江戸時代初期の慶長9年(1604年)、幕府の命令で江戸日本橋から東海道の1里(約4km)ごとに一里塚が築かれました。
一里塚には、旅人たちの目印となる松または榎を植栽。
静岡県掛川市伊達方の伊達方一里塚(だてがたいちりづか)は、江戸から57番目の塚です。
街道の両側にあった塚は、直径7間・高さ3間の規模で一里山と呼ばれていました。
伊達方一里塚の石碑

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静岡県掛川市下俣南(しもまたみなみ)の八幡公園は、掛川駅南西の住宅地に所在。
遊具・砂場・ベンチ・グラウンド(広場?)が整備されています。
八幡公園

静岡県掛川市中央の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)の墓があります。
江戸時代後期の嘉永2年4月24日(1849年5月16日)、三代目尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死しました。
初代が江戸の広楽寺の檀家だったので、妻が同じ名前の広楽寺に葬儀を依頼。
江戸の広楽寺がこちらの長男が創建した分寺だと知り、墓を掛川の広楽寺に建立しました。
三代目 尾上菊五郎の墓
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。
江戸時代の旅籠「川坂屋」が現存し、一般公開されています。
「川坂屋」は寛政年間(1785〜1800年)に、問屋役を務めたことがある斎藤次右衛門が始めました。
現在の建物は、江戸時代後期の嘉永5年(1852年)に発生した、日坂宿大火の後に再建されたものです。
「川坂屋」と駐車場
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。
東海道 日坂宿(にっさかしゅく)には、江戸時代の旅籠や商家などが現存し一般公開されています。
江戸時代の宿場の雰囲気が楽しめ、ウォーキングコースとして人気です。
旅籠「川坂屋」のすぐ近くには、江戸時代中期の正徳元年(1711年)に設置された下木戸の高札場(こうさつば)が、「東海道宿村大概帳」(天保年間)の記録に基づいて復元されています。
復元された東海道日坂宿 下木戸の高札場
静岡県掛川市中央の中央公園は、蒸気機関車 C5849号機が静態保存されているのでSL公園とも呼ばれています。
遊具が整備されているのに、なぜか滑り台が無い不思議な公園です。
中央公園

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