内観・幸せめぐり

想い出のメロディー ㉛「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」

2年目になって少しずつ内観者さんも増えて
来て、次第に研修所らしくなってきたところに
思わぬ事態が発生した。妻が長女を妊娠し
たのである。長男が生まれて7年間妊娠の
兆候はまったくなかった。子どもに手がかか
らなくなった、ということも内観研修所を開
設する決心をした重要な要素の一つだった。
それが環境が変わったせいか、新たな生命
を授かったのである。予想外の事態に少し
驚いたが、これも内観のお陰で二人とも前
向きに受け止めることができた。


どういうふうに我が家と研修所の運営をして
いこうか思案していたところ、不思議な巡り
合わせが訪れた。この年に吉本先生の助
手をしていた長島先生が故郷の富山に帰
られ、北陸内観研修所を開設することにな
ったのだ。そこで、キヌ子奥様より長島先生
が居なくなった後、少し手伝ってくれないか、
と私に声がかかった。キヌ子奥様は、我が
家の事情をご存知だったので、双方にとっ
ていい話だと思われたようだ。


お陰で妻は安心して出産と子育てに専念で
きたし、私は吉本先生と生活を共にしなが
ら、内観研修所運営のノウハウと言葉で表
せない内観の極意を吉本先生から直接吸
収できる幸運を与えられた。まったく人生
は何が幸いするかわからない。私たち夫婦
も、自然にすべてのことを前向きに受け止
めることができた。すべてが吉本先生ご夫
妻と内観のお陰である。そして、その2年後、
次男まで授かった。


次男が生まれた翌年、吉本先生が逝かれ
たが、この頃になると研修所も何とか順調
に運営できるようになっていた。私たち夫婦
は、子育てと内観さんのお世話で目まぐるし
い日々を送るようになった。それ以後は、毎
日を必死に生きてきて、いつの間にか今年
の4月で30年目を迎えることになる。3人の
子どもも無事に社会人になり、内観者さん
の数も6,000人を超えて、現役の内観面接
者では一番多くの内観者さんを面接したこ
とになった。


振り返れば、研修所を始めてからは、身体
的には楽ではなかったが、精神的には最
高の30年であった。極端なことを言えば、
この30年間はいいことばかりで、悪いこと
は何もなかったと思うほどである。困難な
出来事は多くあったが、結果としてすべて
がいい方向に向かったから不思議である。
もし今晩死ぬと仮定すると、多少の心残り
はあるが、本当にいい人生だった、と思え
るだろう。


こうやって人生を振り返ると、心から憎む
人が一人もいないことがわかる。想い出
したくない記憶もない。本当に幸せなこと
である。自分勝手で我が儘な私が、怠け
者、助平、臆病、狡猾、意志薄弱な私が、
こんな幸せな人生を過ごせたことは、ひと
えに今まで出会ったすべての人々の温か
い心、こんな私を許して受け入れてくれた
人たちのお陰だ、と心からそう思うのであ
る。出会いに恵まれた人生だったのだ。


私の人生に関わってくれたすべての人に、
心から感謝したい。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


内観研修所を始めてからは、音楽にあま
り関わらなくなったので 、今回で「想い出
のメロディー」を終了したと思います。

今まで多くの方から「私が何故内観をす
ることになったのか」、「何故内観研修所
を開設したのか」という質問を受けました。
なかなか一言では答えられないので困っ
ていましたが、そういう方は、この「想い
出のメロディー」と前回の「音楽で綴る自
分史」を読んでいただければと思います。
途中にも書きましたが、まだご存命の方
に迷惑がかかるといけないので書けない
こともありましたが、大体のことはわかっ
ていただけると思います。


長い間お読み下さってありがとうございました。





想い出のメロディー ㉚「ケ・セラ・セラ」

1984年4月、私が32歳で開設した内観研修所
だったが、予想通り内観者さんが訪れることは
なく開店休業状態であった。最初の内観者さん
が来られたのは、6月に入ってからだった。その
後も吉本先生の紹介やらいろいろな方の紹介
で1ヶ月に数人というペースであった。私も近隣
の企業や学校にパンフレットを抱えて営業活動
をしたが、すぐに反応してくれるところなどなか
った。(後年そのうちの一つが内観者さんを送
ってくれた)

予約された方が外車で来られたので玄関まで
お迎えに出たのだが、我が家の建物を見ると、
車から降りずにそのまま引き返されたこともあ
った。そして、さらに堪えたのが、内観者さんが
一番多く来られる夏休みのことである。吉本先
生のところが満員でこちらに紹介してくださった
内観者さんを、バスが来る度に停留所までお
迎えに行ったのだが、誰も降りてこなかった。
この時ばかりは家人も私も無言になった。


貯金で食いつなぐ生活が続いたが、深夜、隣
で寝る家人と長男の寝顔を見ながら、自分の
判断ミスでこの二人を間違った方向に導いた
のかもしれない、と不安になったこともあった。
食事も質素になり、肉を食べることはほとんど
なかった。夏休みに家族で帰省したり旅行す
る長男の友人たちを見ていると、我が子をど
こにも連れて行けないことを後ろめたく思った
りしたが、何の不平も言わないで健気に振る
舞う長男の心情が胸に沁みた。


こう書くと暗い印象ばかりなようだが、そうで
もなかった。内観の効果は困難な時にこ
そ輝きを放つ。家族の日常は充実しており、
私は自分の内観をする時間がたっぷり取れ
たし、少なかったためにひとり一人の内観者
さんとじっくり取り組めて、本当に勉強になり、
その後の内観面接に随分役立った。また、
明日が見えないこの時期の緊張した日常生
活は、私に内面の大きな転機を何回も与え
てくれた。


家人も自分でパンを焼いたり、電気の明るさ
を半分にしたりして家計を切り詰めながら、
ゆっくりと流れる時間の中で、私や長男との
時間をゆったりと楽しんでいた。家族は穏
やかで暖かい時間を過ごすことができたの
である。倹約した生活で車も何もない生活
だったので、自然に家族が力を合わせて
生きるようになった。私と長男は、毎朝、幼
稚園までの30分ぐらいの道をテレビアニメ
の主題歌を歌いながら通ったものである。


長男も子どもの足では1時間はかかる友だ
ちの家まで走って遊びに行ったり、近くの川
で昼ご飯も食べずに1日中遊んでいた。便
利なものが何もないということは、子ども自
身の自主性を育てるようで、与えられた条
件の中で工夫をするという習慣が自然につ
くようである。現在34歳になる長男の生活
を見ているとそう思われる。人間万事塞翁
が馬というが、実際、何がいいのか後にな
ってみないとわからない。


ただ一つの懸案は、将来に対する生活の
不安であったが、これも内観のお陰で2年
先まで見通せればいい、という考えでそれ
以上は余り考えなかった。未来のことは
「ケ・セラ・セラ」で仏様にお任せして、1日
1日、今やれることを精一杯やろう、とい
うことに集中した1年目であった。




想い出のメロディー ㉙「め組のひと」

3ヶ月の集中内観は、それなりに得るところ
は多かったが、内観研修所を開設するとい
う決心にまでは至らなかった。そこで、前か
ら誘われていた病院に再就職することにし
た。いくら自分の気持ちを中心に意志決定
する私でも、家族のことを考えるとそこまで
の冒険をすることはためらわれたのである。
新しい職場では、慣れない部署の責任者と
して働くことになったので、慣れるために深
夜まで仕事に打ち込んだ。


しかし、そんな生活が2年続き、長男も幼稚
園に通うようになって少し余裕が生まれてく
ると、私の中にいろいろな葛藤が生まれて
きた。自分の生活を振り返ると、だんだん
日常に流されて権力欲のようなものが出て
くる自分の姿に嫌悪感を感じ、このまま一
生過ごせば後悔するに違いない、と考える
ようになった。そして、自分のような者は、
24時間内観に接していないと駄目になる、
という強い思いが湧いてきた。


家人に相談すると、「どんな苦労してもいい
から、思い切ってやってみたら」と背中を押
してくれた。家人もちょうど長男が手を離れ
てきて、家事やPTA活動だけしている自分
の日常に空しさを感じていたようだった。そ
こで内観研修所を開設する決心を固めた
のだが、内観関係者、親類友人等周りの
人は、すべて反対だった。経営的に成り立
たない、というのが主な理由だった。


中には、当時の関東の内観者数を示して
絶対無理だとアドバイスしてくれる人もい
た。常識的に考えれば彼らの意見のほう
が正しかった。当時の内観研修所を運営
している人たちは、大金持ちや宗教者が
本業の片手間に運営したり、引退後のボ
ランティアで行っている人たちばかりだっ
たのである。私のように内観研修所で生
活し、子育てまですることは初めてのこと
だったからある。


それでも決心の変わらなかった私は、全
国のツテを頼って内観研修所ができる場
所を探した。最初は新潟、金沢の話があ
ったが、それも立ち消えになり、秩父の大
滝村の奥地に廃屋があるということで見
に行ったりした。そこは1日に1本しかバス
がないような田舎だったので迷っていたと
ころ、前の職場の若い友人の知り合いか
ら埼玉県の名栗村という過疎地に家が空
いている、という情報が入った。こちらは
1時間に1本バスがあった。


大滝村を見に行った後だったので、すっか
りその場所が気に入ってしまった。そこは、
西武線飯能駅からバスで1時間ぐらいの
場所で、建物は古かったがしっかりと建っ
ていたのも気に入った。大家さんに挨拶
に行くと、どうせ使わないのだからと安く
貸してくれた。土地が広かったので6畳二
間とトイレと洗面所だけの小さな研修所を
建てることも承知してくれた。


こうして家族で引っ越すことになったが、
幼稚園に慣れた長男は、あまり気乗りし
ない様子だった。そこで、当時、我が家に
なかったテレビと彼が大好きだったラッツ
&スターの「め組のひと」のレコードとを買
ってやる条件を出したら、長男は喜んで
「いいよ」と言ってくれた。子どもを騙すよ
うなことをしたわけで、今でも想い出すと
胸が痛い。






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