静岡県沼津市東熊堂(ひがしくまんどう)の高尾山古墳(たかおさんこふん)は、古墳時代前期初頭(3世紀前半)に築かれた前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)です。
平成23年(2011年)、辻畑古墳(つじばたけこふん)から改称。
沼津市内最大の古墳で、墳丘長約62m・幅推定34mです。
周溝(しゅうこう)からは、古墳時代前期初頭(西暦230年頃)の東海西部(愛知県?)の土器(高杯(たかつき)、器台(きだい))が出土。
主体部(埋葬施設)の棺上で出土した土器は、古墳時代前期(西暦250年頃)のもの。
古墳時代前期初頭(西暦230年頃)に築造された東日本最古級の前方後方墳で、古墳時代前期(西暦250年頃)にこの地域の首長(珠流河(スルガ)地域の王)が埋葬されたと考えられます。
高尾山古墳
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沼津市
静岡県沼津市根古屋(ねごや)の国指定史跡 興国寺城跡(こうこくじじょうあと)は、伊勢盛時(いせ もりとき、伊勢宗瑞(いせ そうずい)、伊勢新九郎長氏(いせ しんくろう ながうじ)、北条早雲(ほうじょう そううん))の旗揚げの城として有名です。
曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、大空堀(おおからぼり)、天守台(てんしゅだい)、西櫓台(にしやぐらだい)、石火矢台(いしびやだい)、石垣(いしがき)などの遺構を見学できます。
国指定史跡 興国寺城跡
静岡県沼津市大手町(おおてまち)の上ノ段遺跡(うえのだんいせき)は、沼津駅北口付近に広がる古墳時代終末期(飛鳥時代)から奈良時代(7〜8世紀頃)の遺跡です。
大変珍しい、唐三彩陶枕(とうさんさいとうちん)が出土。
釉薬(ゆうやく)で3色(白色・緑色・褐色)に彩色された唐三彩は、中国・唐から輸入された高級な陶器です。
唐三彩陶枕は、役人や僧侶の持ち物であったと考えられています。
当時の役人が使用していた、ベルトの金具も見つかりました。
上ノ段遺跡出土 唐三彩陶枕(とうさんさいとうちん)
静岡県沼津市松長(まつなが)の伊勢神明宮境内には、市指定史跡 神明塚古墳(しんめいづかこふん)があります。
古墳時代中期後半(5世紀後半頃)、海岸近くの砂丘堤上(標高12.7m)に築かれた前方後円墳です。
全長54m、後円部直径35m、後円部高さ5m、西向きの前方部幅24m、前方部高さ5mの規模。
市指定史跡 神明塚古墳
静岡県沼津市根古屋(ねごや)の国指定史跡 興国寺城跡(こうこくじじょうあと)は、北条早雲(ほうじょう そううん)こと伊勢宗瑞(いせ そうずい、伊勢盛時(いせ もりとき)・伊勢新九郎長氏(いせ しんくろう ながうじ)などとも呼ばれる)の旗揚げの城として有名です。
曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、大空堀(おおからぼり)、天守台(てんしゅだい)、西櫓台(にしやぐらだい)、石火矢台(いしびやだい)、石垣(いしがき)などの遺構を見学できます。
大空堀の中には、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残存。
国指定史跡 興国寺城跡 大空堀の中の防空壕

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2012年12月23日20:45
- カテゴリ
- 城跡,砦,陣屋,古戦場
- 沼津市
静岡県沼津市の国指定史跡 興国寺城跡(こうこくじじょうあと)は、北条早雲(伊勢盛時、伊勢宗瑞、伊勢新九郎長氏)の旗揚げの城として有名です。
沼津市教育委員会が、史跡整備のための発掘調査を実施。
本丸から東外堀をはさんだ東側の清水曲輪は、最終段階の城を描いたとされる「興国寺城絵図」では空白の地点でした。
発掘調査で、茶畑となっていた清水曲輪で東西に横切る大きな堀切と掘立柱建物跡を検出。
2012年(平成24年)12月8日(土)に開催された、「平成24年度 興国寺城跡(清水曲輪) 発掘調査説明会」(現地見学会)の様子を紹介します。
<北条早雲(伊勢盛時)と興国寺城の歴史>
伊勢盛時(いせもりとき、伊勢新九郎長氏(いせしんくろうながうじ))は、室町時代の康正2年(1456年)頃に備中荏原荘(現在の岡山県井原市)の領主で幕府の政所執事 伊勢盛定(いせもりさだ)の子として誕生したと考えられています。
盛時の姉(妹?)である北川殿は、駿河国守護で駿河今川氏6代目当主 今川義忠(いまがわよしただ)と結婚し、文明5年(1473年)に嫡男の龍王丸(のちの今川氏親(いまがわうじちか))が生まれました。
文明8年(1476年)2月6日、今川義忠が敵対した遠江の有力国人 横地氏の本城 横地城(静岡県菊川市)を攻略し、横地氏15代当主 横地四郎兵衛秀国を討ち取りました。
その夜、今川義忠は塩買坂(菊川市(旧小笠郡小笠町))で敵の残党による待ち伏せにあって、流れ矢で深手を負い討死。(塩買坂の戦い)
今川義忠の墓所 遠江三十三観音霊場
曹洞宗 磯部山 正林寺の記事はこちら
当主を失った今川氏は、義忠の従弟である小鹿範満(おしかのりみつ)と6歳の龍王丸による、家督相続争いが勃発。
盛時の仲介により、龍王丸が成人するまでの間は、小鹿範満が家督を代行する約束で一旦収まりました。
この時八幡山城(静岡市)には、小鹿範満を支持する鎌倉から派遣された太田道灌が布陣しています。
龍王丸と北川殿が保護された
小川城跡(長谷川氏館跡、小川城遺跡)の記事はこちら
今川氏、太田道灌、北条早雲、武田信玄、徳川家康ゆかりの
八幡山城(やはたやまじょう)の記事はこちら
しかし、龍王丸が成人後も小鹿範満が家督をにぎり続けます。
そのため、盛時は八幡山城を修築して、麓に居館を構えました。
文明19年(1487年)11月9日、盛時が駿河今川館(静岡市)を襲撃して、小鹿範満を自害に追い込みます。
龍王丸は7代目当主 今川氏親となり、盛時は功績によって長享2年(1491年)頃に興国寺城(沼津市)を与えられました。
<北条早雲(伊勢盛時)の伊豆討入り>
延徳3年(1491年)4月、伊豆国を治めていた初代掘越公方(ほりごえくぼう) 足利政知(あしかがまさとも)が病死。
政知の長男 足利茶々丸と異母弟 足利潤童子(あしかがじゅんどうじ)による、跡目争いが勃発。
同年7月1日に茶々丸が潤童子を殺害し、茶々丸が事実上の掘越公方となりました。
明応2年(1493年)4月、室町幕府管領 細川政元(ほそかわまさもと)が「明応の政変」(めいおうのせいへん)を起こしました。
10代将軍 足利義稙(あしかがよしたね)が追放され、出家していた潤童子の同母弟 清晃が還俗して義遐を名乗って室町殿(後の11代将軍 足利義澄(あしかがよしずみ))となっています。
同年夏または秋頃、義遐が茶々丸の追討を命じ、伊勢盛時は伊豆堀越御所(伊豆の国市四日町)の茶々丸を襲撃。
明応7年(1497年)、最後まで抵抗した関戸播磨守吉信の深根城(下田市堀之内)を攻略して伊豆を平定。
伊豆国の領主となった盛時は、興国寺城から韮山城へ移りました。
<戦国時代以降の興国寺城>
その後の興国寺城は、約120年間に16人以上の城主が交代しています。
今川氏、後北条氏、武田氏、徳川氏、豊臣方の中村一氏(なかむらかずうじ)家臣 河毛重次、そして最後の城主 天野三郎兵衛康景などです。
駿河・甲斐・伊豆の国境に位置する興国寺城は、戦国時代に今川氏・武田氏・後北条氏の争奪戦の渦中にありました。
<逐電(ちくでん)した最後の城主 天野三郎兵衛康景>
関が原の合戦後の慶長6年(1601年)、徳川家康の家臣 天野三郎兵衛康景(あまのさぶろうびょうやすかげ)が1万石の所領を与えられ興国寺城城主となりました。
慶長11年(1607年)、康景の足軽が竹木を盗みにきた天領の領民を殺傷する事件が勃発。
慶長12年(1609年)3月9日、足軽の引渡しを拒否した康景は行方をくらましてしまったため、興国寺城は廃城となっています。
興国寺城跡は史跡整備のため、見学出来ない場合があります。
事前に確認してから、お出かけ下さい。
国指定史跡 興国寺城跡 清水曲輪の地図
アクセス
国道1号 沼津バイパス「原東町」交差点から静岡県道165号を北上。
静岡県道22号三島富士線(根方街道) 「根古屋」交差点を東へ
萩野クリニック(TEL 055‐966‐7111)横の道を北に進む。
縄張り図
現在地の場所が、県道22号「根古屋」交差点。
赤丸内が、清水曲輪。
興国寺城は、支配者たちによって改修が繰り返されてきました。

清水曲輪への登り口 地図

清水曲輪(北西より)
3段の平坦面が、確認されています。

清水曲輪 南側(北西より)
曲輪南側は、複数の掘立柱建物跡が見つかりました。
弥生土器も出土。

掘立柱建物群(北より)
白線で囲まれた穴が、掘立柱建物跡の柱穴。

東海道新幹線
興国寺城跡北側の尾根を東西に切り通して、東海道新幹線が敷設されています。
城を防衛するために、尾根を切り離す堀切が必要でした。

掘切(南東より)
掘立柱建物群を防衛するため、清水曲輪北側を東西に横切る大きな堀切が築かれていました。
階段状に掘られているのは、発掘作業をし易くする為です。
はじめに築かれたせまい堀切(推定幅4.5m、深さ3.8m)が、幅の広い堀切(幅13m、残存深さ2.8m)に改修されています。
せまい堀切は戦国時代に武田氏が築き、それ以降の時期(徳川氏〜)に改修されたと推測。


掘切(北より)



東側トレンチ(南西より)

西側トレンチ(東より)


清水曲輪西側の東外堀

<出土遺物>
平成24年度調査で出土した戦国時代〜近世初頭の陶磁器

弥生土器?

弥生土器?

参考文献
「平成24年度 興国寺城跡 発掘調査説明会資料」
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