静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド

静岡県内の遺跡・古墳・横穴・窯跡(古窯)・廃寺・経塚・墳墓・中世墓・磐座(いわくら)・城跡・砦・陣屋など、埋蔵文化財を探訪して地図付きで紹介。考古学イベント、歴史博物館、郷土資料館、展示会の情報あり。 状況はすべて探訪時のものであり、その後消滅または立ち入り禁止となった場所があるかもしれません。 探訪はすべて自己責任でお願いします。原則リンクフリーです。

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榛原郡吉田町

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西國三十三所供養塔,石経千部供養塔 戦国時代の天文11年創建 曹洞宗 宝積山 大智寺  (静岡県榛原郡吉田町大幡181-2)


 静岡県榛原郡吉田町大幡(おおはた)の曹洞宗 宝積山 大智寺(ほうしゃくざん だいちじ)は、室町時代(戦国時代)の天文11年(1542年)8月に盤石寺(焼津市中島)6世 建国晃立和尚が開創。

江戸時代中期の正徳2年(1712年)、大井川の洪水で被害を受けました。

本尊は周智郡大日山(現在の真言宗御室派 大日山 金剛院(周智郡森町三倉))より贈られたと伝わる大日如来座像です。

境内には文化12年(1815年)5月建立の石経千部供養塔(経塚?)、大幡地区出身の戦没者24名を祀る忠霊塔(ちゅうれいとう)、墓地の隅には西國三十三所供養塔があります。

曹洞宗 宝積山 大智寺
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須恵器が出土 古墳時代以降の集落跡? 大日遺跡  (静岡県榛原郡吉田町片岡字大日)


 静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の大日遺跡(だいにちいせき)は、小山城駐車場南側の田園地帯に広がっています。

多くの須恵器が見つかっていることから、古墳時代以降の集落跡と推測される遺跡です。

湯南原台地の東南端 片岡原に建つ小山城の南西には、能満寺原古墳群(のうまんじばらこふんぐん)が築かれており、関連する遺跡の可能性があります。

大日遺跡
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戦国時代 小山城攻略のため設営 徳川家康の御陣場跡 八幡神社 (静岡県榛原郡吉田町大幡字青柳境1139-1 )


 静岡県榛原郡吉田町大幡(おおはた)の八幡神社(はちまんじんじゃ)は、「徳川家康の御陣場跡(ごじんばあと)」です。

安土桃山時代(戦国時代)の天正6年(1578年)3月と8月に、武田氏の小山城(こやまじょう)を攻略するため徳川家康は八幡神社に陣を設営。


徳川家康が八幡の神に必勝祈願をしたところ、戦いを優勢に進めることができたと伝えられています。

後に家康は、二町四方(約200m四方)の境内地と六石三斗の御朱印を八幡神社に寄進しました。

徳川家康の御陣場跡(ごじんばあと)
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江戸時代 大井川下流右岸に築かれた堤防 成因寺堤跡  (静岡県榛原郡吉田町川尻高畑)


 静岡県榛原郡吉田町川尻(はいばらぐん よしだちょう かわしり)高畑の成因寺堤跡(じょういんじづつみあと)は、江戸時代に大井川下流右岸の平野へ築かれた堤防跡です。

川尻(かわしり)は河口を意味する地名で、大井川が増水する度に洪水が発生して堤防は決壊。

民家・寺・神社が流失して田畑は荒地となり、水害に悩まされてきました。

成因寺堤跡
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江戸時代 一石一字経を納めた石塔を建立 町指定文化財 長源寺の経塚 曹洞宗 竜沢山 長源寺  (静岡県榛原郡吉田町神戸3592)


 静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。


江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土の平和を祈願して建立しました。

町指定文化財 長源寺の経塚

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遺跡,古墳の出土品を展示 静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』 (静岡県榛原郡吉田町片岡404 吉田町立図書館)


 静岡県内の公共施設で開催された、静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』の様子を紹介します。

県内の遺跡・古墳から出土した動物に関わりのある遺物(石器・土器・陶磁器・馬具・動物の骨)を展示する考古学展です。

静岡県埋蔵文化財センター巡回展
『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』

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戦国時代 武田・徳川軍が戦った向原古戦場 小山城攻防戦死者慰霊碑  (静岡県榛原郡吉田町神戸向原)


 静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の向原古戦場(むかいばらこせんじょう)は、戦国時代に武田・徳川軍が度々激しい戦闘を行ないました。

元亀2年(1571年)、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)の重臣 馬場美濃守信春(ばば みののかみ のぶはる)が、大井川下流右岸の湯南原台地の東南端 片岡原に小山城を築城。

向原は、小山城の約800m西側の台地上に位置しています。

昭和46年(1971年)2月、向原の開発を行なった河本産業が戦乱による死者の精霊を供養するため小山城攻防戦死者慰霊碑を建立。

小山城攻防戦死者慰霊碑
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奈良・平安時代の口分田 吉田たんぼ条里制遺跡  (静岡県榛原郡吉田町片岡横山地先3148-1他)


 静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の吉田たんぼ条里制遺跡(よしだたんぼじょうりせいいせき)は、約1300年前の奈良・平安時代に律令制(りつりょうせい)の口分田(くぶんでん)の区画割がされた史跡です。

口分田は、坪と呼ばれる一辺が1町(約109m)の正方形の水田を、段という10区画に分けていました。

大部分は、現在でも農地(夏から秋は稲作・冬はレタス栽培の二毛作)として利用されています。

吉田たんぼ条里制遺跡
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古墳時代後期(6世紀末頃) 直径約10mの円墳 町指定史跡 能満寺原古墳(龍光寺上1号墳)  (静岡県榛原郡吉田町片岡字龍光寺上3018)


 静岡県榛原郡吉田町片岡(かたおか)の能満寺原古墳群(のうまんじばらこふんぐん)は、大井川右岸の湯南原台地の能満寺原に築かれた、古墳8基(龍光寺上1・2号墳、東原1・2号墳、山ノ腰1・2号墳、竜光寺西1・2号墳)以上で構成されていました。

町指定史跡 能満寺原古墳(龍光寺上1号墳)は、町内唯一の現存する古墳です。

町指定史跡 能満寺原古墳
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甲冑,武器などを展示する模擬天守の歴史資料館 展望台小山城  (静岡県榛原郡吉田町片岡 能満寺山公園内)


 静岡県榛原郡吉田町片岡(はいばらぐん よしだちょう かたおか)の町指定史跡 小山城(こやまじょう)は、駿河国(静岡県中部)・遠江国(静岡県西部)の守護大名・戦国大名 今川氏が大井川右岸の湯南原台地の東南端 片岡原に築いた山崎の砦(やまざきのとりで)がはじまりです。

室町時代末期(戦国時代)の元亀2年(1571年)2月、武田信玄(たけだ しんげん)の重臣 馬場美濃守信春(ばば みののかみ のぶはる)が本格的に築城し、小山城と名付けられました。


小山城跡は能満寺山公園として整備され、三の丸跡に建てられた模擬天守 展望台小山城は甲冑・武器・古文書・文化財などを展示する歴史資料館になっています。

展望台小山城
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