シュミットさんにならない法

音楽、映画、ネット、NPOを中心に多様な団塊ライフを考える

 ジャズ音楽を好んで聴き続けている人にとって気になる言葉の一つが「ジャムセッション」ではないでしょうか。ジャズサックス見習い中の身で、まだまだ早い(と師匠には叱られるでしょう。きっと)のですが、先日、多くのみなさんに機会をいただき、ジャムセッションらしきことを体験しました。いろんなことが珍しかったので備忘録を兼ねて記録します。

 仙台市青葉区にある音楽酒場「Want You(ウォンチュー)」。そこで月1回のライブを続けているジャズグループ「Lady Bug(レディ・バグ)」(テントウムシの意味)のみなさんにお世話になりました。「Lady Bug」さんはテナーサックス、ギター、ピアノ、ベース、ドラムに女性ボーカルが2人の編成です。ジャズのスタンダード中心に演奏するようです。50年のキャリアを持つドラマーさんがリーダーで、とにかくリズムが安定しているので、メロディーを担当するみなさんは非常に心地よさそうです。

 飛び入りセッション初体験に備えて「教科書」を用意しました。俗に「黒本」と呼ばれるスタンダード集です。アルトサックス用のE♭版をアマゾンで購入しました。ピアノはC、テナーサックスはB♭・・という具合に楽器の調に合わせて譜面が出来ています。これがある限り普通のキーで演奏するなら楽器によるキーの違いに悩まされることはないわけです。アマゾンで予約したときは「在庫あり」となっていたので安心していたのに、配達予定日の前々日になって1週間遅れる旨のメールがアマゾンから届きました。ちょっと焦りました。

 さて当日は「Watermelon Man(ウォーターメロンマン)」「Autumn Leaves(枯葉)」「Georgia On My Mind」の3曲にお付き合いいただきました。「Watermelon Man」「Autumn Leaves」は「Lady Bug」さんが準備してくれました。「Georgia On My Mind」は自分で希望しました。テナーサックスさんが曲ごとに段取りを教えてくれます。テーマをどちらが吹くか、アドリブの順番は?ドラムと他の楽器の掛け合い(4小節ずつ)をどこで入れるかなどを演奏前に軽く打ち合わせします。「ああ、これがジャズのセッションというものか」と、いい年して、ドキドキワクワクでした。

 「Watermelon Man」はブルースだけれどキーは何だっけ?。「Autumn Leaves」はレッスンで最初に取り上げた曲だけど、いつもやっているキーと同じだろうか。「Georgia On My Mind」のコード進行は大丈夫だろうか。間違って素っ頓狂な音が出なければいいなあ。たぶん、緊張もあってエヘラエヘラ状態だったと思います。頭の中はいろんなことが駆け巡ってクルクル状態でしたが・・。

 「Georgia On My Mind」のアドリブ。最初の8小節はイメージ通りでした。せっかく気持ちよくなりかけたのに、最後の8小節でロスト(自分がどこを吹いているか分からなくなること)しました。テナーさんがフォローしてくれて、戻ることができました。ロストは今まさに師匠から厳しく指摘されている欠点の一つです。また、やってしまった・・。

 自分の演奏の出来はともかくとして、テナーの人、さすがにうまいなあ。余裕があるというか、音色そのものが音楽になっているというか、とても表情がありました。それに比べてなぜ自分の音色は一本調子なんだろう。思いきり吹いたり、音量を抑えたりするだけでは追いつかない何かがあるんですね。

 最後に、メロディ楽器から見てリズムが安定しているというのは、こういうことを言うのかと思い知りました。本職(?)のドラムのレッスンにもなったわけです。お付き合いくださった「Lady Bug」のみなさんに感謝。機会を与えてくれた「Want You」のマスターにも感謝します。

●はてなキーワード

●ジャムセッションで初心者がやりがちなNG行動とは

●アコースティックライブ「Want You」

 最終日ぎりぎりに駆け込みました。ジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」。米国ニュージャージー州のパターソンという街に住むパターソンさんを主人公に、周囲の人たちとの日々の触れ合いを淡々と描いています。奇妙で、今や懐かしい「ストレンジャー・ザン・パラダイス」以来、ずっと追いかけている監督ですが、気負いや力こぶがどこにも感じられない、それでいてしみじみと迫ってくる作風は好きだなあ。

 パターソンは著名な詩人の生まれ故郷として知られています。その詩人ゆかりの街に奥さんと二人で暮らすパターソンさんを、アダム・ドライバーさんが演じます。パターソンさんの職業はバスのドライバー。時間を見つけては自分の秘密のノートに詩を書き続けている詩人でもあります。

 詩作も巧みなバスドライバーの物語として見るか、バスの運転もする詩人の物語として見るかによって、印象がやや異なるなるかもしれません。ひょっとしたら何の変哲もないかもしれない日常の中で、得意なことを一つ続ける贅沢さに気付かされる点で、個人的には断然前者です。

 ラスト近くなって、パターソンさんを落胆させる出来事が起きますが、何の心配もありません。日々の暮らしがある限り、そこに詩が生まれ、お金や名誉とは関係のない世界なのですから。そのことに気付かせてくれる日本の詩人を永瀬正敏さんが演じています。

 いたるところにユーモアが織り込まれことに、あとで気付く楽しみもあり、全体としてパターソン出身の詩人へのリスペクトを表現する作品になっていました。

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 ジャズのアドリブ(即興演奏)というものをメロディー楽器でやってみたくて、アルトサックスを師匠に習い始めたのは2013年10月24日でした。62歳と3カ月でした。

 以来、あと1週間で丸4年になります。誰かにきちんと教えてもらうのは学生時代以来のこと。新聞社での40年間も系統立てて何かを学ぶ機会があったわけではありません。すべて独習というか、必要に迫られていろんなことをつまみ食いしてきたように思います。

 その点、プロのジャズ奏者である師匠には多くのことを実地に即して教えていただいています。アドリブ演奏する際に必要なジャズ特有のリズム感や、曲の進行に合わせて音を瞬時に選ぶ力、一音一音に表情をつけるためのジャズならではの奏法(これは特に高度!)とか、課題を上げればきりがありません。実技、理論ともに覚えるべきは数限りなくあります。

 一人の師匠にずっとついていると、3年前に教えてもらったままあいまいになっていたポイントが「今日になってやっと腑に落ちた」なんてこともざらにあります。じっくり、ゆっくり楽しみながら進むとしましょう。

 目の前で演奏しながら手取り足取りしてもらうので、本来ならもっと上達しなければならないのですが、もちろん、なかなかそうはいきません。思うようにいかない理由が自分にあることをとりあえず棚に上げれば、実に楽しい世界です。ネットが普及し、模範演奏や音源を手に入れることができます。サポート環境が充実しているといっていいでしょう。

 ある曲の譜面を見て「この曲はどんな風にアドリブすればいいのか」を考えます。和音の進行に応じて、どんな音を使えばいいのかを考えます。師匠に教えてもらったり、ネットで覚えた理論もどきを総動員して、ああでもないこうでもないと考えます。その時間が結構楽しく、それを自分の楽器でひそかに演奏してみて、しっくり来たり、こなかったり・・。

 これはもはや立派な趣味の世界ではないか、と思うのです。グループに参加しなくても楽しめます。現場に行かず書斎で安楽椅子に座っているだけで犯人を当てる「アームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)」に近いかもしれません。

 もともと20年来の付き合いになるアマチュアグループでドラムを担当していたのですが、図々しくサックスに転向して2年になります。このグループはテナー、アルトのサックスが各二人、トランペット二人にリズム隊の編成で、週1回の練習を続けています。

 いわゆるジャズのスタンダードだけでなく、8ビートや16ビートのロック系やラテン系も演奏するので、度胸試し的な修行の場として貴重な機会となっています。このバンドで演奏すると、他のメンバーにあおられてしまい、師匠の指導を実践する余裕を持てないのが最大の悩みです。(笑)

【写真】年に1回の「おさらい会」ではプロのミュージシャンがサポートをしてくれます。恐れ多くて、それだけで震えます。うまくいった試しがありませんです。恥ずかしながらの写真大公開!

 音楽を通してペルーという国を描いた「わたしはここにいる(I Still Being) 」(ハビエル・コルクエラ監督、ペルー、スペイン、2013年)を山形国際ドキュメンタリー映画祭で見ました。ペルーの首都リマ在住のバイオリン奏者を黒子に、高地から海岸まで、さまざまな表情を浮き彫りにしています。

 キューバを舞台にした「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(ヴィム・ヴェンダース監督、1999年、ドイツ、米国、フランス、キューバ)を思い出しましたが、バイオリン奏者を進行役に登場させている分だけ視点が定まっています。見やすい。

 高地にある彼の故郷に向かう旅を経て、海岸に近いリマ市に戻ります。ペルー音楽をたっぷり聴きながらの上質な紀行作品といっていいでしょう。バイオリン奏者は、すっかり荒れ果てた生家をながめ、畑を管理してくれている老女と束の間の再会を喜びます。

 音楽仲間との会話。ギタリストだった父親が息子がたずねても教えたがらなかったそうです。その理由は、一人は「飲んだくれになるから」。もう一人は「放浪する暮らしになるに決まっているから」。何だか分かるような気がします。

 山岳地帯の冷涼な空気感から都会の場末の雑踏まで、ペルーの音楽は幅広い魅力を備えています。特に女性ボーカリストたちの質感の多彩なことに驚かされました。「マリアはただ人のために働くだけ」と繰り返す生活感漂う歌も印象的でした。

 そう言えば、南米ペルーと言えばすぐ浮かんでくる「ケーナ」を吹くシーンは1カ所しかありませんでした。タップダンスとの合奏は、その由来も含めて、興味深いお話でした。
 


第71回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受けた「さよなら、人類」(ロイ・アンダーソン監督、2014年、スウェーデン・ノルウェー・フランス・ドイツ合作)を見ました。人間が生きる不条理を、「シュール」とも「ブラック」とも言える感覚で見せてくれるコメディーといっていいんでしょうね。

 「笑い袋」や「ドラキュラの牙」「歯抜けおやじ」といった「お笑いグッズ」を売り歩くセールスマン二人が主人公です。一風変わった印象の役者とお話が次々に出てくるので、戸惑いましたが、主人公中心に物語を感じるのが、いい見方のようです。

 主人公のうち、ホルゲル・アンデション演じるヨナタンが何とも悲しくて、目を背けられないほどに誠実です。深刻なのにどこかおかしい、って自分の人生のことではないかと思えれば、見る価値があったということになるはずです。

 スウェーデンのお話なので、予備知識があった方がいいです。ロイ・アンダーソン監督の感性と映画技法をフル動員した作品だそうなので、そのあたりも事前に何かで調べた方がいいです。オフィシャルサイトでもこんな情報提供しています。


 いつものように事前準備皆無の状態で見たので、かなり苦戦しました。見た後にあれこれ調べているうちにじんわりときて、オフィシャルサイトの予告編を見て大笑いするという、不思議な体験でした。

 ちなみに沖縄のグループ「たま」のデビュー曲「さよなら人類」とは関係ありません。



 もう戦争を物語にできる時代ではないのかもしれません。クリント・イーストウッド監督の新作「アメリカンスナイパー」を見てそう思いました。

 戦場で多くの同胞を救ったとしてたたえられる天才的な狙撃手の物語。狙撃手は狙撃用のスコープの中に映った敵を殺すのが任務です。撃たれる側は、見えない敵に不意打ちをくらいます。実に卑怯な仕事です。殺し合いに卑怯もへったくれもないとは思いますが、狙撃手はやがて英雄となり、米国社会がイラク戦争へと向かう高揚感と一体化します。受け止め方も分かれようというものです。

 この狙撃手や彼をたたえる人たちには、せめて「座頭市」の名セリフを味わってほしい。「俺たちゃあなあ、裏街道を渡る渡世なんだぞお」。英雄になってはいけない、英雄にしてはいけないのと思うのです。

 狙撃手は、最初の作戦で少年を射殺します。少年は母親と思しき女性に対戦車用の手榴弾を持たされ、作戦中の米軍に近づいたのでした。

 この場面を逡巡しながらも乗り越え、あとは「英雄」への道一直線。狙撃手は職業軍人として何度も戦場に派遣されるうちに、戦場でしか生きられない心と身体になります。家族との葛藤も一応、描かれています。その場面と展開は驚くほど説得力がなく、家族の反対を押し切って戦場に入る姿の方がよほど印象的でした。

 イーストウッド監督は、この作品で戦争の何を描きたかったのでしょうか。正直、よく分かりません。「ダーティー・ハリー」ほど簡潔ではないし、戦争の形そのものが大きく変化しつつある現実に切り込めたとも思えません。「ジャージー・ボーイズ」(2014年)」はよかったのになあ。次回作に期待しましょう。

 気になっていたジョエルとイーサンのコーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイビス 名もなき男の歌」をやっと見ました。DVDですけど。

 1961年のニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジ。ボブ・ディラン直前のフォークの時代に活動した歌手の物語。苦しかっただろうなあ、いいやつだなあと、心から思うのでした。役者の演技、ストーリーとセリフの面白さで見せる作品です。理屈っぽくないのがいい。主演のオスカー・アイザックのギターとボーカルも本職はだし。渋くていい。音楽映画として十分楽しめます。ストーリーがループするラストは気に入りました。

 2013年のカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得しています。「パルムドール」ではありません。

ルシアンの青春 Blu-ray ルイ・マル監督の「ルシアンの青春」をほぼ40年ぶりに見ました。1944年、ドイツ占領下のフランスでのお話。フランスの片田舎で育った素朴な少年、ルシアンが主人公です。レジスタンスへの参加を希望したのに、どう考えても、ものの弾みとしか言えない経緯で、ルシアンはドイツ軍(警察)に協力することになります。判断力の幼さと「強さ」への憧れ。二つが相まって、非常に危うい立場にルシアンは追い込まれます。

 そのルシアンがユダヤ人の娘に恋をします。当時、ナチスドイツのユダヤ人迫害が最高潮に達していました。同郷の人びとから「裏切者」呼ばわりされるルシアンです。ユダヤ娘との恋などありえるはずもないのですが、ルイ・マル監督は、不安に満ちた青春を容赦なく描き出します。

 ルシアンに少しでも分別があればと思います。教育の問題でしょうか。ルシアン自身がその言葉に耳を傾けたくなるような大人が一人でもいればまた変わったのではないかと思います。愚かで、哀れな少年の恋は、破局に向かって自ら飛び込むような形で展開します。破局を破局としてあえて描かないラストシーンは、重苦しく、切実です。

 最近見直した「追想」(ロベール・アンリコ監督)と印象が重なっています。「追想」はフィリップ・ノワレとロミー・シュナイダーの共演。1975年に製作された作品でした。「ルシアンの青春」は1973年に製作され、公開が1975年。どちらもドイツ軍とレジスタンスの関係を下敷きにした作品なので、印象がつながっていますが、「ルシアンの青春」の方が何倍も見ごたえがあります。色あせない作品ということの意味が、よく分かる比較になりました。

 楽しみにしていたrisbon「リスボンに誘われて」(ビレ・アウグスト監督、2012年、ドイツ・スイス・ポルトガル)を見ました。原題は「Night Train To Risbon」。スイスの大学教授ライムント・グレゴリウスが、偶然手にした本に書かれている人と時代を求めて旅に出ます。ポーランドで70年代まで続いた体制への抵抗運動が下敷きになっています。

 ジェレミー・アイアンズさんがグレゴリウス教授を演じています。本の作者の妹役で出演しているシャーロット・ランプリングさんの冷たいまなざしに久しぶりに出会えます。この人は若い時から作品の中で笑ったのを見たことがありません。それはそれで貫禄たっぷりです。

 この作品は、冒頭からグレゴリウス教授の静かで地味な人生が生き生きと回復していく予感の物語として読むように期待されているようです。が、教授の地味で一見、強面とも思える雰囲気のためもあって、なかなか入り込めませんでした。

 それよりも、レジスタンスに身を投じた人々が長い時を経てもなお、心や体に傷を抱え、悩みながら生きている状況がストレートに伝わってきました。最近、読んだカルロス・ルイス・サフォンの「風の影」も、1冊の本の秘密を解き明かす形で、スペイン・ファシズム政権の圧政に苦しむ人々を描いています。設定が似ているだけで二つの作品に関連はないのですが、抵抗を封じ込めるために体制側が繰り出す暴力の醜悪なことは共通しています。

tokyo_koibito 千葉泰樹監督の「東京の恋人」(1952年)を見ました。古くからの邦画ファンには懐かしい原節子、三船敏郎が共演しています。森繁久弥、清川虹子、十朱久雄ら、味があって達者な役者さんが東京・銀座を舞台に人情喜劇を繰り広げます。

 千葉監督は当時、東宝の人。この作品の4年後に森繁の社長シリーズの第1作「へそくり社長」(1956年)を撮った監督さんです。

 原節子がベレー帽の似顔絵画家を演じ、「三銃士」を気取った靴磨きの青年3人組が街頭を歌いながら歩きます。今では稼働しなくなった勝鬨橋が実際に開閉するシーンが出てきます。1952年(昭和27年)という時代の風景として考えれば、確かに「東京」を名乗るだけのことはあったんでしょう。

 それにしてもなぜ「東京の恋人」?普通に考えれば、原、三船の主役二人を売り出す作戦ですが「恋人」路線を打ち出すには、二人とも年齢的に少々、キャリアがありすぎです。当時、千葉監督は年に5本ぐらい撮っていた時期です。タイトルを十分に練る余裕もなく、お手軽につけられたアイドル路線風のようにも見えます。それでいて話の展開はなかなかの凝りようだし、森繁の「社長シリーズ」の味が濃厚な作品でもあるのですから、手ごわい作品です。

 ひょっとしたらオードリー・ヘプバーンの有名な「パリの恋人」にあやかったのかと思って調べました。しかし、「パリ」は1957年でした。その影響を受けたわけでもないのです。

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