静岡県掛川市伊達方(だてがた)の伊達方一里塚(だてがたいちりづか)は、江戸時代初期の慶長9年(1604年)に徳川家康が秀忠に命じて、江戸日本橋から東海道の1里(約4km)ごとに築かせた一里塚のうちの江戸から57番目の塚です。
一里塚には、旅人たちの目印となる松または榎(えのき)を植栽。
街道の両側にあった塚は、直径7間(12.74m)・高さ3間(5.46m)の規模で一里山と呼ばれていました。
伊達方一里塚の石碑

北側の塚は三浦たばこ店屋敷付近、南側の塚は萩田理髪店東側にありましたが、明治33年(1900年)頃に削平され消滅。
現在は伊達方一里塚跡近くの旧東海道沿いに、伊達方一里塚の石碑と案内板が設置されています。
掛川市内は、佐夜鹿、伊達方、葛川、大池の4ヶ所に一里塚がありました。
探訪は自己責任で!!
静岡県の歴史
静岡県の人気お出かけスポット
山岡鉄舟が宿泊
東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」の記事はこちら
市指定文化財
移築された掛川城主の茶室の記事はこちら
東海道の一里塚 江戸から61里目
復元された木原一里塚の記事はこちら
伊達方一里塚 石碑の地図
静岡県掛川市伊達方
アクセス
・東名高速道路 掛川ICの北東
旧東海道(旧国道1号)


伊達方一里塚の石碑
塚跡西側の大頭龍神社鳥居前に、石碑と案内板が設置されています。


大頭龍神社
鳥居の脇に、西方村 掘ノ内駅の道標あり。

西方村 掘ノ内駅の道標(どうひょう、みちしるべ)
東山口村青年会が、大正2年(1913年)10月に建立した石碑。
明治22年(1889年)4月16日に開業した、西方村(現在の菊川市)の官設鉄道 掘ノ内駅(現在の東海道本線 菊川駅)の道標。

福天大権現の道標(どうひょう、みちしるべ)
萩田食品店向い側の道標。
曹洞宗 洞谷山 龍雲寺(菊川市西方)境内の福天大権現は、江戸時代中期の寛保元年(1741年)に天狗をまつり願掛けに御利益があるとして、多くの信仰を集めていました。
寛保2年(1742年)、日坂町連□が建立。

参考文献
・案内板
ランキングに参加中!!

にほんブログ村