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名所,史跡

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『男装の麗人』『正伝清水次郎長』の著者 作家 村松梢風 生家の跡 (静岡県周智郡森町飯田 県道58号 下飯田バス停の横)


 静岡県周智郡森町飯田(しゅうちぐん もりまち いいだ)の県道58号沿いには、作家 村松梢風(むらまつ しょうふう、本名 村松義一(むらまつ ぎいち)) 生家の跡があります。

村松梢風は、大正〜昭和時代に作家として活躍。

昭和8年(1933年)、中国で諜報活動を行なったとされる川島芳子(かわしま よしこ)をモデルにして、雑誌『夫人公論』に小説『男装の麗人』を発表。

川島芳子は、清朝の皇族粛親王の第14王女 愛新覺羅顯(あいしんかくら けんし)の日本名です。

戦後には、新聞・雑誌に『近世名匠伝』『正伝清水次郎長』『近代作家伝』『女経』『新女経』『近世名勝負物語』など、多くの伝記・小説を発表しました。

作家 村松梢風(むらまつ しょうふう) 生家の跡
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県内最古の民間の図書館 県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館 (静岡県掛川市掛川1176)


 静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。

大日本報徳社は、二宮金次郎(にのみや きんじろう、二宮尊徳(にのみや たかのり(そんとく)と改名)の報徳思想(社会貢献すれば自らに還元されるという、経済と道徳の融和の思想)を伝承する公益社団法人です。

鉄筋コンクリート建築にタイル張りの外観で、県内最古の民間の図書館として開館。

昭和27〜44年(1952〜1969年)には、掛川町立・掛川市立図書館として使用。

2階展示コーナーは、企画展の会場などとして利用されます。

県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館
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日本初の郵便局 東海道 日坂宿 江戸時代末期の商家「藤文」 (静岡県掛川市日坂)


 静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。

現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。

商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万延元年(1860年)から慶応3年(1867年)まで日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七の邸宅です。


明治4年(1871年)の郵便制度開始時、伊藤文七は郵便取扱役(局長)に任ぜられて、「藤文」は日本初の郵便局の1つになりました。

東海道日坂宿 商家「藤文」(ふじぶん)
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東海道一の大親分 清水次郎長が埋葬した咸臨丸乗組員 壮士の墓 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町1)


 静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町(つきじちょう)の市指定文化財 壮士の墓(そうしのはか)は、東海道一の大親分といわれた清水次郎長(しみずのじろちょう)が埋葬した、咸臨丸(かんりんまる)乗組員の墓です。

明治元年8月19日(1868年10月4日)、江戸幕府海軍副総裁 榎本武揚(えのもと たけあき)の指揮で、旧幕府艦隊(榎本艦隊)が奥羽越列藩同盟の支援のため江戸 品川湊を出港。

咸臨丸は、銚子沖で暴風雨にあってはぐれ、修理のため清水湊に入港しました。

明治元年9月18日(1868年11月2日)、追跡してきた官軍の富士山・武蔵・飛龍の3艦に襲撃され、修理中の咸臨丸は春山副官以下多数の乗組員が戦死。

人々は逆賊を埋葬して新政府にとがめられるのを恐れたため、官軍が海に投げ込んだ遺体は放置されていました。

それを知った清水次郎長は、遺体を収容させて向島の松の根元に埋葬。

書の達人として有名な旧幕臣 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)は感激して、壮士の墓という墓碑銘をおくっています。

市指定文化財 壮士の墓
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水害から集落を守る土手 栃山川の第2堤防 (静岡県焼津市本中根)


 静岡県焼津市本中根(ほんなかね)の国道150号西側には、栃山川(とちやまがわ)の第2堤防(集落を守る囲い土手?)の一部が残存。

焼津市の平野部は、かつて大井川下流域の氾濫原(はんらんげん、河原)が広がっていた場所で、「〜島」「〜河原」という地名が多くあります。

江戸時代初期の新田開発で村が発生して、本中根では集落の近くを流れる栃山川と木屋川(きやがわ)の豊富な水を利用して、水田経営が行われました。

蛇行して流れていた栃山川は、雨で増水すると低い堤防を越えて出水(しゅっすい、氾濫(はんらん))したため、第2堤防(集落を守る囲い土手?)が築かれたと考えられます。

栃山川の第2堤防
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雪女,耳なし芳一を収録『怪談』の著者 小泉八雲滞在の家跡 (静岡県焼津市城之腰 浜通り(八雲通り))


 静岡県焼津市は、「耳なし芳一のはなし」「雪女」などが収録された怪奇文学作品集『怪談』の著者 小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)ゆかりの地です。

明治30年(1897年)・明治32〜35年(1899〜1902年)・明治37年(1904年)の夏休みを、小泉八雲は焼津で過ごしました。

焼津を訪れた八雲は、浜通り(八雲通り)にあった魚商人・山口乙吉の家の2階に滞在。

小泉八雲が滞在した山口乙吉の家
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戦没者を慰霊するため建立 慰霊之碑 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)吉永 大井川南小学校の南西)


 静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)吉永(よしなが)の慰霊之碑(いれいのひ)は、昭和27年(1952年)9月に旧吉永村役場敷地の北側(現大井川南小学校敷地内)に戦没者を慰霊するため建立した石碑です。

昭和40年(1965年)3月、現在地(大井川南小学校の隣接地)へ移設。

敷地内には、大正13年(1924年)1月26日の皇太子殿下(昭和天皇)御成婚を記念して志太郡吉永村青年団が建立した石碑もあります。

慰霊之碑
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徳川家康が鷹狩りで立ち寄った 旗掛石 (静岡県焼津市石脇下507)


 静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の旗掛石(はたかけいし)は、石脇浅間神社の前にある注連縄(しめなわ)を張った2つの巨石です。

地名もこの石に由来するもので、元々は信仰の対象となる古代の磐座(いわくら)だったと考えられています。

別名は、鞍掛石(くらかけいし)。

高草山周辺を鷹狩りで訪れていた徳川家康が、原川新三郎(はらかわ しんさぶろう)の屋敷に立ち寄り、旗や鞍を門前の石に掛けたことからこの名がつきました。 


旗掛石
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歌舞伎「白波五人男」のモデルになった盗賊 日本左衛門首塚 宅円庵 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東2丁目 大井川鉄道新金谷駅の南東)


 静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。

日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルになった人物です。


日本左衛門首塚
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江戸時代の民間信仰 謎の巡礼者「紀州 川中嶋八兵衛の墓」 (静岡県島田市尾川 尾川丁仏参道 入口付近)


 静岡県島田市尾川(おがわ)の尾川丁仏参道(おがわちょうぶつさんどう)は、天台宗 千葉山 智満寺(ちまんじ)の旧参道です。

参道入口付近には、「紀州 川中嶋八兵衛の墓」と呼ばれる民間信仰の石碑があります。

江戸時代の元禄年間(1688〜1704年)頃、紀伊国(和歌山県御坊市)出身の川中嶋(島)八兵衛が、六十六部(ろくじゅうろくぶ、六部(ろくぶ)とも呼ばれる巡礼者)として駿河国(静岡県中部)にやって来ました。

「自分の死後に祀ってくれれば、川の氾濫を防ぎ疫病がおきないようにする」と言って集落を巡行。

その後、川中嶋八兵衛は小長谷家(焼津市(旧志太郡大井川町))へ婿養子に入ったと伝えられています。

紀州 川中嶋八兵衛の墓
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