静岡県静岡市清水区興津清見寺町の興津坐漁荘(おきつざぎょそう)は、最後の元老・西園寺公望(さいおんじきんもち)の別荘です。

西園寺公が70歳になった大正8年(1919年)、清見潟に面した温暖な気候の興津清見寺町に純木造数寄屋造り二階建の興津坐漁荘を建設。

昭和15年(1940年)11月24日、西園寺公は坐漁荘で死去(満90歳)。

昭和44年(1969年)に解体された興津坐漁荘は、翌年明治村に移築され国指定文化財になっています。

平成16年(2004年)、跡地に復元された興津坐漁荘を一般公開。

復元された興津坐漁荘
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西園寺公望公別邸 興津坐漁荘
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、臨時休館日
開館時間 平日10:00〜17:00、土日祝 9:30〜17:30
入館料 無料
無料駐車場あり

変更になる場合があります。
事前確認してから、お出かけ下さい。

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興津坐漁荘の地図
TEL 054‐369‐2221

アクセス
・JR興津駅より徒歩約15分
・JR清水駅よりバス三保山の手線「清見寺前」下車徒歩約2分

<西園寺公望(さいおんじきんもち)の生涯>
江戸時代後期の嘉永2年(1849年)、西園寺公望は右大臣・徳大寺公純(とくだいじきんいと)の次男として誕生。
4歳で西園寺家の養子となり家督を相続。
明治4年(1871年)から明治13年(1880年)までパリに留学して、ソルボンヌ大学で学んでいます。
1894年(明治27年)に第2次伊藤内閣の文部大臣となり、1906年(明治39年)と1911年(明治44年)に第12代・第14代内閣総理大臣を務めました。

大正天皇即位の際に、重要な施策について天皇の諮問に応える、政府の最高首脳である重臣の元老に就任。

大正13年(1924年)に元老の松方正義が死去すると、西園寺公望は昭和15年(1940年)11月24日に満90歳で亡くなるまで最後の元老でした。

興津坐漁荘
石垣の手前に清見潟の砂浜があり、海の向こう側には三保の松原で有名な三保半島が望める、美しい景観が広がる場所でした。
現在は埋め立てられて、国道1号線静清バイパス、清水清見潟公園などを建設。
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通りに面した門の前の建物は、警備の警官詰所。
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1階応接室
暖炉の上には、西園寺公が描いた鶏の絵(複製)が飾られています。
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テラス
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台所
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上湯殿(風呂場)
浴槽のすぐ上の壁面には、外国製のブザーと暗殺者の襲撃に備えた脱出用の扉を設置。
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外国製ブザー(写真)
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2階 鴬張り廊下(うぐいすばりろうか)
廊下を歩くときしんで、音が出るように造られています。
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居間
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