静岡県藤枝市藤枝(ふじえだ)の曹洞宗 龍池山 洞雲寺(りゅうちざん とううんじ)は、徳川家康ゆかりの地です。

安土桃山時代の慶長5年9月6日(1600年10月12日)、「関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)」に向かう家康が洞雲寺で休憩しました。

その際、檀家であった駿河国志太郡五十海(いかるみ)村の橋本藤八が家康に大柿を献上。

柿の名を尋ねられた藤八は、「美濃の大柿でございます」と返答。

家康は、「美濃の大垣が手に入った」と喜びました。

曹洞宗 龍池山 洞雲寺
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 奈良時代の神亀5年(728年)、青峰白眼(せいほうはくがん)和尚が洞雲寺を開創(宗派は不明)。

その後の約800年間は、荒廃して寺名が残るだけだったと伝えられています。

室町時代後期(戦国時代)の永正7年4月21日(1510年5月28日)、曹洞宗 高草山 林叟院(焼津市坂本)を開山した賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)和尚の2番弟子 在天祖竜(ざいてんそりゅう)大和尚が、曹洞宗 龍池山 洞雲寺として再興。


 安土桃山時代の慶長5年9月6日(1600年10月12日)、「関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)」に向かう家康が洞雲寺で休憩しました。

その際、檀家であった駿河国志太郡五十海(いかるみ)村の橋本藤八が家康に大柿を献上。

柿の名を尋ねられた藤八は、「美濃の大柿でございます」と返答。

家康は、「美濃の大垣が手に入った」と喜びました。

「関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)」に勝利した家康が江戸に戻る途中に立ち寄り、洞雲寺5世 良山秀洞(りょうざんしゅうとう)に竹木伐採(ちくぼくばっさい)の禁制(きんせい)の朱印状(しゅいんじょう)を、藤八には羽織(はおり)と皮の袴(はかま)を与えました。

献上された柿は、家康が「藤八柿」と命名。


 江戸時代には、朝鮮通信使の宿泊所にもなりました。

江戸時代中期の天明5年(1785年)、近くで発生した火事が類焼し洞雲寺は全焼。

文化8年(1811年)5月、19世 右逢原左(ゆうおうげんさ)が諸堂を再建。

明治31年(1898年)8月23日夜、再び焼失しました。

大正5年(1916年)、28世 道順達元(どうじゅんたつげん)が現在の本堂を再建。

境内には、藤枝七福神の寿老母尊天像も安置されています。

探訪は自己責任で!!

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曹洞宗 龍池山 洞雲寺の地図
静岡県藤枝市藤枝5-2-28
TEL 054‐641‐1011
無料駐車場あり

アクセス
・東名高速道路 焼津ICの西

稲荷堂
 文化8年(1811年)5月に洞雲寺を再建する2ヶ月前、右逢原左が霊夢を見ました。
そして、豊川稲荷・弁財天・金比羅宮を祀った稲荷堂を建立。
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鐘楼
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釈迦牟尼仏銅像
 江戸時代の元禄年間(1688〜1703年)、清心という念仏の行者が1000日間、朝に清水寺(藤枝市)の観世音菩薩、夕方に宇都谷山上の地蔵尊をお参りし続けました。
その際に受けた浄財で、自ら大恩教師の尊像を鋳造。
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藤枝七福神 寿老母尊天
 家業繁栄、延命長寿に御利益があるとされています。
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本堂
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参考文献
・『藤枝・岡部・大井川の寺院』改訂版 柴田芳憲 2001年8月25日

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