静岡県藤枝市本町(ほんまち)の浄土真宗大谷派 熊谷山 蓮生寺(くまがいざん れんしょうじ)は、『平家物語』の敦盛最期(あつもりのさいご)で有名な熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)ゆかりの地です。

境内には、田中藩主 本多氏の墓・童謡「月の沙漠」の作詞者 加藤まさをの墓があります。

浄土真宗大谷派 熊谷山 蓮生寺
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平安時代末期 寿永3年(1184年)2月7日の一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)で、源氏方の武将 熊谷次郎直実は、平清盛の甥 平敦盛(たいらのあつもり)を討ち取りました。

鎌倉時代の建久3年(1192年)、母方の伯父である久下直光(くげ なおみつ)との、所領の境界争いの訴訟で敗訴。
直実は自分の髪を切り落とし、京に上って浄土宗の開祖 法然上人に弟子入りして蓮生を名乗りました。

建久6年(1195年)、蓮生は病気の母を見舞うため、故郷の武蔵国熊谷庄(埼玉県熊谷市)に向かいます。
しかし、東海道の「小夜の中山峠」(さよのなかやまとうげ)で、山賊と遭遇して所持金を奪われました。

そのため、この地に住んでいた福井憲順(福井長者)の屋敷へ、旅費を借りるため訪問。
借金の質として蓮生が「南無阿弥陀仏」を10回唱えたところ、金色に光輝く阿弥陀様が出現して憲順の身体の中に入りました。
旅費を借りて帰郷した蓮生は亡くなった母を弔い、翌年に旅費を返すため福井憲順の屋敷を再訪。
質入れした「南無阿弥陀仏」を憲順に唱えさせると、出現した阿弥陀様が今度は蓮生の身体の中に戻りました。
この光景に感激した福井憲順夫妻は蓮生に弟子入りして、屋敷に蓮生寺を開いたと伝えられています。

戦国時代の永禄12年(1569年)、駿河に侵攻した甲斐の武田軍と徳川家康軍との田中城をめぐる戦いで、蓮生寺は兵火に焼かれました。
江戸時代前期の寛永20年(1643年)、田中城再建の際の余った材木を使って本堂を再建。

駿河田中藩(現在の藤枝市・島田市の一部など)主 本多氏の菩提寺となりました。

墓地には、藤枝市出身で童謡「月の沙漠」の作詞者 加藤まさをの墓もあります。

探訪は自己責任で!!

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浄土真宗大谷派 熊谷山 蓮生寺の地図
TEL 054‐641‐2156
無料駐車場あり

山門
江戸時代後期の文化8年(1811年)、第5代田中藩主 本多正意(ほんだ まさおき)が改築。
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本堂
明治37年(1904年)1月3日に発生した藤枝大火で焼失し、大正2年(1913年)に再建。
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鐘楼
江戸時代後期の文化14年(1817年)に改築。
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開基堂之跡
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童謡「月の沙漠」の作詞者 加藤まさをの墓
明治30年(1897)4月8日、藤枝市大手(旧西益津村田中)に生まれ、幼少期を祖父母の元で過ごしました。
その後両親が住む東京へ移り、大正末期から昭和初期に詩人・画家として活躍。
「少女画報」「少女倶楽部」「少年倶楽部」などの雑誌で、抒情詩・抒情画を発表して人気を集めました。
昭和52年(1977)11月1日に80歳で死去。
代表作は、大正12年(1923年)に発表された童謡「月の沙漠」。
加藤まさをの資料は、藤枝文学館(蓮華寺池公園内の藤枝市郷土博物館となり)に収蔵されています。
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田中藩主 本多氏の墓
本堂西側の墓地に、田中藩主 本多氏の墓17基があります。
江戸時代中期の享保15年(1730年)7月28日、本多正矩(ほんだ まさのり)が駿河田中藩4万石の藩主として、上野沼田藩より移封。
歴代藩主は本多正矩、正珍(まさよし)、正供(まさとも)、正温(まさはる)、正意(まさおき)、正寛(まさひろ)、正納(まさもり)。
明治元年(1868年)9月、第7代藩主本多正納が安房長尾藩に移り田中藩は廃藩となりました。
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市指定天然記念物 イブキ
本堂の右手裏にあります。
ヒノキ科の雌雄異株の常緑高木。
蓮生寺のイブキは雄株です。
樹齢約700年、樹高6.8m、根廻1.65m、目通1.55m、枝張 東西7m、南北7m
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