静岡県浜松市は、弥生時代につくられた銅鐸(どうたく)の出土地点数が、日本一多いことでも知られています。

なかでも北区細江町(旧引佐郡細江町)は、これまでに9基の銅鐸が見つかりました。

三方原台地北側にある長さ約2.5kmの「滝峯の谷」の斜面では、そのうちの6基が発見されたことから、「銅鐸の谷」と呼ばれています。

明治45年(1912年)3月2日、琉球蘭(七島蘭)干し場だった丘の斜面で、内山初太郎少年(当時10歳)が遊んでいました。

少年は、地面に一部が露出していた悪ヶ谷銅鐸(あくがやどうたく)につまづいて転倒。

発見された銅鐸は、翌日に父親の内山留二郎さんが掘り出しました。

悪ヶ谷銅鐸
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史跡整備されていないので、探訪は自己責任で!!

農地に立ち入らないで下さい。

静岡県の歴史

金属探知機で銅鐸発見!! 
県指定史跡 滝峰才四郎谷遺跡 銅鐸公園の記事はこちら


悪ヶ谷銅鐸出土地の地図

アクセス
東名高速道路 浜松西ICより車で約20分

「銅鐸の谷」説明板
現在地が、銅鐸公園の場所です。
赤い数字の1が、悪ヶ谷銅鐸出土地。
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悪ヶ谷銅鐸出土地
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丘の斜面
出土地点は、平成2年(1990年)1月に削られて消滅。
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案内板の切り絵
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悪ヶ谷銅鐸
銅鐸が製作・使用された時期は、弥生時代前期の終わり(約2200年前)から後期の終わり(約1700年前)までと考えられています。
悪ヶ谷銅鐸は、愛知県東部(三河)から静岡県西部(遠江)で出土する三遠式銅鐸で、弥生時代後期に製作。

銅鐸の文様は六区画袈裟襷紋(ろっくかくけさたすきもん)で、片面の一番下の区画に鹿と2羽の水鳥がデザインされています。

実物は東京国立博物館所蔵となっており、レプリカは「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」(浜松市北区細江町気賀1015番地1、TEL 053‐523‐1456)で展示。

高さ62.9cm
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「どうたく公園」の看板の鹿は、悪ヶ谷銅鐸のものです。
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参考文献
「銅鐸の谷」 大野勝美

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