静岡県焼津市浜当目(はまとうめ)の虚空蔵山(標高126m)山頂は、日本で初めて船舶無線電信の実験が行われた場所です。
明治36年(1903年)、日本海軍が「三六式無線電信機」を開発。
ここに無線試験所を建てて、80海里(150km)離れた三浦半島の試験所との通信実験を行いました。
船舶無線電信発祥地の碑と記念塔

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静岡県掛川市掛川(かけがわ)の龍華院子角山(りゅうげいんねずみやま)公園周辺は、室町時代(戦国時代)の文明5年(1473年)頃に、守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築いたとされる掛川古城(かけがわこじょう)です。
掛川古城本丸東側の大堀切には、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)5基が残存しています。
掛川古城 大堀切の防空壕
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)岩滑(いわなめ)の曹洞宗 宝珠山 盛岩院(ほうしゅざん せいがんいん)には、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残存しています。
境内南側の崖に掘られた防空壕は、縦長断面の通路を奥へ進むと、平面形がL字型になった爆風よけの構造です。
戦時中の新聞には、防空壕の掘り方を紹介する記事も掲載されていました。
曹洞宗 宝珠山 盛岩院の防空壕
静岡県袋井市川会(かわえ)の八王子神社(はちおうじじんじゃ)参道には、征露記念(せいろきねん)の石鳥居と石燈篭があります。
明治37〜38年(1904〜1905年)の、日露戦争での勝利を記念して建立されたものです。
鳥居には、「征露紀念(せいろきねん)」「明治三十九年十月建之(これをたつ)」と刻まれています。
当時は日露戦争の勝利を祝って、日本全国に凱旋門(がいせんもん)や記念碑などが建てられました。
征露記念の石鳥居と石燈篭
静岡県藤枝市藤枝の「藤枝市シルバー人材センター」は、藤枝町役場跡地です。
駐車場の「殉職の碑(じゅんしょくのひ)」は、太平洋戦争中に防空壕があった場所に建てられています。
昭和20年(1945年)1月9日、空襲で飛来した米軍のB‐29爆撃機1機が、4〜5発の爆弾を投下。
1発の爆弾が防空壕を直撃し、避難していた藤枝町長 大井氏・岡部町長・藤枝農学校校長 多田氏ら10名が死亡・10数名が負傷しました。
藤枝町役場 防空壕跡の「殉職の碑」
静岡県袋井市高尾(たかお)の赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)境内には、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に空襲に備えて掘られた、7基の防空壕(ぼうくうごう)があります。
長年の間、近所の子供たちの遊び場となっていました。
現在は入口が封鎖されています。
赤尾渋垂郡辺神社の防空壕
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