2007年02月21日

対症療法で逆効果 − 厚みなきコンセンサス社会の行方

 風邪引いて熱がでた時、熱を下げちゃいかんというのがあの方の持論なんです。

 正確に言えば、熱が40度以下なら下げてはいけない、42度を超えるようなら、下げなきゃいけないということらしいです。

 普通は子供が熱出せば、親は下げようとしますよね。もっとも、ご高説をもっと正確に言えば、額に濡れたタオルや氷嚢を置いたりするのはいいんだそうです。なぜならあれは単なる気休め、あるいはリフレッシュに過ぎないから。実際には殆ど体温を下げる効果はありません。

 やっちゃいけないのは、解熱剤を使ったり、42度以上の高熱を下げる時のように、わきの下や背中にまで氷を当てて、実際に体温を下げてしまうこと。

 なぜかというと、熱が出るのは病気を治すための正しい生体反応であって、体温を上げることで免疫力を高めばい菌をやっつけている証。それなのに、38〜9度の熱にあわてて、解熱剤を飲ませる親がいかに多いか。

 病気によって生じる症状を抑えることも大事ながら、より重要なのは病気の元を治すこと。熱がでて苦しいから、かわいそうだからといって、それを下げ、結果的にウイルスの増殖を許して病状を悪化させるようなことがあってはならない、といえば、大方の賛同が得られるでしょう。

 しかし、昨今の日本の”政策”、それも、社会の根幹部分とかかわるような重要なものにおいて、目先、鼻先の対症療法に力みかえり、結果的により深刻な事態を招きかねないものがいかに多いか。

 少子化、いじめ、不登校、引きこもり、フリーター、ホームレス、子や老人の虐待、教育、医療・社会保障、行政改革、地方分権、例を挙げればきりがないというか、原則として全てにその傾向がある。

 症状を和らげよう、抑えようとするのはいいんです、真の原因への対処との整合性さえあれば。あるいは少なくとも問題の本質を悪化させないのであれば。だけど、対症療法に力をいれて、おおもとを悪化させるのでは本末転倒というか、自殺行為でしょう。

 例えば少子化。経済的な問題、女性の仕事との両立の問題ばかりが取り上げられ、児童手当を増やすとか、保育所を作るとか、果ては父親にも産休を与えよとかいった”政策論議”が大手を振ってまかり通る。これなんか「熱下げて、病肓膏(こうこう)に入る」の典型事例。

 お金がもらえたり、安く子供を預けられたりできれば、子供のいる家庭は助かるでしょう。その様子をみて、他の家庭ももう一人生もうと思うこともあるのかもしれません。そういう面は否定しないとしても、本気で、児童手当つけたり、保育所を増やしたりすれば出生率が上がると思ってるのなら、馬鹿としかいいようがない。

 上っ面の、薄っぺらな議論にのって、何にもしてないわけではないとのアリバイと目先の人気取りに走っているだけというのが実態だと思います。ただ、やってる本人はそう思わない。よきことをしていると信じて疑わない。実はそれは己の精神衛生上そう思っている場合が殆どなんですが、いいことをやっているつもりの奴ほど、始末におえないものはないんです。

 今よりずっと貧乏で、母親も好むと好まざるとに拘らず働かざるを得なかった時代の方が子供は多く生まれていた。

 今は経済的に苦しいから子供が生めないのではなく、豊かな生活を享受したいから子供を生まない。仕事をしているから子供が生めないというよりも、子供を生むことより男と同じように仕事をしたいから子供を生まない、あるいは当面は生むつもりはない(これ重要)。保育所がないから子供が生めないのではなく、皆が子供を生まないから保育所がない。

 効果がなくても、害がなければいいのですが、実は害は大いにある。

 まず、経済的インセンティブで子供を生む数を変えられるとする問題設定自体が大きな間違い。

 そりゃ、多少は影響あるでしょう。だけど、銭金(ぜにかね)のレベルにこの問題を貶めていることの罪深さに気づいていない。金を稼ぐのが目的ともいえる雇用の問題ですら、最近よく論じられるように、「金銭的インセンティブでやる気を出させようとするのはより重要な内的動機を皮相的な外的動機に置き換えてしまうことで、効果が一時的のみならず企業の活力自体を損ないかねない」なんて言ってるじゃないですか。

 少子化に関しても、真の問題は「内的動機」の方なんです。財政支援の効果は一時的あるいは殆どない、そして財政負担は長く続き、結局は子供は増えない。そして、政府がこういう音頭を取ることで、みんな今の傾向を正当化してしまうんですね。つまり、経済的に今の豊かな生活を損なうようなら子供は生まなくてもいいということを。そりゃ子供が出来ればどうやったって金や手間がかかります。そうした金や手間と同一次元に子供の問題を貶めているのですね。

 次に、本当に少子化対策をしたいのなら、働く女性を支援するのではなく、子供を産む女性を支援するべきでしょう。

 働く女性を支援する施策は、そうでない女性を貶め、女でも男並みに仕事をしなけりゃ駄目だと思わせている。男でも出来るような仕事を30過ぎまでやるのが当たり前になれば、そりゃ子供は生まれない。

 保育所だって、「働く女性」のためのもので、専業主婦だと入れてもらえない。違うでしょう、支援するのは子供を生む女性であるべきでしょう。今の働いてる女性はそんなに子供を生まないし、生めない。専業主婦は相対的に貶められ、支援も受けられない、だからこっちも余り生まない。特に今の都市型核家族では、専業主婦だって保育所サービスを必要としているんです。

 女性の社会進出は結構なことながら、少子化がここまで深刻になっているのにも拘らず、女に媚びる議論ばかりで重要な社会教育がおざなりにされている。いえ、女は家庭に閉じこもれって言うつもりはありません。そんな皮相的なことじゃない。

 女にとって重要なこと。それは男と違って、女性には明確な出産適齢期というものがあるということ。要らぬ性知識ばかり氾濫して、女という性に関して極めて重要なことが抜け落ちている。

 高学歴のキャリアウーマンが、30台半ばまでバリバリ働いて、それなりの地位も満足も(あるいは諦観も?)得た後、女としての抜きがたい欲求を思い出す。

 ところが中々妊娠せず。40前になって心配になり、医者に行く。どこも悪くありませんと、医者は言う。亭主のせいかと思って、嫌がる亭主にまで検査を受けさせる。ちょっと数は少ないけど、異常はありませんと医者に言われて帰ってくる。女は、いや女に限らず、誰でも人のせいにしたがりますから、亭主が弱いからだということで、ニンニク食わせたりして、・・・そして貴重な時間を目一杯浪費して、40になった頃、こう知らされる。

 どこも悪くありません、ただ、若い時と比べて、35歳を過ぎると妊娠する確立は半分くらいになり、40歳を過ぎると半分以下になり、45歳を過ぎると殆ど妊娠しなくなります、それは普通に生じることです、と。

 そんなこと知らなかった、っていうんですね、高学歴の、大卒の女が。馬鹿じゃないか。一体何勉強してきたんだと。

 最近は野田聖子とか、ジャガー横田とかの涙ぐましい話がちょくちょく出てきて、ある程度は意識が高まっているようには思えますが、それでも、「20代で生んでおかなきゃ、どうなるか分からない」なんて危機感はない。子供より仕事、育児より自己実現(自分探しっていうらしいです・・アホくさ・・)。いざとなれば人工授精だってあるわ、なんて下らん知識の方が先行する(・・・で、実際に人工授精ベービーは増加の一途なんですがね)。

 女よ、もっと己を知れ。

 男と違って、卵子は貴女がオギャーと生まれた時には出来ている。成熟はしてないけど、細胞としてはすでに存在していて、新たに作られるわけではない。卵子ってのは、卵と同じ、というか卵そのもの。卵は時間の経過とともに古くなるでしょう。それと同じことが起こるのです。

 排卵する時に、卵子が出来るかのように勘違いしやすいけど、それは違う。卵子自体は生まれた時からあって、順繰りに成熟して排卵されていくのです。古い卵は妊娠する確立が下がる。また、嫌な話ながら、障害児が生まれるリスクも高くなるのです。

 それよりもっと深刻なのは、子宮の状態が悪くなっていくことです。30過ぎると、人によっては20代後半から、子宮筋腫ができてくる。子宮筋腫というのはひとつの現われで、総じて子宮の状態が悪くなるので、受精しても着床しなかったり、着床しても流産しやすくなるのです。

 結局、当然のことながら、人間が社会的存在であり、そして人によって社会が構成される限り、人の行動を規定するのは社会的価値感、価値体系。

 子供を生み育てるということの価値、家族を持ち色々なものを世代を超えて受け継いでいくということの意義、己が宇宙の中心ではなく、己一人が神に祝福された者であるはずもなく、過去から現在そして未来へと流れる流れの中の一滴であるという世界観、そうしたものが一人一人の内的な価値体系、内的規範としてしっかりと確立されてない社会では子供は生まれない。

 そして、そうした社会的な価値体系を確立し、裏打ちし、確固たるものするためには、社会を支えている人たちの間でそれが共有されることと、それを共有する人々の数、共有する層の「厚み」が絶対的に重要なのです。

 所詮、どのような社会、どのような共同体であれ、それを中心となって支える人々−中堅層と呼ぶことにしましょう−、中堅層の価値観が行方を左右する。

 そして、特に日本のようなコンセンサス社会の場合、似非コンセンサスに惑わされ右往左往しないためには、社会の支え手・中堅層の間に、しっかりした健全な価値観が広く共有されてなければならない。

 何が「しっかりした」「健全な」価値観なんだという問いかけへの答えが、ちょっと難しいのですが、かつて常識とか良識とか呼ばれていたものがそれでしょう。常識、良識を失ったコンセンサス社会は糸の切れたタコのようなもので、煽動家たちによっていいように振り回されてしまうのでしょうね。

shishigami1 at 20:31コメント(0)トラックバック(0) 

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