静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、江戸幕府転覆を計画した軍学者 由比正雪(ゆい しょうせつ)の首塚があります。

江戸時代前期の慶安4年(1651年)、慶安事件(慶安の変、由比正雪の乱)で自害した由比正雪の首は、安倍川の河原でさらし首にされた後、縁者が菩提樹院に葬り五輪塔を建てて供養しました。

由比正雪首塚(五輪塔)
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<由比正雪と慶安事件>
由比正雪は、江戸時代所期の慶長15年(1610年)に駿府宮ヶ崎の紺屋(静岡市清水区由比(旧庵原郡由比町)誕生説もあり)に生まれました。

読書家であった正雪は、17歳の時に江戸に出て、楠不伝に楠流軍学を学んでいます。

その後、牛込に道場を構えて数千人の弟子たちに軍学を教えました。

慶安4年(1651年)4月に3代将軍徳川家光が死去すると、わずか11歳の徳川家綱が4代将軍になりました。

すると、多くの大名の取り潰しが幕府によって行なわれ、多数の浪人があふれました。

由比正雪は、江戸・駿府・京都・大阪の4ヵ所同時に5000人の兵を挙げて、江戸幕府を倒す計画を立案。

駿府で挙兵するのは、久能山の御金蔵に保管されていた徳川家康の財宝を強奪し、浪人たちを雇い入れる軍資金にするためだともいわれています。

世界一の大金持ちだった家康の遺産約100万両は御三家で分配され、残りの30万両は久能山の御金蔵に保管されていました。

慶安4年(1651年)7月26日、正雪が駿府梅屋町の旅籠梅屋勘兵エに滞在中、計画がもれて駿府町奉行所の捕り方によって包囲。

正雪は辞世の句を残して、部下7名(9名説もあり)とともに自刃(自害)。

これを、慶安事件(慶安の変、由比正雪の乱)と呼びます。

由比正雪 辞世の句
「秋はただ なれし世にさえもの憂きに 長き門出の 心とどむな 長き門出の 心とどむな」


首刑にされた正雪たちの首は、安倍川の河原でさらし首にされていました。

その首を盗んだ縁者が、寺町(現在の常盤公園の場所)にあった菩提樹院に首を葬り、五輪塔を建てて供養。

昭和21年(1946年)に実施された静岡市の区画整理により、首塚は菩提樹院とともに現在地に移転されています。

探訪は自己責任で!!

市指定文化財 伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)がある
菩提樹院の記事はこちら


臨済宗 正覚山 菩提樹院(TEL 054‐261‐3272)の地図
無料駐車場あり

本堂
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「史蹟 由比正雪首塚」石柱
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由比正雪像
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由比正雪首塚(五輪塔)
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