静岡県焼津市西小川の小川城遺跡(こがわじょういせき)は、法永長者と呼ばれた長谷川正宣の屋敷跡(小川城跡)だと伝えられています。
現在は遺構を見ることができないため、下層にある古墳時代や平安時代の遺構を含めて小川城遺跡と呼ばれています。
昭和54年(1979年)から、区画整理に伴う発掘調査を実施。
中世屋敷跡は、東西約200m、南北約110mの長方形の居館と判明。
幅約15m、深さ約1.5~2.5mの堀が巡り、堀の内側に土塁がある城郭的構造です。
小川城遺跡(伝法永長者屋敷)
戦国時代の文明8年(1476年)、駿河守護の駿河今川氏6代目当主の今川義忠(いまがわよしただ、今川義元の祖父)が、菊川市(旧小笠町)の塩買坂で討ち死。
今川義忠の嫡男 龍王丸(後の今川氏親(いまがわうじちか))と小鹿範満(おしかのりみつ)による、後継者争いが起きました。
義忠の正室である北川殿(伊勢新九郎盛時(北条早雲)の姉(妹?))と龍王丸は、長谷川氏の屋敷に保護。
盛時の働きによって龍王丸が後継者となり、今川氏親を名乗りました。
長谷川正宣の孫 長谷川治郎左衛門正長は、今川義元・氏真に仕えた田中城の前身の徳一色城主。
戦国時代の元亀元年(1570年)、徳一色城が武田信玄に攻められ落城。
小川城も、武田軍に焼かれたと考えられています。
正長は徳川家康の家臣となり、元亀3年(1573年)の「三方原の戦い」で討死にしました。
正長の次男 宣次の8代目の子孫が、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」で有名な火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)の長谷川平蔵宣以です。
探訪は自己責任で!!
徳一色城主 長谷川治郎左衛門正長の墓所
曹洞宗 長谷山 信香院の記事はこちら
北条早雲の城 石脇城跡の記事はこちら
田中城下屋敷(藤枝市)の記事はこちら
小川城遺跡の地図
アクセス
東名高速道路 焼津ICの南
小川城址の碑
住宅地の一角に、石碑と案内板が建てられています。
案内板
小川城遺跡 中世屋敷跡 予想配置図
昭和54年(1979年)から、区画整理に伴う発掘調査を実施。
東西約200m、南北約110mの長方形の居館で、幅約15m、深さ約1.5~2.5mの堀が巡り、堀の内側に土塁がある城郭的構造です。
小川城遺跡からは、中国産の輸入陶磁器や国産陶器、漆器、曲物、金属製品(刀、釣針、古銭)、呪術資料(斎串・呪符木簡・人形木製品・舟形木製品)などが出土。
当時の大井川は、現在の小川港周辺で駿河湾に注いでおり、小川湊が物流の拠点として栄えていました。
説明板の墨書土器は、山茶碗、山皿(山小皿)と呼ばれる中世(平安時代末期から鎌倉時代にかけて)のもので、島田市(旧金谷町)横岡地区の金谷古窯跡群で焼かれました。
出土品の一部は、焼津市歴史民俗資料館に展示。
金谷古窯跡群 大井川鉄道の工事で発見された窯跡
すやん沢(釜谷)古窯跡群の記事はこちら
小川城遺跡の大部分は、住宅地になり一部は水田。





