を持つのか。確かにそうかもしれない。そうじゃない。お前の文章が下手だから、読まれないのだ。その通り。しかし、しろちゃんとしては諦めきれない。そこで、一気にアップしたのがまずかったんだという言いわけを考えた。ブログは毎回更新されるから人々は読む気になる。初めから全部出したら、ゲンナリとし、食う気がしないというもんだ。という理屈を無理やりにこじつけて、厚顔にも、再度、小出しに掲載することにした。
第1回の「上海雑感」は、この年の7月に赴任し、広報から何か書けと言われ書いたものです。

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img136 シャンハイ。この言葉を聞いて年配層は「夢の四馬路」に代表される歓楽街、虹口の日本租界、ブロードウェイマンション、ガーデン・ブリッジ、外灘(バンド)やフランス租界のヨーロッパ的な町並みが自身の青春時代ともに脳裏を横切るに相違ない。当時の上海は日本から一番近い外国であり東洋一の大都会であったばかりでなく、退廃、貧困、犯罪が同居している「魔都」でもあった。つまり若者の冒険心や野心を満たすのに十分な要素を具有していたわけで、実際、様々な職業の若者がこの魅力に引かれて一時期を過ごしている。その中にはダンサーやバンドマンのような芸能人、「あぐり」のご主人である吉行エイスケのような作家も含まれている。

 
上海は阿片戦争の結果、英国により強制的に開城させられる前までは漁業を生業とする、城壁に囲まれた一小都市に過ぎなかった。上海の歴史は近代に始まりそれはまた列強による侵略と植民の歴史で、1949年の解放まで中国人がこの町の主人公になることはなかった。列強はそれぞれ租界を形成し、自国の生活様式を持ち込み、自国の文化を再生産した。バンドに広がる新古典様式の石造りの建物、フランス租界の「別墅」と呼ばれる一軒家が当時の生活様式、文化を物語っている。  
 1992年初めて上海へ来てバンドに立った時、言い知れぬ感慨に襲われた。雰囲気は多少異なるものの化石化したヨーロッパが間違いなくそこにあった。上海にヨーロッパ的な要素が残っていなければ感傷はなかったであろう。年配層と言うには未だ早い(?)筆者が上海にノスタルジアを感じたのはアンドレ・マルロー、魯迅、アグネス・スメドレー、尾崎秀美の著作を通して何度も疑似体験しているからか。 
 
現在の上海はおそらく世界で一番元気な町であろう。町のいたるところでビルや高速道路、地下鉄の建設が進行し、さながら建設現場の真ん中にいる感じである。重機が行き交い昼夜を問わず騒音を撒き散らし、「外地人」と呼ばれる出稼ぎ労働者が現場にあふれている。日本のバブル期も顔負けである。
 
浦東地区の開発は世界的なスローダウンの中で着々と進んでいる。金橋輸出加工区には302社が進出を決定、既に105社が稼動。高層ビルが目立ち始めた陸家嘴金融貿易区ではこの827日に世界最長のビル(森ビル、94階建て、460m)の起工式が行われた。浦東新空港建設は予想以上に進捗しており、市政府が公言している2000年開港に本当に間に合いそうである。上海が香港を目指す、或は上海と香港とを競い合わせるという政府の「たくらみ」は理解できる。今のペースで行けば箱だけは間違いなく出来上がるだろう。問題は箱の中身である。効率的で透明且つ公正なシステム、このシステムを担う人間を作り上げるのはたやすいことではない。 
 上海の学生が就職先についてどう考えているのか知る機会を得た。当社は上海の4大学(復旦大学、同済大学、交通大学、華東理工大学)に毎年奨学金を出しているがその中の一つの大学の学生との懇談会の時である。筆者が卒業したらどういうところへ就職したいかと尋ねると一位は国家公務員、二位は国有企業、三位が外資系企業であった。給料が高い外資系に人気がないのは意外に思われるかもしれないが、中国では家の問題が極めて大事で、家(社宅)を貰えるのかどうかが就職先を選ぶ重要なメルクマールになっている。国家公務員、国有企業は家が貰えるが外資系は貰えない。また、学生達は外資系では結局使われるだけで中枢の部署に付かせてくれないと考えている。中国の若者も結構保守的だなと思ったが、筆者の家庭教師(美人の大学院生)から話を聞いて本当の理由がわかった。彼女は浦東の某政府機関でアルバイトをしているが、先日会議があり集まった人にお土産が出たという。彼女もその余録に預かったわけだが中を開けてみて驚いた。金券である。それも300元であったそうだ。国家公務員にこういう裏の収入(暗収)があるのは半ば公然化しており、その額は表の収入(明収)の23倍にもなるという。幹部の腐敗が声高に叫ばれているが幹部の予備軍である学生も意外としっかり社会を見ている。この問題は根が深いのである。

  
 それでは再見。
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