静岡県静岡市駿河区八幡(やはた)の八幡山城(やはたやまじょう)は、室町時代の応永18年(1411年)頃に駿河守護の駿河今川氏4代目当主 今川範政(いまがわのりまさ)が、駿府(静岡市)防衛のため築城。
八幡山城は、今川氏,太田道灌,北条早雲,武田信玄,徳川家康ゆかりの地です。
八幡山城(八幡山公園)
室町時代後期(戦国時代)の文明8年(1476年)、駿河今川氏6代目当主 今川義忠(いまがわよしただ)が「塩買坂の戦い」(菊川市(旧小笠町))で討死し、今川氏の後継者争いが勃発。
義忠の嫡男で6歳の龍王丸(後の今川氏親(いまがわうじちか))と、義忠の従弟 小鹿範満(おしかのりみつ)による家督争いは、龍王丸の母親 北川殿の弟(兄?)の伊勢新九郎盛時(北条早雲)の仲介により一旦収まりました。
この時八幡山城には、小鹿範満を支持する鎌倉から派遣された太田道灌が布陣。
龍王丸が成人するまで小鹿範満が家督を代行する約束が結ばれましたが、成人後も家督をにぎり続けました。
そのため、伊勢新九郎盛時が八幡山城を修築して麓に居館を構えました。
長享元年(1487年)、盛時が駿河館を襲撃して小鹿範満は自害。
その後、盛時は興国寺城(沼津市)へ移りました。
室町時代末期(戦国時代)の永禄12年(1569年)、甲斐(山梨県)の守護・戦国大名 武田信玄が2度目の駿府(静岡市)侵攻。
以後12年間にわたって、八幡山城は武田氏の支配下に置かれました。
安土桃山時代(戦国時代)の天正10年(1582年)、武田氏滅亡により八幡山城は徳川家康の城となります。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉によって家康が関東に移封され、八幡山城は廃城になったと推定。
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八幡山城の南側 有東砦の記事はこちら
八幡山城(八幡山公園)の地図
八幡神社(TEL 054‐282‐8914)の北側
アクセス
東名高速道路 静岡ICの北
八幡神社と八幡山城
境内の石段を登る。
八幡山城(八幡山公園)

二の曲輪
八幡山城の案内板あり。

八幡山の山頂広場の横にある、八幡山古墳群の1号墳。
八幡山古墳群の記事はこちら
本曲輪(山頂広場)

本曲輪からの眺め

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